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黒い王冠  作者: いぬ
2/12

◆02 王の影

 夜は静かに訪れた。灰色の雲の隙間からわずかに星の光がこぼれることはあったが、それが村の闇を照らすことはない。村人たちは明日の略奪者の襲来を恐れ、家の扉を固く閉ざしていた。カインも例外ではなかった。もっとも、彼が恐れていたのは略奪者ではなかったが。


 薄暗い小屋の中、カインは硬い藁の寝床に横たわっていた。体の疲労は戦いの余韻を引きずっていたが、眠ることができなかった。目を閉じるたび、略奪者を殴り倒した時の音や感触が蘇る。そして、頭に浮かぶのは村人たちの冷たい視線だ。


(お前は英雄だ。奴らを救ったではないか)


 突然、頭の中に声が響いた。はっきりとしたものではないが、冷たく、断片的な言葉が押し寄せてくる。その瞬間、カインは思わず体を起こした。胸の鼓動が高鳴る。


「……誰だ?」


 声を上げても、返事はない。周囲はただ暗闇に包まれ、王冠はテーブルの上に静かに置かれていた。その不吉な輝きは、薄い月明かりを吸い込むかのようだった。カインは額の汗を拭い、震える手で水を一杯飲んだ。


 眠りに落ちたのは、それからしばらくしてからだった。





 カインは夢を見た。霧が立ち込める果てのない荒野の中、彼は一人、歩き続けていた。足元はどこまでも冷たく、霧の中に現れる影が彼を取り囲んでいた。やがて目の前に巨大な影が立ちはだかった。それは人の姿をしていたが、何かが違った。体が異様に黒く、輪郭が朧気だった。


(お前が選ばれたのだ……王となるべき存在だ)


 影が動くことなく、そう言った。声は静かで威厳があり、それでいて鋭く突き刺さるようだった。


「王……?」


 カインが問い返すと、影は答えず、その場からゆっくりと消えていった。彼が追いかけようとすると、足元の地面が崩れ始め、カインは深い闇の中へと落ちていった――。


「うっ……!」


 目を覚ましたカインは、自分の呼吸が荒くなっていることに気づいた。冷たい汗が全身を覆い、胸の鼓動が激しく響いていた。


「今のは……夢……なのか?」


 しかし、夢の中で聞いた声はあまりにも鮮明で、まるで現実の一部のように感じられた。


 テーブルの上に置かれた王冠を見つめると、それがまた静かに輝き始めたように思えた。





 翌朝、カインは曇り空の下、村の広場を歩いていた。夜の悪夢の余韻を引きずりながらも、彼は村人たちのために動かなくてはならないと自分に言い聞かせていた。略奪者の襲撃を受けた家々の修繕を手伝い、安心させる言葉をかける――それが村の守護者としての役目だと思ったからだ。


 だが、現実は厳しかった。彼が村人に近づこうとすると、皆が少しずつ距離を取るのが分かった。農具を手にしている男も、火の後始末をしている女も、彼と視線を合わせようとしない。


「……昨日は、助けてくれてありがとう、カイン」


 ようやく一人の老人が口を開いた。その声には感謝の気持ちが含まれていたが、微妙に震えているのが分かった。


「いや、俺は当然のことをしただけだ」


 カインは笑顔を作りながら答えた。だが、老人の目は彼の笑顔を真正面から受け止めようとはしていなかった。


 村人たちが怖がっている理由は分かっていた。昨日の自分は――自分ではなかった。王冠を被った瞬間、冷酷な力に支配され、目の前にいる人間をただ「敵」として見ていた。守るために戦ったはずなのに、その姿が恐怖を与えたのだ。


「カイン、あんた、昨日のあれ……」


 火を消していた中年の女が話しかけてきた。言葉を続けるのをためらっている様子だ。


「何か、魔法のようなものかい?それとも……」


「いや、そんなことはない。ただ、俺ができることをやっただけだ」


 カインはその言葉を遮るように答えた。だが、彼女の目に浮かんでいるのは、疑念と恐怖の色だった。


(誰もお前を理解できない)


 また声が聞こえた。胸の奥から、静かに流れる冷たい囁き。カインははっとして目を見開いたが、村人たちは何も聞こえなかったようだ。声は王冠から――いや、自分の心の中から来ている。


(お前が守るべき相手は奴らではない。王はただ、力を示せばよい)


 心の奥底に響くその言葉に、カインは眉をひそめた。王冠が彼に力を与えたのは確かだ。しかし、それが村人たちと距離を広げることになっているのも事実だった。


「俺は間違っていない……助けたんだ……」


 自分に言い聞かせるように呟きながらも、カインの胸には重い疑念がわだかまっていた。






 その日の夕方、カインは再び王冠を見つめていた。小さな小屋の中で、薄暗い空の下、王冠の黒い輝きは不気味なほどに際立って見えた。それはまるで、何かを誘うような、静かな囁きを放っているようだった。


