魔王を倒した勇者が人斬りになったわけ
「やった! 勝ったぞ! 俺たちは遂に魔王を倒したんだ!」
湧き立つ仲間たちの歓声が聴こえる。
「アレン、おめでとう!」
仲間の一人が私に声をかける。
「ああ、そうだな」
どこか空虚な返事に疑問を持ったようだが、彼女はもう一人の仲間の所へ歩いていった。
それを尻目に私はまた思考の海に潜る。
魔王は死んだ。
人間を長年苦しめ、多くの死者を出してきた魔族は衰退するだろう。人間はかつての栄華を取り戻し、平和への道を辿るのだろう。
だがこれで良いのか?
『さぁ、かかって来るが良い勇者よ! 只一人の好敵手よ!』
頭の中で魔王の放った言葉が反響する。
「アレン、そんなところに突っ立って何してるんだ? 残りの魔族は正規軍が相手するってさ。早く王都に戻ろう。帰ったらパーレドが待ってるぜ」
調子の良いもう一人の仲間の言葉で我に帰った。ああ、そうだ。私の戦いはもう終わったんだ。
◇
王都に戻ると私たちは歓待を受けた。勇者である私はパレードの先頭に立ち、人々の歓声を浴びながら仲間たちとともに行進した。その後は酷くあっさりとしていた。勲章を貰い、一生暮らしていける金を受け取った。
しかしそれでも私の中に空いた穴は塞がる様子を見せない。何がそうさせるのかはもう分かった。でもどうすれば良いのか分からない。
「アレン? 気分悪いの? せっかくの祝勝祭なのに」
仲間の一人に声をかけられる。気遣って触れようとしてきた手を思わず振り払う。
「あっ」
「すまない...一人になりたいんだ」
返事を聞く前に踵を返し、与えられた自室へ戻り鍵をかけた。
暗い気分のまま私は夜を迎え、そのまま朝を迎えることになった。
◇
翌朝、気分転換に王都を歩くことにした。パレードの翌日だけあって、皆若干の疲れが見て取れた。これでは私が素顔で歩いていても気づかれることはないだろう。
パレードが行われた大通りに出ると、嗅ぎ慣れた血の臭いに顔をしかめた。
「さぁさぁ、ご覧あれ! 我らを苦しめ続けた魔王が勇者に敗れた今、魔将と言えども恐るるに足らず! 恨みを晴らすなら100ゴールドで石をお売りしますよ!」
高い声で人々を煽っているのは王国の役人だ。そして広場の中心で磔にされ、今にも生き絶えそうになっているのは、かつて魔将と呼ばれ人間たちにの前に立ち塞がった魔王の尖兵だ。既にその部下であろう魔族は民からの投石で肉の塊へと姿を変え通りに打ち据えられている。
目の前に磔にされている魔将とは面識が無いが、恐らく私が戦った者と同じぐらいの実力者だろう。もしかしたら私と剣を合わせていたかもしれない敵、もしかしたら私を葬っていたかもしれない敵。それなのに、ああ、どうして私はこんなにも悲しいのだろう。
彼女のどこか虚ろで、宙を見ていた瞳が、私と交差する。その瞬間、なけなしの魔力がふるわれ拘束を破壊した。
「うわっ! 魔族が逃げ出したぞ!」
「誰か兵士を呼んでちょうだい!」
「み、皆さん、落ち着いて下さい! 魔族と言えども虫の息、落ち着いて避難してください!」
逃げ惑う観衆の中、私と彼女は二人視線を交わし合った。
「...そう、悲しそうな顔をするな、勇者よ。貴様らは勝ったのだ。負けた我らはただ滅びるのみ。だから、これで良いのだ」
「私には分からない。貴女達は戦った。私たちも戦った。
そこに貴賎はなかった。どちらかが勝ち、どちらかが負ける、当たり前のことだ。
だが! こんな目に遭う必要など無いはずだ!
