六話 攻撃魔法
イザベラ師匠の弟子なってから二年位経った。今は工房で薬品の調合を一人で行っている。私の身長はあの時から結構伸びて、工房の長机も踏み台なしで作業できるようになった。マンドラゴラの根っこをすり潰して、それを水と一緒にビーカーへ入れる。さらに、魔石の欠片と植物から抽出した神経毒を一滴たらす。ビーカーを三脚に乗せて、アルコールランプに火を灯し、三脚の下からビーカーを加熱する。適当な棒でビーカーを混ぜながら少しだけ魔力を流しこむと、茶色に濁っていた液体が淡い黄色の液体へ一瞬で変化する。ビーカーの底にはマンドラゴラの残骸が沈殿しているので、ろ過して分離する。黄色い液体を小瓶に分けて、目的物の完成だ。
[【保管魔法】]
中空に黒い円形の穴が開き、そこへ小瓶を投げ込む。二年も経過すれば、私もいくつか魔法を使えるようになっていた。【保管魔法】は亜空間に物を保管する魔法だ。亜空間は事前に構築する必要があって、魔力量によって空間の広さが決まる。物を保管したい時に、事前に作った空間にパスをつなげれば【保管魔法】の完成だ。パスを繋げるのはごく少量の魔力消費だけで済むし、保管する空間は時間の流れが止まっているらしく、食べ物などの生ものが腐ることもない。とても使い勝手の良い魔法だ。
[随分手際よくなったわね]
工房には私しかいなかったはずなのに、後ろからイザベラ師匠が声をかけてきた。イザベラ師匠は時空魔法のスペシャリストだ。あらゆる空間を瞬時に移動できるので、いきなり声をかけられるのは日常茶飯事だ。昔は毎回驚いて、良く笑われたけど、今はもう慣れたものだ。
[おかげさまで。無痛薬がないと、【銘文魔法】の痛みに耐えられなくて発狂しますからね。そう言えば、昔は床で転げ回ってたっけ。幼女が絶叫する姿を見て、イザベラ師匠はさぞ愉快な気持ちになっていたことでしょう]
私は作業をしながら、ここぞとばかりに嫌味を付け加えておく。
[多少痛いかもしれないけど、慣れれば大丈夫と思ったのよ。私は別に大丈夫だったし]
この人の痛覚は一体どうなっているのだろうか。この無痛薬がないとあの痛みに普通は耐えられないはず。実際、私は廃人になりかけて、この薬のことを教えてもらったのだ。
[イザベラ師匠はおかしいので、その基準で話されても困ります]
[でも、【銘文魔法】すごく便利でしょう]
[ええ、まぁ、それは認めますけど……]
【銘文魔法】の本来の使い方は、紙に書いた文字が劣化して消えないようにする初歩的な魔法なのだ。この魔法を記憶へ応用したのがイザベラ師匠らしい。らしいと言うのは、私は彼女以外の魔法使いを知らないから真相は分からない。何はともあれ、今では無痛薬を飲んで【銘文魔法】で本を読み漁るまでに至っている。この魔法がなければ二年でここまで魔法を理解することは不可能だったと思う。
[それで、何か用があってここへ来たんですよね]
[そろそろ、攻撃魔法を教えようと思ってね]
[ついに、攻撃魔法を教えてもらえるのですね]
[随分、テンション高いわね]
[魔法使いと言えば、やっぱり攻撃魔法ですよ。魔法で爆発させて敵を倒す。私の魔法使いの理想像です]
[その気持ち分かるわ。派手な魔法は魔法使いの花形よね]
イザベラ師匠は人が通れるほどの黒い円を出現させながら、そう話す。そして、黒い円の中へ入っていくので、私もそれに続く。イザベラ師匠は簡単にやるけど、これは【空間移動魔法】という転移魔法の一種で、実際はすごく難しい。今の私では運が良くて数時間で発動できるかもってレベル。難しい理由は、移動先の座標を演算して指定する必要があるのだけど、距離が遠くなれば当然演算も複雑になる。そして、移動先の状態が常に変化しているのも非常に厄介だ。例えば、太陽の光の角度、風量、周囲の景色の様子など、これらの要素全てを網羅し、魔法式を構築しなければならない。これに似た魔法である【保管魔法】は決められた空間に物を移動させるだけなので簡単にできたりする。
外に出ると、そこは森の中だった。私達が立っている場所には草一つ生えていなくて、まるで整備されたグラウンドみたいになっている。当然、今までいた家は見当たらない。ここは実技をする時に使う場所だ。初めて使う魔法は何が起きるか分からないから、こうした周囲に被害を与えても問題ないところでやるのだ。
[どんな魔法を練習するのですか?]
