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〜水面砕ける〜  作者: 中川 篤
プロローグ
4/6



 命の八月がまたやって来た、夏はカヌーをやる人々が最も海に出、そして漕ぎまくる時期だ。命たちはその月の上旬、大学の近くの川と大学の寮を往復する単調な生活をずっと送った後、中旬に入ると、レクリエーションと称してオリンピックに出場した選手の慰労会と海でのシーカヤック漕ぎ、そしてホテルでのバイキングディナーという歓迎ずくめの日々を送った。こんな厚遇を受けることができたのも、ひとえにオリンピックに出場することのできた先輩たちのおかげだ。けど、その尊敬すべき先輩たちでさえ好成績を残せたとはいいがたかった。とにかく、それを満喫して命たちは東京に戻ったのだった。


 また都内で練習する日々に戻った。単調で、コーチの怒号の響き合う毎日だ。この頃タイムを上げてきた命には、やや当たりの強い先輩もいる。彼女のことをライバル視しているからだ。勝負事の話を生活に持ち込み、しかも年が上なことを盾にしてこちらを攻撃するそのやり方は汚いと思う。命は反発したがするとさらに周囲のあたりは強くなった。先輩たちは従順で、可愛い後輩の命を求めていた。


 練習場にバイクの音がした。激しい音だった。徹がやって来たんだ。この練習場で目を休ませていく運転手は珍しくなかったが、青く燃える炎を描いたヘルメットを脱いだその顔は、一人しかいない。


 ――徹だ!

 

 徹は、大して離れていないところにバイクを止めると、タバコに火をつけ、吸い始めた。それを面白がってみていると、徹のほうも命に気づいたのか彼女に向けてものすごい空ぶかしをした。さすがにそれはやめてよ、と命は思ったが、なんとなく嬉しいものがあったらしい。徹に悪気がこれっぽちもないことが伝わってきたから。だが千地監督は烈火のごとく怒った。徹を見て取ると、血相を変えて詰め寄り、それから一方的な罵り合いが始まった。


 部員が周囲に集まってきた。千知監督は練習に戻れと言って彼らを追い払った。その際、少しだけ徹の話が命にも聞こえた。


 「おれはそういうのに慣れてるんだ」徹は言った。「だから別に気にしない。あんたみたいな大人にゴミみたいに扱われることには、だいぶ慣れてるつもりだ」

 「俺たちに近寄るな。お前みたいなやつは、ハッキリ言って邪魔でしかないんだ。俺が言いたいのはそれだけだ」

 「じゃあそうしようといいたいところだが、俺は人に指図されるのが嫌いなんだ。それならあんたが消えればいい」

 「ここは俺たちの練習場だ」

 「違うな。正しくは、誰にでも開かれている公園だ」


 この頃の徹は、だいぶカッコつけてる。今の僕にはそれが分かる。徹は、これよりもっと情けないのが売りだからだ。


 千知監督は歯噛みして、その場に止めてあった徹のバイクを蹴り飛ばし(これは大人げないと命も思った。僕も思う)、すかさず徹が千地にパンチを食らわせた。見事なパンチだった。千知監督は身長179はある大男だったが、徹はそれ以上あった。監督は最後まで威厳を見せようとしたが、徹の二発目で沈んでしまった。それからひと騒動になった。コーチの太田垣が警察を呼んでいたのだ。警官たちが駆け付けると、徹は命に「頑張れよ」といって、素早い動きでバイクに乗り込むと、「こっちだ!」と、挑発するように警官たちに言った。


 警官は徒歩だったから、すぐ腰の無線を使って応援を呼んだ。徹の番号が彼らの目に見えなかったのが幸いだった。命はいそいで千知監督に駆け寄って具合を見た。目のあたりが腫れている。


 「ううん……、まったくろくでもないやつだ……」

 「嬉しそうですね」

 「この頃は張り合い甲斐のないやつが多いからな。奴は別格だ」

 「殴られたんですよ?」

 「大したケガじゃない」

 「暴力です」

 「俺がいつもしていることはどうなる」


 そういわれると、実にそうだった。じっさいこの一件で、胸をすくような思いをした部員は多かったのだ。かれらから見ると、常に自分たちをいじめているこの部のボスに一発かましてくれた徹は、皆の代弁者であり、ちょっとしたヒーローだった。




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