「こんなもの、拾うべきじゃなかったかもしれない……」


 カインは呟きながら、王冠を指先で軽く撫でた。その瞬間、またあの声が響く。


(お前は選ばれたのだ。力を恐れるな。それこそが、お前の役目だ)


 声は静かでありながら、深い底から響き渡るようだった。その響きが、カインの心の深い部分を揺さぶった。選ばれた――その言葉は、どこか心を満たす感覚をもたらしていた。


 村では誰もがカインを遠ざける。恐怖の目で見られるたびに、彼の中の孤独は増していった。けれど、この王冠だけは彼を見捨てなかった。この力があれば、村を守れる。自分が必要とされる存在であり続けられる。


「本当に……そうなのか?」


 カインは自分の胸の内に湧き上がる葛藤に抗おうとした。だが、心のどこかで答えを知っていた。自分が守るべき村人たちは、すでに自分を拒絶しているのだ。彼らの目に映るのは英雄ではなく――怪物。


 その時、小屋の外から騒がしい声が聞こえてきた。カインは慌てて王冠をテーブルの上に置き、外へと飛び出した。広場の方角から何かが起きている――そのことだけはすぐに分かった。


「また略奪者か……!」


 彼は咄嗟に木槌を手に取ったが、すぐに目が王冠へと向いた。木槌だけでは、略奪者たちに立ち向かえない。昨日、王冠を被らなければ勝てなかったではないか。そう思うと、心の奥からまた囁きが湧き上がる。


(被れ。力を示せ。全てを屈服させろ)


 カインは一瞬ためらったが、広場の方から聞こえてくる悲鳴に躊躇している時間はなかった。


「……俺は村を守るんだ」


 彼は王冠を手に取り、頭に載せた。瞬間、全身に冷たい電流が走るような感覚が押し寄せた。そして視界が一気に鮮明になる。略奪者の足音、村人たちの泣き声――すべてが明確に聞こえる。力が体中を満たし、カインの胸の奥で燃えるものがあった。それは恐怖ではなく、制圧する快感だった。






 広場に着いたカインの目に飛び込んできたのは、村人たちを取り囲む数人の略奪者たちの姿だった。彼らは農具を武器に変え、何の抵抗もできない村人たちを追い立てていた。


 カインは王冠を被った自分の姿がどう映るのかを気にする間もなく、略奪者の一人に向かって駆け出した。


「おい、お前ら!ここから出ていけ!」


 叫ぶ声は自分のものとは思えないほど低く、響いていた。略奪者たちは振り返ると、一瞬目を見開き、次に嘲笑を浮かべた。


「なんだ、村の守り手か?血に飢えた怪物ってとこだな!」


 その嘲りが引き金となった。カインは無意識のうちに木槌を振り上げ、勢いよく叩きつけた。重い音と共に、略奪者の体が地面に沈んだ。その姿を見て、他の略奪者たちが戦闘態勢を取る。


「やれるもんならやってみろ!」


 カインの口角が無意識に上がる。心の中には、再び力の囁きが響き渡っていた。


(全てを倒せ。恐れを知らしめよ)


 木槌を振るうたびに敵が崩れ落ち、その度に村人たちの歓声が遠のいていく。いや、歓声ではない――彼らが発しているのは、恐怖のざわめきだと気づいたのは数人を倒した後だった。


 略奪者たちは次第に後退し、ついに全員が逃げ去った。しかし、広場に戻ったカインが見たのは、村人たちが彼から距離を取り、怯えた目で見つめる光景だった。彼らの中には、涙を浮かべた者さえいた。


「……助けたじゃないか」


 カインは声を絞り出したが、その声は誰の耳にも届かなかった。村人たちは誰一人として近づこうとせず、ただ彼の異様な姿を凝視していた。


「カイン……その……」


 先程声をかけてくれた老人が震える声で口を開いたが、言葉を続けることはできなかった。彼の視線はカインの手に注がれていた。その指先は再び黒く染まり、王冠の力が体に残り続けている証のようだった。


 カインは王冠を取り外し、深く息を吐いた。だが、その行動で村人たちの怯えが消えることはなかった。むしろ、彼らの目に宿った恐怖はより強くなっていた。


(奴らはお前を恐れるが、それでいい。王は孤独でなければならない)


 王冠の声がまた囁く。カインはその声を振り払おうとしたが、心の奥に言葉が沈んでいくのを感じた。それは否定できない真実のように思えた。


 村人たちが背を向けて立ち去る中、カインは広場に一人取り残された。夕暮れの冷たい風が彼の体を包み込むが、それはどこまでも孤独な感触だった。


「俺は……守ったんだ。なのに……」


 自分の言葉が空虚に響く。彼は王冠を握りしめ、その存在が与える力の重さに押し潰されるような感覚を抱いた。

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