絶望に咲く花・前編
アルモスは煌太の指示を受け、フロスとザードを魔界のアルスゼアの下に送り届けた。去り際にフロスは、「またな」と煌太に再開を誓い、それと同時にレティスの危険性を提起した。その内容は、イブが想定していた状況を遥かに超えていた。それはもはや、神の従者の行動とは言えない程。
奈落、保育園。
子ども達が遊ぶ中、イブは深刻な顔をしていた。
「…タルタロス…か…」
レティスが画策していたのは、深淵なる闇そのものであるタルタロスの召喚。神々でも恐れ恐怖した存在で、タルタロスに落とされた者は永遠の地獄を味わう事になる。奈落を文字通り永遠の死の牢獄に変え、神に仇名す者を完全に葬るつもりのようだ。
「ねぇ、イブ。タルタロスって何?」
無邪気な顔で、ケンジが尋ねる。
「…とっても怖い場所かな…」
「だったら、煌太兄ちゃんが何とかしてくれるね」
ケンジの楽観的な意見に、ソウタとソウシが反応。
「ケンジ、煌太兄ちゃんに頼り切っちゃダメだ。煌太兄ちゃんは、僕達の為に…いつも…いつも…」
ソウタとソウシは、揃って涙を滲ませる。
カオリは、二人の頭を撫で、前向きな言葉を囁く。
「煌太にちゃん、だいじょぶ。わたち、信じてる」
服を縫っていたユキネは、笑顔でカオリに続く。
「カオリの言う通り、煌太なら大丈夫。私達がやらなくちゃいけないのは、煌太に笑顔を見せる事。煌太は私達の命を守って、私達は煌太の心を守るの」
イブは、ユキネの言葉と揺るがない心に敗北感を感じる。
「…はぁ~、何だか私に足りないものを見せつけられた気分…」
落胆する中で、自分に出来る事を模索する。
「負けてられない! 何とか、レティスの策略を止めないと…」
奈落、物資搬入路。
いつものように業者が大量の荷物を運び入れている。商店の店主は、荷物の選別をしながら予期せずものを目撃する。
「…あれっ? 長老?」
業者達に紛れ、長老がこっちに向かってくる。
驚く理由は二つ。一つは、死んでいたと思われたのが生きていた事。もう一つは、地上側から来た事。
「久しいの。元気じゃったか?」
「長老! 今まで何処にいたんだ? 心配したんだぞ!」
「すまんの。ちょっと、呼ばれておっての…」
「呼ばれていた…」
店主は、長老の言動に違和感を覚える。
だが今は、その事を喉元で抑え、いつも通りに振る舞う。
「ふぅ~ん、まぁ、そんな事もあるのか。何はともあれ、長老、みんな心配していたんだ。ちゃんと顔を見せておけよ」
「そうじゃの。儂も丁度話があるから、早速集めようかの」
「わざわざ集めるのか?」
「その方が簡単に終わるじゃろ」
長老は、軽快な足取りで去って行く。
店主は、気付かれないように後を追う。
商店の前。
長老は、集まった住民達の前で話を始める。
後を付けていた店主の姿は、何処にも見当たらない。
「住民の諸君、所用にて不在のあいだ心配かけてすまんかった」
住民達は、笑顔で長老の話を聞いている。
疑いを持つ者も、不審に思う者も居ない。
「儂が出向いていたのは、神の下じゃ。慈悲深く、崇高で、奈落に住まう者の為に何かしたいと言われていた」
神を称える言葉に、住民達の顔は曇っていく。
「長老、何を言っているんだ! 神は奈落を放置し続けたんだぞ! 今更、何かしたいって言われても信じられるか!」
「そうよ! 神よりも煌太の方が何倍も偉い!」
長老は、住民達の反感に急に激怒する。
「愚か者!」
住民達は、温厚な長老の変貌に戸惑う。
「神は、地上に平和を齎した。今まで成し遂げた者の居ない偉業ぞ! それを煌太などと比べるとは、何たる不敬! 死罪にも値する!」
この発言で、住民達は長老を別人と思い始める。
「…本当に長老なのか?」
「煌太を…そんな」
深まる疑いに、長老は温厚な顔に戻る。
「…すまんの。ちょっと言いすぎた…。儂はただ、神の素晴らしさを訴えたかっただけじゃ…」
如何に繕おうが、もはや疑いの眼差しは回避できない。
住民達は、長老から距離を取り始める。
「お前は誰だ…」
「儂じゃよ。何を怯えておるんじゃ?」
「違うわ。長老は誰よりも神を憎んでいた。誰よりも煌太を想っていた。絶対に…あんな事言わない」
離れていく住民達。
長老は、妙な笑い声を上げる。
「クッキャキャキャ! こんなに早くバレるとはな」
住民達を囲うように黒い檻が現れる。
「何だこれ!」
「出してよ!」
長老に異変が起きる。
頭から腹にかけて真っ直ぐ切れ目が入り、内側から腹を裂く様に二本の腕が突き出る。
「クキャ、キャ…下手に、出ていれば…いい気になり…おって…」
