二話 帰る家
辺りはすっかり暗くなって、見慣れた道でさえ不安になる。外灯がないだけでここまで暗闇になるなんて、転生する前は思いもよらなかったな。そんなことを思いながら、私は家の玄関前に突っ立っていた。家に帰りたくない。けれど、家に帰らないとご飯を食べられない。当たり前のことだ。でも、そのあたり前のことをするのが今はとても大変。
[はぁ]
私は意を決して、木製の扉を開いて中に入った。床は土を押し固めた土間になっていて、日本のように靴を脱ぐ習慣はない。部屋の中央に分厚い板を適当につなぎ合わせたようなダイニングテーブルが置かれ、周囲には酒瓶がいくつも散乱している。家中にむせ返るような酒の匂いが充満している。正直、この臭いだけで吐きそうになる。灯りはテーブルの上に置かれたランタンのみ。私の帰りに気づいて、男が酒瓶片手に近づいてきた。
[リビア、帰りが遅かったじゃないか。今までどこで何してた?]
金色の髪はちじれてフケだらけ。青色の目は血走り、頬はやせこけている。五年前とは別人のように変わってしまったお父さん。酒の匂いはもう感じない。今は、ただただこの嫌な緊張感が過ぎ去ってくれることを祈るだけ。
[えと、その……えと]
胸が苦しい。胃のあたりが縮まる感じ。何を言えば正解なのか、間違えるのが怖くて言葉がでない。話したくない。
[うだうだしてないで、早くはなせ!!]
[ひっ……]
お父さんが瓶を振り上げて、そのまま地面に叩きつけた。体が固まる。金縛りにあったかのように。部屋内に瓶の破片が飛び散り、私の泥だらけの足に酒がかかる。
[ひどい顔だなぁ。また、村長のところのガキにやられたのか?]
しゃがみ込んでお父さんが私の目線に合わせようと話しかける。でも、顔を上げて話す勇気は私にはない。
[そう、です]
[そのまま死ねばよかったのによぉ!]
[かはっ!?]
アーミル達の蹴りとは比較にならない程の力で蹴り飛ばされて地面に転がる。お腹が痛い。それに、腕とか腰に刺すような痛みがある。多分、転がった時に瓶の破片で切ったのだろう。大人の容赦ない蹴り。子供の私に立ち向かえる道理なんてない。これだけで終わるはずがない。私は生き延びるため、頭とお腹を守るように身体を縮める。
[なんでお前生まれてきたんだ? よぉ]
[ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい]
頭を足蹴にされ、体重をかけられる。頭が割れそうになる。痛い、痛い。やめて、本当にやめて。
[お前が生まれたせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ。村の奴からは魔女を招き入れたと糾弾され、常に嫌がらせを受けてきた。畑を耕そうとすれば妨害され、収穫物はことごとく潰された]
頭の痛みが無くなった瞬間、髪を掴まれ無理やり立たされる。
[本当にひでぇ顔だなぁ。なぁ、なんでナターリアは死んだんだ? 貧乏だったからか? 村八分にされたからか? 俺が毎日殴ったからか? あいつが魔女だったからか? なぁ、教えてくれよ?]
[ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、いや! やめて!]
お父さんが腕を引いて拳を作ったので、私はとっさに顔を守る。
[ぐぅ……]
腕越しに顔を殴られ、地面に倒れるも首を鷲掴みにされる。
[おまえが! 生まれきたから! ナターリアは! 死んだ! お前さえ! 生まれてこなかったら! 俺は! 俺は!]
何度も何度も顔や頭を殴られる。早く、早く、今が終わって欲しい。痛いのが辛くて、辛くて、怖くて、もう、それ以外何も考えられない。殴られ度に身体がビクンと反応し、ついには下半身から生暖かい感触が広がる。
[はぁ、はぁ、はぁ……。すまない、リビア。俺は……]
どのくらいの時間殴られていたのか分からない。微かに残っている意識はお父さんがベッドに向かっていくのを認識していた。体中が痛い。まぶたを上げようとしても、上手く上げられない。私の顔、腫れあがってめちゃくちゃだろうな。気絶出来たらいいのに、痛みのせいでそれもできない。いや、もしかしたらこれが、生存本能というやつなのかも。はぁ、なんで私生まれてきちゃったんだろう。これなら、前世の方がマシだった。はっきり言ってここは地獄だ。常にいじめられ、常に存在意義を否定され、常に暴力を振られる。死にたい。本当に死にたい。
[く、う、うぅ……く、ううぅ……]
私は口を押えて声を押し殺し、泣いた。
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目覚めると朝になっていた。音を立てないよう慎重に周囲を確認してみる。どうやら、お父さんはいないようだ。村人達の朝は早い。例にもれず、お父さんもなんだかんだ朝早く外に出て、成果の出ない畑仕事をするのが日常だった。身体の痛みは収まっていない。それよりも、今は早く体を洗いたい。水を貯めている瓶から、桶で水をすくう。水面に映る私の顔は想像した通りひどいものだった。海のように深い青色の髪は、泥で茶色くなり、顔はパンパンに膨れ上がって赤黒くなっている。
