チャット・ター
街では秋風が吹いていた。
先ほどまで曇っていた空も珍しく晴れ、紅に染まり、良い子はお家に帰る時間。
そしてその良い子は、帰る途中、道端に倒れている人影を見つける。
慌てて近寄ると、その人は女性で黒い髪で、とても端正な顔立ちだと分かった。
というか、気絶していて、足がものすごく痛そうに腫れていて、なんだか大変そうだということも分かった
これは少年一人だけで処理できそうにないことだと思えた。だから、少年は叫んだ。
「誰かー! 人が倒れてるよ。誰か来て!」
その声で集まった近所諸々の人が、倒れている彼女を見て口々に叫ぶ。
「この子、ミルアちゃんじゃない?」
「本当だ。大丈夫か!」
呼びかけるが、彼女の目は依然として閉じられたままだ。
住人達は自分達の手に負えないと思ったのか、急いで担架を作って、街の診療所に運び込む。
診療所のドクターは、ミルアを見て目を丸くした。ドクターはミルアのことをよく覚えていたからである。というより、ミルアの父の親友だったからである。ドクターはすでに中年過ぎのおっさんだった。
瞳孔にライトを当てたり呼吸を確かめたりして、生きているかどうか調べた後、ドクターはやっとミルアの足を調べた。
非常に苦い顔の後、すばやく応急措置を施し、ドクターは街一番のドライバーを呼んだ。
もう一度ドクターは住民達に、担架でミルアを運ばせて、車に乗せた。
ドクターは街の入り口で、車が猛スピードで突き進んでいくのを見送った。
そのままミルアは、他の都市にある、中央病院へと運ばれていった。
その後、リドはどうやって、ミルアを抱えながら帰ったのか分からない。
とにかく、なんとかして帰ったのだが、気付くとベッドの上に倒れているし、ベッドの隣には、顔も見た事がないおっさんが座っているしミルアはどこへ行ったのやら。
「なんだ、もう目ぇ覚ましたのか。まだまだ眠ってていいぞ?」
おっさんが気付き、こっちを覗き込む。
おっさんは見た目、四、五十前後で、それでも髪の毛はふさふさだ。顔は角というよりも、丸に近く、中年っぽい雰囲気を漂わせていた。
こんな人にずっと覗かれたままでは、たまったものではない。
体を起こそうとして、――動けなかった。
腕も足も、顔も首も。包帯ぐるぐるで、体中に力が入らない。
「う、うう」
声を出そうとして、出たものは、ただのうめき声だった。
「おいおい無理すんなよ。少し落ち着いて、そう。寝たままでいいから。あんま動くんじゃねえぞ。と言っても、体中ギブスで固定しているから、動ける訳ないか」
おっさんの言葉には気遣いが見られる。
すーはーすーはー、息吸ってはいて少し落ち着いておっさんを見てどうしようかちょっと迷って、そして質問をする。
「ここは、どこだ?」
リドらしく、要点だけをずばりと聞く。それに面食らった様子もなく、おっさんは答えた。
「街の病院だ。お前、街の入り口で看板の下によれかかって、倒れてたんだぜ。いつまでたっても動かないんでおかしいなあと思ったら、物凄い大怪我してるじゃねえか。びっくりしたよ」
「……あんたは、医者か」
「おうよ、その通り。確かに俺は医者の免許を持ってる。もぐりなんかとは違って、この街で一番信頼されている医者だ。まあ、この街には俺しか医者がいねえんだけどな」
バノの街は小さい街だ。というより、田舎だ。だから、医者も少ないのは当たり前だろうとは思っていた。しかし、一人だけとは。
しかしリドはそんなことよりも、もっと聞きたい事があった。
「一つ、聞きたい事がある」
「なんだ。お前の怪我の具合か? それともこの街の様子か? 今は七時だぞ。
俺の答えられる事だったら、どしどし聞いてくれ」
まくしたてるおっさんに、少々辟易を感じながら、リドは疑問をぶつける。
「あんた、なんでそんなに喋るんだ? 無駄な事を話してほしくない」
イラついた声のリドを、おっさんは平然と見下ろして。
「さあて、それは無理な問題だな。俺の名前はなにしろ、チャット・ターだからな。ちなみに、つづりはChat teyだぞ。ペンネームでも、ハンドルネームでもないぜ。なんで親はこんな名前つけたんだろうなあ」
なるほど。名前自体「お喋り」なのだ。しゃべくり始めたら止まらないのだろう。
それにずっと喋り続けるという行為は、並みの人間にはできるものではない。きっとチャットは博識なのだろう。
「もう一つ聞いていいか?」
「それは物事の辻褄が合わない言葉だな。さっきお前は、一つ聞きたい事があるといっただろう。一つじゃないじゃねえか。それとも、聞きたい事が増えたのか? さっきのは本当の質問じゃなかったのか?
