十六話 講義開始
採用試験が終わってからの数日は、色々な事務手続き、研究室や講義の準備に費やされた。私の研究室は事務作業部屋と研究部屋の二つがあって、この二つの部屋は繋がっている。研究部屋はかなり広く、学校の教室位の広さはある。色々の器具や素材は置かれているけど、真の研究室は奥にある扉の先に繋がっている自宅の工房だ。なので、ここの部屋はカモフラージュとしての側面がある。勿論、この部屋も研究で使うけどね。私の研究は表向き時空魔法の研究となっていて、理由は死者蘇生の研究は教会や世論の反発を受けることを考慮してのことだ。このことについて知っているのはオディーリアさんとアウルプス学院長先生のみ。研究概要を二つ書く羽目になって結構な時間がかかってしまった。そして、これからは二つの研究の成果を発表する必要があるのだ。
ともあれ、一応研究をスタートできる形にはなった。だけど、直近は研究を手伝ってくれる研究者もしくは学生が欲しい。そんなことを考えていたら、一限目の講義を知らせる鐘の音が鳴り響いた。はぁ、憂鬱だ。何故なら、教師として初めての講義がこれから始まるからだ。普通に向かっていたら、間に合わないので転移魔法で目的の教室前へ移動する。目の前の扉は開いており、すでに学生達が席について雑談をしているのが見える。はぁ、憂鬱だ。重たい足を何とか動かして教室に入る。ここは私が錬金術の試験を受けた場所で、テーブルは六つある。学生達は六人で一つのテーブルに座っていて、今日は各グループに分かれて錬金術の実習を行う予定だ。テーブルの間を歩いているとめちゃくちゃ注目されているのが嫌でも分かってしまう。
[もしかしてあの人が……?]
[小さくて可愛いい]
[でも、模擬戦でサイラス先生を倒したらしいよ]
[えっ、そうなの!]
ヒソヒソ声で話しても聞こえてるよ。どうやら、私のことは学生達の間で知れ渡っているようだ。一番前の横長の机にはすでに実験器具や素材が置かれ、ナイタル先生が立っていた。私は小さく頭を下げると、ナイタル先生は軽く頷いた。
[私語を慎みなさい]
低い声が教室内に響くと、学生達は一瞬で口を閉じた。
[講義を始める。その前に、新任の教師を紹介しよう。マルクト先生前に]
この人に先生呼びされるのは未だに慣れない。目の前にいる学生達は私をじっと見つめている。彼らがどのような感情を私に向けているのか分からないけど、試されているのは何となく分かる。ヒルキマキア魔法学院に入学できた者達なのだから、自身がエリートであると自負していることだろう。そんな彼らよりも子供な私が教師としていきなり現れたのだから、心中穏やかではないと思う。とりあえず、当たり障りのない自己紹介をしよう。
[リビア・マルクトです。専門は時空魔法です。以上です]
[マルクト先生、短すぎる挨拶ありがとう。彼女には座学、錬金術、そして魔法戦闘技術を担当してもらう予定なので、分からないことがあれば聞くとよい。それでは講義を始める]
ナイタル先生が黒板を使って講義をしている。今回のお題はポーションの作製だ。ポーション作製は錬金術の基本で、誰でもできるけど錬金術においてかなり重要な要素がある。それは魔力操作による品質の変化だ。ポーションを作る工程の中に魔力を加える工程があって、その良しあしでポーションの性能が変わるのだ。これは錬金術の作製物あらゆるものに適用される理論のため、錬金術を極めるなら魔力操作技術は必須と言われている。そんな内容をナイタル先生は板書しながら説明し、学生達は熱心に分厚いノートに書き留めていた。
[座学は終わりにして、実技に移ろう。マルクト先生、作業の実演を頼む]
ぼーっとしていたらいきなりそんなことを言われる。
[分かりました]
反射的に返事はしたけど、作業の実演をするなんて事前に言われてなかった。ナイタル先生に不満があることを表情で伝えておく。そんな彼は眉をぴくりとも動かさない。新任だからっていいように使われてるなぁ。もしくは、教師として馴染めるように機会を与えてくれてるのかな。別にそういうのはいらないけどね。
[えーと……。ポーションの作製は基本的な工程がほとんどなので、重要なところだけ説明しますね。良く見ていて下さい]
素材をすり潰して、ガラス容器に魔力精製水とすり潰した物を加熱しながら混ぜる。
[今から魔力を込めていきます。コツは焦らず、ゆっくりと、徐々に魔力を注いでいきます]
茶色だった溶液が徐々に青色に変化し、学生達は興味津々といった様子でビーカー内の変化を観察している。青と茶色で濁っていた溶液があるタイミングで混ざり気のない真っ青な液体になる。
