譲れないもの
リドは食堂に来ていた。その食堂は機械抹消隊員全てをまかなうためにあるようなものなので、とにかく巨大だ。利用者数も目を見張るほど多い。厨房では人ではなく、機械が手際良く働いている。
その食堂は機械抹消で働いている人間のためのもので、無論リドも利用していい。
しかしながら、これまで一度もリドはここで食事をした事がなかった。
人が多く集まるからである。
機械抹消で畏怖の念を抱かれているリドが、そんな場所に行ったらどうなるだろう。というのが一点。そしてもう一点が、こんなに多くの人とコミュニケーションが果たしてとれるのであろうか。という無駄な心配事がリドの心の中にあったのである。
今のリドはもうそんな心配事もしなくなった。
なんかいろいろ負けたりしてムシャクシャしているリドである。
ここは一発ドカンと食いまくって、その敗北感を忘れたいというのが、今の心境であった。
リドは大盛りランチを五人前頼んで、席にどっかりと腰を下ろした。
――しばらくして料理ができた。
とてもおいしそうな見栄えのそのランチは、充分にリドの食欲を掻き立てた。
一口、口に入れる。
「――うまい」
思わずつぶやいたその一言。
「うまい。あいつの家のやつより数倍うまいぞ!」
チャットの家で食べた料理は、チャットの手料理のはずである。リドはとにかく食べたい盛りだったので、味のことなど気にしていなかったが、こちらのランチの味が舌に広がると、チャットの家での料理がなんだったのだ! という思いに駆られるのである。
そういえば、あの朝食の席でも元帥の箸はあまり進んでいなかったように思える。
――専門外のことを専門外の人がやると、大変なことになる。結局、チャットの料理が下手なだけだった。
くそう、俺にマズイ飯を食わせやがって、と悔しがっているリドを不思議そうにまわりが見ていた。
と、唐突に電灯の光を遮って、影が射した。
「君、リドリック・ノルボイ君じゃないか。そうだろう。ノルボイ君?」
顔を上げたリドの前には、聡明そうな青年が、自分の料理のトレイを持って立っていた。
「ハルパンク・ガジュラ・オキランタン……」
青年の登場に驚きつつも、リドはその名を口にする。
「ええ、そうですよ。僕はハルパンクです。嬉しいなあ。覚えてくれてるなんて」
覚えるも何も、毎朝朝礼で会っている。そんな人間を忘れる方がおかしい。
「あんた、なんでここにいるんだ?」
「いけませんか。僕がここにいるのが」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
どうにも、リドはこの男が苦手だ。口論ではうまくやり込められるし、業績もいい。聞けば性格も上出来ときている。
だから、ハルパンクが第一位隊長をやっているといってもいい。親のコネだけでは、機械抹消ではやっていけない。ハルパンクは優秀なのだ。
「ノルボイ君こそ、珍しいね。ここは、もしかしたら初めてじゃない?」
「まあな」
「知らなかったな」
「何が?」
「ノルボイ君って、良く食べるんだね」
微笑む彼にリドは顔を赤くする。
(こいつ、なんてこと言うんだ。俺が気にしてる事を人前でズケズケと……)
リドは組織でもっとも恐ろしいと言われている眼光を相手に送り付けた。
当のハルパンクはそれに気付いているのかいないのか、また微笑む。
「いっぱい食べなよ。遠慮する事ないって」
それから、ハルパンクに促され、リドはランチをすべて平らげた。
その日リドは、リハビリのため、機械抹消全ての廊下を歩きまわることにした。
機械抹消はけっこう広く、それなりにルートも確立しているので、長い散歩には事欠くこともない。
これも一つの運動ということで、松葉杖も手すりも無しで、チャレンジあるのみである。
しばらく廊下を歩く。廊下だけでは、のどかな風景である。こんなのどかな場所を通る人たち。こんなに闘いとは縁のない場所を歩く人々も、ひとたび命令が下れば、すぐさま戦士となり、戦場を駆けるのだ。そう、機械という敵に向かって。
(大変だな。頑張れ)
いきなり、そう言いたくなった。自分はまだほとんど歩けない。人にはそう言うしかないのだ。
廊下を歩く人々に、そう言ってまわった。変な目で見られても、あまり気にしなかった。おせっかいという言葉が、妙にしっくりくる。しかもかなり気持ち悪いはずだ。頭がどうにかしたのではないかと、思われているかもしれない。
リドは、そんな自分を嘲笑うでもなく、ただやりたい事をした。そんなものに、使命感も糞もあったものではないが、なぜか達成感があった。
と、ある廊下の角に差し掛かった。
向こう側をチラッと見てみる。
黒く長い髪の少女が、視線の端をかすめた。
あの後ろ姿は、忘れるはずがない。言うまでもなくミルアだ。
彼女は誰かと並んで歩いている。
