ミルアの過去
その日ミルア・ピン・バレクションは、どうしても行きたいところがあった。
それは、バノの荒れ野。
とにかく茶色くて、赤錆びた平たい大地が延々と続くところだ。
ミルアのどうしても行きたいという心境は、決して甘ったれた遊びのようなものなどではない。
むしろ、己の命すら惜しくはなかった。
彼女の母親は機械に殺されていた。しかも、目の前で――
ミルアは大貴族の娘で、確かに誰かの陰謀によって機械に暗殺されかけることも、しばしばだった。
しかし、そのことごとくを、この親子は死ぬことなく潜り抜けてきている。
――奇跡、に近かったかもしれない。
だがそうやって、暗殺を企む輩からの攻撃は、それほど苦にはならなかった。
人間の思惑などにはまってたまるか。そんなもの笑い飛ばしてやる。彼らはそうやってよく笑った。
親子は今まで、自分達を不幸だと思ったことがなかった。夫婦は仲がいい。子供も、貴族としては品が欠けるが、それでも素直で純粋で。
しかし、それも長くは続かなかったのである。
その日、陰謀の時代が終わりをつげた。機械戦争が終わり、そうした勢力が、全て崩れ去ったのである。
戦争終結の報が、バレクション家にも届き、その日皆で喜んだ。ミルアは、両親に笑顔でこう言っていた。
「お父さん。お母さん。もうこれで、機械に命を持っていかれることもないね……」
人間から狙われることはなくなった。人間が差し向けた機械達には……
そして、その日悲劇が起きた。
ミルアの屋敷に、その日は母と二人だった。狭い部屋で今日は人払いもしてある。護衛人どころか、メイドもいなかった。
二人でソファに座ってくつろぎ、おしゃべりをしていた。
母がお茶を取ってくるから、と席を立った瞬間である。
――ウィン!
というレーザー音と共に、血が飛び散った。
窓に穴があいていた。
ミルアはその窓の外にうごめくものを見た。
冷たい、鉄の塊だった。
ミルアは母の側に駆け寄った。
母が、ミルアの頭に手をおいて、なでた。
脇腹に穴があいている。
ミルアは訳が分からなかった。悲しみも、怒りも分からないくらい、混乱していた。
「ねえ、お母さん。機械はいなくなったんじゃないの? もう、誰も襲ってこないんじゃないの?」
ミルアは泣き叫んだ。
窓から、レーザーがもう一発打ち込まれた。
窓は高い位置にあったので、床にいる二人にはもう当たらない。
母は、もう喋るのもやっとだった。
だけど、優しい母は、幼いミルアに今の状況を説明しようと、必死で口を動かした。
「野良機械よ……ミルア」
本当に小さな声だったが、ミルアが耳を口元に、引っ付きそうなほど近づけたのでかろうじて聞こえた。
――野良機械……
人間の意志など関係なく、暗殺のためだけに動く機械。
「ミルア……あなただけでも……生き……残って」
その後母は、血を吐いた。
母は死んだ。
惨い死をとげた。
ミルアは泣いた。泣かずにいられなかった。
機械に殺された母。奇麗な身体で死ねなかった母。今血だらけになっている母。
どうして――なんで?
ずっと、母にかぶさるようにして泣いていると、頭に暖かいものが置かれた。
父の手の平だった。
――もう、機械はいないから。倒してしまったから。
そう言っていた。
それでもミルアは泣きやまなかった。
どうして父は泣かないのだろう。
そう思った。
父は泣かなかった。
母が死んでいるのを見て、悲しそうな顔をしただけだった。
――ミルア。母さんは遠いところにいってしまったよ。
本当に、本当に悲しい顔だった。そんな顔をするくらいなら、泣いてしまえばいいのに。そんな顔をするくらいなら、まだ憎むほうがいい。鬼の形相になってくれたほうがよかった。
「どうして? 父さんは悔しくないの? 母さん、殺されちゃったんだよ。憎くないの?」
「憎んで、どうするんだい? もう、倒してしまったじゃないか」
「それでも、悔しいじゃない!」
「でも、どうしようもないだろう。倒す相手は倒してしまった。憎む相手も、もういないさ」
――違う。まだ、憎む相手はいる。
ミルアは、最後に母が残した言葉を、反芻していた。
――野良機械よ。ミルア。
ただ、その時母は、ミルアに生き残ってほしかっただけなのである。だから、もうほとんど喋るのも苦だというのに、その時のことを理解してほしかったのだ。
――ミルアは賢い子だから、きっとこの危機から逃げ切ってくれる。
だから、母はミルアに、ただ一言だけ。言ったのである。
しかし、ミルアは悔しかった。やりきれない気持ちだったのだ。
母は殺された。
誰に?
野良機械に。
でも、野良機械は倒してしまったじゃないか。
いや、まだたくさんいるかもしれない。
なら、このまま放っておいていいのか?
また殺される人がでるかもしれない。
なら、このままのさばらせておいていいのか?
あたし達が住む、この地上に。
人を殺す機械などあっていいのか?
答えは、否である。
――許せない。
命を懸けてでも、絶対に放っておきたくなかった。
一機たりとも、残しておいたりはしない。
ミルアは、憎む相手を見つけた。そして、復讐を決意した。
これが、ミルア十歳の時の話である。