◆05 禁忌の書と灰霧の起源
カインは、村の片隅にある自分の家でひとり、窓から外を見つめていた。空は相変わらず灰色に覆われ、どこまでも薄暗い。冷たい風が隙間から入り込み、部屋の中の静けさに重なるように低く唸っていた。広場では、村人たちが口数少なく行き交っているが、誰一人としてカインの家には近づかない。
「これでいいはずだ……俺は、村を守った」
彼は自分に言い聞かせるように呟くが、その言葉は心の空白を埋めることはなかった。守るべき村人たちは、彼を遠ざけ、避けるようになっていた。自分が振るった力が彼らを恐怖させている――その事実を否定できずにいる。
(彼らはお前を理解しない。だが、それでいい。王は孤独でなければならない)
王冠の囁きが再び頭の中に響いた。それは冷たく、それでいて甘美な響きだった。カインは頭を抱え、机に突っ伏すようにして目を閉じた。
「もう、黙ってくれ……」
だがその声は止まらない。むしろ、彼の内心の迷いを増幅させるかのように強くなる。
(お前の力は正しい。それを証明する方法を探せ。知識を得るのだ。王冠の真実を知れば、お前はもっと強くなる)
「真実……?」
その言葉に、カインは顔を上げた。自分が手にしているこの力――王冠の正体を知ることが、彼の迷いを晴らす鍵になるのかもしれない。そう思うと、心の奥底で微かな希望が芽生えた。
「俺がこの王冠を拾った理由を……確かめる必要がある」
カインは立ち上がり、王冠を見つめた。手に取ると、その冷たさがまるで導き手のように感じられた。
カインは広場を通り抜ける道を選び、村の外へ向かう準備を整えていた。目的地は、村の東にある古い神殿跡だ。かつてはこの地方の信仰の中心だったが、今では誰も寄り付かない廃墟となっている。その場所ならば、王冠の真実に繋がる手がかりがあるかもしれない。
彼が広場に現れると、村人たちは彼を一瞥し、すぐに視線をそらした。中には道を変えて、彼との接触を避ける者もいた。その態度がカインの胸に鈍い痛みを与える。
「……これが俺の運命なのか」
心の中でつぶやく声は、もうほとんど独り言に近かった。王冠の力を得たことで、守るべき仲間から孤立してしまった。この矛盾が胸を締め付け、足取りを重くする。
それでも、彼は歩みを止めなかった。道端に立つ村人たちの冷たい視線を背に感じながら、黙々と村を後にした。その時、遠くで子供の泣き声が聞こえた。それはほんの一瞬のことだったが、カインの歩みを止めた。振り返ると、小さな子供が母親の裾を掴みながら、彼を怯えるような目で見ていた。
その光景に、カインは強い衝動を覚えた。彼らを守るために力を使ったはずだ――なのに、なぜ彼らは自分を拒絶するのか。
「俺が間違っていたのか……?」
その疑問が心の中で渦を巻く。だが、答えは出ない。答えを探すには、もっと知識が必要だ――王冠の真実を知ることで、この疑問が解けるかもしれない。
カインは再び前を向き、歩き始めた。道は荒れ果てており、背後の村は次第に小さくなっていく。灰色の空はますます暗くなり、冷たい風が吹きつけた。その風が彼の孤独を際立たせるように思えた。
(彼らの目を気にするな。お前が進むべき道は、力の真実を知ることだけだ)
王冠の声が再び囁く。その言葉は、彼の心の中に入り込み、彼を再び動かした。
カインが村を出て半日以上が過ぎた頃、彼の前に神殿跡が姿を現した。それは荒れ果て、廃墟となった石造りの建物で、かつての威厳は今や瓦礫の山と化している。灰色の空の下、周囲には霧が立ち込め、昼間にもかかわらず視界は薄暗い。
「ここに……何が残っているというんだ?」