リドは目を凝らし、人物の特定にいそしむ。
ミルアと仲良く歩いているのは、第一位隊長、ハルパンク・ガジュラ・オキランタンだ。ミルアは第一位チーム頂点に所属しているのだから、一緒に歩くのは当たり前なのかもしれない。
しかし、リドの中には、これまでに抱いたことのない感情が渦巻き始めていた。急がないと、ミルアが盗られてしまう。自分のものにもなっていないのに、盗られてしまうと。焦り過ぎていろいろな段階を踏み飛ばしてリドの頭は錯乱していた。
リドはとっさに彼女の名を呼ぶ。
「お、おい! ミルア!」
叫んだが、届かない。
そのはずだ。リドの声はしゃがれていて、かつてミルアと会った時と比べても、それはまったく別人のもの。しかも張り上げようにも喉が痛くてできない。
走って追いかけようと思った。だが、それもできない。足は骨折していて、まだ完治していないじゃないか。
オロオロしているうちに、ミルアとハルパンクの後ろ姿は、角を曲がって隠れてしまった。
リドはまた喪失感に襲われて、逆の方に歩き出す。
風にあたって頭を冷やす。リドは少し落ち着きを取り戻し、頭のスイッチを切り替えた。
もっと他のことを考えようと思った。そう、さっき後ろ姿を見ることができたのだから、また廊下をすべて散歩すれば、正面からの姿を拝めるかもしれない。
つまり、また会えるかもしれないということだ。
リドの姿は、包帯ぐるぐるなので、ミルアが気付いてくれるとは限らない。しかし、望みを捨てることはない。と前向きな気持ちにもなれる。
これもミルアと会ってからだろうか。
ところで、どうしてミルアは、機械抹消には入れたのだろう。
貴族のよしみか?
あの人柄か?
いやいや、やはり試験を受けたのだろうか?
それでも、とリドは思う。全ての可能性でありえる事だ。
たとえ、あいつが貴族だ、というだけで入ってもおかしくないし、あの人柄を買われたのかもしれない。ましてや、試験に受かるなんてのは、あの滑らかな動きを見れば楽勝だろう。
もしかしたら、その全てを総合させたのかもしれない。
(完璧じゃねえか)
いや、もしかしたらの問題ではない。きっと元帥はすべてを見せてもらったのだろう。そして、完璧な人材だと判断した上で、機械抹消にいれたのだ。
(期待の新米スターか)
大変だな。と思う。無駄な期待を背負わされると、それは重荷になる。まあ、ミルアの性格ならそれを背負い込んでも、歩いていける丈夫さがあるだろうが。
(助けてやりてぇなあ)
ミルアが辛くなった場合、手を差し伸べるのは自分であってほしいと、自分がやらなきゃ変わらない事を、内心何度も神頼みした。
しばらく、ぼーっとその事を考えながら歩いて、すっと止まる。リドは首を激しく横に振った。
「俺は馬鹿か!」
声に出して自分を否定する。
あのミルアが、期待されている訳がないし、周りの圧力で潰されそうになる事など、さらにある訳ないだろうに。
――それでも、と、もう一度同じことを考えて、思考回路はループを続ける。
ミルアが機械抹消に入ってから、数週間。彼女の仕事は順調らしい。
しかし、リドの成績は随分と下がった。これではいささか、隊長の地位も危ないものがある。
どうすりゃいいんだ。と頭を抱えたって、それは解決にならない。
どうにかしなきゃいけない問題だ。
問題の元凶はミルアだ。一言で言えばそれにつきる。リドがそればかりを思い悩むからこそ仕事の能率は悪くなる。
かろうじてチームの成績が悪くならないのが、せめてもの救いだろう。チャットに話したとおり、無情には必死で働くしかない連中ばかりが勤務している。隊長の怠惰を補って余りある能力のある集団。それがチーム無情だ。
しかしながらこのままではいけないことは、現にチームの古株であるリリシィから告げられている。かつてリドが身体でかばって命を助けたこの男は、それからも一層の働きをしてくれていた。チームの副隊長にも準ずる――無情では副隊長という身分は起用していないが――働きを目立たぬようにではあるが、受け持ってくれているような気さえする。
そのリリシィが言ったのだった。このままではチームバランスが瓦解する、と。
チーム無情ではそれぞれ各々の働きを数値化して貼りだす。普通の会社とは違い、自分の成績が金額で現れないので、仕方がなく減点方式で採点される。一つ事務の数字を間違えば一点減点。一つ機械を仕留め損ねれば一点減点。その方式こそ無情が慎重なチームと言われる所以でもある。
そしてもちろん数値化されるのは、隊員だけではない。隊長すらも例外なく、採点化され貼り出される。無論、ここで成績の悪かったものはしばらく様子を見られ、それでも悪ければクビとなる。
リリシィはそのことを言っていた。今まで、どの隊員にも劣らなかったチーム隊長の成績は、ここ最近目に余るものがあった。
