八話 魔女のとんがり帽子
箒に跨って私は森の中を飛んでいる。ここは巨木が多いから、箒で飛びやすい。もし、密林のように木が密集していたら、私の服はツタやら葉っぱやらで装飾されるに違いない。もしくは箒が木に引っかかって地面に落下するかも。初めて魔物と戦ったあの日から三年が経ち、今年で私は十歳になる。そして、イザベラ師匠の弟子になって五年になった。月日も経って経験と知識がかなりつき、使える魔法も大分増えた。この森の中だって、私の庭みたいなものだ。地形だけでなく、この森の植生、魔物の生活圏などあらゆることを知っている。今は魔力を頼りに魔物を探しているところだ。昔は、魔眼を使いながら歩くだけで、気持ち悪くなっていたけど、今じゃ息を吸うように使いこなせるようになった。魔力の歪みを発見。魔物だ。目視しなくても分かる。青色の魔力が吸引されてる元にたどり着くと、案の定マッドグリズリーがのんきに歩いていた。杖を取り出し、魔法を唱える。
[【普通攻撃魔法】]
細長いダークグレーの槍を杖から射出。回転しながら真っすぐに槍は進み、マッドグリズリーの頭部を貫通して地面に突き刺さった。魔物は地面に伏せ、槍は魔力に戻って消えている。地面に降りて、マッドグリズリーの死体を眺める。うん、死んでるね。さて、血抜きと魔石の回収をしないと。
[【浮遊魔法】]
マッドグリズリーの死体が中空に浮かび上がる。地面から一メートル位のところでとめて、死体の真下に亜空間につながる黒い円を出しておく。
[【捻りの魔法】]
まるでぞうきんを絞るように死体がねじれる。おびただしい量の血液が黒い円に落ちていき、私はその光景を何食わぬ顔をして眺めていた。私にとってこの工程は作業に過ぎない。今は魔物の血と魔石が大量に必要なのだ。効率よく回収したい。最終的に干からびた皮のようになった死体を引き裂いて、真っ赤な拳大の結晶を取り出す。魔物は空気中から取り込んでいる魔力を結晶化させる性質があるのだ。そのため、魔石は純度の高い魔法触媒として、しばしば使用される。魔石を亜空間に放り投げた後、巨木の枝に覆われた空を見上げる。
[日が落ちてきましたね。そろそろ戻らないと]
光がほとんど差さない森の中であっても、長年暮らしていれば微妙な光加減が分かってくるのだ。
[【空間移動魔法】]
転移魔法を唱えて、再び黒い円を出現させて中を潜り抜ける。
[ただいまです]
[おかえりなさい]
いつものリビングルームに戻ると、イザベラ師匠《せんせい》はいつものロッキングチェアに体を預け揺れていた。以前と違うのは、ロッキングチェアのすぐそばに松葉杖が立てかけられていることだ。
[夕飯作りますね]
[あら、私も手伝うわよ]
[イザベラ師匠はゆっくりしてて下さい。急にどうしたのですか? 普段は私に任せてるのに]
松葉杖を手にして立ち上がろうとするので、急いで止めに入った。見ての通り、イザベラ師匠は病を患っている。右足は全く動かなくなっており、こうして松葉杖を使いながら生活している。魔物と初めて戦ったあの日から、イザベラ師匠の病が現れたのだ。何もないところでイザベラ師匠が転んで、からかっていたあの日が懐かしい。あれは病の兆候だったのだ。イザベラ師匠が言うには神経に関わる病気らしい。具体的な病名については分からないと言っていた。この家にある本を読み漁ったけど症状に合致する病は見つけられなかった。イザベラ師匠はこの病のせいで体の自由だけでなく、魔法も上手く使えなくなってきている。だから、ご飯は私が作るようになったのに、どうして今日はこんなに張り切っているのだろうか。
[だって、今日は貴方の誕生日じゃない]
[ああ……。そう言えば、今日でしたね。弟子になった日は]
実は、私が弟子になった日を誕生日として、毎年祝ってもらっていたのだ。その度にいつもより豪華な食事を食べ、魔道具をプレゼントしてもらっていた。普段は時空魔法で料理をどこから引っ張ってくるのに、その日だけはイザベラ師匠が腕によりをかけて豪華な料理を作ってくれた。そして、私が着ている自動でサイズが合うローブや杖は誕生日プレゼントとして貰った大切なモノだ。日々欠かさずお手入れをしている。
[他人事みたいに言うわね]
[完全に忘れていました]
[最初祝った時は泣いて喜んでいたのに]
[勝手に記憶を捏造しないで下さい。泣いていませんよ。まぁ、嬉しかったのは事実ですが……]
前世では自分の気持ちを伝えることなんて一度もなかった。でも、イザベラ師匠にならなんでも言えた。気持ちを素直に伝えるのは照れくさいけれど、悪い気はしなかったから。
[そう。なら、私もお手伝いさせてよ。今日くらい良いでしょう。貴方の好きな料理を作ってあげるわ]
[仕方がありませんね]
[やった。とても嬉しいわ]