グチャグチャと気持ち悪い音を立て、切れ目が大きく開く。中から人の上半身が現れ、切れ目を広げながら服を脱ぐかのように長老の皮を破り出てくる。血塗れの顔は、未だ誰なのか分からない。
「こうなったら、多少強引でも…いいだろう」
長老の中から出てきた人物は、血塗れのまま住民達に近づいていく。その間、血は体に吸収され消えていく。
「だ、誰だ!」
「クキャキャ。私は、グライ。レティス様に仕える従者。お前達に重要な命令があって来た」
纏わりついていた血はすっかり体に吸収され、グライの黒い法衣姿が露わになる。スキンヘッドで眉毛の無い顔は、異様な不気味さを醸し出す。
「レティスだって…そんな命令聞けるか!」
「聞きたくなくとも、強制的に聞かせる!」
グライの手に、10㎝位の大きな種が数個。
「さぁ、レティス様の為にその身を捧げよ」
種は、宙に浮かび、弾丸の様な速さで住民達の体を貫き潜り込む。
「ぐうう…な、何を…」
「キャーーーーあああ…痛い…お腹が…体が…」
体に潜り込んだ種は、芽を出し、血管の中に根を張っていく。根は血管を通り全身に行き渡り、養分を吸収するかのように脈打つ。
「何かが…おかしい…意識が…変に…」
そして、根は脳に到達。
「…こ、ろ、す…全…部…」
脳を侵食すると、芽は成長し、花を開かせる。
種を植え付けられた住民達は、肌が黒く変色し、両手の爪が長くなり鋼のように固くなる。
「どうしたんだよ、しっかりしろ」
種を植え付けられていない住民は、変化した住民を心配して揺さぶる。ただ、反応は全く無く。代わりに「殺す」と何度も呟く。
そして…。
グシャ!
変化した住民は、心配する住民を爪で貫く。
「えッ?」
グライは、その様子を見て大声で笑う。
「クキャキャキャキャキャ! お前達は、悪魔になった! 人を殺す為のマシーーーーン! クキャキャ、楽しいだろ? 殺される方から殺す方になったのは。もっとも、思考能力はないがな! クキャキャキャアッ!」
悪魔化した住民達は、次々に殺していく。そして、爪から種を植え付けていく。
増殖する悪魔。
逃げ場を奪われ、集まった全ての住民の末路が定まる。
「た、大変だ…」
隠れていた店主は、気付かれないように立ち去る。
「煌太に早く伝えなければ…」
目的地は、診療所。
保育園。
レティスの策略を阻止する案を考えていたイブは、外の異変に気が付く。
「何、この気配…? 悪魔のような、人のような…。しかも、こんなに一杯…。カテゴリーは、1か2。地下一階には出現しない筈が何故…?」
イブは、扉を少し開けてみる。
商店の方から悲鳴が聞こえる。
「…何か起きている。最悪の事態が…」
イブは、真っ先にユキネに耳打ちする。
「ユキネちゃん、地下一階に悪魔が居る。ここもすぐに危険にさらされる筈、急いで逃げないと…」
「悪魔…」
ユキネは、かつての記憶を思い出す。来たばかりの時に遭遇した凄惨な光景。
「悪魔が…人を食べちゃう…」
蘇る記憶は、恐怖と共に勇気を奮い起こす。
「ケンジ、カオリ、ソウタ、ソウシ。避難準備!」
子ども達は、その言葉で成すべき事を理解。必要なものを持って立ち上がる。
迷う事無く、ユキネの下に集まり指示を待つ。
「皆、行くよ」
ユキネは先頭に立ち、先ず扉を開けて外を窺う。
異変が近づいていない事を確認すると、足音を立てないように慎重に外に出る。
子ども達も、同じように静かにユキネについていく。
「凄い手際…」
「イブ、急ごう!」
「う、うん…」
イブは、子ども達の臨機応変な行動に呆気にとられる。
地下8階。
牢の改築中のひょろは、5人の仲間と共に休憩していた。
「ふ~、やっとここまで来たか…」
「ひょろ、凄いぞ」
「こんなに早く改築が終わるなんて思ってなかった」
ひょろは、改装作業中にすっかり師匠のような扱いになっていた。共に働く5人は、ひょろの技術を習得して、奈落の改装作業の速度を上げたいと思っている。
「まだまだ、もっと頑張らないとな」
「全く、何でこんな人が奈落に堕とされたのか? ハッキリ言って、神の予知が疑わしい」
「そうだぜ! 骨身を惜しまず働く人に悪人は居ない!」
ひょろが何とも言えない顔で照れていると、地下一階から叫び声や泣き声が聞こえてくる。
「な、何だ?」
戸惑う5人を余所に、ひょろは真剣な顔で呟く。
(…遂に、この日が…)
「ひょろ、何か言ったか?」
「い、嫌、何でもない。ただ、嫌な予感がして…」
ひょろは立ち上がると、下へ降りる階段を確認。
(降りてくる事は間違いない。だったら、階段は危険。エレベーター…今から承認は下りるか…?)