[おお。一気に変わった]
[すごい……]
学生達は感心するように声を漏らしている。
[魔力は多くても少なくてもダメです。適切な魔力量をコントロールできれば青色のポーションになります。溶液ができたら沈殿物をろ過して完成です]
実演が終わると弛緩した空気が流れ、学生達は感想を口に出す。
[今まで座学しかしてなかったから、実技っておもしろそう]
[見た感じポーションって簡単に作れんだね]
[そりゃ、基本の錬金術だしな。誰でもできるだろ]
見る分には簡単そうに見えるよね。やってみれば分かるよ。これが結構難しいってことが。さて、何人がまともにポーションを作れるかな。内心先輩風を吹かしていたら、ナイタル先生が口を開いた。
[マルクト先生、出来栄え評価も実演するように。錬金術は生成物の品質を評価するまでが一連の流れだ]
テーブルにナイフが置かれているから、評価までやるんだろうなって薄々思っていたよ。でも、実技が初めての子達にこれをやらせるのは気が引ける。確認の意味を込めて、ナイフを指さしてナイタル先生に視線を送った。すると、彼は軽く頷いた。どうやら、私が知っている評価方法で間違いなさそうだ。
[ナイタル先生が説明してくれたように、魔力操作の良しあしでポーションの性能も変化します。当然、良く出てきているものは効果が高くて、その逆は効果が低いです。ポーションの評価方法は簡単です。ナイフの刃先に印があるのは分かりますか?]
ナイフを頭上まで掲げて、全員に見えるようする。私の背は低いからこのくらいやらないと多分見えないと思う。ナイフの先端には白い線が入っていて、これが印になっている。学生達は何も言わずジッと見ている。
[印が隠れるまでナイフを手の平に突き刺して、手の平の半分くらいまで切ります]
私は料理で肉を切るような気軽さで手の平を一文字に切った。刃先は一センチメートル位まで切り込んでいるので、傷は結構深い。手の平から血がぼたぼたと垂れ、テーブルの上を赤く汚す。
[えっ……]
[ひっ]
学生達は顔を青くし、完全に引いてる。まぁ、そうなるよね。最初私も半信半疑だったけど、これが回復系アイテムの評価方法なんだよ。評価の仕方が野蛮すぎる。でも、手っ取り早く効果を確認できるのも事実なんだよね。
[手の平にポーションをかけて、傷の治る速さを評価します。砂時計が落ちきるまでに完全に治ったら良品です]
私は手の平を見せて、傷が治っていることを見せる。これで実演は終わったわけだけど、教室内はしんと静まり返っていた。
[マルクト先生、実演ありがとう。さて、ナイフで傷をつけることに抵抗がある学生もいるかもしれない。だが、自身の血は最高の魔法触媒の一つだ。錬金術だけでなく、魔法のあらゆる分野で血を使うことになるだろう。もし、魔術を極めたいならナイフで切る位は慣れておきなさい。とはいえ、痛みを伴うのだから最初は皆不慣れだと思う。今回の講義では軽く切る程度で問題ない。各自、テーブルに戻ってポーション作成を始めなさい]
ナイタル先生がそう締めくくって、学生達はテーブルに戻ってポーション作成の準備を始める。しばらく様子を見ていると、学生達からちょっとした会話が聞こえてくる。どうやらいつもの調子が戻ってきたようだ。錬金術の実演をしたわけだし、今回の講義の仕事は終わったも同然だ。やることがないので再びぼーっとしてたら、後ろから話かけられた。
[何をぼーっとしている。困っている学生がいないか見て回りなさい]
[えぇぇ。ナイタル先生がやってくださいよ]
露骨に嫌な顔を作って言う。
[子供みたいに駄々をこねるな。いいからやりなさい]
[はぁ、仕方ありませんね]
ここで文句を言っても私の評価が下がるだけだ。そうなれば、最悪解雇されて折角環境を整えた意味がなくなってしまう。ここはおとなしく指示に従うしかない。人使いが荒い人だ。私は学生達のテーブルの間をゆっくりと見て回る。学生達の進捗としては魔力を込める工程に入っているところだ。今のところ青色の溶液はできておらず、ほとんどが濁ったどぶ川のような色をしている。
[くそー、上手くいかない]
[茶色から変わらないけど、やり方おかしいのかな]
予想していた通り、ポーション作成に苦戦しているようであった。苦戦しているだけで、困っているわけじゃないからね。私からわざわざ口出すなんて野暮というもの。そういう風に解釈して黙って見て回っていると、女学生に話しかけられてしまった。
[リビア先生って何歳ですか?]