すでにこれは様子見の域に入ると、リリシィは言いたいようだった。改善しないまま隊長を続けることがあれば、それはチームのルールを捻じ曲げた最低の行為であると。
リドはまだやめるわけにはいかない。チャットと約束した。自分がチームをやめたときにチームの順位が下がっていれば、リドはバノの街に入れない。――実際は暖かく出迎えてくれるだろうが、顔向けができない。
しかしだからといって、いい加減ケジメをつけなければ、次は他の隊員に顔向けができない。この方式でクビを切られていった者たちにも合わす顔がない。
という訳で、リドは悩んだ。
その悩みは子供のこだわりのようなものだ。それ故に深い。
焼け焦げるような焦燥。この炎の原因はなんだろうか。自分でも子供じみていると分かる。自分はただ駄々をこねている。
ミルアに会いたい。いや、それだけでは足りない。ミルアを自分のチームに入れたかった。略奪まがいのことでもかまわなかった。
もちろんそんな方法が組織という形態の中、通ずるはずがなかった。本人を説得し、そしてそれを監督するものを説得し、そしてさらにはそれを監督するものを説得しなければいけなかった。しかしそれには苦労がいる。そのうち、自分では手に余る問題になる。他のことにも飛び火して、自らが隊長を追われるはめになる。そうなるくらいなら、略奪すら考える。卑劣極まりないが、その手管だって考えていないわけではない。考えるたびにやはりそれは非道なのだと思う。
しかしそうでもしないと、二度とミルアを手中にする機会など巡っては来ない。リドは気付いていた。
自分はミルアを手に入れたいのだ。
しかも放っておけばミルアはハルパンクにとられてしまうに違いない。
リドには分かった。ハルパンクの目が本気であることに。かつて廊下で見かけたとき、完全にハルパンクはミルアに心情を傾けていた。おそらく、自分と同じ目でミルアを見ていた。
それは普段――食堂などで会ったとき――とは絶対的に違う熱がその目にこめられていたからだ。
正直、リドにはハルパンクに敵う何物も持ってはいなかった。地位も、技量も、性格も。何においてすら勝るものがない。
ただ。たった一つだけ。――想いだけは負けない。負けたくはなかった。
そしていつか耐え切れなくなるものである。
はちきれんばかりの想いを胸に、リドは元帥室の戸を叩く。
中から元帥の優しそうな返事が返ってくる。
リドは力強くそのドアを開けた。
「言いたいことがあるんだ」
開口一番そう言った。
元帥は驚いた様子で立ち上がる。
リドは元帥に向かって、土下座した。
顔を上げて、真摯な瞳で見つめた。
元帥は驚き過ぎて、硬直してしまった。
そうして、リドは思いっきり強く顔を下げた。
「お願いだ! ミルアをうちのチームに入れてくれ。――お願いします。この通りだから」
頭を地面にがんがん擦り付けながら、リドは一心不乱に言う。
あまりにも叩きつけすぎて、リドの頭からは血が滲み出していた。
元帥は、慌ててリドの腕を取り、起き上がらせた。
「お願いだから、ミルアを……」
はあはあ喘ぎながら、さらにつのる。
もうこれは、元帥も折れるしかないだろう。
しかし、本当に。どうしたことだろうか。
この、機械抹消の中で、嫌いな人間ナンバーワンとまで呼ばれるほど、性格がネジくれているこの男が。一人の少女をチームに入れてほしい。という理由だけで、人に土下座したのである。
元帥は驚愕するやら、感動するやら、いろいろな場面で、得をした気分になった。
チャットに言われた事もあるし、できるだけリドの力になりたい。
――しかし――
彼女はどうだろうか。
リドリック・ノルボイという男は、ハッキリ嫌な性格だ。バノの街で少し性格が改善されたからといっても、一緒にいると、とても嫌な気分になるだろう。
そんな男のチームに、貴族の嬢を入れてしまってもいいのか。
彼女はそんなところに入って、どう思うだろうか。
元帥はミルアの意見も尊重したかった。そしてそのチーム隊長の意見も。
「分かった。本人に聞いてみよう。彼女がいいと言えば、無情に移動させよう」
「本当にか?」
「元帥たるものに二言はない」
そういうと、リドはほっとした様子で、近くの椅子に座った。すると即座に元帥を見上げる。
「それから――」
「なんじゃ?」
「ミルア・ピン・バレクションには、俺が元帥に頼み込んだという話は絶対言わないでほしい。ふつう、そのチームの隊長に移ってくれって、土下座して頼まれたら、引くから、絶対」
深刻そうな顔で、視線をおろした。
そんなリドを見つめながら、元帥はゆっくりとした口調で問いかける。
「――もう一度聞くが、ノルボイ。お前、本当にミルアとは知り合いじゃないのかね?」
リドが首をぶるんぶるんと振った。その拍子に、頭から滲んだ血が飛び散った。