カインは独りごちるが、心の奥では期待と不安が混ざり合っていた。この場所で何も見つからなければ、彼の迷いはさらに深まるだろう。だが、ここに答えがあれば――。
王冠が微かに冷たさを増したように感じた。それはまるで、この場所が自分の訪れるべき運命の地であると告げるかのようだった。
彼は瓦礫を踏み越え、崩れた柱の間を進んだ。床には苔が生え、かつて祭壇だった場所には草が絡みついている。その中央に、ひときわ目立つ石台があった。カインはその石台に近づくと、古びた書物が埃に覆われたまま横たわっているのを見つけた。
「これは……」
手に取ると、表紙は革でできており、朽ち果てかけている。それでも、中に書かれた文字は奇妙なほど鮮明だった。書物には古い言語で「灰霧の神と呪われし王」と記されている。心臓が鼓動を早め、手が震えた。
ページをめくると、そこには王冠の姿が描かれていた。それは間違いなく、今自分が手にしている黒い王冠だ。
「この王冠が、神を滅ぼした……?」
文字を追いながら、カインは声を漏らした。書物には、かつて灰霧の神と呼ばれる存在が人々を守護していたことが記されていた。しかし、ある王がこの神に挑み、王冠を武器として使った。その結果、神は滅びたが、その代償として王冠には神の力と呪いが宿ったという。
(見ろ。この力はお前のものだ。そして、この力が全てを支配する)
王冠の声が耳元で響く。書かれた内容は王冠の囁きと一致していた。だが、それは希望ではなく、恐怖を生むものだった。
「じゃあ……俺が手にしたこの力は、何も救えないってことか?」
カインの胸に混乱と絶望が広がる。これまで信じてきた「守るための力」という考えが揺らぎ始めた。
カインは書物を閉じ、震える手でそれを石台の上に置いた。頭の中で考えが錯綜し、呼吸が荒くなっていく。この王冠がもたらす力は、人を守るためのものではなく、神を滅ぼし、呪いを広げるためのもの――その真実が彼を打ちのめした。
「俺がこれまでやってきたことは……すべて間違いだったのか……?」
声に出した途端、その言葉の重みが心の奥底に突き刺さる。王冠の力に頼り、村を守ろうとしてきた自分が、本当は何をしていたのか――その意味がぐらりと揺らいだ。
(お前は間違っていない。力を恐れる者たちこそ間違っている。王冠がもたらすのは真の支配だ)
王冠の囁きが、彼の迷いを力づくで押さえつけるように響いた。だが、それはこれまで以上に冷たく、彼を支配するためのものだと感じた。
「黙れ!」
カインは叫び、王冠を頭から引き剥がそうとした。だが、その瞬間、強烈な痛みが頭を駆け抜けた。王冠が彼の手を拒むように、彼の心と体に鋭い衝撃を与えたのだ。
「くっ……!」
王冠を床に叩きつけようとするが、指先が思うように動かない。それどころか、王冠はまるで彼の手に吸い付くように固く握られていた。
(お前がそれを捨てることはできない。王冠を手にした瞬間、お前の運命は決まったのだ)
その声は確信に満ちていた。そして、カインの心の奥に新たな問いを生み出した――自分はこの力から逃れることができるのか。
彼は石台に腰を下ろし、息を整えようとしたが、心は深い絶望に沈んでいた。この王冠を持ち続けることでしか村を守ることができない。それがどれだけ誤った選択であろうと、今やそれ以外の道は見えなかった。
「俺は……捨てられないのか」
呟きながら、カインは王冠を見つめた。その黒い輝きは、どこか冷たく、遠い未来の破滅を暗示しているようだった。
神殿の外では風が強く吹き、霧が濃くなる。遠くから聞こえる風の音が、不気味な囁き声に聞こえるのは、カインの心が脆くなっているからかもしれなかった。
彼は立ち上がり、王冠を手に再び歩き出す。村に戻る道は、これまで以上に重く暗い影を落としていた。




