機械抹消からの迎え
朝、チャットが起こしにきたが、布団に潜り込んで寝たふりをする。
一つは、電光板に気付かれないため。二つ目は、心配をかけたくないため。
今のリドは、心底から動転しきっていることを、リド自身よく理解していた。
今日でもってこの街を去る。
そんなの耐えられるはずがなかった。
(みんなにお別れの言葉?)
まさか。そんな時間ないし、勇気もない。
(せめて散歩?)
街のみんなに声をかけられた自分が、どんな答えを返すか恐い。
そんな理由で、いつまでもぐだぐだ悩んで、結局リドは眠れなかった。
精神が不安定であるし、どうしようもなく目のクマを隠せない。
自分がおかしい事に気付いたら、絶対チャットは困る。
――そうだ。いつもと同じように。
機械抹消に帰る事など、平気なように。そう取り繕えるまで、このベッドから起き上がりたくない。
(どうか、チャットが話し掛けてきませんように)
初めて切実に願った気がする。ちっぽけで、でも必死な願い。
どうか、この思いが天に届いて、チャットに届けばいい。
どうか――
チャットは、電気をつけて部屋を明るくした。いつものリドならそれで起きるが、今日は起き上がらない。
おかしく思ったチャットは、昨日と違う場所にある電子板に気付く。
おもむろに手に取り、しばらく読み、リドをちらりと見た。
そのまま何も言わずに、チャットは去っていった。
リドは空虚な心でチャットの優しさに感謝した。
仰向けで、白い天井を見上げながら悶々とした気分でいた。
なぜ病院の壁は白いのだろう? たくさんの予測はつけられるが、事実とは限らない。どうして体がだるいのだろう。そうか、怪我してるからだな、はいはい。
そうやって逃避行を探しては、また思い出して苦しくなる。自分が辛いんだという事を自覚すると、どうしようもなくなる。
考えたくないのに、考えてしまう。
所詮、人間は心と頭が直結しない生き物なのだなと実感する瞬間だ。
どっちが心で、どっちが頭か分からないけど。
そうやって、昼ごろまでどうでもいいことを思い描いて、機械抹消を忘れようとした。
けれど、そろそろ迎えに来る時間だ。
ふと耳を澄ますと車の音が聞こえる。今止まったな、人が車からおりたな。というのは分かる。
だけど、誰が来たかなどは分かるはずもない。
この街の中で車を持っている奴なんか、ほとんどいない。三丁目のマフォルか。五丁目のエレクか。
――現実逃避。
頭の片隅で、その言葉がよぎった。
目を細め、そしてギュッとつぶる。
涙の粒が、頬を伝った。
リドはそのことに驚愕し、慌ててぬぐった。
(嘘みたいだ)
嫌な事があったって我慢して、涙なんか女々しくてちっとも流さなかった。
それが、この位の事で……
(これじゃ、俺は駄々をこねてすねるガキみたいだ)
正直参ってしまう。
(機械抹消の役人方の前で、嫌だ嫌だと駄々をこねるのか)
そんなのリドのプライドは許さない。
もっと気丈に。誇りなんて要らないから。下卑ていていいから。
(見下してやるんだ。俺様は必要だから機械抹消に帰ってあげますって)
心が二度と揺らがないように。リドは深く決意した。
足音だ。人数は少ない……?
ドアが開いた。入ってきたのは、役人でもなんでもなく。
――機械抹消総指揮官元帥。その人だった。
チャットも後に続く。
「わざわざ元帥さんのお出迎えかよ」
その事実に驚愕しつつも、吐き捨てるように言って、リドはそっぽを向いた。
「おっと、わしじゃ役不足かな?」
役不足どころか、気合いを入れ過ぎだ。鶏を裂くのに牛刀は使わなくていい。
不服そうな顔のリドに、元帥は、
「まあ、そんな顔をするな。わしがせめてもの時間を割いてきたのだから」
そう言ってニコリと笑った。
「で、怪我はどの程度なんじゃ?」
「ああ、それは主治医である俺が答えよう。まず上から……」
「もう歩ける」
チャットの申し出をリドが遮った。
「いらない話をグダグダ続けなくていいから、さっさと帰ろう。機械抹消へ」
チャットに肩を貸してもらい、松葉杖片手に歩き出す。
(ああこれから帰るのか……)
いいようのない不安が、精神を苛む
不安だった。帰れば楽しい場所は永遠に失われてしまう。
けれど知っている。
なぜみんなが自分を優遇するかの理由を。ひどく張り詰めていても、自分は優遇されていたのだと、ベッドの中で考えていた。
幾度も、職を追われるはずの悪行をなしてきた。今無職になって路頭に迷っていてもおかしくないくらいだ。
自分には才能があることを今の今まで、ずっと考えてこなかった。
考えたら、自分の意味も少し変わった気がする。
性格面で、恐ろしいほど欠陥のあるリドも、このセンスがあったから隊長まで上り詰める事ができたのだし、その後無情の順位も上がらせる事ができたのだ。
だから、自分は不可欠な存在だという事を、分かってないやつに教えてやらなきゃいけない。
元帥はそれが分かっているのか?
今、朗らかに笑う元帥は、この世のドロドロした部分を微塵も見たことがない、とでも言いそうなほどほくほく顔だった。
心から、部下の無事を祝ってくれている顔だ。
こんな元帥を見たのは初めてだった。いつも、困らせてばかりいたから……
良心の呵責で、目を合わせられない。
「けっ、ほんと。なんであんたが迎えにくるかなあ」
ぼやいたリドを見たチャットが、不適ににっと笑う。
「ま、機械と戦ってる途中で、死神が迎えにこなかっただけ、マシってものじゃないか? 優しい元帥に支えられて、第七位隊長リドリック・ノルボイ。幸せであります!」
「なにやってんだよ。チャット! 敬礼なんかして、俺から手ぇ離すんじゃねぇよ! バ、バランスが。こける、こける!」
ズデン!
ものの見事にバランスを崩して、リドはこけた。
「いってーな!」
本当に痛そうに、リドは顔を歪める。
地べたに這いつくばりながら、二人の顔を見上げた。
そして、チャットが、あっちゃー。という顔をし、元帥がリドよりも痛そうな顔をしているのを見て、リドは苦笑した。
自分の体を眺めてみる。酷いことになっていた。
せっかくつながったばかりの骨が、若干形を変える程度曲がっていたのだ。左足に、右足首、右手から、胸の辺りもずきずきするので、たぶん肋骨も。
こんなに速い段階から、ギブスを取らなければよかったと、内心リドは舌打ちした。
激痛が体中を駆け巡り、思わず叫びそうになる。けど、元帥の目の前でだけは、恥をさらしたくなかった。
必死にこらえていたが、とうとう目の前が霞んできて、そのままふらーと意識が遠のいていき。後は何も分からなくなった。