四話 魔女の家
黒い円を潜り抜けたら、目の前にレンガ造りの家があった。所々、草とか苔が生えていて、二つの煙突のうち片方からは赤紫色の煙、もう片方からは白い煙がモクモクと出ている。いかにも魔女が住んでいそうな感じ。周りは背の高い木がたくさんあって、ここが森の中なのが分かる。イザベラ様の後をついていき、古びた木製のドアをくぐる。
家の中は中世の黒魔術のイメージと理科の実験室が合わさったような雰囲気だった。色あせた本が所狭しと本棚に押し込まれ、そこら中に本が散らばり、積まれている。机の上には様々な色の液体が入ったガラス瓶、樹の枝、薬草、動物の骨らしきもの、瓶詰めされた何かの内臓などなど良く分からないモノが乱雑に置かれている。部屋の奥には大きな窯があって、ことことと音をたてて赤紫色の液体が煮込まれていた。この雑多でミステリアスな風景、とてもワクワクする。
[気になるモノがあっても、触れちゃだめよ。モノによっては、手が腐って溶けたり、石になっちゃうモノもあるからね]
そんな危険なモノを放置しないでよと思うと同時に、その危険すらも私の興味を一層かりたててしまう。とは言え、イザベラ様に釘を刺されたので、私はキョロキョロ周りを見るのをやめた。
[ふふ、お利口さんね]
その部屋で何かすることもなく、奥に進んで次の部屋に入る。さっきまでは木の床だったのに、ここの床には石が正方形に敷き詰められている。中央の猫脚バスタブからは湯気が上がっていて、なんとシャワーヘッドもついていた。
[さて、まずは体を洗いましょうね]
イザベラ様が指を振った。すると、何だか少し寒くなったと感じたと思ったら、服が無くなっていた。
[え? あれ!? うそ!?]
[どうしたの? そんなに慌てて]
[慌てるに決まってます! 裸ですよ、私!]
両手で大事なところを隠しながら、何とか話す。まさか、いきなり裸にされるなんて。一応、これでも女性の恥じらいというのは人並みにはあるんだよ。あまりの速さに全く気付かなかった。恐るべし魔法の力。
[恥ずかしがってるの? 子供なのに? ませた子ねぇ]
イザベラ様がまた指を振った。つまり、魔法が発動する。そう思って身構えた私だったけど、無駄だった。
[ちょ、ちょっと待って! やばい、やばい、やばい!]
私の体が宙に浮く。浮遊感と身体のコントロールを奪われる恐怖感。私はそのままバスタブへ投げ込まれるのであった。大きく水しぶきが上がって、全身が水につかる。暖かい。久しぶりのこの感覚。お湯に体を沈めているのが心地いい。ああ、お風呂だ。何だろう、これだけのことですごく懐かしい気持ちになる。お湯につかるこの行為が日本を思い出させる。私はそんなことを思いながら、深く沈んでいった。そう、沈んでいるのである。明らかにおかしいよね! 目を開いて周囲を見る。水中越しに見える光景はただ青いだけだった。まるで、海にでも投げ出されたかのように。たしかにバスタブだったよね、あれ。どういうこと、意味が分からない。でも、このままだと死ぬ。すでに、ちょっと息が苦しい。やばい、本当に死んじゃう。上を見ると、光が揺らめいていた。バタ足をして何とか上を目指そうとすると、ものすごい勢いで体が上へ向かっていく。
[ぷはぁ! はぁ、はぁ、はぁ……]
水面から顔を出して、大きく息を吸い込む。
[あれ?]
いつの間にか、私はバスタブの中にいた。お湯は八割ほど満たされていて、今はしっかりお尻からバスタブの底を感じる。何が起きていたの。まるで分からない。夢を見ていたとしか考えられない。
[きれいになったわね。そろそろ、でましょうね]
イザベラ様の手を取って、訳も分からないままバスタブから降りる。体に目を向けると、見違えるようにきれいになっていた。黒ずんでいた垢と泥が混じり合っていたものがすっかりなくなっている。
[こすってないのに、汚れがなくなっている]
[世界のどこかに、どんな身体の不浄も清めてしまう湖があるのよ]
[そうですか……]
その湖の水をバスタブに使っていたの? でも、それではさっきの現象は説明がつかない。そんなことを考えていると、イザベラ様にされるがままタオルで拭かれていることに気づく。
[一人で、できますので]
今日出会ったばかりの人に体を拭かせるのは、恥ずかしいというか、申し訳ないというか。裸を現在進行形で見られている状況で言うのもあれだけど。
[そう? あと、これ着替えね]
どこからどもなく取り出した白のパンツと白のワンピース。体を拭いた後、それらを身に着ける。ザラザラしていない。肌触りのよさにちょっと感動。そして、体のサイズをあらかじめ測っていたかのようにジャストサイズ。色々ありすぎてこの程度でもう驚かなくなった。私が服を着たのを確認してから、イザベラ様が歩きだす。そのまま、扉を開けると部屋には木製の机と椅子が二つ。そして、暖炉の前にも椅子が二つ置いてあった。やはり何かおかしい。最初魔女の研究室みたいなところを通って、次の部屋に入ったらお風呂の部屋だった。その後、同じドアをくぐったら今の部屋に繋がっていた。物理的にありえない。
[えっと、これはどういうことですか?]
