第86話
『……これはどういうことだ?』
「ひっ」
思わず悲鳴が出たのは私だ。
えっ、この状況で? って思うかもしれないけど、ヒューゴーがものすごく申し訳なさそうに差し出したそれは……隊長格が使う通信機。
そこから聞こえたのは、地を這うように不機嫌なアドルフさんの声だったんだもの!!
「ヒュ、ヒューゴー……?」
「すみません、イリステラさん。俺……通信機をジルツェン隊長から預かってまして……ずっと繋いでたんです……。最初から……」
「ヒューゴー……!」
この裏切りものォ!?
つまりなにか、ヘルマンあの野郎!!
私には『敵を嵌めるために囮になって☆アドルフには内緒にしておくから☆』って言っておきながらアドルフさんにバラしてんじゃねえか!!
(ヘルマン、後でシメる……!!)
いや身分的にも物理(腕力)的にも勝てないのでどうシメてやればいいのか。
やはりここはアニータ様にお願いしたらいいのか!!
敬愛する国王の妻であるアニータ様に対してもヘルマンは頭が上がらないからね!
信奉者って言ってもいいんじゃないかって感じで正直気持ち悪い。言わないけど。
「ヘルマンあんたアニータ様に言いつけてやるんだからね!」
『わあ、聞いたかアドルフ。お前の妻、容赦なく脅してくるぞ』
『イリステラ』
「は、はい!」
『今そこに行く。逃げずに待っていろ』
「……はい……」
顔がひくつくのを感じる。
いや、かなりなピンチ状況だよね?
前門の敵、後門の味方のはずなのに。
逃げずに待っていろって私の方が犯人っぽい扱いされてないかな!?
「ふざ……ふざけるな! 貴様ら状況をわかっているのか!? もういい、聖女をまずは捕まえろ。神官を人質に取れ!」
スリコフの声に武器を持った男たちが現れて私たちを取り囲む。
確かにヒューゴーは私の護衛なので、狙うならヒルデだろうと思う。
でも、怖くはなかった。
(アドルフさんは『今そこに行く』って言った)
お説教は怖いけど、それってつまり直ぐ近くにまで来ているってことでしょう?
彼の言葉を私が疑うなんて、これっぽっちもあり得ないのだ。
たとえ敵に剣の切っ先を突きつけられようが、銃口を向けられようが、アドルフさんが『待っていろ』って言ったんなら私は。
「アドルフさん」
彼を待つために。
胸元で手を組み、ヒューゴーとヒルデを含めた自身の周りに結界を張った。
長くは持たない。
なにせ私は最弱の聖女な上に、病み上がりなので。
ヒルデも直ぐに私の結界に重ねるように、補助の結界を張ってくれる。
「少しだけ耐えれば大丈夫。きっとすぐ来てくれるから」
この場所についてはマヌエラたちが報せているに違いない。
私たちは彼らが逃げないように、そして私たちが捕らえられないように、それだけに注力すれば良い。
そもそも逃げることはないだろう、映像が撮られている……ことが本当かどうかを確かめるには、私たちを捕まえなければいけない。
そして本当ならば結局ここから逃げるためにも結局私たちを捕らえなければ、彼らに退路はないも同然なのだ。
(だからこそ、あちらも全力になるのだろうけれど)
それでもスリコフは奥さんの傍を離れないことだけが気にかかった。
彼女は仮初めの妻ではないのか。
本当に、愛しているのだろうか?
この騒ぎの中でも、ぴくりとも動かない人形のような彼女の魂を、私の目ははっきりと見ていた。
段々と息苦しさを感じる。
結界を張り続けること、そこに衝撃を与えられた分だけ消費していくその魔力は今の私にとって苦痛でしかないのだけれど……気合いと根性だけでなんとかするしかない。
ヒルデはこの状況に青い顔をしている。ヒューバートも。
そりゃそうだ、ヒューバートもヒルデも軍属になっているとはいえ、実戦経験はないのだ。
(主人公たちだからって思って、でもそうじゃない。主人公だからって最初から強くナンテない)
チュートリアルを経て、イベントを、クエストをこなして、その間に辛い経験を経てエンディングを迎えることができる存在。
潜在能力がどうとかじゃなくて、まだ彼らは――違う、彼らは人間なのだから。
ヒルデの結界が途切れる。
私の結界ももう、ぎりぎりだ。
手が伸ばされる中、それを弾いてもう一度結界を張り直そうとして失敗した。
(アドルフ)
頭を、腕を掴まれて痛いと思う瞬間も、私が思い浮かべるのはただ一人。
黄金の、狼の姿だけ。
その瞬間、派手な音がして――ぶわっと風が私の頬をくすぐって、煙たいと思ったら後ろから抱きしめられる感触がして。
「俺の妻に触れてくれるな。反吐が出る」
そこには怒気を纏ったかっこいい推しの姿があるではないか。
うおおおおおおアドルフさんだ、アドルフさん! しかも俺の妻って言ったああああ!!
興奮の余り鼻血が出ないかこの状況でもそっと確認しちゃった私は正しいと思うよ!