こんなものは戦士に対する侮辱だ! こんなに醜いものは私と貴方達の間には無かった! 私は戦いの中で貴方達に対して信頼のようなものまで感じていたというのに!」
「...結局の所、そこが我らと人間の違いだったというわけだ。うっ、長年人間と戦ってきたが、そんな事を言うのはお前が初めてだったよ、勇者」
気づけば私と彼女は兵士に囲まれていた。私が勇者だと言うことに気づいた兵士が気を利かせてくれたのかもしれない。
「...折角だ。最期に私の願いを聞いてくれるか?」
「ああ、ああ、勿論だ、勿論だとも」
「私と戦え、勇者。魔族に神剣と恐れられたその太刀筋、一度は見て見たかったのだ」
ああ、良いとも。良いともさ。
「剣を」
囲っていた兵士の一人が二本の剣を投げ入れる。私と彼女はそれを拾うと、互いに背を向け10歩歩き、再び向き合った。
「我が名は勇者・アレン。魔の物を打ち倒す者」
「我が名は四魔将が一人・ジェン。魔の物を率いた者」
「いざ!」
「参る!」
彼女の、魔将ジェンの攻撃は苛烈だった。引き絞られた体から放たれる一撃は前線から離れ、怠けていた体を叩き起こすのに充分だった。磔にされ憔悴しきったとは思えない程の力は一体何処から出ているのか全く分からない。
風に吹かれる花弁の様に舞いながら繰り出された一撃は私の肉体を少しづつ削いでいった。
「...っく」
「はは、天下の勇者もこの程度か? もっと楽しませてくれ!」
しかし、何度も攻撃を受けるうちに、目で追える様になってきた。後数撃持ち堪えれば体も追いついてくるだろう。このまま待てば、ジェンは力尽きる。しかしそれでは駄目なのだ。彼女に見せなければ。人間がただの虐殺者ではなく、技を極め、武を尊ぶ戦士である様を。
私は徐々に適応していった。彼女が一歩斬りこめば同じく一歩下がり、彼女が一歩引けば今度は私が一歩を詰める。
どうだ、これが私だ。
これが、魔族を追い込み滅ぼした者の剣だ。
これが勇者なのだ。
「...素晴らしい、としか言えないな。はは、これなら魔王様が負けるのも納得だ。お前に負けたのなら我らも本望というものだ」
「そうだ! 俺が殺した! そしてお前も!」
「来い! 勇ましき者よ。我が必殺の一撃、受けてみよ!」
その一瞬は永遠の様に感じられた。両者の一撃は、互いを確実な死へと追い込むため、二人の全てが詰め込まれていた。
周囲の兵士でさえも息を呑んだこの瞬間、二人は究極の死線へと飛び込もうとしていた。
「アレン!」
しかしその一瞬は外野から放たれた一本の矢によって虚しくも崩れ去った。
「.......あ、ああ」
それは私の声だったのかもしれないし、彼女の声かもしれなかった。ただ、私はその場から動くことはできなかった。
「...い、一撃を......我が、一撃を、放たなければ、はは、格好がつかな___」
「まだ生きていやがった! 弓はもういい、俺がやる!」
「よせっ...!」
膝から崩れ落ちた彼女が剣を杖にして立ち上がろうとするのを私の仲間が背中から切り払い、地面に真っ赤な花弁が舞い落ちた。
「...な、にをしている、勇者、よ。剣を、構えろ。私は、まだ貴様の一太刀、を___」
「クソッ、クソッ、何で死なねぇんだ!? オラッくたばれ!」
赤い花弁が何枚も散る中、私はしばらく呆然としていた。
「もう、やめてくれ...」
やっとの思いで絞り出した言葉は酷く情けないものだった。
トドメを刺そうと剣を振り上げる仲間を突き飛ばして倒れ伏した彼女に駆け寄るが、私は何と声をかけたらいいか全く分からなかった。
すると、か細い声が聞こえてきた。
「さらば、だ。我が怨敵」
私はそれが最期の言葉だと察すると、必死に返した。
「さらばだ。我が宿敵」
ふふ、と小さく笑うと彼女は息絶えた。
戦っていた時はあれほど勇ましかったのにこうしてみると少女の様に可憐な女だった。
私は彼女を抱きかかえ立ち上がった。
突き飛ばされたことに怒り、怒声をあげる男や、私の異変を感じ取ったものの声をかけあぐねている女を無視して私は王都を出た。しばらく歩いて見晴らしの良い丘に彼女を埋めて、しばらく泣いた。
「ああ、なぜ分かってやれないというのだ。こんなにも彼らは誇りに満ち溢れているというのに。なぜ、戦士として殺してやれないのだ。名誉ある死さえあれば、彼らはどれほど救われたことか......」
涙を拭い、王都を見るとそこには地獄が広がっていた。
断頭台で、釜茹でで、磔で、火炙りで、ただ人々を楽しませる為だけに殺されて行く彼ら。きっと彼らは一人残らず戦士だったのだろう。彼らと剣を交えればジェンの様にその人生の一端を見ることができたのだろうか。
「勇者アレン。お前には魔族を庇った容疑がかかっている。剣を捨ててこっちへ来い」
私の元仲間の一人。確か第二王子だったか。冷静なふりをしているが呼吸や瞬きから、強い怒りを抱いていることがわかる。私に突き飛ばされたのが頭にきているのか?