思考の中で逃げ道を探る。その中には、一般人とは思えない方法が含まれている。
「皆、今直ぐ非難する。エレベーターを使用して最下まで移動。その後は、アルモスの到着を待って魔界に避難。魔界への耐性はその時に付与する」
「ひょ、ひょろ?」
突然の言動に戸惑う一同。
それもその筈、何もかもを理解して指示を出しているような物言いは、明らかに普通ではない。疑うのは神もしくはレティスに関わる存在。
「…疑うのは分かる。だが、今は信じて欲しい。俺は絶対に皆を裏切る事は無い!」
ひょろの眼差しを見て、煌太の守る姿と重なって見える。
5人は頷き、ひょろの指示に従う。
急いでエレベーターに向かうと、大方の予想通り動いていない。
「やっぱり承認はまだか…」
「ひょろ、階段の方が良いんじゃないのか?」
「それでは鉢合わせになる」
「鉢合わせ?」
「殺戮者が降りてきているんだ、エレベーターを使用できない状況では階段しかない」
「だったら、俺達も使えないんじゃ?」
と、心配した瞬間、エレベーターが起動。上の階から降りてくる。
「う、動いた!」
「おかしいな…。承認はまだだが…?」
ひょろが首を傾げる中、エレベーターは地下8階で止まり、開く。
中には、イブを筆頭に子ども達が乗っている。
「イブ!」
「ひょろ…だっけ?」
イブは、ひょろと真面に会うのは初めて。何かと理由をつけて、ひょろがイブを避けていた。
「どうしてお前が…?」
「どうしてって、魔術で封印を解放して起動したけど…」
「その手があったか!」
ひょろは激しく納得。
イブは、ひょろの奇行に眉を顰める。
「それより、そっちこそどうしてエレベーターを選んだの? 動かないと思わなかったの?」
「その件は後で話す。だから、今は早く最下へ」
「仕方ないわね…」
ひょろとイブは、乗ってきた子どもと5人の住民を最下に降ろすと、空かさず救助に向かった。ひょろの論による安全圏、地下30階から出来るだけ迅速に避難を行う。何故その結論に至るのかは詳しく言わないが、間違いないと渋るイブを何とか説得した。ひょろが言った通り、危険な事は無く、住民の避難は順調に進む。だが同時に、避難対象から外れた地下30階以上の住民を助けられなかったのか不満。
地下108階。
避難を終えた住民数万人が大集結。ひょろの指示通り、アルモスが魔界から帰るのを待っている。
その中、イブはひょろに不信感を募らせる。
「ひょろ、そろそろ話して貰おうかしら」
ひょろは、姿勢を正しいつもとは違う丁寧な言葉遣いになる。
「説明が遅れて申し訳ありません。私は…神の遣いです」
いきなりの告白に、イブは呆然。
だが、その顔に見覚えがあった。
「…もしかして…天使!」
「その通りです。私はガブリエル。ゼオル様の命を受け、奈落の現状把握と堕とされた者達の生活改善の補助の為に来ました」
「やっぱりそうなのね…。神の傍に居たから見覚えがったのよ。でも、まさか天使がこんな場所に…」
「勿論、ゼオル様の指示があったからです。ですが、今は違います。ゼオル様の言われた通り、天埼煌太という人間は素晴らしかった。自らの意思で手助けをしたいと思える程に」
「じゃあ、味方と思っていいのね?」
「勿論です」
敵でないと知り、イブは胸を撫で下ろす。
ガブリエルは、上の階を見つめる。
「煌太の為にも、早く彼らをアルスゼアの下に送らなければ…」
「行き当たりばったりで連れてきたけど…どうやって魔界に順応させるつもり?」
ガブリエルは、思い出したかのように、真の姿を露わにする。
白銀の軽鎧に、地面につくほどの長い金髪。背中には大きく白い翼が生え、右手には白く輝く神剣。
