燻る思い
ミルアは、リドが汽車を降りる時に放った言葉を反芻する。
――お前、機械抹消なのか?
(そっか、機械抹消かぁ)
なぜ今まで気付かなかったのだろう。ミルアはこのことに今気付いたという事を強く悔いた。
機械抹消に入ったら、それこそ山のように機械を倒せるだろうに。数人単位で動かせてもらえるだろうから、戦いの効率も上がるだろう。
一人でいるメリットは、機械と戦う場合何もないのだ。バノでの戦いでそれはよく身にしみている。
入りたい。
しかしそれは難しい。父の目の黒いうちは、許してくれないだろう。
また、秘密で入ることも不可能だろう。父と機械抹消の元帥は、友人どうしなのだ。そんな所に入ったら、一発でばれてしまう。
「どうしよっかなぁ」
つぶやいたミルアの声は、真っ白な天井に吸いこまれていった。
周りは白で、この建物も白で。ミルアの頭も今は真っ白。ここは病院。ミルアは入院中。
どうも、足の調子が悪く、医者にも難しい顔をされた。どうやら、複雑骨折らしい。病院に着いた時、一応手術されたそうだが、完璧ではなかったらしい。
今ミルアの足には、ごっついギブスが巻きつけられているが、近日にもこれを切り開いて再手術ということだ。
それが終わらなければ、歩くことはおろか、立ち上がることすらできない。
何もすることがないので、機械抹消への入り方を考えているのである。
真っ白な病院。真っ白なベッド。ミルアは個室に入らされた。
ミルアが怪我をしたということは、その当日に父へと伝えられた。父はそれを聞いた途端、出張を控えていたものの、それこそとんぼ返りで病院に飛んできて、ミルアの手術中に入院手続きを済ませてしまったのである。
ミルアはできれば相部屋がよかった。独りだと、退屈になることは分かりきっていたから。
個室の中で父と対面した時、父はどうしてこんなことになったのかを訊ねた。
二人っきりだったから、圧迫感があったのかもしれない。
そんな雰囲気も手伝って、ミルアは生来正直すぎて、だから嘘をつかずにバノの街のことを喋った。機械を倒しにいったことを。それによって大怪我をしたことも包み隠さずみんな喋った。そして、リドに助けられたことも話した。
父は頷きながら、しかし無表情でミルアの話を聞いていた。
「お父さん。あたし、やっぱり機械が憎かったの。お母さん殺されて、悔しかったの!」
話の終わりにミルアは叫んだ。言い訳として、そして本気の叫びとして。しかし父は、そんなことより、と首を振る。
「その人を死なせてしまうところだったね」
静かな声と共に告げた言葉は、沈黙の合図でもあるかのように、部屋は静寂という言葉でいっぱいになった。
ミルアは、言い返せない。
それは本当の事だから。一番ミルアの胸に突き刺さる事だったから。
「リドリックさんには、謝礼を」
そう言って、父は出ていった。
――謝礼……ねぇ。
ミルアだって、リドに謝礼したい気持ちは山々なのだ。しかし、重大な事が分かっていない。
リドについて知っている事は、リドリック・ノルボイという名前のみ。その他は、職業も年齢も出身地も分からないという、分からないずくめなのだ。
それなのに、どうやって謝礼などすればいいのか。
まあ、役所などに申請すれば、本人の特定など簡単にやってもらえるのだろう。ミルアだって貴族なのだし、怪しまれる事もない。
しかしミルアは、役所に行くのがわずらわしい。
それに今は歩けないし。
(またどっか、街角とかで会えないかなぁ)
そんな気楽な考えをしながら、もう一度。機械抹消に入る案を模索する。
……やっぱり、どう入れば良いのか、分からなかったのだが。
ところでリドの方はというと。この日も寝ながら、チャットと喋っていただけだった。喋りながら最近リドは、自分の声が事故直前よりもしゃがれていることを自覚していた。たまに喉も痛くなったりする。機械が爆発するとき、へんな煙でも吸い込んだのか。それとも砂を吸い過ぎたのか。
でも喋っているのが楽しいので、それを続けている。という具合だ。
しかし何度も言うが、リドは人に無理してあわせるくらいなら放っておいてくれた方がいい。という心意気なやつだった。
