邂逅
もうすぐ汽車が出発するか否かの時、ダダッと駆け込んでくる人影があった。
駆け込み乗車禁止! と喝入れてやろうかと思ったが、面倒くさいのでやめた。
しかしせっかく一人で、窓から見える風景を楽しんでいたのに、人が来てしまえば面白くも何ともなくなってしまう。
残念な気持ちで、リドはため息をついた。
彼は彼の気分をぶち壊しにしたのは誰かいな、と客を見た。
そいつは黒髪を背中までサラリと流した、少女だった。
そして、きょろきょろと汽車内部を見回した後、ちょうど真ん中辺りに座っているリドに気付き、とことこと歩いてきて、遠慮もなしにリドの前に座る。
その顔は、人懐っこさがあって可愛い。
「えっと、はじめまして」
その顔に見合うような、明るい声。
やたらと元気な笑いが、目の前にあった。
「これから、汽車の旅。よろしく!」
少女がそう言うと、汽車のドアが閉まり、またゴトンゴトンと走り出した。
駅で見た黒いものは、こいつの後ろ姿だったのか。と思いつつ。
「席なら他にあいている。どうしてここに座るんだ?」
冷たく、リドが言い放つ。少女は困ったように首をかしげた。
「席がいっぱいあいてるからって、あなたの前に座っちゃいけないの?」
「邪魔だ」
いかにもうざったらしいように、リドはきっぱり答える。
「いいじゃん、一人より、二人の方が。それにあたし、すぐそこで降りるから」
少女は、リドの態度にむっとしたらしい。ガラリと声色を変えて言った。しかしはじめの明るさだけは失っていない。
リドは髪の毛をぼりぼりかいた。しかめっ面がさらにきつくなっている。
リドは少々人付き合いが苦手だった、いや、少々などではない。すでに半対人恐怖症だ。
無理して相手に合わせるよりは、自分独りの方がいいと思う。そんな人間だし、あまり女性とは喋らない。
だからマフィアのファミリーとも言われるほど、キツイ顔になってしまうし、さらに髪型をトサカにして、その顔をより一層怖く仕立て上げているのだった。
こんなやつに話し掛けるのである。目の前の少女は、マフィア団体のスカウトか、そんな風には見えないから、考えられるのは一つだけ――
「俺はガキとじゃれる趣味はないんだ。とっととどっか行っちまえ」
かなりドスのきいた声で言ってから、シッシとばかりに手を払って、また視線を窓の外に移す。こういう訳のわからん人間は、追い払って無視するに限る。
しかし、彼女が別の場所に移る気配はない。
「確かに、いきなりあたしのこと『お前』呼ばわり、だもんね……」
少女はなにか一人でぶつぶつ言っていたが、すぐにやめて、視線をリドにそそいだ。
横から、痛いほどの視線が突き刺さる。
一分経った。
――クサックサックサッ。妙な音を立てて、刺さる刺さる。
五分経った。
――グサッグサッ。鈍い音になって、刺さる刺さる。
十分経った。
――グサリグサリ。かなり痛そうな音で、刺さる刺さる。
……さすがに、リドも根負けした。
「なんだよ。なんか言いたいことがあるのか?」
面倒くさそうに、リドが体を少女にむける。リドの視線が、少女の視線とかち合った。
一瞬リドは、ドキッとした。
少女の瞳は美しかったのである。
その黒い眼は、ブラックホールのように深く、リドを吸い込んでしまいそうだった。
あまりにもいきなりすぎるその感情は、今までリドが感じたことのないものだった。
リドはその気持ちをさとられないように、顔をしかめ、すぐに目線をそらし、窓の外へうつす。
「あたしね。ミルア・ピン・バレクションって名前なの」
明るい声が、不思議にはっきりと聞こえた。
――三つの名。めずらしい。
「お前、貴族なのか?」
少し落ち着いてリドは、淡々とした様子で、それでもズバリと質問する。
三つの名前は貴族だけにある。ミドルネームはその会社、企業の名前。後は自分の名字と名前。
しかし本当にその三つの名前を持っていたとしても、普通はそんなにベラベラ喋ったりはしない。いつ連れ去られるかとか、悪くて命だって狙われないとは限らない。
貴族が下町を歩く際、偽名は当たり前。
もし目の前の相手が貴族だとしたら、絶対に身分の詐称はアリである。しかし本当にこのミルアという少女は、嘘をつきそうにない。
なぜかリドは分かる訳で……
まずミルア・ピン・バレクションのところで、こいつは一体なんだ。と思わなければいけないはずだが。リドはそう思わなかった。
リドは、彼女が貴族だと思ったから、貴族なのか? と質問したのである。
ミルアは数度、目をパチクリさせて。
「うん。そうだよ」
あっさり肯定する。
「……あのな」
リドは呆れつつ、視線を少女に戻す。