ま、そんなこと俺は全然気にしねぇけどな。で、なんだ?」
話がこんがらがってしまう。だからリドは、この手のおしゃべり系が苦手なのだ。
確かに、おもしろいことはおもしろいけど。
そんなことを考えている場合ではない。さっさと質問してしまおう。
「黒い髪の毛で、黒い目の少女は知らないか?」
(ミルアちゃんの事か?)
そのヒントだけで、チャットはリドが聞きたい人の名を当てる。しかし、それをすぐさま口に出すという事を、チャットはしなかった。
もしかしたら、この男がミルアをあんな目に合わせたのかもしれない。
しかしそうすると、なぜこの男が大怪我をしているのか謎である。自分が考えている事は間違っているのかもしれない。
しかし、もし前者があっていたとしたら、ミルアが危険な事になりかねない。今はまだ口をつぐんでおこう。
一瞬のうちに、そのことを考え、言葉を発する。
「知らないな」
「そうか? ここに運ばれてこなかったのか?」
「医者は俺一人だけだ。ここにきたら、分かるだろ?」
「ふむ」
リドはしばらく思案するような顔をし、目を閉じた。
目を開けた時、リドの目は不安という文字に覆い尽くされていた。
「だったら大変だ。あいつも怪我をしてるはずだ。足に怪我して、たぶん一人じゃ歩けない。俺が街の入り口で倒れてたなら、あいつは外にいるかもしれない。まだ野良機械が他にもいたら、あいつは逃げられない。
どうしよう。何で俺、訳わかんないところで意識がないんだ」
リドはとても深刻な顔をしていた。
その様子を見てか、チャットも、言っていいのでは? という気にかられた。どうやら、ミルアの事を心配しているようだし、それに相手は重傷者なのだ。どんなに動きたい思いにかられても、立ち上がる事すらできまい。
それらの事をふまえ、チャットはリドに申し訳ない気持ちになった。これでは、自分がリドをいじめているようだ。
「すまん。俺は大嘘吐きでな。まったく、悪い男だ。こんな怪我人に無駄な心配させちまうとはな。ミルアちゃんはこの病院に運ばれたよ。一時間前になるがな」
「無事だったか?」
「死に至る傷ではなかった。お前の行った通り、足を怪我してた。ありゃ痛いな。骨折ものだ。他に異常はなかったと思う。念のため、都会の総合病院に送ったがな」
「そうか」
すっと。リドの表情から不安がぬけた。またもとの無表情に戻り、天井を見上げている。
チャットはこの若者を計り兼ねていた。
(ミルアちゃんを心配するなら、どうして見舞いに行きたい。と一言も言わないんだ)
チャットとしては、この不思議な若者を少し知りたいところなのだが、いかんせん何から話そうか。まずは名前か? いや、それよりも職業を知りたい。この青年の生業はなんだ。
「ところで、お前の名はなんだ。まだ聞いてなかったな。少し知りたい。できれば職業も教えてくれれば、俺は嬉しい」
「名は、リドリック・ノルボイ。職業は――」
リドはそこで口を止める。まるで、チャットの心中を読んでいるかのよう。
「別に、言わなくてもいいぞ」
チャットが立ち上がろうとする。
「待てよ。嘘だろ」
チャットが反応して、動きを止めた。
「嘘だろ。本当は言ってほしいはずだ。俺が完璧に信用できるかどうか。あんたはそれが知りたい訳だ。
あんたは正直者で、大嘘吐き。単なる馬鹿だ」
「どういうことだ?」
「そういうことだよ。俺の名前と職業を知らなくて、俺の職業も知りたいのに、あんたは俺に聞かずに去ってしまう、馬鹿野郎じゃん」
「ふふん、言うじゃねえか。まっ、お前の職業は、大体見当がついていてな。俺はお前の職業を聞かなくてもいいんだよ。なんつったって、知ってるから」
「ほう、じゃあなんだ? 言ってみやがれ」
リドの言葉がどんどん汚くなっていくのを、チャットは眉をひそめながら感じていた。
