帰還
バノでの生活は数週間、延長になった。
リドの怪我が完治しない限りは、一歩も歩くことは許されない。先の二の舞になったら、意味がないからである。
元帥はその間、機械抹消に帰ることとなった。
「またすぐ迎えに来るからな」
「すぐなんて無理ですよ。三ヶ所折れたんですから」
そういう掛け合いをして元帥と別れたが……
まさかその三日後にまた会うことになるとは。
リドの怪我が完治したという知らせを聞いた元帥は、急いでバノに駆けつけた。
ベッドの上に座って外の景色を眺めていたリドは、元帥が部屋に入ってきたことに気付き、軽く会釈をした。
「治ったのか?」
「ああ」
「……呆れた」
その治癒力。
異常ともいえる速さの完治。
元帥の肌に鳥肌が立つ。
恐れというものを久しく感じなかったが、今はこうも戦慄している。
しかしそんな様子をおくびにも見せずに、元帥は笑って見せた。
「まあ。怪我が治るのには、早いに越したことはないからの」
部屋を出て元帥は茫然として、待合室のイスに腰掛けた。
――もしかしたら……
考えたくはない可能性が、元帥の頭の中を駆け巡る。
「元帥さん。もうアイツとの話は済みましたか?」
そこへチャットがやってきた。
元帥は目を見開き、チャットにすがりつくようにして言葉をまくしたてた。
「ノルボイの治癒力の速さは異常じゃ。おぬし、何ぞ小細工をしおったか?」
「いいえ、まさか。そんなことをするはずがありません。俺は生身の人間にするような一般的な処置と、一般的な食事療法しかとっていない」
「ならばもしやあいつ……」
元帥の胸に、黒々とした忌まわしい気持ちが湧いた。リドに向けてへの嫌悪ではなく、リドにそれを施した、何者かに対するものだった。
「間違いないでしょう。リドリックは身体になんらかの改造手術を施されているか、もしくは遺伝子レベルで身体の情報が書き換えられています」
禁忌の法。戦時中の人類が犯した、大いなる罪のうちの一つ。人体構造の変形。
通称「悪魔の子」の精製。
元々は人間を生物兵器にするための実験だった。だからこそこの禍々しい名で綴られる。
それは大きな身体的利点を得る代わりに、何らかのハンデを負うこととなるというものだった。
リドの場合、利点とはまず第一に治癒力と見ていいだろう。そして銃の上手さに見られるあの身体能力だろう。
ハンデは未だ現れてはいないが、「悪魔の子」らは、人間が負うには重過ぎるものを背負わなければならないらしい。
「許せんの」
「ええ。しかしアイツが望んでそれを得た可能性も、万一にありうる。メスをいれられた形跡はありませんでしたが、薬物投与による肉体の変化は何歳になってからもできますから」
「その、途中からの肉体改造で、あれほどまでに効果的な効用を期待できるのか?」
「……俺は専門じゃないから、詳しくは知りません。知りませんが……おそらく無理でしょう。アイツは誰かに〝生み出された〟可能性が高い」
生物兵器として。もしくはそれに準ずる働きをさせるために。
愛など無い。
ただの生産。
リドリック・ノルボイはそうやって、生まれさせられてきた。
元帥はそして、妙にしっくりくる感覚を覚えた。
なるほど、と思った。
それならリドがああまで荒んでしまった理由が分かる。
「ノルボイは今まで人として認められてこなかった。ということじゃないか」
元帥が呟くと、チャットは無言で肯定した。
「あやつに話すべきか……」
「いいえ。やめておいたほうがいいでしょう。あいつは今、人間としての一歩を踏み出し始めている。なら、それを阻害してやることもないですよ」
「それもそうじゃな……」
眉をひそめるしかない。やはりこれは第三者がどうにかするという問題ではない。
リドがどうするかという問題になる。
しかしリドが悪魔の子であるという確証は現時点ではないわけである。だからと言ってはなんだが〝今〟話すべきことでもない。それは彼の精神を慮ってのことでもある。
今そのことをいたずらに知らせれば、リドの傷をさらに深くえぐるだけだ。
――せっかく癒えてきた傷口を、また切り開くこともあるまい。
一応ではあるが、二人の答えはそこに集結した。このまま一生告げずにいることはできないにしろ、今は胸の中にしまっておくのが、最善の策であるようだった。
翌日、朝食の席でリドは三人前をぺろりとたいらげた。
元帥はその様子に目を白黒させていて、リドはそんな元帥を見て逆にくすりと笑った。
「俺、帰ろうかと思うんです。機械抹消」
やがてぽつりとリドはつぶやいた。