最近は、イザベラ師匠からの講義はほとんどない。【銘文魔法】を使えば、自分だけで魔法について勉強できるからだ。基本的には、疑問に思ったことや分からないことを相談する感じになっている。でも、実技だけはイザベラ師匠からマンツーマンで今でも教わっている。勉強と違って、実技の習得はただやっていればできるようになるものではないし、危険も伴うからだ。
[【普通攻撃魔法】を教えましょう]
[ええぇ……]
[何でそんなに不満そうなのよ]
[普通すぎて面白みがないですよ。しかも入門魔法ですし]
かなりの数の魔法書を読んでいるので、【普通攻撃魔法】は当然知っている。やっていることは魔力の塊を相手にぶつけるだけ。多分、すぐに習得できるだろうし、折角ならもっと派手な魔法を教えて欲しい。
[ふふふ、期待通りの反応ね。やり方は知っているでしょう。とりあえず、的に向かってやってみなさいな]
イザベラ師匠がそう言うと、少し離れた所に大きな岩が現れた。転移魔法でどこかから岩を持ってきたのだろう。私は亜空間から小ぶりの杖を取り出し、目に意識を集中する。周囲に青色の粒子が漂っているのが見える。周囲の魔力を吸収して杖に魔力を集中。杖の先端を岩に向ける。
[【普通攻撃魔法】]
拳サイズの灰色の光の玉が岩へ放たれ、衝突。光の玉がはじけ飛び、岩の表面が少しだけ削れた。岩だからこの程度で済んでいるけど、もしこれが生身の人間だったら大けがだ。防御魔法が無ければ人体なんて簡単に吹き飛ばせる程度の殺傷性を【普通攻撃魔法】は秘めいているのだ。
[良くできました。及第点といったところかしら]
[簡単すぎですよ。もっと、難しい魔法を教えてください]
[どうして、【普通攻撃魔法】が入門魔法と言われているか知っているかしら?]
[術式がシンプルで簡単な魔法だからだと思います]
[正解。でも、それだけじゃないわ。【普通攻撃魔法】は奥が深いの。今日の目標はあの岩を壊すまで。もし、壊せなかったら壊すまで毎日続けなさい]
[ええぇ!? さっきの一撃で表面が削れただけですよ。こんなの一年かかっても無理です!]
[大丈夫。なんとかなるわよ。魔法は術式だけが全てじゃないわ。魔力操作も重要な技術よ。せっかくいい目を持っているのだから、しっかり使いなさいな]
[はぁ……]
私は岩を見てから、ため息をつく。先は長そうだ。実技に関してはイザベラ師匠いつもこうなんだよね。答えを教えて欲しいのに、とりあえず手を動かせみたいな感じだ。イザベラ師匠の設定した目標は必ず達成しなければならない。そうしないと、それ以降のことを教えてくれないから。
[【普通攻撃魔法】]
杖を岩に向けてもう一度魔法を唱える。光の玉が岩にぶつかり、表面を少しだけ削った。まぁ、そうなるよね。少なくとも、同じ方法で攻撃しても意味はなさそう。【普通攻撃魔法】の威力を上げられないかな。例えば、魔力をもっと込めれば威力があがるとか。よし、やってみよう。杖に魔力を集中、集中、集中。さっきよりも、大きな光の玉ができた。大きさ的にはバスケットボール位かな。これはいけるかも。
[【普通攻撃魔法】]
光の玉が岩に当たり、さっきよりも派手に光がはじけ飛ぶ。岩の表面が削れただけだった。
[うーん。削れる面積が大きくなっただけか]
これは失敗だったけど、分かったことがある。魔力の込め方で【普通攻撃魔法】の性能が変わったのだ。多分これがイザベラ師匠の言っていた魔力操作のことなんだと思う。少し整理しよう。魔力をたくさん込めたら、攻撃範囲が広くなった。でも、威力は変わらなかった。多分、魔法の威力は込めた魔力量に比例しているはず。だって、実際に光の玉が大きなって、より広範囲の岩の表面を削っているからだ。それなら、範囲を狭めたらどうだろうか。私は杖に魔力を集中させて、バスケットボール位の光の玉を作り出す。このままではダメ。範囲を狭める必要があるから、これを小さくしなければならない。圧縮だ。光の玉を形成している魔力を中心に集める。集中、集中、集中。