「お前は馬鹿か。貴族がそう簡単に、自分の身分を明かすか?」
ミルアは首をかしげて、――かしげて。
「あっ。そっか」
「無防備だな。脳みそ大丈夫か?」
リドは思わずツッコミを入れる。
「でも、何度も言うけど。ここにはあなたとあたしの二人だけだし」
「会ったばかりだぞ。十分危ないだろ」
「……どこらへんが?」
「俺がお前を、衝動的に誘拐。とか」
そういってリドは、ホルスターの中から拳銃を取り出した。
そろそろと拳銃を上げて、ミルアに突き付ける。
それでも全然、彼女は動じなかった。
「とか言われても、ねぇ?」
逆にミルアは聞き返してきたり。
「だって、いきなり会った人を誘拐、とか。すごく失礼じゃない?」
確かに、いきなり会った人を誘拐するのは、とても失礼にあたる行為かもしれない。
それなら、知り合いを拉致するのはいいのか? そっちの方がよほど、連れ去られた方としては、驚愕の出来事である。
いやまず、人を誘拐すると言う事自体、失礼千万である。
そんなことを思いながら、それでもリドはこの無垢な少女に、誘拐の仕組みを教えようと思った。
「貴族だったら、誘拐すれば金を要求できるだろ」
「うん」
「お前は貴族なんだろ」
「うん」
「俺がお前を誘拐すれば、金になるだろ」
「だから、会ってすぐに誘拐とか。無作法だって」
「お前本当に馬鹿だな。普通誘拐するときとか、顔見知りを連れ去るやつ、あんまいねーだろ……」
「初めて会った人を、誘拐するの?」
「ったりめーだ」
「それって、とっても無礼だよね」
振り出しに戻ってゆく。
会話が成立しない。
なんだか呆れてきて、リドは拳銃をしまう。
そんなリドを見て、ミルアはほっとしたような面持ちで息を吐いた。
「ほっとしただろ、お前っ!」
そこらへん、厳しくチェックしていたリドが、すかさずツッコミを入れる。
「え、あ、う、別に。そっそんなことないからっ」
ミルアがうろたえまくって、これでもか、というほどに手を横に振りまくる。
「そんなことない、とか。ほっとしたわけじゃねーか」
「そりゃ、ほっとするわよ」
「それは、俺が拳銃をおろしたからか?」
「もちろん!」
「……………」
なんなのだ一体?
「別に拳銃を突きつけられると、性格がおかしくなるとか、そういう類いの事じゃなくてっ」
「は?」
「といっても、命に関わる重要な出来事の後って、なんかすっごくピリピリしない?」
「意味分からん」
「そういう事じゃなくて、あたしは、今ここで死ぬのはいただけないかな、と」
「死ぬ? 俺がお前を殺すとでも、か?」
「拳銃突きつけたって事は、いつ何かのトラブルが起こって、引き金が引かれるって事もあるんですからね。あたしじゃなくて、あなたにあたる可能性だってある」
「安全装置ってもんがあるんだ。覚えとけ」
「でもそれもいつはずれるか、分かったもんじゃないし……」
「それならお前は、なんで俺が銃を突き付けたときに、こう平然としていられたんだ?」
「フッ、それがあたしのいいところよ」
なんなんだ。こいつは。
リドはそう思わざるをえない。
彼自身が引き金を引く事はない。彼女はそう信じきっていた。
しかし何かのトラブルで、拳銃から玉が発射されるかも。が彼女の意見なわけだ。
なんだかよく分からないが、ミルアはあまり並大抵の人間と、一緒にしてはいけない人種のようだ。
「えっと、あなたは?」
「……ん?」
「あたしが名乗ったんだから、あなたも教えて」
「……ああ」
こんな奴に名前を教える義理はないが、相手が名乗っているのである。こちらが言わぬ訳にはいかないだろう。
「リド、リドリック・ノルボイだ」
「リド・リドリック・ノルボイ? もしかして、あなたも貴族?」
どうやらミルアは、リドが間髪入れずあだ名と本名を名乗ったので、勘違いしてしまったようだ。
(……貴族、ね)
リドはため息をつき。
「違うっつーの。リドはリドリックを略した名前。つまりあだ名。リドリック・ノルボイが本名」
「へぇ。あだ名かあ」
ミルアは数回頷いた。
――あだ名といっても、それを呼んでくれる人は、もうこの世にいない。父と母がリドリックという立派そうな名前を、自分達でつけたにもかかわらず、リドと略称していた。『リド』と呼んでくれる人がいるのは、その時限りの話だった。
――しかし――
とリドは思う。
少女を見ていると、リドのことをフルネームで呼んだり、名字だけで呼んだりとか。絶対そんなことはしそうにないと思った。
父と母が死んで以来、一度もこの名で呼ばれたことはなかった。
(だけど……)
また『リド』が、復活しそうである。