異世界結婚物語
十月も終わりになれば、そりゃ、涼しいと感じるよりも、寒いと感じる日が増えるのは分かるが。
それにしたって、こたつを出すのはまだ早いんじゃないだろうか――そんなことを思いながら、私はこたつ板の上の籠からみかんを一つ手に取った。
需要に対して供給が釣り合っていない現在、これからはみかん農家の時代、なる斬新な視点の記事を思い出す――皮をはぐと、白い筋に包まれたみかんがあらわになる。食べてみる――甘さよりも、すっぱさの方が勝っているようだった。
夕方時の我が家のテレビはアニメかニュースのどちらかが流れている。今日はニュースだった。また、どこそこの国のどこそこで異世界へとゲートが開いた、と大わらわである。ほんの数年前までは、こんなことはまるでなかったのだけど、何の前触れもなく繋がった異世界との交流は、何故だか平和的なままに進んでいき、融和が進んでいる。
――かく言う、今、台所に立つ私の妻も、異世界人である。
彼女は今、私が帰宅途中に買ってきたナスを掴んで、まじまじと眺めていた。
もしや、ナスがどういったものなのか知らないのかもしれない。こたつから出て、彼女の傍に近寄る、と、
「『ヒトマルゴトノミコミナスモドキは嫁に食わすな』…か」
聞き捨てならない言葉が、聞こえた気がした。
「エレナ? 何か言ったかい?」
尋ねると、彼女は、はっとこちらの方を向き、微笑んだ。
「いや、大したことじゃないんだが。私の里の格言を思い出してね」
「へえ。君の里の格言か。あれかな日本で言う『秋ナスは嫁に食わすな』みたいなものかな?」
「『秋ナスは嫁に食わすな』…? どういう意味だろう?」
「ネガティブな意味とポジティブな意味の両方があるらしくてね。ただ、『嫁』と言う視点から、姑の立場からの格言らしい。秋ナスはとてもおいしいので食べさせるのはもったいない、と言う意地悪さを表したものと、秋ナスは体を冷やすから食べさせてはいけない、と言う優しさからくるものの二つの解釈があるんだとか」
「なるほど…? つまりは、どういう意味なんだ?」
つまりは、現状、二つの意味があるから、どちらの解釈で受け止めても良い、ということなのだろうけれど。
そう言われても困るだろう――実際のところはネガティブな言葉としての受け止め方の方がストレートな気がするが。それを、今の状況で彼女に言うのは好ましい話でもない。
「…さ、さあ」
誤魔化すと、彼女は、ふぅ、とため息を一つついた。
腰に手を当てて、ふふん、と一つ鼻で笑って見せる。
「何だかすっきりとしないな。それに比べるとうちの里の言葉は明確だよ」
「どういう言葉なんだい?」
彼女は、ぴしっ、と人差し指を立てた。
「『ヒトマルゴトノミコミナスモドキは嫁に食わすな』」
「あ、何か意味を聞かなくても分かった気がするなぁ」
ちっちっちっ、と軽い舌打ちと共に、彼女が人差し指を振る。
「いや、きっと、誤解していると思うぞ。この格言も、姑視点のものかもしれないな。ちなみに、この格言は、故事成語なんだ」
「あれかい? 実際にあった話を元にしているってこと?」
「実際にあったかどうかはわからない。けれど、言い伝えられている物語が元になってる」
そして、彼女が語りだした。
――むかしむかし、たいそう仲睦まじい夫婦がおったそうな。
夫はとある国の武官の跡取り息子。たいへん有能な男で、軍に入ると頭角を現し、どんどんと出世をしていったそうな。妻はそんな夫を献身的に支えていたそうな。
しかし、そんな二人の間に子宝は恵まれず、周囲の人間も、当人たちも随分と悩んでいたそうな。
そんな折、夫の母からナスが送られてきたそうな。
『あら、これはおいしそうなナスだわ。そうだ、焼きナスにして頂きましょう』
早速、嫁がナスを調理しようと台所へと向かう途上、突如、先ほどまでおとなすしくしていたナスのへたからおしりまでがぱっくりと開いたのだそうな。
そして、背中を向けていた嫁をまるごとぱくっ、と飲み込んでしまったのだそうな。
夫が帰ってきた時には、ただ、なすらしきものだけが取り残されていたのだそうな――
(おとなすしく――?)
「…つまりだ。ヒトマルゴトノミコミナスモドキを嫁に食べさせようとしてはいけないよ、と言う意味で…」
「…え、これで終わり!?」
「? 終わりだが?」
彼女は戸惑う私に、小首をかしげて見せた。かわいい。
「いや、そんなきょとんとした顔をされても。何か、坂口安吾があかずきんを読んだときみたいな気分だなぁ…」
「良くわからんが、まぁ、つまりは、そういうことなんだよ」
「いや、全然分からないけど。あれかな。子供がなかなか出来ないからと言って、そんなことをしてはいけない、とかそういう…」
「当時は、お中元としてヒトマルゴトノミコミナスモドキを送るのが定番だったらしい。だから、こんな悲劇が起こらないように、と言う願いを込めた格言らしい…。姑の身を切るような悲しみが伝わる言葉だよな」
あれかな。氷を抱くような切なさってのは異世界人も持ち得るような感覚なのかしら。
と、私は現実逃避をしたくなった。
「計画的犯行のにおいしかしないんだよなぁ…。あ…、それと、おとなすしくって」
「さて。今晩は焼きナスにでもしようか。ふふふ、このナスはちゃんとスーパーで買ってきたものなんだろう? ヒトマルゴトノミコミナスモドキなんかじゃないから安心だな」
「おとなすしく…」
彼女はさっさとナスを調理する準備に取り掛かり、私はそのプレッシャーに押し出されるようにこたつの中に戻された。
テレビでは、異世界人との価値観のギャップについての検証が行われていた。彼らは不思議なほど異世界人に対して好意的で、隔たりはあっても埋められないものではない、と言う論調で締めくくられる。
勿論、私も、彼らとは同意見なのだけれども、何か作為的なものを感じてしまうのは、私の心の中のやましさや猜疑心が見せる幻のようなものなんだろうか。
私は、コンロの前で聞いたことのない鼻歌を口ずさむ妻の後ろ姿を眺めながら、思った。
――ヒトマルゴトノミコミナスモドキって、食えるの? と。
おわり。