[くっ……]
これ難しい。気を抜くと、魔力がバラバラになりそう。バスケットボール位のサイズをなんとか野球ボール位のサイズに圧縮する。薄灰色に発光していた球体はより濃い色に発光している。
[【普通攻撃魔法】]
光の玉が岩に衝突すると、爆発音が響き渡る。岩からは粉じんがまき散らされ、岩の一部が吹き飛んでいた。
[よし……]
方向性はあっていそうだ。それでも、岩を破壊しきるにはまだまだ時間がかかりそう。さっきの攻撃で岩の五パーセント位が吹き飛んだ程度なのだ。単純計算であと十九回繰り返せば完了するけど、それはめんどくさい。それならばもっと魔力を注ぎ込んで圧縮すれば、一撃で岩を破壊しきれるのではないか。そう考えて、私の最大限の魔力を杖に集中する。バスケットボール位の大きさが、さらに大きくなり直径五十センチメートル程度になる。これ以上はちょっと限界。今の状態を維持するのも大変なのに、これを圧縮するのは骨が折れそう。
[はぁ、はぁ、はぁ……]
額から汗が垂れてきてうっとうしい。なんとかバスケットボール位の大きさまで圧縮したけど、もっと圧縮した方がいい気がする。もう少し頑張ろう。魔力を中心部へ移動するように操作する。やばい、本当に難しい。今にも爆発しそう。感覚的には、パンパンに詰まった押し入れの中に布団を押し込んで、どうにか収納しているのに近い。気を抜いたら、中のモノが溢れそうなのだ。もう少し、もう少しだけ……。そう思った瞬間、ふいに力が抜けるようなそんな手ごたえがあった。
[あ……]
理解した。魔力の制御が外れてしまったのだ。では、光の玉はどうなるのだろうか。勿論、圧縮していた魔力が解放される。つまり、私は至近距離で【普通攻撃魔法】の爆発に巻き込まれるのだ。これほどの魔力が解放されたら、私の肉体なんて跡形もなく吹き飛んでしまう。視界いっぱいに灰色の光で埋め尽くされた。あ、死んだ。
[あれ?]
死んだと思ったら、私は森の中にいた。森の中と言っても、岩に向かって【普通攻撃魔法】を練習していた別の場所だ。遠くを見ると、地面の一部が大きく陥没している場所があった。どうやら、私は転移したらしい。あの短時間でこんな芸当ができるのは一人しかいない。
[途中までは順調だったけど、危ないところだったわね]
[すみません……]
[何がダメだったか分かっているようね]
[はい。制御できない量の魔力で魔法を使おうとしました。結果、制御が外れて魔法が暴発しました]
[よろしい。貴方に怪我がなくて本当に良かったわ]
[本当にすみません……]
[そんなに謝ってどうしたの? 誰でも失敗はあるわ]
イザベラ師匠は私の頭に優しく手を添えた。そして、膝を曲げて私に視線を合わせようとする。それでも、私の視線は地面に注がれたままだ。
[命の危険がありました。大変なことをしてしまいました]
[そうかもしれないわね。でも、魔法の修行はいつだって命懸けだわ。貴方も理解しているでしょう。だから、私がこうして付いているのよ]
[はい……]
私を優しく諭してくれるイザベラ師匠が、今はなんだか居心地が悪い。私の態度から何かを察したのか、彼女は再び口を開いた。
[ふーむ。どうして、扱いきれない魔力を注ぎ込んだのかしら。賢い貴方のことだから、何となく分かっていたのでしょう?]
