リドの変化
リドが帰還してからしばらくは、事務仕事が続いた。
体を激しく動かす事がないので、体の回復は順調だった。
たまに廊下を歩く時など人とすれ違う時、ぶつかってしまう事があったが、そこらへんは適当にスマンとかなんとかいってやり過ごしていた。向こうは性質の悪いことで有名な無情隊長が謝る事に驚いていたのだが、リドはそれに気付く前にとっとと行ってしまうのである。それほど自然に人に謝る事をリドは覚えていた。
その日、リドは元帥に呼び出された。どうやら、他の隊長も呼び出されたようだが、情報網の少ないリドは、誰これかまわず聞くわけにもいかず、前よりも孤立していた。
仕方ないので、状況の把握もそこそこに、リドは元帥の部屋へと足を運ぶ。松葉杖ではあるが、すでに普通に歩くよりも速いスピードで歩けるようになっていた。
元帥の部屋に入ると、まだ元帥しかおらず、どうやら一番乗りのようだった。
「やあノルボイ」
元帥が入ってきたリドに気付き、声をかけた。
しかしリドはプイとそっぽを向いて、元帥と一番遠い席に座った。その様子に、元帥は少し腹が立ち、顔には出さないものの。
(やはりノルボイはノルボイのままか)
と思った。
実際リドは言葉を発そうと思った。しかし、自分のしゃがれた声を思い出し、どうもと言う寸前にやめた。
この声で喋れば、大抵の人は心配するか引くかだ。
元帥はきっと心配するはず。ならば、怒らせた方がいい。心配は老体にひびく。
(それに照れくさいし)
むすっとしたリドの顔は、まるで少年のむくれた顔そのものであった。つい先日、精神の発達が始まったばかりといってもいい。だから、人との交流に関してまだ消極的なのも、仕方がないといえば仕方がない話かもしれない。
やがて、ぽつりぽつりと隊長が集まり始め、十位までのチーム隊長全員が集合した。
内容は新入りが来るということだった。
普通はそんなことくらいで、招集をかけたりしないはずだが。
ならいつもと違うことなのだろうか。
元帥は改めたように全員を見回して、議題を語り始めた。
「今回、皆に集まってもらったのは他でもない。新しく入ってくる隊員を紹介したいのじゃ」
隊長たちはざわめきながら辺りを見回すが、そのような人物はいない。
「そう焦るな。実はその隊員というのは、貴族の出身なのじゃ。万が一、間違いがあってはいけないので、今はここには呼んでおらん」
そして元帥は隊員についての資料を配った。
その資料を読み進めていくリドの手が震え始める。もしかしたら、もしかしたら……
そんな予感を秘めながら、元帥がその隊員の名前を言おうとする。
「お嬢様が来る。大貴族だ。バレクション家といえば皆知っておろう」
リドの鼓動が高鳴った。
――バレクション……
「名はミルア・ピン・バレクション」
ダンッ!
激しい音がした。
誰かが勢いよく立ち上がり、イスが倒れた音だった。
皆、一斉にその方向を見た。
そして、皆、驚愕した。
リドがいつもの、冷徹な表情を消し、目茶苦茶な顔で、元帥を睨みつけていた。
「そいつ、俺のチームに入れてくれないか?」
事故直後なので、声もしゃがれて、かなり怖い。
「ほう。無情に? か」
それに対し、元帥は冷静なものだった。
リドは何も言わず、少し頷いた。
元帥は自分の顎に手を当て、眉を上下に動かした。
「お知り合いかな?」
「いや」
リドは嘘をついた。
知り合いだといったら、当然、いつどこであったか、そのもろもろのことを話さなければならないだろう。
もしこれで、リドがミルアをバノの荒れ野で助けたことを言えば、多分ミルアは機械抹消に入れないはずだ。チームワークを乱す、とか。そういう理由で。
自分のことを棚に上げておいて、リドは勝手な想像を巡らせた。
「でも、入れ……ゲホッ、ゴホッ!」
リドが咳をする。最近リドは喉の調子が悪いらしい。いがらっぽいとかなんとか。
「ん、んん。」
喉の調子を整えて。
「どうぞ、続けて」
元帥が促した。
「ミルア・ピン・バレクションを、入れてほしいから」
咳をした後のかすれた声で、しかもいまにも消え入りそうなか細い声だった。
これがリドの精一杯の言葉だった。これ以上言うと、溶けてなくなってしまいそうだった。よく分からないけど、自分はありえない事をしていて、ここにいてはいけないような気がした。
「――そりゃ、またどうして」
元帥は優しく驚いた感じで、言葉を返した。
リドは、黙って元帥を見つめた。なんと言ったらいいか、分からなかった。
まさか、ミルアの顔をもう一度見たいから入れてくれ、など矛盾したことを言えるはずがない。
リドが返答に困っていると、他の隊長が、口々にリドを批判し始める。
「元帥。無情では、彼女は大変ではないですか?」
「ノルボイが隊長では、さすがに……」
両者とも、皮肉たっぷりな声で……
リドは目を伏せた。
(クソッ。こんな時に、俺の性格が裏目に出るとは……)
そんなリドを一瞥し、元帥は。
「うむ。ノルボイは確かに優秀な隊長ではあるが、相手は貴族の女性なのじゃ。悪いが、ノルボイは日頃の態度があまりいいと言えない」
そう言った。
打ちのめされた。
リドは、元帥の言い分に、言い返すこともできない。
冷徹なリドが考えれば、ミルアを無情に入れることができる口実など、いくらでも思いつくだろう。
だけど、今のリドは、少し熱くなっていた。
頭が真っ白なのだ。
ただ、絶対にミルアが、無情に入ることはないと分かった。
つまり、敗北したわけだ。
リドはふと、悲しくなった。
せっかく、またミルアと顔を合わすことができると思っていたのに、彼女が他のチームに入ってしまえば、たぶん二度と会えない。
リドはいきなり、自分の胸ぐらをわしっと掴んだかと思うと、そのまま目を伏せて、松葉杖を取って、部屋を駆けて出ていってしまった。
「一体、なんなんだ。あいつ」
「おかしいよな……」
「ノルボイじゃない」
隊長達が意見を交換し合っている中、元帥だけが目を細めて、リドが出ていった方を見つめていた。