イザベラ師匠はニコリと笑う。こんな些細なことなのに本当に嬉しそうに見える。彼女は松葉杖を右わきに挟んで立ちあがる。私たちはダイニングテーブルの奥にあるキッチンスペースに向かうのであった。ここのキッチンは意外にも現代的だった。見た目が日本にあったシステムキッチンのような箱型で、なんとシンクと水洗の蛇口やコンロがついているのだ。でも、この水洗は魔法を使える人限定だ。蛇口を捻るとき魔力を使うことで、亜空間に繋がりそこから水が供給される仕組みだから。コンロと言っても、ガスコンロではなくバーベキューで使うような炭火焼に近い。コンロの下側に石炭を入れる場所があり、そこが加熱されることで上部の鉄板で食材を焼けるのだ。
[まずは、食材を洗うのを手伝ってください]
亜空間から、食材を取り出す。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ブロッコリーを木製のざるに適当に入れる。
[分かったわ。ふふふ、今日はビーフシチューね]
イザベラ師匠は左手で蛇口から水を出して、片手で食材を洗いながらそう言った。
[私の好きな料理を作ってくれるのでしょう]
[勿論よ。はい、ジャガイモ]
[ありがとうございます]
ジャガイモの凹凸部に土汚れが少しついていようが、気にせず皮をむいていく。料理する上で、時空魔法は便利だ。こうした皮をいちいち捨てずにそのまま亜空間に放り込めるのだから。なので、生ごみの問題で悩む必要がないので調理に集中できる。こんなことに時空魔法を使うのは少しおかしい気はするけど。そんなことを考えていると、あらかた食材のカットが終わった。
[牛肉に塩、胡椒を振ってお鍋でバターと一緒に焼きましょう]
[分かりました]
ちなみに、私はビーフシチューのレシピを知らないので、ここから先はイザベラ師匠に頼るしかない。牛肉を亜空間から取り出し、塩、胡椒を振る。適当なサイズで切って、鍋に放り込む。コンロには石炭が入っているので、火つけようの魔道具を使って着火する。私は時空魔法しか使えないから、こんな簡単な生活魔法すら魔道具に頼らないといけない。
[焼き色が付いてきたわね。ブロッコリー以外の食材を入れて。玉ねぎがしんなりしたら赤ワインと水で煮込んでちょうだい]
[はい]
イザベラ師匠の指示に従いながら調理を進めて、ビーフシチューの仕込みが終わる。
[チーズケーキも食べる?]
[食べたいです!]
[ふふふ、分かったわ。作り方教えてあげる]
お菓子作りを私はやったことがない。イザベラ師匠が言うには、材料の計量が命らしい。幸いにも、計量カップや秤はキッチンスペースにはあったのでなんとかなりそう。
[最初にオーブンを予熱しておきましょうか]
[分かりました。使い方分からないので教えてください]
なんとこのキッチンにはオーブンも備わっているのだ。石炭コンロと原理は同じで、違うのは鉄板も石炭を入れる場所に置くところだ。石炭を入れるスペースには板を置けるようなとっかかりがあるので、そこに鉄板置いてその上に生地を置くことでケーキやパンも焼きあげることができるのだ。ただ、石炭では温度調整が難しいので、生地を焼くには経験と勘が必要だ。なので、素人の私は使ったことがない設備でもある。お菓子作りはイザベラ師匠頼みだ。彼女に教わりながらお菓子作りも順調に進み、生地をオーブンに入れるところまで完了する。お鍋とオーブンの火加減を確認しながら、私は疑問を口にしてみる。
[村にいた頃、料理はかまどみたいなところで作っていました。ここのキッチンはかなり充実しているように思えるのですが、他の家でもこれが普通なのですか?]
この家の設備が現代的すぎるのだ。村の生活は日本で言うところの戦国時代の水準だと思っている。まぁ、戦国時代の水準は知らないけどね。とにかく、この世界の生活水準はかなり低いと思っていた。でも、このキッチンは明治時代、もしかしたら昭和初期位のレベルまでいっている気がする。だって、コンロやオーブンなんて戦国時代には間違いなく無いでしょ。
[このキッチンは私が作ったのよ。だから、他の家にはないと思うわ。多分、かまどで火を起こして料理していると思うわ]
[そうですか。ちなみに、どうやって……]
[そろそろ、お鍋の方は出来上がりそうね。ブロッコリーを入れて完成ね]
タイミングが良いのか悪いのか、ビーフシチューの煮込みが完了したらしい。本当はどうやってコンロのアイディアにたどり着いたのか、蛇口の概念はどこで知ったのかとか色々聞いてみたかったけど、鍋の蓋を開けた瞬間それらの疑問なんてどうでもよくなってしまった。グツグツ煮えたぎる赤茶色のスープ。食材が程よく溶け合い酸味のある濃厚な匂いで、私の頭の中はビーフシチューのことでいっぱいだ。
[チーズケーキもよさそうね]
オーブンの前面ガラス越しに中を覗きながら、イザベラ師匠が言う。完成したビーフシチューを器によそい、チーズケーキを切り分ける。亜空間からパンを取り出し、テーブルに配膳すれば準備完了だ。
[リビア、お誕生日おめでとう]
[ありがとうございます。食べていいですか?]
