幕間 一線を引いているのは自分か、それとも
結婚してから半年。
あっという間のことだった。
初めはどうしたものかと思ったこの関係は、ひどく安らぎを与えてくれるもので……そして、心をざわめかせた。
(認めてもいいのだろうか)
イリステラの隣は、温かい。
彼女が俺を癒そうとするその手の温もりと同じで、温かく、柔らかだ。
幼馴染のエミリアに会った。
いつものように俺に媚び、そして詰ってくる彼女に変わらないなと思いつつ、何の感情も抱けずにいた。
彼女の心の傷は、八つ当たりをしなければやっていけないほどに大きい。
その矛先が自分にだけ向いているならば、それでいいと思っていた。
俺は血塗れで、憎まれるべき存在で、それをよしとした。
戦争だから、戦争のせいで、それ以外に道がなかったからという言い訳をしたくなかった。
いずれも俺が選び、そして決断したのだ。
だがそれは正しくなかったのかもしれない。
エミリアの憎悪を止めることも、消してやることもできなかったのかもしれない。
イリステラと暮らし始めて、そう思った。
結婚したと告げた時に見たエミリアの、裏切られたという言葉に今更ながら傷ついた。
そして、傷ついたという事実に驚いた。
もうずっと、そんな気持ちになったことはなかったからだ。
彼女がそれを言い始めた頃は辛い気持ちにもなったが、ここ数年はもはや『またか』という気持ちにしかならなかったというのに。
(……イリステラか)
彼女が、俺が失い始めていた人間としての心を、取り戻してくれているのか。
そのことに気づいたら、どうしていいかわからなくなった。
エミリアの罵倒を前に現れたイリステラの口から紡がれる、まるで愛の告白かのような言葉。
彼女が俺に対して尊敬と敬愛を向けてくれていることはわかっている。
その純粋すぎる気持ちが眩しくて、嬉しくて。
だが一度俺の指先に彼女が口づけを落としたことがあった。
そのことを思い出すと、どうしても気持ちがざわざわして真っ直ぐに彼女を見ることができなくなったのだ。
そこに加えてあの愛の告白だ。
(……彼女の気持ちは、そういうんじゃない)
だってそういう気持ちなら、離婚してくれてもいいなんて言わないだろう。
俺に出来るのは、彼女の信頼を裏切らないことだ。
イリステラの信頼と敬愛を向けられるに値する、そんな男であるべきなのだ。
「隊長、イリステラのこと大事にしてあげてくださいよ?」
「……なんだ、唐突に」
来週、出撃することに決まった。
第一部隊の隊長であるゲオルグ王子発案の作戦だ。
他の獣神部隊の隊長も呼ばれての会議だった。
普段はそこまで大仰に呼びつけてどうこう、ということがないだけに重要な任務だと理解する。
そのことを告げて解散した際に、カレンとマヌエラに俺は文句を言われてしまった。
いわく。
イリステラにあそこまで言わせて保護者気取りはどうなんだ、とか。
あんなに愛情を一身に向けられていつまで目を背けるつもりだ、とか。
俺の幸せを願ってくれる彼女を幸せにする気概を持て、とか。
まあ好き勝手言ってくれるのなんの!
(……俺に手を出されて困るのは、あっちだろう)
俺は俺で、イリステラに触れてはいけないと一線を引いた。
だがイリステラはイリステラで、俺への真っ直ぐな好意を向けながら何か……隠して、一歩引いている。
そんな俺たちが、歩み寄っていいのだろうか。
俺はそれを、望んでもいいのだろうか。
エミリアの過去をイリステラにもさわりだけ話しておく。
知らせずにいられたら、きっとそれが一番だとはわかっていたが……エミリアが、八つ当たり先の俺に執着していることはわかっていたから話した。
その話を聞いて考えていたイリステラは、何を思ったのか俺と手を繋いで帰ろうなんて言い始めた。
子供みたいなことを言い出したと呆れる俺の手を繋ぐ彼女は、笑顔だ。
躊躇いもせずに手を繋いでくるくせに、俺を癒す際に触れるその顔は恥じらうし、かと思えば俺との暮らしで幸せだと笑みを見せて……まるで何かを希うように口づけを指先に落としたイリステラ。
あれは、俺が寝たふりをしていたから見られた光景だったが。
(ああ、だめだな)
繋いだ手の温かさも。
指先に触れたあの唇の柔らかさも。
(もうとっくに、手放せなくなってるんじゃないか?)
自覚してしまえば現金なもので、彼女が俺にどんな形にせよ好意を抱いているならば残りの夫婦生活で……本物にしたいと思ってもらえるようにできるんじゃないのかと、そう思い始めてしまった。
俺は薄汚れた人間で、恨みをたくさん買っていて。
だが、イリステラは『それでもいい』と言ってくれるような気がする。
ただ俺が期待しているだけかもしれないけれど。
(……来週からの、戦場を切り抜けたら)
今回の任務が終われば、かなり戦況が変わるはずだと王子は言っていた。
そうしたら、戦の終わりが見えると。
だから俺はこれまで以上に頑張ろうと誓った。
俺の横で笑うイリステラを、どうにかして守って……彼女が笑顔で生きられる世界を作りたいと。
初めて、俺自身が願った。