個人的な質問か。ビクッてなったのバレてないよね。
[えっと、十二歳です]
[若! ていうか、妹と同い年じゃん]
[さっき、手を切ったの痛くないんですか?]
今度は違う女学生が質問してきた。
[痛いですよ]
[えっ、痛いのにどうして普通にできるのですか? 怖くないのですか?]
[慣れてるからですかね。でも、本当は少し怖いです。だから、やるときは息を止めて素早くやるようにしています]
[小さいのに偉いのですね]
一応、褒められているのかな? 子供を相手にしているような生暖かい視線は癪に障るけど、悪い気はしなかった。何となくだけど、彼女達には私を見下しているような雰囲気は無くて、気安さはあるものの敬意をもちながら接してくれているように感じたからだ。私達の会話を見て興味が湧いたのか、他の学生達もこぞって質問してきたのでそれに応じる。講義前はあんなに憂鬱だったのに、今はちょっと楽しい。大嫌いだった学校だったのに、状況が変わるだけでこんなにも気持ちが楽になるなんて。しかし、そんな時間も唐突に終わりを迎える。
[マルクト先生、誰が雑談に興じるように言ったのかね。君たちも口を動かす前に手を動かしなさい]
いつの間にか後ろに立っていたナイタル先生がそう言った。
[す、すみません]
女学生達は慌てた様子で作業を再開する。私も気を緩めすぎていた。私は教師なのだから、少なくとも講義中は彼女達を教え導かなければならないのに。年齢なんて関係ない。これは反省だ。
[自分の立場をわきまえるように。どんなに若かろうが君は教師だ]
[申し訳ございません。以後、気を付けます]
彼に謝罪した後、ごめんねの意味を込めて女学生達にも軽く頭を下げる。彼女達は笑みを浮かべて軽く手を振ってくれた。気持ちを切り替えて他のグループに目を向けると、あるグループの様子が気になった。この世界では珍しい黒髪の少女が黙々と作業をしている横で、少年達が雑談している。話の中心はリーダー格のような少年で、他の子達が明らかに媚びている。そして、少女なんて存在していないかのようなグループ内の振舞い方。嫌な予感がするのだ。少し離れたところで事の成り行きを観察する。どうやら、黒髪少女はポーションを完成させたようだ。色はしっかりと青色で、このクラスでは一番筋がいいと思う。
[おっ、いい感じにできてんじゃん]
[うん……]
[早く、効果確認しろよ。カミラ]
[うん……]
カミラと呼ばれた少女はナイフを手にするも、それから動けないでいた。手が震えている。
[ビビッてないで早くやれよ。 ほら、こうやるんだよ]
少年がカミラからナイフを奪い取ってから彼女の右手を掴んだ。次の瞬間、なんと彼女の手の平を切ってしまう。結構な血が流れている。雑にやったせいで、無駄に傷口を広げたんだ。
[痛い! やめて、レオ君]
カミラは涙を浮かべながら訴える。
[大声出すなって。こんなのポーションで治るだろ]
レオはポーションを傷口にかけると、カミラの傷は瞬く間に完治する。他人を無遠慮に傷つける彼の一連の行為は目に余る。見てて非常に不愉快。私はレオのいるグループへ向おうとしたら、後ろから呼び止められた。
[あそこのグループへの干渉は止めたまえ]
ナイタル先生が寝ぼけたことを言ってくるので、睨みつけながら口を開く。
[どうしてですか?]
[彼はファンデルミース公爵家の長男だ。公爵家は魔法学院に多額の寄付をして頂いている。胸中は察するが、事を荒げる真似はするべきではない]
スポンサーの息子だから目をつぶれって? ナイタル先生には失望した。そのまま無視して歩き出そうそしたら、今度は肩を掴まれた。振り返って再びナイタル先生を睨みつけると、彼のこめかみに青筋がいくつも立っているのが見えた。どうやら、腸が煮えくり返っているのは彼も同じらしい。とても腹立たしいけど、ナイタル先生が我慢しているなら私も我慢するしかない。そう思って、静観しているとレオもやっとポーションを作り始めた。
[うーわ、全然青色にならねぇ。つまんな。こんなしょうもないことより、俺はもっと派手なことしてーな]
彼のポーションもどきは魔力を注ぎ過ぎたせいで黒に近い紺色になっていた。あれでは大した回復力はないだろう。
[次は評価ね。俺痛いの嫌だからさ、カミラかわりにやってよ]
カミラは目を右往左往させて考え込んでいるようだ。
[当然、やってくれるよな]
[い、いいよ……]
カミラは手を震わせながら手の平を差し出した。
[サンキュー。そんじゃ、遠慮なく]
レオはナイフを握り、彼女の手の平に思い切り突き刺した。
[痛い!!]