「本当か?」
チャットが驚いて聞く。
「ああ」
確かに力強い声で、リドは頷いた。
「俺が本当に必要とされている人間かどうか。確かめるためには、やっぱり早く帰った方がいい。この数日間、ずっと考えてたことだから」
「それがいい」
元帥も頷いた。
「善は急げというから、この決心が鈍らないうちに帰りたいと思うんです。用意はできてます。
今日、車を出してもらえますか?」
「今日?」
元帥もチャットも、顔を見合わせたが、リドの表情は至って真面目だった。
「そりゃあ、ずいぶん思い切ったなあ。お前にしちゃ珍しい。どういう風の吹き回しだ?」
「いけないのか?」
困ったような顔で、リドは問い返した。チャットは元帥と顔を見合わせて、またリドに顔を戻した。
「いけないもなにも、男らしくて、最高だ! 思い切りってのは時には必要だ。良し来た。勇気を奮ったその心意気、チャットさんも応援してやるよ。そら、頑張れ!」
そういって、快活に笑いながら、リドの背中をたたき出すものだから、リドはゴホゴホ咳き込んだ。
「叩くな、叩くなって」
そう言っても、チャットは笑いながら、リドに触れるのをやめなかった。その目元に寂しそうな色が浮かんでいるのを、リドは見逃さなかった。
チャットが自分を、少しは心のよりどころとしてくれていたのだと、嬉しく思う反面、リドはこれから自分がする、チャットへの酷い仕打ちを苦しく思った。
けれど、やめるわけにはいかないのだ。そうしないと、自分の心がおさまらなかった。知らない振りをして帰るほうこそ、チャットに申し訳ない気がした。
リドは手早く荷物を整えた。しばらくこの部屋に住んでいたが、改めて見返してみると感慨深い。
哀愁を覚えるには早すぎるけど。
それでも少しの感情は芽生えてもいいわけで……
リドは挨拶代わりに敬礼をした。
機械抹消でも久しくはしていなかったが、組織でもれっきとした挨拶である。
ふっ、と。リドは満足げに笑んで、部屋をあとにした。
玄関まで行くと、チャットと元帥が雑談をしていて、リドに気付くとこちらを向いた。
――いよいよだ。
リドは心を固めた。迷いは無かった。
「それじゃあ、わしは車の用意をしてくるから」
「わかった」
そして、元帥が去った直後、リドはキッとチャットを睨んだ。
「? おいおい、そんな恐い顔して、どうした……?」
「あんたに、話がある……!」
「は、話……?」
リドの急変振りに、すっかりたじろいだチャットは、不覚にも一歩後退してしまった。
するとリドは一歩前に。
チャットが後ろに。
リドが前に。
ガツン、と。やがてチャットの背中は堅い壁にぶつかる。
緊迫した空気を作り出した本人は、はたから見れば不良がおじさんに、いちゃもんをつけているようにしか見えない。
そして、ぐわっと胸倉を掴みながら、耳元で囁いた。
静寂に、その声はシンと染み渡った。
「チャット、あんた。機械だろ」
数秒間の間があって、その間チャットの瞳孔が開いて、けれど彼はまったく何事もなかったかのように、
「なんで、そう思う?」
しれっと聞いた。
リドは胸元を放し、チャットを開放して、人差し指を立てる。一つ。
「一つは、あんたの転職の話。医者というのは、本来人間の職業じゃない。一つの街に医療用の機械数台。これだけで事足りる時代に、わざわざ苦労して医者になろうなんてヤツはいない。しかも、転職だ。一般庶民が夢見るならまだしも、一度栄華を極めた社長さんがすることじゃない。あからさまにおかしい。けれど、その話もあんたが機械なら説明がつく」
「人間が医者になっちゃいかんという法はないぞ。運送会社をやっていても、その後に人を救う職業につきたいと、思うやつもいるかもしれないじゃないか」
「思うやつもいるかもしれない。でも、それなら、自分が医療機械を作ったほうが、断然救える人数は多くなる。進路が違う。人を救いたいと本当に思って転職するなら、街医者ではなく、エンジニアになって機械を作ることを選ぶ。それか、またもう一度社長を目指し、そういう医療機関に莫大な投資でもなんでもすればいい。まあ、後者は自己破産してたらちょっと厳しいが」
「というよりもまず、俺が機械なら社長なんて職業につけるのだろうか?」
「名前だけさ。部下も全部機械ならどうだ? その機械たちを統率するマザーブレインが社長というワケだ。もちろんどこか他の会社の子会社として。あんたのゴス社も差し詰めどこかと提携組んでただろう。そのどこぞ会社さんが、あんたを作った。そうして自社の利益をアップする作戦だ。機械が失敗することはほとんどないし、人件費がかからないからな」
