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神々の血を啜る子供たち  作者: 妙原奇天


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第1話 神に祝福された殺戮

 朝靄の向こうから、鐘の音が聞こえた。

 低く、鈍く、まるで誰かの心臓の鼓動みたいに。


 その音を合図に、僕らは歩き出した。

 列の先には、教皇軍の旗が翻っている。白地に金の十字。神の印。

 そして、その下で僕らは、誰かを殺すために祈っていた。


 僕――カイ・アーベントは、十五歳の少年兵だ。

 銃を握るたびに、手の中が震える。

 でも、それは恐怖じゃない。

 たぶん、もう“震えること”しか、僕の中に残っていないからだ。


 戦場は、いつだって祈りの音で始まる。

 司祭の声が響き、兵たちは膝をつき、祈る。

 「主よ、我らに勝利を」

 「主よ、我らの剣に加護を」

 祈りが終わると、すぐに銃声が続く。

 それがこの国〈アルメシア〉の戦いの形だった。


 教皇国家――神が治める国。

 だけど、神はこの空を見ているだろうか?

 爆撃で焼け焦げた雲の下に、光なんてもう残っていないのに。


 カイは膝の上に銃を置き、手袋をはずした。

 その掌には、刻印のように古い傷跡がある。

 子供の頃、村を焼かれたときに負った火傷。

 あの日から、祈ることは「生きること」と同じ意味になった。


 「カイ、聞こえてるか?」

 振り向くと、神父ヴィルヘルムが立っていた。

 白い法衣の裾が、泥で汚れている。

 いつも冷静で穏やかな男だったが、その瞳の奥はいつも疲れていた。

 まるで神の声を聞くたびに、魂をすり減らしているみたいに。


 「今日の任務は北の丘陵だ。ノルド軍の拠点を叩く」

 「……また、子供たちが?」

 「そうだ。あちらも同じだ」

 ヴィルヘルムの声は静かだった。

 “同じ”という言葉が、胸に刺さった。


 敵も子供。僕も子供。

 だけど神は、どちらにも「祝福」を与えるという。

 ならば、その祝福の重さで、この世界はもうとっくに潰れてる。


 出撃の合図が鳴った。

 空を見上げると、天使兵器が飛んでいる。

 金属の羽を背負った人造兵。

 神の代行者として作られた兵器は、やがて墜ちていく運命を知りながら、空を裂いて進む。

 空気を焼くような音が響き、爆風が丘の上をさらう。

 硝煙の匂いが、いつもより濃い。


 「カイ!」

 仲間のリリアが叫んだ。

 まだ十四の少女だ。金髪を短く刈り、軍服の袖が少し長い。

 「行くよ! 司祭様が見てる!」

 その声に押されるように、カイは走り出した。

 泥を蹴り、血の臭いを吸い込みながら。


 敵陣との距離が縮む。

 撃鉄を起こし、銃口を向けた瞬間、視界の端に人影が見えた。

 少年だった。

 カイと同じくらいの歳。

 汚れた軍服を着て、怯えた目でこちらを見ている。


 一瞬、時が止まったようだった。

 あれほど耳を塞ぎたかった砲声も、遠のいていく。

 カイは引き金を引けなかった。

 少年の唇が震えて、何かを言おうとしていた。

 その瞬間、隣から銃声が響いた。

 リリアの弾が少年の胸を貫いた。

 その体が、静かに崩れる。


 赤い飛沫が、カイの頬に散った。

 それは、温かかった。

 ただの血なのに、涙みたいに感じた。


 「カイ! 何してるの! 撃たなきゃ、こっちが死ぬよ!」

 リリアが叫んだ。

 けれど、カイは銃を握ったまま動けなかった。

 彼の目の中で、少年の瞳がまだ生きていた。

 まるで鏡のように、自分自身を映していた。


 「なぜ……神は、僕らを祝福するの?」

 呟いた声は、誰にも届かなかった。


 その夜、キャンプの焚き火の前で、ヴィルヘルムが聖書を閉じた。

 兵たちは疲れ果て、泥の上で眠っている。

 リリアも目を閉じたまま、祈りの言葉を口の中で繰り返していた。


 「神父様」

 カイが声をかける。

 「神は、本当に僕らの味方なんですか?」

 ヴィルヘルムはしばらく黙っていた。

 火が、彼の頬の皺を照らす。

 その目は、まるで何かを諦めた人間の目だった。


 「……神は、いつだって“人間の味方”だ。だが、“お前たちの味方”ではない」

 「それって、どういう意味ですか?」

 「祈りが正義を生むとは限らない。祈りはただ、“生き延びたい”という願いの形にすぎない」

 「じゃあ、僕らの戦いは……間違ってる?」

 「それを決めるのは、神ではなく――お前自身だ」


 焚き火がぱちりと弾けた。

 その音が、爆撃の音に似ていた。


 夜が更けていく。

 遠くの空で、また天使兵器が墜ちた。

 青白い光が尾を引き、闇を裂く。

 その光は一瞬、美しく見えた。

 けれど、あれは命の燃え尽きる光だ。


 カイは空を見上げて、目を閉じた。

 瞼の裏に、あの少年の顔が浮かぶ。

 何も知らないまま死んだ、同じ年の少年。

 もし、彼が生きていたら。

 もし、祈りが本当に“祝福”なら。

 ――この手は、こんなに冷たくなかったはずだ。


 翌朝。

 戦線はまた北へ移動した。

 カイの部隊は、焼け落ちた村を通過する。

 瓦礫の下から、鳩の羽が舞い上がった。

 その白さが、やけにまぶしかった。


 「ここ、前線だったのか?」

 「昨日まで人がいたらしい」

 誰かがそう言った。

 壁に残された落書きが目に入る。

 “神は見ている”――そう書かれていた。


 カイはその文字を見つめた。

 “見ている”なら、どうして止めてくれない?

 “祝福”するなら、どうして奪っていく?

 足元の瓦礫を蹴ると、崩れた石の下から小さな手が覗いた。

 それは、子供のものだった。


 もう、祈れなかった。

 手を合わせようとしても、指が震えて動かない。

 リリアが横で立ち尽くしていた。

 「カイ……泣いてるの?」

 「……わからない」

 頬を伝うものが、血か涙かわからなかった。


 そのとき、空が再び光った。

 天使兵器の翼が、陽光を受けて輝く。

 誰かが歓声を上げる。

 「神が、我らを導いてくださる!」

 その声に、誰も逆らえなかった。


 けれどカイの耳には、別の声が聞こえていた。

 ――やめて。

 ――もう、殺さないで。

 それは、昨日の少年の声のように思えた。


 戦争は、まだ終わらない。

 神の名の下で続く限り、誰かが祈り、誰かが死ぬ。

 “祝福された殺戮”の輪の中で、誰もが加害者であり、被害者だった。


 カイは最後にもう一度だけ、空を見上げた。

 光の中に、翼をもがれた天使が見えた気がした。

 彼は微笑んでいた。

 そして、落ちていった。


 その光景を見ながら、カイは呟いた。

 「神様。もしあなたがいるなら、僕たちを――どうか、祝福しないで」


 その言葉は風に消えた。

 空の向こうで鐘が鳴る。

 戦いの朝が、また始まる。

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