[勿論よ]
[いただきます]
パンをちぎってビーフシチューに浸してから口へ運ぶ。パンを咀嚼すると、中から様々な食材が溶け合ったトロミのある汁を舌全体で感じ、深いコクとほのかな酸味が広がる。
[とっても満足そうな顔をしているわよ]
[おいしいですからね。満足した表情くらいしますよ]
そう話しながらも私の手は止まらず、スプーンで牛肉の塊をすくいそのまま一口で食べる。ホロホロと牛肉がほどけるほど柔らかい。はぁ、おいしい。私がせっせと口を動かしている間、イザベラ師匠はただ微笑んでいた。
[ごちそうさまでした]
[お粗末様]
いつもより、豪勢な食事に大変満足している。チーズケーキもすごくおいしかった。甘さは控えめで酸味が効いたベイクドチーズケーキ。前世なんて、ケーキはコンビニのプチスイーツコーナーのやつしか食べたことがなかったから、本格的なケーキを食べたのはこの世界に転生してからだ。ぶっちゃけ、前世よりも生活水準が高い生活をしていると思う。そして、こうして誕生日を祝ってもらえるのも転生してからだ。私はイザベラ師匠の弟子になってから初めて幸せというものを感じている。ずっと、この生活が続いてほしい。
[さて、誕生日プレゼントを渡さないとね]
[えっ、あるのですか?]
期待していなかったから、すごく嬉しい。イザベラ師匠は病気をしているから、そこまで用意していると思っていなかった。
[当たり前じゃない]
イザベラ師匠は亜空間から大きめの箱を取り出した。その箱はリボンが結ばれていて、多分イザベラ師匠がプレゼント用にあしらってくれたのだろう。
[はい、どうぞ]
[ありがとうございます。開けてもいいですか?]
[お好きにどうぞ]
箱は大きい割に軽い。リボンをほどいで蓋を開けると、そこには紺色の帽子が置いてあった。魔女が身につけていそうなとんがり帽子だ。
[かわいい……]
早速、とんがり帽子を頭に被ると、帽子が私の頭に自動で合わせてくれた。例の如く、これもイザベラ師匠お手製の魔道具なのだろう。そう思うと、より一層この帽子が大切に感じられた。
[良くに似合っているわ]
[ありがとうございます。イザベラ師匠]
[なんだか感慨深いわね]
[どうしてですか?]
イザベラ師匠がなんだか寂しそうな表情をした気がした。
[あら、知らなかったの? 師匠が弟子に帽子を渡すということは、魔法使いとして一人前になった証なのよ。リビア、改めておめでとう。貴方は立派な魔法使いよ。私から教えられることは、もう何もないわ。これからは貴方の好きに生きていいのよ]
[え……? そんな]
好きに生きていいということは、ここでの生活が終わってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。
[なんでそんな悲しそうな顔をするのよ。とっても喜ばしいことなのに]
[私はまだ、イザベラ師匠の弟子でいたいです。ここを離れたくないです]
そう言うと、イザベラ師匠は少し呆れた様子で口を開いた。
[貴方がここで生活したいなら、ここにいればいいじゃない]
[いいのですか?]
[良いって言ってるじゃない]
[本当ですか! それならここにいて、ずっと弟子でいます]
[貴方もの好きね。でも、ずっとは無理じゃないかしら]
[どうしてですか?]
イザベラ師匠は右足をさすりながら話す。
[私の病気のことよ。多分、長くはもたないわ。もって数年でしょうね]
イザベラ師匠がそう言うのなら、そうなのかもしれない。でも、そんなのは絶対に嫌だ。だからこそ、今日も魔石と魔物の血液を集めていたのだから。
[大丈夫です! 今ネクタルの調合をしていますから]
私は自分自身に言い聞かせるように発言した。
[あらゆる怪我、病気を治す万能の霊薬ネクタル。また、難しいものを作っているわねぇ]
[そうかもしれません。でも、完成したらイザベラ師匠の病気は必ず治りますよ! だって、どんな病気も治るのですから]
[そうね。期待して待っているわ]
[任せて下さい]
こうして、私のネクタルの調合が本格的に開始されるのであった。
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