カミラの悲痛に満ちた声が教室内に響く。ナイフは手の平を貫通し、テーブルに突き刺さった。カミラは顔を伏せ、肩を大きく上下させている。必死に痛みに耐えているのだろう。私はそんな彼女の様子を目の前で見ていた。レオがナイフで突き刺した瞬間、私は彼のいるテーブルに転移していたからだ。ほとんど反射的に反応してしまった。あっさりと我慢の限界を超えてしまったのだ。
[大丈夫ですか?]
突き刺さったナイフに触れて転移魔法で私の手に移してから、ポーションを振りかける。彼女は驚いた様子で私の顔を見るのであった。
[折角、性能評価しようとしたのに邪魔すんなよ]
[評価は自分の手でやるようにってナイタル先生が言ってませんでしたか?]
[だって、痛いの嫌なんだもん。だから慣れてそうな奴にやってもらった方が効率的じゃん。人間、得意不得意ってあるじゃん]
[子供じみた考えですね。私より年上でしかも男なのに、私よりも意気地がないのですね]
[俺は公爵家の長男だぞ。こんなしょうもないことで高貴な血を流していいわけないだろ]
[何を言っているか意味は分かりませんが、教師として貴方に教訓を与えましょう]
[はぁ? ぐあっ!! 体が勝手に……!]
何の前触れもなくレオはテーブルに突っ伏した。私の重力魔法だ。こうでもしないと、彼は私に手の平を見せるとは思わないからね。
[他人を傷つけるなら、自分も傷つく覚悟をしてください]
私はそう言って、彼の手の平目がけてナイフを突きさした。
[いってぇぇぇ!! 痛い、痛い! 痛いよおおぉぉぉ]
レオは派手に泣き叫ぶ。涙と鼻水を垂らしながら嗚咽を漏らす様は、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいの醜態ぶりだ。
[これポーションです。後は自分で何とかしてください]
流石にレオの粗悪なポーションで傷を治すのは大変だと思ったので、手心は加えてあげる。叱った後にアフターケアもするなんて、もしかして私ってしっかり教師ができているのでは。教室内は騒然となっていたものの、タイミング良く鐘が鳴った。
[講義はこれで終了だ。今回は特例で器具の片づけはしなくていい]
ナイタル先生が講義の終了を告げると、レオは一目散に教室を出て行った。盛大に泣き散らしていたから、恥ずかしかったのかもしれない。
[またねー、リビア先生]
[レオ君正直苦手だったから、スッキリしました]
私に質問してきた女学生達がそう言って教室を出ていく。最後にカミラが私の前にやって来た。
[あの、ありがとうございました。でも、これ以上私に関わらないで下さい]
[どうしてですか?]
[…………。レオ君は公爵家の人だから。私なんかにかまっていたら、リビア先生も目をつけられて教師辞めさせられちゃうかも]
[優しいのですね。心配しなくても大丈夫ですよ。職を失ったところで何も感じません]
実際、教師を辞めたら自宅の工房で研究するだけだからね。目を付けられようが、教師を辞めようが私には本当に些細なことなのだ。
[だとしても、私以外の人に迷惑がかかるのは心苦しいです]
[カミラに色々思うところがあることは分かりました。なので、一層カミラを放って置くわけにはいきませんね]
[私の話を聞いていました? 私に関わったら、リビア先生だけじゃなく……。もしかしたら、私、もっといじめられるかもしれないのに……]
そうだ。だから、放って置くにはいかないのだ。経験者だから分かる。外部に助けを求めたことで、いじめがエスカレートすることへの恐怖。察していたけど、レオのさっきの行動は今回限りではなく、以前からカミラをいじめていたのだろう。いじめは他者の人権を侵害する最低の行為だ。私は断じて許さない。
[ひとまず、私の研究室で話を聞きましょう]
私が提案しても、カミラは動こうとせず目を右往左往して黙り込んでいる。これは彼女が悩んでいるときの癖なのだろう。彼女の答えを待っていたら、後ろから床を鳴らす足音が近づいてくる。
[リビア先生、先ほどの件は流石に看過できない。職員会議で報告させてもらう]
[そうですか。報告よろしくお願いしますね。後、片付けもお願いします。今、取り込み中ですので、【空間移動魔法】]
目の前に黒い円が現れる。私はカミラの手を引っ張って円の中に彼女も引きずり込む。
[え、あ、ちょっと!]
いきなりの出来事だったので、なし崩し的にカミラも黒い円のなかに入る。背後から、ナイタル先生の怒鳴り声が聞こえた気がしたけど、気にせず転移魔法の中を進むのであった。
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