こうも長く話していられるのは、チャットが面白いからだろうか。話題がつきないからだろうか。それとも本人どうし暇だからだろうか。
いろいろ当てはまるが、一番その影響を及ぼしているのが、三つ目のやつである。そう、二人とも退屈で退屈でたまらないのだ。
どうして暇かというと、この病院は一個丸ごとチャットの家で、風呂やらトイレやら台所やら完備していて、果てはリビングや客間などもあるらしい。病室は個室が一個と相部屋が二個。リドが泊まっているのは個室で、相部屋の方には人っ子一人いないらしい。
つまり、この時点でチャットは病人が一人しかいないから、面倒はリドの分だけ見ればいいし、リドはいたるところギブスだらけなので動けない。リハビリに専念してもいいのだが、いかんせん体力を使う。
けれどリドの怪我は、順調に回復に向かっていて、もうすでに、一人で起き上がれるようになっていた。チャット曰く、明日にはもう歩けるんじゃないか。と冗談めかしにリドに話しかけていたりした。
リドはというと、本人は気付いていないが、眉間のしわがほぼ消えていた。関係のない話に思えるかもしれないが、そんなことはない。しわが消えたということは、ストレスも消えたということだ。リラックスした状態だと、人間奇跡を起こすもんである。
次の日、リドは本当に歩いていた。体にギブスをつけたままで、手すりにつかまりながらゆっくりとではあるが、松葉杖さえ使っていないのだ。
「お前……野生児か?」
チャットでさえも呆れ果てて、ため息をつく始末である。
「知るかよ。体が勝手に治っちまうんだから、仕方ねえだろンなもん」
リドは自分の体の治癒能力が、あまりにも桁外れなので、自分はもしかしてエイリアンなのではないか? というリドらしくもない疑問さえ持つようになった。
最近リドは昔のリドらしくないのである。バノの街での邂逅は、リドの心に多くの変化をもたらしたようだ。
夕餉、リドは固形食料とスープをチャットの五倍は食べた。
「もう、お前食い過ぎ。速すぎ。大食い選手権してるわけじゃないんだから。たしかに、飯は機械がいくらでも作ってくれるけどよ……」
と、チャットがツッコミにまわるほど食った。
「いつもはこんなに食えねえよ。でもなんか今は腹減るんだよ。食っても食っても足りねえ」
そう言って、リドは料理にがっつく。
「ま、それはお前が怪我にむけての体力作りをしてるわけになるんだろうな。生き物の体は不思議なもんでよ。必要な時には普段なら成し得ないことも、成せるようになるんだ。しっかし、そんなに食うと、体力どころの問題じゃねーだろ」
「ふむ、確かに。俺の体重は日々増え続けているような気がする」
入院中、患者の体重はどれだけ減るかについて興味を持ち始め、さっきためしに体重計に乗ったみた。すると、リドの体重はかなり増えていた。これはつまり、入院している患者はよく太るんじゃねぇか? という結論に至り、それじゃあ肥満も危うくないかと、内心恐怖さえ抱いている。
「でも、それは体がいろいろほしがってるから、仕方ないんじゃねぇのか」
自問自答し、納得。チャットの方を見る。
「ヤン! 体がいろいろほしがってる、なんて。あたしまで食っちゃいやよん」
「……………」
何の前触れもなく、いきなりだった。
中年のおっさんが身をくねらすので、リドは、今食ったものをもどそうかとさえ思った。
「チャット。あんたってな。なんでたまにオネエ言葉になるんだ? しかもすっごい下ネタなところで……」
「だから嫁がこらんのだ。俺は今まで独身だぞ。一回も嫁さんがきたことないぞ。俺は生涯一人だと思う。この年になるとなもう結婚なんてのぞめんよ」
「いや、というか、あんたあっち方面の趣味があるだろう。絶対」
「そんなことはないぞ」
「マジ?」
「しまった! 嘘だとすぐばれてしまった。
くっそー! 俺、このくせ直そうかな。どう思う? リドリック・ノルボイ君」
「それよりもまず、俺はあんたが恐くて、一つ屋根の下で寝られないよ」
「まあ、そこらへんは気にしなくてもいいぜ。大丈夫さ。俺はお前をいきなり襲ったりしない。そんな真似は断じてしない。これは誓ってもいいぞ。契約書をかいてもいい」
「そ、そうか……」
なんだか、夕食にそぐわない話をして、二人の食卓は終わった。