◆06 守護者の追放
神殿を離れ、カインは村への道を急いでいた。足元の乾いた土が靴の底でざりざりと音を立てる中、冷たい風が肌を刺す。空は相変わらず灰色に覆われ、わずかな陽光も届かない。そんな中、鼻をつく焦げた匂いが突然彼の嗅覚を刺激した。
「煙……?」
彼は立ち止まり、空を見上げる。遠くの空に薄く立ち昇る黒い煙が見えた。煙は村の方向から漂ってきている。それに気づいた瞬間、カインの胸には冷たい不安が広がった。
「また略奪者の襲撃か……」
カインはその場から走り出した。風が耳元で唸り声を上げ、足元の土埃が追いすがる。煙の匂いが濃くなるにつれ、心臓の鼓動も早まり、手の中の王冠がわずかに冷たく重く感じられた。
村の門が見える場所までたどり着いたとき、彼は目の前の光景に息を呑んだ。広場には火の手が上がり、いくつかの家屋が焦げた木材の匂いを漂わせていた。村人たちは水を汲み、消火作業に追われている。周囲には武器を手にする男たちの姿が見えた。鍬を改造した槍や、農具に布を巻きつけた即席の武器――その粗末さがかえって緊迫感を生んでいた。
「これは……?」
カインは戸惑いながら広場へと足を踏み入れた。その瞬間、村人たちの動きが止まり、全員の目が彼に向けられた。その視線には安堵ではなく、明らかな警戒と恐怖が宿っていた。
「カインか……戻ってきたのか」
村長がゆっくりと歩み寄り、彼を見上げた。その顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。
「何があったんだ?」
カインが尋ねると、村長は重い口調で答えた。
「略奪者ではない……だが、外の土地から来た者が村を荒らしに来た。お前が持つ王冠の噂が広まり、あれを手に入れようと考える連中だろう」
その言葉に、カインの胸が鋭く痛んだ。王冠がもたらす力を恐れ、それを欲する者たちが現れたのだ。その結果、村はまたしても炎に包まれ、村人たちは怯えた。
村長の言葉が、カインの心に冷たい鉄の杭を打ち込むようだった。王冠の噂が外の世界に広まり、それが村を危険にさらしている――その事実に彼は苦しみを覚えた。
「俺のせいで、村が狙われているのか……?」
カインが低く呟くと、村長は目を伏せ、深い溜息をついた。
「お前のせいだけとは言わん。だが、その王冠が村にもたらしたものは……平和ではなく、争いの種だった」
広場を見渡すと、村人たちが必死に武器を作り、鍛え直している姿が目に入った。数人の若者が手作りの槍を試すように振り回し、中には壊れた盾を修繕する者もいる。その動きには慣れのなさがあり、恐怖が透けて見える。
「武器を持ったこともない奴らが戦うつもりか?」
カインの言葉には怒りと戸惑いが滲んでいた。だが村長は首を横に振る。
「戦うしかないのだ、カイン。昨日の夜、異国の者たちが現れた。あいつらは村の家々を荒らし、数人が抵抗しようとしたが返り討ちにされた」
村長の目が広場の隅に向けられた。そこには包帯を巻かれ、横たわる村人の姿があった。彼らの顔には痛みと屈辱が刻まれている。
「今日の夜も、奴らが戻ってくるだろうと言い残して去った。あの王冠を渡さなければ、全てを奪うと言ってな」
その言葉にカインの拳が震えた。王冠が彼に力を与えるものであると同時に、村の命運を左右する呪いにもなっていることが明確になった。
「俺が王冠を差し出せば、奴らは去るのか?」
カインの問いに、村長は険しい顔で答える。
「わからん。だが、そう簡単には終わらんだろう。お前がその力を手放すなど、誰も信じてはいない。だからこそ、私たちは武装するしかないのだ」
その言葉を聞いて、カインは村人たちの必死な努力を再び見つめた。彼らの手は震え、顔には不安がにじんでいる。それでも、彼らは家族を守るために動いていた。それがカインの胸を締め付ける。
(彼らには力がない。ただ、自分を守るために必死なだけだ)
王冠の囁きがまた彼の耳元で響く。その冷たい声は、村人たちの努力を愚かであるかのように否定するものだった。
「黙れ……!」
カインは自分自身に向けて呟いた。村人たちの姿を見ながら、自分の中に湧き上がる疑念と怒りを抑えようとする。
日が沈む頃、村全体に不安が広がり始めた。空は夕焼けを通り越し、黒い闇が村を覆い尽くそうとしていた。村人たちはそれぞれに武器を握り、広場の端に集まっていた。老若男女、皆が怯えた表情を浮かべながら、互いに不安を隠しきれない。
