九話 生きる目的
早く、早く完成させないと。もう、時間がない。いつからか、私の頭の中は時間とネクタルのことだけしかなかった。この半年間、まともに睡眠をとっていない。それだけ、急いでいるし、焦っているし、時間もないのだ。当然、気分は最悪で眠気と吐き気と頭痛でかなり辛かった。それでも、手と思考を止めることは許されない。何度も何度も失敗を重ねてその回数は七百八十一回。律儀に失敗の回数を覚えているのは、全ての内容を紙に残しているから。失敗したら原因の特定と改善。これを愚直に繰り返すしかない。ネクタルの作成手順は不明なところが多かったのだ。少なくとも、この家にある本ではだ。正規の作成手順を書き記した本があるかもしれないけど、あるか分からない情報を探すよりは数をこなして完成させる方が早いと判断したのだ。そして、今、その判断が正しかったことが証明された。
[できた……]
私の目の前には深紅に輝く美しい液体があった。どうしてこれがネクタルと言えるのか。本に記述されている特徴と一致しているからだ。そして、今までの失敗品は全て灰色に濁った液体だった。初めてなのだ。こんなに美しい赤色の液体ができるのは。それに、魔力の質も計り知れない。液体なのに魔石以上に魔力が濃い。直感で分かる。これが万能の霊薬ネクタルのだと。
[早く、イザベラ師匠に飲ませないと]
歓喜は一瞬だった。今は一刻の猶予もない。ネクタルを小瓶に入れて、急いでイザベラ師匠の部屋に向かう。工房を出て、廊下を走る。目的の部屋の前で足を止めて、呼吸を整えてから、ドアをノックする。中から反応が無いのはいつものことだ。そのままドアを開く。部屋にはベッド一つしかなく、白いシーツの中でイザベラ師匠が横になっていた。
[イザベラ師匠! ついにネクタルが完成しました!]
イザベラ師匠は目を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。
[そう……。さすが、リビアね……]
かすれた声でささやくように話す。耳を立てていなければ、聞き逃してしまうほど小さい声だ。そんな彼女の姿に私の胸は締め付けられるような気持ちでいっぱいになる。もう、
イザベラ師匠は体のほとんどを動かすことができない。神経の病に侵され寝たきりの状態だ。多少顔の一部は動かすことができるので意思疎通はできる。彼女が徐々に弱っていく姿を見ているのは本当に辛かった。彼女一人でできることがどんどん無くなっていき、次第に私が介護する時間が増えていった。彼女を介護することは別に大変ではなかった。それよりも、大切な人が死へ近づいていることを実感するのが、たまらなく怖くて、悲しかった。寝たきりになって、口数も減り、鼓動の力も弱まっていった。健康でいて欲しかった。ずっと、傍にいて欲しかった。だから、死に物狂いでネクタルの調合に打ち込んだのだ。そして、今私の手元にはネクタルがある。やっと、やっと、イザベラ師匠を救うことができるのだ。
[イザベラ師匠、お口失礼しますね]
体を動かくことができない彼女の口を開けさせ、そこにスプーン一杯のネクタルを飲ませる。喉元が動いて、ネクタルを飲んだことを確認する。これで、病気も治るはず。イザベラ師匠の変化を見逃さないよう、緊張した面持ちで待つ。
[どうですか? イザベラ師匠。体、動くようになりましたか?]
[ふふふ……。そうね。あまーい味がする。懐かしいわ。いつぶりかしら]
[えっと、それって、どういう意味ですかね?]
嫌な予感がして、変な笑みがでそうになる。
[手を……握って頂戴]
言われた通りにすると、黒い円が現れる。その中に手を入れろと言われてるような気がする。すごく、嫌な感じがする。予感が外れることを祈りながら、黒い円の中に手を入れるとひんやりした感触がった。それを握って黒い円の中から手を引き抜くと、そこには美しい深紅の色をした液体が小瓶に入っていたのだ。
[うそ、うそ……。そ、そんな、こんなの……。あっ!]
手から深紅の小瓶がすり抜ける。音を立てて床に落ちた小瓶。深紅の液体が床に広がった。
[ごめんなさいね……。折角作ってくれたのに、貴方の努力を無駄にしてしまって]
すでに、イザベラ師匠はネクタルを完成させていたのだ。そして、イザベラ師匠の病はネクタルでも治せない。それが分かってしまったら、怒りをこらえることなんてできなかった。
[そんなのどうでもいいです!! どうして、教えてくれなかったのですか!!]