[ふふ。どうして、同じ扉を通ったのに別の部屋に繋がっていたか。さらに言うと、どうしてバスタブに入ったら水の中にいたのか、よね]
[はい、どうしてですか?]
[それは私が虚空の大魔女だからよ。私にかかれば空間と空間をつなげることなんて、息を吸うよりも簡単ってことよ]
[すごい……。イザベラ様は本当にすごいです]
魔法について何も分からないけど、イザベラ様が卓越した魔法使いなのは、素人でも何となく分かる。空間をつなげるなんて、物理法則を完全に捻じ曲げる芸当が簡単なはずがない。
[私の偉大さが分かったようね。それより、お腹空いているでしょう。ご飯を用意するから、席について頂戴]
椅子二脚の内の一つが床に沈んで消えて無くなったと思ったら、新たにステップ付きの椅子が床から生えてきた。背の低い私が座りやすいように用意してくれたのかもしれない。椅子をよじ登って着席すると、今度はテーブルからお皿に食べ物が乗った状態で生えてきた。多分、どこかの空間から取り出しているのだろうけど、見てる身としてはちょっと不気味。でも、目の前のこんがり焼けたお肉や黄金色のスープからは湯気と一緒にいい匂いがただよっていて、とてもおいしそうに見える。絶対おいしいに決まっている。
[食べていいのですか? イザベラ様]
[勿論よ。でも、イザベラ様なんてよそよそしいわ。これからはイザベラ師匠|せんせいと呼んで頂戴]
[はい、イザベラ師匠。いただきます!]
初めにスープを一口入れて、さらに一口。次に、白いパンをちぎって口に含んで、肉にかぶりつく。止まらない。手が止まらない。飲んで、ちぎって、かぶりついてを繰り返す。
[おいひい、おいひい……、うっ、ぐっ、おいひい]
目からは涙が、鼻からは鼻水が、口からは嗚咽が。すごくはしたない食べ方。でも、止まらない。おいしいものを食べられるのが、こんなに幸せだなんて。私、どれだけ不幸だったんだろう。何となく、イザベラ師匠《せんせい》が気になった私。ちらりと様子を窺うと、彼女と視線があった。イザベラ師匠《せんせい》は手を頬に添えてテーブルに肘をつきながら、にこりと笑っていた。恥ずかしくなって、私は無我夢中にご飯を食べるのであった。
[ごちそうさまでした。とても、おいしかったです]
[お粗末様]
イザベラ師匠がそう言うと、食器はテーブルの中に沈んでいって消えてしまった。その代わりにティーカップが二つ現れた。淹れたてのように湯気が立ち上り、ほのかにハーブの匂いが感じられた。
[食後のティータイムとしましょうか]
イザベラ師匠はソーサーを片手に持ちながらティーカップに口を付ける。そして、軽く息を吐いてからティーカップを置くのであった。一連の動作が上品で、大人の女性というか様になっていると言えばいいのかな。とりあえず、私もティーカップを両手で持って一口飲んでみる。うん、苦い。
[子供にはあまり美味しくないかもね]
どうやら表情に出てしまっていたらしい。
[そんなことはありません。とても、美味しいです]
折角のご厚意で用意してくれたものを流石にまずいとは言えない。私はポーカーフェイスに努めて言った後、ティーカップの残りを一気に飲み干す。
[無理しなくていいのに]
イザベラ師匠は何故か嬉しそうにそんなことを言っている。私はティーカップを置き、一息ついた。率直に言うと、すごく眠い。色々あったから疲れがたまってたのかもしれないけど、それにしても眠い。ウトウトとかそういうレベルじゃなくて、目をつぶったら多分気を失う。
[薬草が効いてきたようね。そろそろ寝ましょうか]
[は……い……]
私はかろうじて返事をするけど、もう椅子から動けなかった。本当に眠い。でも、ここで眠ったら失礼になってしまう。その一心で私は眠気に必死に抗う。急に体が椅子から離れたと思ったら、空中に浮いていた。イザベラ師匠がまた魔法を使ったのだろう。意識は朦朧としていて、周囲の状況が良く分からない。背中に柔らかい感触があった。多分、ベッドまで運んでくれたのかもしれない。
[熟睡できるように薬草を混ぜたのだけど、少々効きすぎたようね。おやすみなさい、リビア。今日はゆっくり体を休めて]
イザベラ師匠が何か言っている気はするけど、私は意識を手放すのであった。
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