なにか、探るような……探られている気がする。
「お前、機械抹消に所属してないか?」
「ふむ、質問の時も簡潔だな」
「――簡潔? 何のことだ」
「別に。
そういえば黒髪のアイツ。貴族だったっけな」
「なんでいきなりミルアちゃん? それにお前どうして、ミルアちゃんが貴族だってこと知ってるんだ?」
「それはこっちのセリフ。あんた。なんでミルアの名を知っている? 俺はミルアの名を一度も口にしてない」
チャットははっとした。
(なるほど、俺の負けだ)
「そうか、お前はこの野郎。頭いいんだな。分かりきってるくせに。そりゃ、俺がミルアちゃんの知り合いだからだ。無駄な詮索してんじゃねえ」
もう、やけになった。チャットはこの若者を信用することに決めた。
「洗いざらいだな」
口の端で笑いを作りながら、リドはチャットの反応を見た。
「しゃーねー。俺も全部話すから、お前も全部話せ」
「まーた。嘘でしょ。本当はあんた、全部言うつもりがなくて、俺の話だけ聞きたいなんて、虫のいいこと考えていたりするだろ。おっさん。」
「おっさん」の所が、やけに鋭く胸に刺さった。自分ももうそう呼ばれる年なんだなぁ。とかそういうことじゃなくて、言葉が冷たいというか、真剣というか。
「どうして、そう思うんだ?」
だから、こっちも真剣に返した。
「嘘をつく時、あんたの返事が簡潔だ」
「お前、心理学者になれるぞ。マジで」
そして、柔らかく。事はおさまったようだ。
「そんなんで心理学者になれたら、世界中みんな心理学者だ。ていうか、そのこと本人自覚してるし」
「これからは直すように努力する」
「直す気ないな」
「バレバレ?」
チャットはおちゃらけて見せた。これがこの人の本性なのだ。
「ま、もう遅いし、寝たら〜」
「あんたまだ七時だって、言っただろ」
「あら、記憶力がいいのねぇ。あたしったら、そういうのけっこう好みよ」
「なにいきなり? 意味不明。気持ち悪。カマんなった? あんたってそういう人だった? うっわ最低。クズ」
「うっわ最低。ならまだしも、なんでクズなんだよ。おっさん悲しい。もっとカッコイイ呼び方にして」
このボケに、リドは突っ込まなかった。もっと重要なことが聞きたかったから。
「そんで、チャットさん。俺知りたいことがまた増えたんだよ。
どうしてあんた。俺が機械抹消に所属してることを知ってんだ?」
その質問に、チャットははやし立てるように。
「噂になってんぜ。機械抹消で一番やんちゃなのは、第七位の、しかも隊長だって。十位以内に入って、あれだけ暴れられることのできるのも、リドリック・ノルボイのほかにいないと……」
リドの顔が苦そうに変化していくのを楽しみながら、ニィーと笑った。
ど突き倒してやりたい思いにかられたが、ギブスでガチンガチンにされていて、あいにくリドは動けない。
「あんた、けっこう顔が広いな」
「まあな。俺の顔は広いぞ。面積で言うと五百平方センチメートルくらい……
――そんな顔すんなよ。冗談に決まってんだろ。ま、大したことはないが。俺は元々貴族なんだ。チャット・ゴス・ターってな」
「俺に話してもいいのか?」
「俺はお前を信ずると決めたんだ。お前に隠し通すのは、難しいし、面倒臭い。ようするに、お前とうまく付き合うコツは、俺の話に無理矢理巻き込むこと。いいから黙って、最後まで聞いとけ」
リドは瞬きをした。了解の合図だ。
チャットはそれに頷いて答える。
「ゴス社はいろんなもんの輸送をやってた。食料運んだり、衣類を運んだり、もちろん機械も運んでた。いわゆる、大きな郵便屋さんだ」
「……運送会社だな」
「そうそれ。で、その日ゴス社はガジュラ社との契約で、機械を運んでいた訳よ。バノの街にな」
チャットは思いあぐねるように自分のあごをなでた。