[事実を伝えて、貴方が悲しむ顔を見たくなかったわ]
[そんなしょうもない理由で……。もし、教えてくれてたら他に何か方法があったのかもしれないのに]
拳を強く握って、沸き立つ苛立ちを必死に抑える。
[方法なんてないわ。これは病気ではないの。私に運命付けられた宿命みたいなものね]
[なに意味不明なことを言っているんですか!]
[私はもうじき死ぬわ]
[えっ、嘘ですよね? いきなり何を言っているのですか。自分の寿命なんて分かるはずないですよ……]
[言ったでしょ。病気じゃないって。だから、ある程度分かるのよ。もって、あと数分よ]
[嘘です。イザベラ師匠がそんな簡単に死ぬわけありません。虚空の大魔女なのでしょ]
[聞いて、リビア]
弱々しい声でも、彼女がとても真剣であることがすぐに分かった。私は逃げることを止めるしかなかった。イザベラ師匠といられる最後の時間だと理解したからだ。
[さっき、私の【保管魔法】のパスを貴方へリンクさせたわ。全然整理できていないけど、好きに使って頂戴。あと、この家の支配権も貴方に譲渡しておいたから。家の構成も自由に変えられるわよ]
さっき、手に触れた時にしたのだろう。だから、イザベラ師匠のネクタルを取り出せたのかもしれない。私は黙ったまま、イザベラ師匠の言葉を待つ。
[短い間だったけれど、この数年間とても幸せだったわ。壊すことしかできなかった私に、貴方は人間性を私にくれたの。初めて人に優しくすることできた。ありがとう、リビア]
[そんな遺言みたいなこと言わないでくださいよ]
もう、涙が止まらなかった。鼻声になりながらそう言った。
[だから、貴方には幸せになって欲しいの。それが私の望み]
[だったら!! もう死ぬなんて言わないでくださいよ!! ずっと一緒にいてください!! それが私の幸せなのですから!!]
[ふふふ……。子供みたいなこと言わないで。好きなように生きて、貴方だけの幸せをみつけてね。私なんかいなくても、貴方なら大丈夫よ]
[嫌です!! お願いだから、私を一人にしないでイザベラ師匠!!]
私は身を乗り出し彼女に訴えかけるように声をかけた。でも、彼女は静かなままだった。
[イザベラ師匠? もしかして、寝ちゃったんですか?]
すがる気持ちで彼女の手をとり、脈を確認する。脈が、ない。勢いよくシーツを剥がして、彼女の左胸に耳を当てるも、鼓動を感じられなかった。
[イザベラ師匠? 嘘ですよね?]
彼女の体をゆすっても反応は帰ってこない。
[これで終わりなのですか? イザベラ師匠! 返事してください! イザベラ師匠!! イザベラ師匠!!]
どんなに強くゆすっても、人形のように彼女は揺れるだけだった。
[嫌だ!! 死なないで!! ずっと一緒にいてよ!! 私をおいて行かないでよ!! イザベラ師匠!! イザベラ師匠!! うわああああぁぁぁぁぁx!!!! ああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!]