[まるでタコみたい]
両手で水をすくって、まずは顔を洗う。ジンジン痛む顔が冷やされて、少しだけ気持ちいい。髪、腕、足も同様に水をかけて血が混じった泥や汗を洗い流す。最後にぐしょぐしょになったパンツを丁寧にもみ洗いする。一息つくと、急にお腹から音がなった。昨日から何も食べてないしね。流石に、お腹が空きすぎてどうにかなりそう。ダイニングテーブルを見ると黒い塊が置かれていた。私は椅子によじ登って席について、食べかけの黒いパンを手に取る。表面はごつごつしていて、所々緑色に変色している。見た目はかなりあれだけど、気にせず頬張る。
[まずすぎ……]
半分くらい食べてパンを置く。まだまだお腹は空いているけど、経験上食べ過ぎるとお腹を壊すのだ。まぁ、カビが生えている時点で手遅れだけど、何も食べないよりかはマシだと思っている。お腹空いた。転生してもなお、私は皆の厄介者にしかなれない。本当に惨めだと思う。どうして、こんなにも辛いのだろうか。最初の方はこれでも幸せだった。上手くいっていた。でも、私が青色の粒子を見られるようになってから全てが変わってしまった。昨日のような暴行を私は日常的に受けていて、日に日にエスカレートしている。いつか、私はお父さんに殺されてしまうかもしれない。それでも、私はここに帰らなければならない。ご飯がでてくるから。たったそれだけの理由。この世界は子供一人で生きていくにはあまりにも厳しい。生きるためには、どんな理不尽にも耐えるしかない。
私が目に意識を集中すると、部屋に幻想的な光景が広がる。忌々しいこの目。村人達が私を忌み嫌う理由は、正確に言うとこの目が問題ではない。この村にはあるおとぎ話が残っていて、世界に大いなる災いをもたらした大魔女がこの村に呪いをかけ、今も森の奥深くに潜んでいるという話だ。なんで何もないこの村に呪いをかけたのか、呪いとは何かなど突拍子もない内容だけど、その大魔女もどうやら青い粒子を見ることができたらしい。つまり、村人達はおとぎ話の大魔女と同じような目を持つ私を不吉な存在として見ているのだ。たまたま、変なモノが見えるだけでここまで迫害を受けるなんて本当にたまったものじゃない。転生前もそうだった。ちょっと周りと違うだけで、虐げられた。そんな人達が憎いし、こんな風に生まれてしまった私にも腹が立つ。眼球を掴もうとして、指を目に押し当てる。
[はぁ、できっこないよ。それに、今更こんなことしても何もかわらない]
椅子の背もたれに深く寄りかかり、だらしない姿勢になる。お腹が空きすぎて無気力な私は、そのままぼーっと目の前を眺めていた。そんなことをしていると、突然ドアが開いた。ビクッと身体が勝手に反応し、姿勢を正して私は固まる。こんな時間に帰ってくるなんて。どうして。さっき食べたものを吐き出しそうになるが、なんとか耐える。
[お、おかえりなさい]
[この時間ならまだいると思ったよ。リビアはあまり家にいたがらないからね]
[外で遊ぶのが好きだから]
お父さんの機嫌を損ねないように、慎重に言葉を選んで答える。どこに地雷があるか分からない。まるでマインスイーパーのようだ。間違えたら、気絶するまで一方的に殴られてしまうだろう。文字通りゲームーオーバー。
[今日は日が沈む前までに家に必ずいるんだよ。もしも、家にいなかったら分かっているね]
私が頷くと、お父さんは外に出て行った。嫌な予感しかしない。違う。絶対嫌なことしか起こらない。どんなことが起きるかは分からないけど、今まで以上のことが起こるに決まっている。私はそう考えて、自然と家のモノを確認し始める。ここを出るための準備をするためだ。家の中をウロウロして食料、お金、調理道具など旅にでるために必要なものを思いつくかぎり確認するも、私はその場に立って固まる。
[こわい……]
幼い私が一人で生きていけることが? さっきのお父さんの言葉が頭の中から離れない。[もしも、家にいなかったら分かっているね]、お父さんとの約束を破るのがこわい。冷静に考えて今村を出れば、お父さんが私を見つけるのは難しい。今から出ればそれなりの距離を移動できるし、村は森に囲まれているから、子供一人を発見するのはとても大変なはず。なので、ここを脱出できる確率はかなり高い。でも、もし見つかったら? 見つかった後のことを想像するだけで、私の心は折れてしまった。脱出なんてできるはずがない。そもそもそんなことを考えること自体いけないことなのだ。もう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。考えるのが面倒くさい。私はその場でへたり込んでしまった。
[やぁ、リビア。ちゃんと約束を守ってくれたんだね。さぁ、外に行こうか]
いつの間にか帰ってきたお父さんに手を引かれ、外に出ると日が傾き夕日が見えた。西日が眩しい。目が慣れたので辺りを見渡すと、数人男性がいた。いずれも、村の住人で顔見知りだ。
[行くぞ]
男達が私をチラリと見て小さく呟いた。行きたくないと思っても、私の手はお父さんに繋がれている。引っ張られる形で私は男達の後をついて行くのであった。
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