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神々の血を啜る子供たち  作者: 妙原奇天


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第2話 聖女の処刑

 朝靄の中で、鐘が鳴っていた。

 昨日と同じ音なのに、今日はやけに冷たく響く。

 町のすべての通りが、広場へと向かっていた。

 処刑の日だからだ。


 リオは群衆の中にいた。

 まだ十二歳。痩せた身体を大人たちに押し潰されながら、ただ前を見つめていた。

 広場の中央には、高い木製の台が組まれている。

 そこに、ひとりの少女が立っていた。


 ミリア。

 リオが“姉”のように慕っていた聖女。

 小さな孤児院で、いつもリオにパンを分けてくれた人。

 笑うと、瞳の奥に灯がともるような人だった。


 だが、今その瞳は閉じられている。

 両手は鎖で縛られ、白い衣は泥にまみれていた。

 風が吹くたび、彼女の髪が頬に貼りつく。

 それでもその姿は、不思議なほど穏やかに見えた。


 「神に背いた者、ミリア・エルンストを裁く!」

 高台の上、神官が宣告した。

 群衆の間から歓声があがる。

 「神の奇跡を!」

 「祝福を!」

 それは歓声というより、呪いに近かった。


 ミリアは何も言わなかった。

 ただ空を見上げた。

 曇り空の切れ間から、一筋の光が差し込んでいる。

 まるで、誰かが最後の祈りを聞いているみたいに。


 リオは拳を握った。

 周りの大人たちが笑っている。

 その笑いが、どうしても理解できなかった。

 ミリアは悪くない。

 戦争を終わらせたいと言っただけだ。

 兵を癒やし、飢えた子にパンを配り、祈りの中で「殺し合いをやめて」と言った。

 それだけなのに。


 神官の手が掲げられた。

 鎖がきしむ音が、広場に響く。

 「神の名のもとに——聖なる審判を」

 刃が振り下ろされる。

 音はなかった。

 ただ風が吹いた。


 光が消えたあと、群衆が一斉に歓喜の声を上げた。

 「神が彼女を祝福した!」

 「これで戦争に勝てる!」

 その声の中で、リオは立ち尽くした。


 台の上で、ミリアの身体が静かに倒れている。

 その血が木の段を伝い、ゆっくりと地面に落ちた。

 赤い雫が石畳に染み、リオの靴先に届いた。

 リオはその血を見下ろして、息をするのを忘れた。


 喉の奥が熱い。

 叫びたいのに、声が出なかった。

 涙が出るより先に、世界が歪んで見えた。


 「……嘘だ」

 それだけが、やっとこぼれた言葉だった。


 周りでは祈りが続いている。

 信徒たちが地に膝をつき、神に感謝を捧げていた。

 彼らの目には涙があったが、それは悲しみではなかった。

 信仰という名の熱狂が、全てを包んでいた。


 リオは背を向けて走った。

 誰も彼を止めなかった。

 狭い路地に逃げ込み、壁に背を押しつけた。

 息が苦しい。

 胸の奥に何かがつかえているようで、吐き出したいのに出てこない。


 空はもう灰色に沈んでいた。

 鐘の音がまだ響いている。

 まるで、彼女の死を祝福するように。


 夜になっても、街はざわめいていた。

 広場では焚き火が焚かれ、兵士たちが酒を飲み、笑っている。

 「これで神の国が安らぐ」

 「あの女は、神の試練だったんだ」

 そんな声が風に乗って届く。


 リオは孤児院の裏の小部屋にいた。

 蝋燭の火が、壁の染みを揺らしている。

 枕の下には、ミリアからもらった小さな十字のペンダント。

 彼女はそれを“守り”だと言って渡してくれた。

 「困った時は、これを胸に当てて祈って」

 その声がまだ耳に残っている。


 リオはペンダントを握りしめた。

 けれど、もう祈れなかった。

 神に何を言えばいい?

 あの優しい人を殺した神に、何を願えばいい?