「ううム」
チャットが言葉を繋げなくなったのを確認して、リドは次の話題に移った。二つ。
「次は名前のこと。俺は今まで生きてきて、ターなんて姓名聞いたことがない。それに可愛い我が子にわざわざ〝チャット〟なんてつける親はいない。あんたを造った製造者が、遊び心でつけた名前だろう」
「おいおい、ひどいなそれは。人権侵害だぜ。人の名前にとやかく言われたくはないね。お前だって、リドリック、なんてどこにもないような名前じゃねえか」
リドはそれに怒るように、眉をピクリと引きつらせ、その発言を無視した。三つ。
「そして妻を作らないこと。人間だったら、あんたには奥さんがいるはずだ。それだけの魅力があんたにはある。機械なら、人間の妻は作れない」
「そんなの女に聞いてくれよ。俺がもてない理由が俺が機械だからって? そんな馬鹿な話あるかよ。俺なら自分が機械だって分かってても、人間の女を口説けるぜ?」
「いいや、分かるんだ。あんた優しいから。機械に恋した女の人生なんて、そりゃもう悲恋と変わらない。子供はできぬ。自分は老いるのに夫はいつまでも変わらぬまま。いつかは崩壊する運命だ。なら初めからそんなものは無いほうがいい、ってな」
チャットは眉根を寄せた。リドの発言はチャットの心情と寸分違わない。四つ。
「極めつけは、指定されたルーチンしか働かないこと。あんたは、嘘をついたときに言葉が短くなるという癖がある。その上標準時には、ウザったいくらい長々と話す。結局これもあんたに組み込まれたプログラムだ。チャット・ターの名前に添うようにな」
「なんだと? 一度だけ、とても短い言葉で、お前のハートは腐っちゃいない。と言ったが、アレは本心だったぞ。信じてないのか?」
「ああ。信じていない。所詮あんたは機械だから。それに機械にはバグが生じる。想定外のことに、どう対処したらいいかわからなかったんだ」
そこでリドは言葉を区切った。
一間空けて、息を吸い込んで、
「だから……」
一切の感情も含まず、ただ淡々と、
「あんたは機械だ」
言い放った。
「本当は、俺がお前の手を握ったときに気付いたんだろ?」
首をかしげてチャットが問う。リドは複雑な顔をした。
チャットはおどけた表情で、リドを元気づけながら、無言で腕を差し出した。リドもそれに習って、無言で手を掴んだ。ひやっとした感触がした。そう、まるで機械みたいな……
チャットはにやりと笑って、
「俺は、機械じゃない」
――肯定した。
リドはさらに複雑な顔になって、泣きそうになった。
「チャット……俺そういうつもりじゃ。俺、あんたを暴こうとしたわけじゃないんだ。別にあんたが機械だろうが、そうじゃなかろうが、ここに帰ってきたい気持ちは変わらない」
「解ってら。そんな顔すんな。俺はいつだってお前を待ってる。俺は変わらず、この街の暖かさもいつまでも変わらないんだ。だから、お前は安心して生きろ」
「うん、うん」
思わず、リドはうつむいた。そのとき、暖かい涙が頬を伝った。
チャットは暖かい笑顔で笑った。
笑えない男と、泣けない男のただ暖かい、友情の交流がここにあった。
もちろん、元帥が帰ってくるまでには、リドも泣き止んでいたが、一層二人の表情は活き活きとして、磨きがかかっていたことは言うまでもない。
そしてリドは元帥の車に乗せられて、チャットと袂を分かった。
道中、灰色の空と茶色の大地に殺伐とした思いを抱いた。こんな感覚は初めてだった。心が豊かになった証拠だった。
車は走り続けた。
休憩もなく、断続もなく。雲の切れ間がない空を暗示させるかのごとく。
しばし、じっと外を見つめていたが、ふと視線をよぎるものがあった。
機械抹消、総本部であった。
リドは車から、松葉杖をついて降りる。
「送ってくれてありがとう」
「わしは車を止めに行くからの」
「迷惑かけた」
元帥は車を発射させた。
そこでリドは顔を上げる。
目の前には大きなドーム。機械抹消である。
帰ってきたというのに、あまりその実感が湧かない。あまりここを家のようだと思った事はなかった。
なにしろ、初めから敵を作り過ぎてしまった。これからは気持ちの糸をピンとはっておかないと、どこで切られるか分かったものではない。
リドは明らかに疲れた顔をした。
機械抹消など、ちっとも楽しくない事を、バノの街で知った。
続ける意味など、どこにあるのだろう。
それでもリドは歩き出す。松葉杖をつきながら。巨大なるドームへ。