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「甘やかすって具体的にどうしたらいいと思う?」
リサの唐突な問いかけに、彼女の魔法の師であり友人でもあるミアンは、その白くて長い兎耳をぴくりとさせた。
「……いったい何があってそういう話がでてきたの?」
困惑気味の表情もとても可愛らしい。れっきとした大人の女性であるにもかかわらず、可愛らしいという表現が似合う。そそられるのが庇護欲か嗜虐心かはとりあえずおいといて、そんなミアンのことがリサは大好きだ。
青みがかった黒髪に翠の目をしたミアンは、兎型獣人と夢魔の間に生まれた合いの子だ。動く頭部にある兎型の長い耳と、長衣の上からでも隠しきれない豊かな胸とくびれた腰と形のよいお尻といった、とても夢魔らしい素敵な体をしているのに、その表情に浮かぶのはちょっと困ったようなおとなしやかなもので、それが簡潔に言うと「とてもすばらしい」とリサは常々思っている。簡潔に言わないと少々長くなるので割愛。
「ちょっと予定の見直しを余儀なくされたの」
リサの朝食の席、貴族の屋敷の食堂ほどの長さはないために、新しく運び込まれた長机が少々手狭に感じさせるものの、部屋の壁は白く明るく開放感がある。
五人分の銀器がクリームイエローのテーブルクロスの上に整然と並べられている長机の隣の、これまで使っていた四人掛け用の円いテーブルで、リサとミアンともう一人は朝食をとりつつのミーティングである。アーネストは子どもたちの準備の為に席を外しており、ここにはいない。
性格はともかくとして、体質は精気を糧とする夢魔寄りなミアンは、人間が食べるような食物摂取の必要はあまりないものの、アーネストが淹れていったお茶を口に運び、考えた。
「……ええと、つまり、人間の子どもたちにそういう接し方をする、ということかしら?」
「うん。母親役をする必要があると思ったの」
こっくりと頷くリサに、ミアンはようやく小さく微笑む。
「じゃあ、抱きしめてあげるのがいいんじゃないかしら」
「うん……」
歯切れ悪くリサは頷いて、自分の体を見下ろした。
「……何か胸に仕込んだ方がいいかな」
ぼそりとつぶやいたら、二人の横で黙々と朝食にかぶりついていた虎頭の獣人が盛大に吹き出した。とっさに展開した結界で自分とごはんとミアンをガードしつつ、リサは半眼で彼を見る。
「ゼス、きたない」
「……おまえがいきなり妙なこと言い出すからだろうが」
何度かむせた虎型獣人──この家の用心棒兼リサのもう一人の友人、ゼスの、鋭い牙がのぞく口から発せられる低い声と、琥珀色の険しい眼差しは、人間だけではなく魔族の大人も震え上がらせるものだが、リサはむ、と膨れる程度だった。指先をつ、と動かして、ゼスが吹き出した物をまとめて隅っこの残飯入れに突っ込みながら、反駁する。
「妙なことじゃないもん。おっぱいは母性の象徴だもん。私は抱きしめられるならミアンみたいな素敵なおっぱいのヌシ希望だもん。とってもふにふにで気持ちいいもん」
「それは完全同意するが、おまえのナリでデカい胸はおかしいだけだろうが」
「童顔巨乳の需要は高いと聞いたけど」
「自前ならな。だいたい俺は偽胸は許せん。がっかり感がハンパない。それくらいならはじめっから貧乳の方がまだいい。好みじゃないが」
「だまされたことあるの?」
「昔の話だ。──今は俺はおまえの胸が大好きだから気にすんなミアン」
「私も胸だけじゃなくて全部好きだよミアン」
二人の会話を目を伏せて聞いて──正確には聞き流して──いたミアンは突然振られて真っ赤になった。
「せ、宣言しないのっ」
二人はしばし無言でにまにましつつそんなミアンを見ている。
かたやミアンの知る限り一番美しい少女──ゼスと会話している様子をみていると、本人は時々自分の性別を忘れているようにも思えるが──、かたや見た目は獰猛な獣そのままの男で、外見で似ている部分など欠片もないのだが、こういう時の雰囲気は妙に似ているのだ。
こほん、とわざとらしい咳払いをして、ミアンは問うた。
「そ、それより。アーネストさんから、結局五人連れてきたと聞いたんだけど」
「うん。男の子四人に可愛い女の子一人」
「予定より多くないか?」
「うん。……お手数かけますがよろしくお願いします」
神妙な顔になってぺこり、と頭を下げるリサに、ミアンとゼスはちらりと目を合わせる。
彼らの雇い主は、こういうところが少しずるいと思う。文句を言わせてくれない。──受け入れざるをえないではないか。
どさりと体を背もたれに預け、ゼスは手で顔をこすりつつ息を吐いた。
「……まあいいけどよ。人間のガキかー……マジで連れてくるんだもんなおまえ。俺ガキの子守なんざほとんどしたことねぇのによ。だいたい武術教えろって言ってたのに甘やかすってどういうことだ? 撫でろってか?」
「その時は多少の怪我はしかたないよ。っていうかゼスに甘やかすのは期待してない。少なくとも自分の身を自分で守れる程度にしてほしい──それ以上になりたいって言い出したら別だけど。その時は遠慮なく鍛えればいいよ」
ただ、とリサは続ける。