 蝋燭が小さく揺れた。

 その光の中で、誰かの声がした。


 ――リオ。


 はっと顔を上げる。

 誰もいないはずの部屋。

 けれど、確かに聞こえた。


 ――リオ、聞こえる?


 ミリアの声だった。

 夢か、幻か、あるいは罪の声か。

 リオは何も言えず、ただ息を止めた。


 ――戦争はね、信仰の形をした呪いなんだよ。


 静かな声だった。

 遠くから届くような、泣いているような声。


 ――人は“正しいこと”のために祈る。

 ――でも、その祈りが誰かを殺す。

 ――神様は、きっともう疲れているよ。


 リオは目を閉じた。

 まぶたの裏に、ミリアの笑顔が浮かぶ。

 優しくて、弱くて、でも、どこまでもまっすぐな笑顔。

 あのときの空の光まで、鮮明に思い出せた。


 ――リオ、あなたは生きて。

 ――いつか、呪いを終わらせて。


 声はそれきり、消えた。

 部屋に残ったのは、蝋燭の小さな音だけだった。


 リオはゆっくりと目を開けた。

 涙が頬を伝っていた。

 彼はペンダントを握り直した。

 「……生きるよ。僕は」

 その言葉が、誰に届くかもわからなかった。


 翌朝、街は燃えていた。


 夜明け前に敵軍が侵攻してきたのだ。

 鐘の音が再び鳴り響く。

 だが、今度は祈りの鐘ではなかった。

 警鐘。

 火の手が広場を覆い、空は血のように赤く染まる。


 リオは通りに出た。

 家々が燃え、瓦礫が降ってくる。

煙の中に人の叫び。

 昨日まで「神を讃えよ」と言っていた声が、今は「助けて」と泣いている。


 広場にたどり着くと、焼けた木の台が残っていた。

 その上に、ミリアの遺体がまだあった。

 炎が風に煽られ、布が焦げる。

 リオは足を止めた。


 熱い空気が頬を刺す。

 それでも彼は、逃げなかった。

 歩み寄って、膝をついた。

 「……姉さん」

 唇が震える。

 「戦争は、終わるの?」

 誰も答えなかった。


 風の音がした。

 灰が舞う。

 その灰のひとつが、ペンダントに落ちた。

 リオはそれを拾い、胸に当てた。

 熱い。けれど、どこか懐かしい温もりだった。


 その瞬間、耳の奥でまた声がした。


 ――リオ、怖くても、生きて。


 リオは頷いた。

 涙で視界が滲む中、炎の向こうの空を見上げた。

 そこには、翼をもがれた天使兵器の残骸が浮かんでいた。

 昨日の戦いの名残だ。

 空を飛ぶはずの存在が、地に落ちている。

 神の象徴が、泥の中に沈んでいる。


 リオは思った。

 “神の奇跡”なんて、もういらない。

 欲しいのは、誰かを救う力だ。


 火の粉が降り注ぐ。

 人々の祈りは、悲鳴に変わっていた。

 街が崩れ、鐘楼が倒れ、最後の鐘が鳴る。


 その音は、昨日と同じ音だった。

 けれど、もう誰も祈らなかった。


 リオは焼けた石畳の上を歩き続けた。

 どこへ行くのかもわからない。

 ただ、歩くことだけが生きる証のように思えた。


 背後で街が崩れる音がした。

 風が吹き抜ける。

 空には灰が舞い、陽が昇る。


 その光の中で、リオは立ち止まった。

 胸のペンダントが、かすかに輝いている。

 それは、もう神の印ではなかった。

 亡き聖女の、ささやかな“遺志”だった。


 「……姉さん」

 リオは呟いた。

 「僕、もう祈らないよ。でも、生きる」


 風が頬を撫でた。

 どこかで、優しい声がした気がした。


 ――それで、いいんだよ。


 そしてリオは、再び歩き出した。

 燃える街の中を、ひとりきりで。

 信仰も神も、もうそこにはなかった。

 けれどその背には、確かに“光”があった。

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