心がざわついた。分かっていたのに、私は無理やり魔法を使おうとした。
[それは……。その方が効率良く岩を壊せると思ったから]
何故か私は泣きそうな声でそう返す。意味もなく、心がざわつく。情けない気持ちと恥ずかしい気持ちがごちゃまぜに押しよせてくる。本心を隠したい。
[何となく分かったわ。貴方、少しうぬぼれていたんじゃないのかしら。だから、制御が難しいと分かっていても、強引にやろうとしたんでしょ]
そう言われた瞬間、私の羞恥心は最高潮に達した。彼女の言う通り、私は自分にうぬぼれていた。二年で魔法の理論について理解し、様々な魔法にも精通するほど詳しくなった。私は天狗になっていたのだろう。そして、簡単だと思っていた魔法の制御に失敗して死にかけて恥をかく始末。こう思っている時点で、私は自分を有能だと思っていたいし、思われていたい。下らないプライド。そんな浅はかな理由で失敗したのが恥ずかしいし、そもそもうぬぼれていた事実を知られるのがもっと恥ずかしかった。情けなくて、私は惨めだ。そう思ったら、涙が止まらなくなった。
[うっ……、うっ……ひくっ、ぐっ。ごめんなさい、ごめんなさい……]
精神は二十歳以上のはずなのに、私は子供みたいにしゃくり声を上げて泣く。私が泣いている間、イザベラ師匠は頭を撫でてくれた。惨めな自分を受け入れて貰えている気がして、心が落ち着いた。
[スッキリした?]
[はい……。おかげさまで……。恥ずかしいところをお見せしてしまいました]
体が子供だからか、精神もそれに引っ張られているのかな。それにしても大泣きしている姿を見られてしまった。めっちゃ恥ずかしい。
[子供のくせに、生意気なこと言わないの]
[うっ……]
額を軽く小突かれる。照れくさいけど、嫌な気持ちはしない。
[さて、少し【普通攻撃魔法】について講義しましょうか。貴方も体験した通り、魔力操作は応用が効いて、制御が難しい。例えば、魔力の圧縮。威力を飛躍的に向上してくれるけど、魔力が飛び出そうになったでしょ]
[はい、抑えるのに必死でした]
[本当はその感覚をマスターさせるのが目的のひとつだったのよ。圧縮は時空系魔法の重要な概念なの。圧縮の魔力操作を覚えとけば、必ず役に立つわ。まさか、最大量の魔力を圧縮するとは思わなかったけど]
[ごめんなさい……]
[掘り返す意図はないの。でも、その失敗のおかげで魔力操作できる限界が分かったでしょ。その感覚は魔法使いとして重要なことよ。忘れないようにね]
[分かりました]
[次に圧縮以外の魔力操作を見せてあげるわ。マスターしといて損はないはずよ]
イザベラ師匠が手をかざすと十個バスケットボールサイズの灰色に発光する玉が出現する。
[まずは、圧縮ね]
十個同時にピンポン玉くらいまで小さくなる。ここまで圧縮されると、灰色だった光の玉は最早黒色に近い。
[次に、ぐいっと引き延ばす。抵抗が小さくなって速度が上がるわ]
黒い球は引きのばされて細い棒状になる。
[最後に、ひねりをいれて貫通力をあげる。【普通攻撃魔法】]
目にも止まらない速さで放たれた魔法は弾丸のようで、岩に十個の風穴を開けた。
[すごいです]
[【普通攻撃魔法】は最も汎用性が高い攻撃魔法よ。この世界は貴方が思っている以上に危険が多いの。自分の身を守れるよう【普通攻撃魔法】は手足のように使えるようになりなさい]
[分かりました]
[最終的には、【普通攻撃魔法】]
イザベラ師匠が手をかざすと極太の黒い光の奔流が解き放たれた。黒い光は岩を飲み込み、その先の木々を破壊尽くした。
[このくらいできたら上出来ね。練習は仕切り直し。岩を壊すまで【普通攻撃魔法】をやり続けなさい]
地面から先ほど同じくらいの岩が出現する。やっぱり、この人は規格外だ。うぬぼれていた自分が馬鹿らしくなる。それから私は一日かけて岩を破壊するも、岩を何個も追加されて最終的にこの練習は十日以上続くのであった。
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