「どうした?」
「いや、俺の会社の名前を口にするのはいっこうに構わんが、つい口が滑ってしまった。さっきの聞いた?」
「まあ。
でも、ガジュラ社はいろいろあったから……話続けて」
リドが先を促し、チャットはまた話しはじめる。
「輸送車の中で機械の電源は切って、ちゃんと動かないようにしてたんだ。だが、何の間違いでか、動き出しちゃった訳よ。しかも、最初インプットしていた記憶とはまったく違う、狂暴なやつになってて、輸送車を破壊して、そいつら逃げた訳。
その時お世話になったのが、元帥さん。機械をほとんど捕まえてくれたんだ。だけど、その時からゴス社の信用がた落ちでさぁ。しまいには倒産しちゃった訳。その後俺は転職して、得意の医者で食い扶ちつないでるところ」
「あんた、どうやったら運送会社の社長から、医者に転職できるんだ?」
「お前な。注目する観点が違うだろう?」
「ま、いいじゃん。で、続きは?」
「そうそう。で、機械がな、全部捕まえたと思ってたらよ、残っちゃった訳よ。たったの一体。そいつは、毎回毎回、街を壊していく。困った俺達は元帥のところへ行って、機械を倒してほしいと頼んだのさ。そいつを倒すために、とびっきりの送ってきてくれるって、元帥が。お前のことだったのかぁ。期待して、損したって感じ」
「損って……あんたって、ムカツク」
「言いたいだけ、言ってろ」
「あ、チャットのおっさん傷ついてる。ムカツクの一言で無口になる人もいるんだな。デリケートぉ」
「はいはい。俺の話は終わったんだから、そんなに突っ込んでくるな。おっさんデリケートなんだから、傷ついたら立ち直れない。そうなったら、どうするつもり?」
「ふっ、大分あんたのことが分かったよ。他人相手によくそう、自分のことをぺらぺら喋れるね。そのことかなり、不思議だよ」
しかし、最近。こういうふうに、自分の身分を簡単に明かしてしまうやつと、リドは会話を交わしていた。いや、それよりも命を救っていて、さっきまで話題にのぼっていた。
ミルアのことを思い浮かべる。あの漆黒の瞳とそれと同じ色の髪。笑った顔。それを思った瞬間、リドはなんとなく、へにゃんと笑った。
「何? お前。すっごい気色悪いぜ。さっきまでの無表情が、なんでいきなり笑うんだ? なにかいいことあったのか? それとも、思い出してたとか。思い出し笑いするほど、いいことなのか?」
リドのあまりの変化に、心底チャットは驚いてた。こういう笑い方をしないと思っていた。
リドはそれには答えず。
「何か? 聞きたいことがあったら、答える。あんたが話してくれたんだから。等価交換だ」
「そんじゃ、俺の質問に答えてほしいな。何でお前、こんなに大怪我してる?
野良機械がどうのとか言っていたが、それとミルアちゃんとの接点は何だ?」
「聞いてほしいか?」
リドの笑顔がますますとろけそうになるのを見て、チャットはやっと原因を突き止めた。
(さすが、ミルアちゃん……)
チャットはリドが話す言葉を聞き逃さぬよう聞きながら、ミルアのことを考える。今ごろもう、病院に着いてるころだな。
リドの説明では、どうやらリドとミルアはさっき知り合ったといっても過言でないほど、浅い付き合いらしい。
それでもリドという男を命懸けにさせたのだから、それはそれでミルアは凄いかもしれない……
「おっ! じゃあ、機械。やっつけてくれたのか?」
「ああ。確かに打ち抜いた。爆発したし。二度と戻ってこない」
それから、ミルアを抱えて、気付いたら病院のベットだったという。
「本当に、お疲れさんだな。これ以上いい言葉が思い浮かばんよ。しかし、それはそれでいいんだが、ミルアちゃんがなんで機械と戦ってたかまでは分からないんだな」
「残念ながらな」
……二人の謎は深まるばかりである。