「アレン! 今ならまだ戻れるわ! 魔族を庇うなんて貴方がするはずないもの、だって魔王を殺したのは貴方じゃない!」
一緒にするな。
私はお前たちとは違う。私はあんな殺し方などしない。私は戦士だ。お前らの様に、あんな、あんな残酷なショーを楽しんだりしない。
「剣を抜け」
「は?」
「ちょ、ちょと! 何言ってるのよ! アレン! 貴方疲れてるのよ。あんな雑魚、欲しかったらまた捕まえてくればいいじゃない!」
彼女を、雑魚と言ったな。
「お前らは戦士ではない。ただ欲を貪る獣だ。だが、慈悲をやる。初撃は躱さない」
それが私を本当の意味で勇者と呼んでくれた彼女への手向けだ。彼女は信じた。私を、私の剣を。
だから躱さない。戦士なら剣を合わせれば分かる。
「どうやら、気でも触れた様だな。反逆罪だ、始末しろ」
「アレン...可哀想に。あの魔族のせいだわ! 直ぐに掘り返して晒し者にしてやるんだから!」
どうやら元仲間達は攻める気はないらしい。けしかけられた兵隊達は警戒しながら槍袋を作り、徐々に距離を詰めてくる。
「そんな腰の入っていない構えで戦士は殺せんぞ」
突き出された全ての穂先を魔力を込めた斬撃で斬りとばす。機械的に突き出す動作を覚えさせられただけの兵士など敵ではない。
「所詮飼い犬か」
そう呟く頃には人の形をしていた肉が辺りに飛び散っていた。己が切られたことすら分からないまま兵士たちはバラ肉へと姿を変えた。
「次」
「てめぇのやることなんざ旅の途中で見飽きてんだよ。同じように行くとでも思ってんのか?!」
男は剣を掲げ、両手を用いて王国騎士の構えを取ると、ジリジリと間合いを図り、大上段で斬りかかる。
「!」
「お前の剣はまるで薪割りだ。木こりの方が向いているぞ」
「な、なにっ!」
私は片手で男の剣を抑えながら。顔を真っ赤にしている男に言ってやる。
「魔力にものを言わせて叩き斬る。それでは殴りつけるのと変わらん」
こんな剣技とも呼べないものが王国騎士に蔓延しているからこそ、数で優っている人間が今まで負け続けていたのかもしれない。
「剣とはこう使うのだ」
一度力を込め、男がそれに対抗しようとした瞬間、力を抜き剣を払う。
「獣め」
続けて三撃、一撃も躱す事も出来ずに男の首と両腕は胴体から離れた。
「...ひぃっ!」
「弓を出せ。逃がす気はない」
女は震えながら弓を構えた。
短弓から放たれた毒矢が私の胸へ吸い込まれるが、どこを通るか分かった飛び道具などどうとでもできる。
矢など単に掴めばいい。
「ば、バケモノ! あんた一体どうしちゃったのよ!」
「どうしたのか、か。私は自分の事を戦士だと思っていた。そしてお前達を戦友だと」
「実際そうじゃない! 今更何言ってるのよ!?」
「お前らは違った。お前らは彼らを戦士ではなく獣として扱っていたのだ。お前らにとって私は腕の良い猟師だった。
ただそれだけの事さ」
訳がわからない、という顔をしている。そして何を当たり前の事を、という顔。
「私には人間が只の獣にしか見えなくなっんだ」
彼女の胸元で囁く。声の場所を辿ってこちらに視線を寄越した頃には、既に剣は背中を貫通していた。
「あ...ああ......嘘」
「私も最初に気づいた時にそう思ったよ。戦友だと思っていたのに、心の中では討ち取った魔族の首と勲章を数えていた、なんてね」
「い、た...抜い、て...よぉ」
「結局は私も悪かった。勝手に信じて勝手に失望したんだ。裏切ったと言われても仕方がない。私が良い者なのか悪者なのかはどうでも良い。ただ私は戦士であり続ける」
「けほっ...ち、ちがとまらない! たすけて、おねがい! あっああ、あああ」
手遅れだこの女もこの国も。
「これは私なりの罪滅ぼしなんだ。気高き戦士だった彼女を戦士として殺してやれなかったことへの」
「私はこれから人を斬りに行く。沢山、沢山斬る。戦士の誇りを汚すものを、私を殺そうと目論む獣達を、全員斬る」
ここにはもう用は無い。最後に彼女の剣を墓標がわりに突き刺して私は歩き出す。
目的地はもちろん王都だ。
「ジェン。私はまだ君のところには行けない」
どうしても斬らなければいけないものができたから。この心に空いた穴を何かで埋めないと気が済まないから。
「でも、また会えた時にはもう一勝負してくれるかな?」
この穴が埋まり切った時、私はもう人ですらなくなっているかもしれないけど。
「今度はきちんと決着をつけてみせるから」
そして私は人斬りになった。