「人間だから、獣人よりも体力的にはかなり弱いっていうのはあるんだけど、それ以上に、弱ってる子たちが多いから。始めのうちは、少し気を配ってほしい」
「……また結構な無茶言いやがる」
「無茶じゃないと思うけど? 弱点見抜くのは得意でしょう。とどめさすんじゃなくて、そこで止める方にいけばいいんだよ」
あっさりと、リサは言った。彼なら当然できると確信しているといった様子の彼女の言葉に、ゼスは胸の内で苦笑する。──まったく、俺を動かすのがうまいもんだ。
おもねるでも媚びるでもなく、あくまでさらりとリサは彼への高評価を示す。かといって、そこに利用してやろうという意識はなく、事実リサは頭ごなしに命令などしない。
正直なところ、ゼスは今回の計画はリサの暇つぶしととらえている。しかし、まあ付き合ってやるかと思う程度に、彼は小さな雇用主のことを気に入っていた。かつて名うての魔獣ハンターで、魔界を気の向くままに巡っていたきわめて気まぐれな彼が、用心棒という名目でこの家にいる理由は、半分以上は己のミアンがリサの先生であるためだが、残りの一部にはリサ自身の存在というのもあるのだ。
肩をすくめてゼスが了解の意を示してやると、リサはにこ、と笑って次いでミアンを見る。
「まだ、字が書けるかとかは全員にきちんと確認していないけど、話す方は少なくとも三人は問題ないと思う。個人差がかなりありそうだから、手分けして教えていく形の方がいいかもしれない」
「分かったわ。……うまくできるか、分からないけど」
「ミアンの教え方は上手だよ」
にっこりと笑うリサだが、ミアンの意見は違う。リサの呑み込みが良いのだ。理解力の高さと真摯さと貪欲なまでの知識欲がそうさせているのだと、ミアンは知っている。
ついでにいうと、リサはなぜか初対面の時からミアンに対してとても懐いてくれた上、出力全開な大好きオーラをミアンに対して出しまくっているので、非常に甘い採点だろうと思う。
表情をひきしめて頷くミアンに、リサは苦笑した。
「緊張しなくても大丈夫だよ、ミアン。いつもどおりにやってくれればいいんだから。……無理をしても後でボロがでてくるだけだから、うん、いつもどおりで」
「……おまえそれ自分に言ってないか?」
「やかましいよゼス。責任者は私なんだもん仕方ないでしょう」
図星をさされて、少しほおを赤らめて早口になるリサに、ミアンは思わず笑みをこぼした。
「やれるだけやってみるわ。がんばりましょ、リサ」
「うん。がんばる」
こくんと頷いて、リサはスープを飲み干した。
それを合図に、ゼスも再び食事を再開し、ミアンはもう一口お茶をすするが。
「……できれば、子どもを育てる予行練習だと思ってやってみてくれるといいんじゃないかと思う」
ぼそっとリサがつぶやいた言葉に、ミアンはお茶を吹き出しそうになりあわてて口元を押さえ、ゼスは今度は吹き出しはしなかったものの、こらえた物が変なところに入ったのか激しくむせた。
「おま……おまえな」
「からかってないよ。本音だよ。二人の子どもならきっと可愛い。……でも子どもたちの目とか耳に触れそうな場所で昼間っからはやめておいて、するならちゃんと鍵かけることっ。特にゼスっ」
リサの言葉にそういう意図かよ、と半眼になるゼスの前で、ミアンは頬を赤らめつつこくこくと一生懸命に頷いている。──分かってんのかミアン、リサは音出さないようにして鍵かけるなら昼間からでも構わんって言ってんだぜ?
半夢魔なのに恥ずかしがりで生真面目な恋人のそういうところもゼスはそれなりに気に入ってはいるのだが、いかんせん昼間だと抵抗が長い。
まあ分からせるのは後でいい、とゼスは鷹揚に頷いた。
「分かった。気をつける」
「そうして」
短く言って、リサは厨房から料理の載った皿をぴこぴこと運んでくるアーネストのサーヴァントたちを見た。サーヴァントとは半自動の人形のようなもので、彼の手足となってこの家の雑務を担当している。黒髪に猫耳、メイド服な彼ら──一応女性型だから彼女ら? ──の身長はだいたい六十センチメートルほど、布製のように見える顔には、くりっとした黒い目、それだけがある、まさに少女メイド型人形。ミトンのように親指だけが独立しているお手てと、ぴこぴこという擬態語が似合う動き方のとても可愛い子たちだ。
ちなみにメイド服のスカートの下にはご丁寧に穴あきぱんつと猫しっぽもついていることを確認した──仕方がないではないか、猫耳つきなのにしっぽがないなど許されることではない──リサは、その完璧さ具合に軽く戦慄したものである。
ちなみにその二、「この子たちがこういう姿なのは、じいやがそうしてるの?」と勇気を出して尋ねたリサに、アーネストは目を細めて「お気に召しませんか?」と訊き返してきたので「ううんとても可愛いから気に入ってる」と本音のままに返答したところ、「それはようございました」とだけ微笑んで言われてしまい、それ以上深くは突っ込めなかった。
閑話休題。
「準備できたみたいね」
ほかほかと湯気をたてている皿がぴこぴこと並べられていくのを見て、リサはくいっとお茶を飲み干して。
「さ──始まりだ」
きわめて慎重な口調で、宣言した。