ありったけの怒りを声にこめて泣いた。この理不尽な仕打ちをしたどこかにいるかもしれない神様に向けて。こんな現実なんて受けいれられない。叫んで、叫んで、叫んで、怒り狂うように泣いて。喉が潰れても、私の奥底にある怒りの感情は収まらず、ありったけの声で泣き叫び続けた。
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うっすらと目を開ける。そこは暗くて、腕に頭を乗せている感覚があった。頭を上げるとそこは見慣れたイザベラ師匠の寝室だった。私はベッドフレームにもたれ掛りながら、うずくまって寝ていたらしい。今まで徹夜続きだったから、こんな姿勢でも熟睡してしまったらしい。おかげで、頭の中はスッキリしたけど、体のふしぶしは少し痛む。私はゆっくりと立ち上がり、後ろへ振り返る。
[イザベラ師匠……]
泣きつかれて意識を失う前と何も変わっていなかった。イザベラ師匠は今も穏やかな表情で目をつぶっている。本当は寝ているだけなのかもしれない。起こしてあげて、ご飯を食べさせないと。起こそうと思って彼女の手を取った瞬間、私は息を飲んだ。
[……冷たい]
人ってこんなにも冷たくなるんだ。私はイザベラ師匠が死んでしまったことをやっと受け入れることにした。
[本当に、もう、死んでしまったのですね。イザベラ師匠……。うっ、ひぐっ……うぅぅ……]
昨日と違って燃え盛る悲しみはなくて、今はただただ哀しいのだ。イザベラ師匠とは一生会えない。そう思うだけで、胸の奥が苦しいのだ。涙が溢れて、ほほを伝っていくつも床にシミをつくる。いつまでも、泣いていてはダメだ。ちゃんとお別れをしないと。ぐしょぐしょになっている顔を裾でこすり上げ、彼女を真っすぐ見つめる。
[今まで生きることは苦しいことだと思っていました。でも、あなたに出会ってからは毎日が楽しかった。本当は今でもそんな生活を続くことを夢見ていますが、もう無理なのですね。あなたが私をどう思っていたかは分かりませんが、私は、あなたのことを母親だと思っています。イザベラ師匠、私を育ててくれてありがとう。本当に、本当に、お世話になりました]
途中から、また涙と鼻水が出てきてはしたない別れの挨拶になっちゃった。もし、イザベラ師匠が生きていたら、子供みたいに泣かないのって茶化してくれたかもしれない。私は亜空間から紺色のとんがり帽子を取り出して、それを被る。これを被るのはこれで二回目だ。
[イザベラ師匠をこのままにはできないよね。お墓を作って、ちゃんと弔わないと]
転移魔法で家の外に出て、周囲を見渡す。家から離れすぎるのも良くないから、結局は家のすぐ隣にお墓を作ることにする。日本では火葬してお墓に納骨するのが一般的だったけど、イザベラ師匠を火葬するのは嫌だった。人を焼く行為がおぞましいと思えたし、火葬はどうしても火あぶりにされたあの日のことを思い出す。なので、棺桶にイザベラ師匠を入れて、土葬しようと思っている。亜空間からスコップを取り出して、地面を掘り始めた。サクっと小気味良い音を立ててスコップが地面に突き刺さる。てこの力を利用して地面を掘り進める。子供の体でこのスコップは中々に重い。魔法を使えばもっと楽に掘ることができるけど、私自身の手で掘りたいと思った。
[んしょ……]
独りになってしまった。これからどう生きていこうか。あの人がいなくなってしまったけど、私一人でも十分に生活できると思っている。生活するには衣食住とお金が必要だけど、実はこれらの要素は全てある。お金は結構あったりする。イザベラ師匠の引き継いだ分もあるけど、調合品や魔物由来の素材は高く売れるのだ。この森を東へずっと進むと街があるのだ。時折、イザベラ師匠と必需品や調合に使う品の買い足しついでに、いくつか商会を教えてもらったのだ。今でもそれらのところと取引はしているから、今後お金について心配はしていない。衣食住については説明不要だ。だから、私は不自由することなく生きていけるだろう。土を掘るだけの単純作業は余計な雑念が入らないから、考え事が捗る。
[ふぅー]
スコップを地面に突き刺して、一旦手を止める。額を裾でぬぐって息を吐いた。これからどう生きていこうか。また、振り出しの自問自答に戻った。私は生きていける。でも、生きる目的を失ってしまった。だから、どう生きていけばいいか分からない。私には幸いにも多少の魔法の素養はある。それを極めるのはどうだろうか。魔法は好きだ。前世にはない技術だからおもしろいし、やればやるほど上達する楽しさもある。でも、極めたいとは思わない。例えるなら、ゲームをするのは好きだけど、ゲームを作りたいとは思わない。私にとっての魔法はそれに近いのだ。私が魔法を猛烈に学んだのは、あの人がほめてくれたから。上達する度にあの人は喜んでくれた。そうか、あの人が私の生きる目的になっていたんだ。そう思うと、余計に悲しくなっちゃう。一生分の涙を流したつもりだったけど、そんなことはなかった。スコップを握っている手の上に額を当てながら、静かに涙を流す。
[そうだ……]
思いついてしまった。その時、一筋の光が見えた。俯いていた顔を上げる。
[イザベラ師匠を生き返らせればいいんだ]
こんな分かりきったことをなんで今まで気づかなかったんだろう。イザベラ師匠も『あなただけの幸せを見つけてね』って言ってたよね。これは正しいことなんだ。だって、あの人が私の生きる目的なんだから。あの人がいない世界に私の幸せなんてあるわけがない。スコップを投げ出して、急いで家の中に戻るのであった。
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