庵野秀明監督「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」
例のごとくというか、これも小学生の時に金曜ロードショウで放映していた時にちらりと観たのね。まぁ、終盤の巨大綾波ヘッド(ユイヘッドかも)が爆発する瞬間だったんだけど……あれってなんで爆発したのかね?
小学生の時には理解できなかった内容だけど、今も理解は出来てない
タイトル・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
監督・庵野秀明
公開日・2012年11月17日
感想
とにもかくにも、説明がない映画でした。いつものことだけど、俺達は雰囲気でエヴァンゲリオンを観ている。でもまぁ、それで観終わって面白いと思えるんだから大した作品だよな。
テンポ抜群の「序」、スローからの怒涛の展開を見せつけた「破」でしたが、今作はまた違うんですよね。
今作は初っ端から中盤までアクセル全開で飛ばして、中盤にちょっと落ち着いたかと思えばまた終盤までフルスロットルでした。マジでジェットコースター状態。
そこに説明不足が加わるんで、リアルタイムで何も知らずに観に行った人はまぁ怒ってもしょんないよな。
案外、自分が面白いと思えたのは公開から何年も経って情報が溢れていて、それを目にしていたからかもしれない。予備知識は大事。
更に言えば、ただ状況が分からないだけだったらアニメ版の終盤や旧劇場版だって訳が分からんかったよなで済むんだけど、如何せん登場キャラに余裕が無かったのがいかんかった。
14年血反吐吐きながら生きてきた人達と、今しがた起きたばかりのシンジ君とは意識にギャップがあるのは当たり前なんだけど、それを説明しないせいで視聴者にいらん怒りを買わせてる気がする。
アスカはなんか最初から最後までキレっぱなしで、ミサトさんは冷たいし、なんかやたらと敵意向けてくるピンク髪もおるし。
次作の「シン」で色々と語られるけど、語られなきゃ分かんねぇよ。
特にアスカ。一応、シンジ君は決断したんだぜ。自分の手でアスカを殺すくらいだったら、殺されてもいいって。
勿論、これは視聴者という神の目線で全てを把握しているから言えることだけどさ、旧ネルフ組、特にオペレーター三人組はシンジ君が殺されてもいいって言ってるの知ってるでしょうに。教えてやらんかったのか。
助けてほしかったのは分かるけど、お前もお前でシンジ君のこと考えて動いてたか? 人のこと言えるタチか? あん?
ぶっちゃけ、決断したはいいけど全て裏目に出てボロボロになったシンジ君の方がよっぽど助けたくなるよ。
色んなキャラに不満タラタラになる中で、数少ない清涼剤はマリさんの存在とカヲル君との交流でした。
マリさんは本当に変わらない。皆変わっちまった中で初登場時から変わらない飄々さがクセになるし、常時重苦しい中では本当に安心できる。
カヲル君との交流は、後のフラグになるとはいえシンジ君の中ではかなり救いになったんじゃないかな。あのネルフ本部には綾波? な綾波に、ジジイとスポンサーが任天堂かソニーになったと思しき親父しかいないんだから。
とにもかくにも、不満を持とうがマリさんのおっぱいに注目しようが「Q」は観終わった。
次は「シン」でございます。
まとめ
超展開が織りなすジェットコースタームービー。
今作で出てきた疑問や不満は映画内で解決しないので、一本の映画としてはダメだがエヴァとしては「こんなもん?」と思える作品。
まぁなんであれ、アスカが最後にシンジ君の手を引いていったのを観て、お兄さんは少し安心しましたよ。
(例のBGM)
「予告」
超展開に次ぐ超展開に、困惑の色を隠せないタヌキ。
しかし、創作者として一人のエヴァファンとして、図らずとも次回作への期待は高まる。
「本当にエヴァが終わる」という先人達の言葉を胸に、彼はリモコンを操作する。
彼が液晶を通して目撃したのは底知れぬ絶望か、淡い希望か。
赤裸々な感想が、語られる。
次回「シン・エヴァンゲリオン劇場版」