「来るぞ……」
誰かが小さく呟いた。その声は、暗闇の中で一段と鮮明に響く。風が村の門を叩き、近くの木々を揺らしている。
カインは門の前に立ち、遠くの道をじっと見据えていた。月の光が弱く、彼の視界にはぼんやりとした黒い影しか見えない。しかし、その中に確かに複数の人影が動いているのを感じた。
「カイン……お前も戦うのか?」
背後から村長の声がした。その問いかけには、どこか躊躇が含まれていた。村人たちの目が彼に集中する。彼らにとって、カインの力は同時に希望であり、恐怖の象徴だった。
カインは王冠に手をかけ、静かに答えた。
「俺が戦うしかないだろう。お前たちの武器では……奴らを止めることはできない」
その言葉は村人たちに安堵を与えるどころか、逆に新たな緊張を生んだ。カインが王冠を手にするたびに、彼らの中にある恐怖は深まる。だが、今はそれを口にする者はいなかった。
遠くから声が聞こえた。それは敵対者たちの声であり、次第にこちらに近づいてくる。
「出てこい!お前たちの王冠を差し出せ!」
鋭い声が夜空に響き渡った。その声には、明らかな脅威と傲慢が含まれていた。カインはその声を聞き、眉をひそめた。
「俺が行く……お前たちはここに隠れていろ」
村人たちに向けてそう言い放ち、カインは門を開けた。冷たい風が彼の顔を叩く。外に出ると、そこには十数人の男たちが立っていた。彼らの手には刃物や鎚が握られており、いずれも戦いに慣れた雰囲気を漂わせていた。
「お前がカインか?」
先頭の男が嘲るように問いかけてくる。その目には、力への欲望がはっきりと浮かんでいた。
「王冠は渡さない。帰れ」
カインの声は低く、冷たかった。その言葉に、男たちが笑い声を上げる。
「渡さないだと?お前が持っていようと、奪うだけだ!」
その瞬間、先頭の男がカインに向かって突進してきた。その動きは早く、正確だった。しかし、カインの目にはそれがゆっくりと見える。
「……愚か者が」
カインは木槌を構え、一撃で男の刃を叩き落とした。その衝撃に、男がよろめき、地面に倒れ込む。
倒れた男を見下ろしながら、カインは槌を握る手に力を込めた。その一撃は、彼の意思では加減していたはずだったが、周囲に響いた骨の砕ける音がその威力を物語っていた。地面に倒れ込んだ男は動かない。他の男たちの間に、一瞬の沈黙と緊張が走った。
「次は誰だ?」
カインの声は低く静かだったが、その冷たさは周囲にいる敵だけでなく、背後で見守る村人たちの背筋も凍らせた。
「化け物め……!」
一人がそう呟き、次の瞬間、他の男たちが一斉に襲いかかってきた。刃が月明かりに反射し、槌や鎚がカインを取り囲むように振り下ろされる。だが、カインは王冠の力に支えられた動きでそれらを次々にいなし、反撃を繰り出した。
「俺は……守るために戦っているだけだ!」
その叫びは、敵にも村人たちにも届かないように感じられた。槌を振り下ろすたびに男たちが倒れていく。木槌の一撃は容赦がなく、骨が砕ける音が夜の静寂に響き渡る。倒れた男たちが苦しみの声を上げる中、残った数人が後退し始めた。
「撤退だ……こいつは人間じゃない!」
誰かが叫び、男たちは次々とその場から逃げ出した。カインは槌を下ろし、荒い息をつきながらそれを見送った。広場に戻ってくると、村人たちの目が彼に向けられる。だが、それは感謝ではなかった。
「これで、また村は安全だ……」
カインがそう言うと、村人の中から一人が震えた声で答えた。
「でも……その安全は、あんたがいる限り続くのか?」
その言葉にカインは顔を上げた。村人たちの目には安堵の色が見えず、代わりに恐怖が深く刻まれていた。自分を守るために力を振るった結果、自分が村人たちの恐れる存在そのものになっている――その現実がカインを突き刺した。
(見ろ。彼らはお前を理解しない。お前がいなくなる日を待ち望んでいる)
王冠の声がまた響く。冷たい囁きが、彼の孤独を深めていく。
「もういい……俺は、これ以上村を危険に晒したくない」
そう言ってカインは木槌を地面に突き立てた。村人たちの間に驚きが広がるが、誰も彼を引き止めようとしない。それが、彼の胸にまた一つ傷を増やした。
「これが俺の運命か……」
カインはゆっくりと歩き出した。村を背に、また一人で歩む道へと戻る。王冠の冷たい輝きだけが、彼の道を照らしていた。




