バレクション氏の妥協
バレクション氏は親友との唯一の連絡手段である電光掲示板を見る。
約束の時間まで、暇もそこそこ余っているので、今まで受信したメールを読み返した。
彼とは、なるほど長年の付き合いだ。なにしろ貴族の時、ライバルとして争っていたのだから。
初めのメールは口汚くこちらを罵るものばかり。そういえば送信メールも罵詈雑言だらけで、会社同士提携しながらも、皮肉メールの数々で社員を怒らせたこともあった。それはどうやら、あちらも同じだったようで、そのせいで社員ともつれ合いの喧嘩となったことまであった。
やがて、社長としての貫禄がついてきたのか、落ち着いた雰囲気の業務メールを冷静に送れるようになっていた。そうなったら、関係はメールだけに留まらず、たまに会ったりしては、会社について論じたこともあった。一度そいつに口を開かせると、なかなか止まらないのだが、それもあいつの性質だから、と許容できるほどの付き合いになっていた。
いいライバルは、いつか親友と呼べる位置にいた。価値観の相違はほとんどなかった。若いころは、自分と同じ考えを持つ者がいることが許せなかったのだ。
今では、その価値観の合致が良好な関係を、彼と自分との間に繋いでいた。
いつかゴス社が陥落したとき。バレクション氏は彼を慰め、違う道を歩むことを薦めた。
それが田舎町での開業医だ。
そんな懐かしいことを思い出していたら、ピコピコと画面の端っこが光った。さっそく、親友からメールが届いたようだ。
『拝啓 バレクション氏へ
こんにちは。お元気ですか? 俺は相変わらずです。……ですます口調は慣れないなあ。いつものように戻すぞ』
メールはしばらく昔話が続いた。そして、突然本題に入る。
『ミルアちゃんを機械抹消に入れてやったらどうだ?』
バレクション氏はその文面を三回読み直した。どうやら見間違いではないらしい。
バレクション氏――ミルアの父である彼は、何を言っているんだこいつは。
ぶっ壊れたのか?
と、懐疑的目をチャットに向けた。
チャットを製造したのは、バレクション氏だからだ。
しかし、チャットの文章を読み進めていくうちに、その真相が分かる。
ミルアの怪我の理由。大体のあらましが。
一人で突っ走るような危うさが、自分の娘にあることを、バレクション氏は重々承知していた。
そして自分では。――多忙を極める社長という身分では。
自分の娘を完全に、完璧に管理することなど不可能なのだということも、今回の一件で理解した。
ならばいっそのこと人間を完璧に管理してしまう、組織という形態に組み込んでしまえば、なんの心配もいらないということではないか。
チャットもそれを促している。
――なるほどな。
ただし機械抹消で仕事をさせる不安はある。自分にとってはまだまだ可愛い娘である。成年してもいない。――社会人として、彼女が恥をかかないかどうか。
そういう不安。
だから、まだ学ばせるものも学ばせず、社会の、しかも組織の歯車などに、娘をさせるなんてことはしたくなかった。
しかし――命には代えられない。
もしもこのまま彼女を放っておいて好きなようにさせていたら、またこの惨事を引き起こしてくれるだろう。
ミルアの欲はただ生活しているだけでは薄れてくれない。復讐欲なんてものは、その目的に向けて努力し、活動しなければ満たされるものではない。
機械抹消に務めさせることで、その欲を適度に満たし、もう二度と一人で無茶をさせないようにするほうが、寛容というものだ。本当は嫌だが。
本人がどうしてもというならば認めよう。そう決めた。ミルアが少しでも迷えば、やめようと。
バレクション氏の決意は早かった。というのも彼には様々なコネクションがあり、機械抹消に身内を入れるくらいなんの造作もないことであるということも関係していた。
バレクション氏は早速、ミルアのいる病院にむかった。
「ミルア。機械抹消に入りたいか?」
「入りたい」
バレクション氏の言葉に、ミルアは真摯に答えた。即答だった。実直すぎるのが彼女の傷ではあるのだが、今回はそれがうまく作用したといってもいい。
バレクション氏は脱力したように肩を落とした。鈍いミルアもさすがにそれには気付いたが、決心は鈍らなかった。
「認めよう」
やがてぽつりとバレクション氏は呟いた。
「え、じゃあっ」
ぱっとミルアは顔を輝かせるが、バレクション氏は首を横に振る。
ミルアがいぶかしむと、
「お前は一人の力で正式に入ろうと思っているかもしれないが、今回は私が就職の手配をする」
「え、それって」
「いい。心配するな。お前はまだ試験を受けられるようなコンディションじゃないだろう」
ミルアはその言葉に不服そうにむくれたが、父の言葉には頑固な厳しさがあった。逆らうなと言外に告げられているようで、今までそんなことはなかったので、ミルアは二の句を告げなかった。
バレクション氏はしばらく黙っていたが、やがて息を吐いて言葉をつむいだ。
「ミルア。いいか。もう二度と無茶はしないでくれ」
その迫力に押されて、ミルアは頷いた。頷くしかなかった。