神剣を住民達に向けて掲げる。
「神の光にて、その身に新たな循環構造を構築。これは、魔の瘴気を聖なる光に変化させる」
神剣より放たれる光は、住民達を包み込み、魔界の瘴気に対応する体に変えていく。
「成程、根本から受容できるようにするのね」
「その通り。ですから、問題はありません。後は、アルモスが帰還するのを待つのみ…」
ガブリエルは、急に暗い表情に。
「どうしたの?」
「…いえ、私がもっと早く気付けば悲劇を回避する事を出来たと…」
ガブリエルには見えていた。
煌太の大切なモノが消えていくのが…。
診療所。
煌太は、未だ眠っていた。戦いの疲労は抜けきれず、体力が回復するまで思考も察知能力も失せている。そのせいで、外で起きている異変を全く感知していない。
「…こ、煌太…」
診療所の扉を開け、店主が入ってくる。
荒い呼吸で足を引き摺り、今にも倒れそうに煌太の眠るベッドにもたれ掛かる。
「す、すまない…。もっと早く…ここに…来ていれば…」
店主はベッド脇に倒れ、意識を失う。
だが直ぐに、何かに引っ張り上げられるかのように起き上がる。
「…こ、ろ、す…」
皮膚は黒く染まり、爪は鋭く伸びる。
そして、躊躇いなく右手を煌太の腹に突き刺す。
「ぐはっ!」
激痛に目を覚ます煌太。
敵だと思い殴ろうとするが、相手が店主だと分かりその手を止める。
「…そ、そんな。どうして…こんな事を…」
店主には意識が無い。ただ植え付けられた殺戮本能に従って煌太を攻撃している。その事は、煌太も目を見ただけで承知した。
「…殺す…こ、ろ…。こ…煌太…」
完全に悪魔化した状態にも拘らず、店主は自分の意志で言葉を発する。
「ぐ、グライが…長老に…なりすまして…皆を…悪魔に…」
悪魔へと至る意識を何とか押し留める。苦痛を味わいながらも、煌太の為に気力を振り絞る。
煌太は、店主の突き刺さった腕を優しく掴む。
「そうか…ありがとう。辛かったな、俺が寝ていたせいで…ごめん」
「煌太…謝るな…。俺は…俺達は…皆…お前の…事が…」
意識が消え始める。
店主は笑顔を見せ、自らの左手で心臓を貫く。
左手は種を裂き、悪魔化は止まる。
「煌太! 俺達はお前に笑顔になってもらいたい! それ以外何もいらない! だから…最後は笑って見送ってくれ!」
店主の体は、灰になり消える。
煌太は、店主の死を前に涙が込み上げてくる。だが、たった一つの遺言を守る為に、涙を流しながらも強引に笑顔を作る。
「…ありがとう」
激しい怒りが体を奔る。
腹に空いた傷は瞬く間に塞がり、胸から断罪の太刀が出現。
「グライ…絶対に…裁く!」
地下30階。
グライは、変化していく住民を眺め悦に浸っていた。嬉しそうに笑い声を上げたり、わざと悪魔化を抑え苦しみを長引かせたり、悪魔化する前に腹を串刺しにしたり、とても人とは思えない非道の限りを尽くしていた。
「さてと、下の階に移動するか…」
階段に足を向けると、何故か直ぐに歩みを止める。
「どうなっている…?」
通路が湾曲し、通れなくなっている。
グライが感じている異変はそれだけではない。
「…この気配…圧力…感じた事が無い魔力の胎動…。一体何が…?」
気配のする上方へ顔を向ける。
地下30階だけではなく、29階より上は全て通路が湾曲し真面に通れない状態になっている。
「グライ…お前には覚悟の時間も与えない!」
グライが慌てて振り返ると、そこには煌太の姿。
断罪の太刀は深い闇に包まれ、背中には光り輝く翼、体は猛り狂う炎を纏っている。
「いつの間に…」
グライが口を開いた瞬間、断罪の太刀がグライの体を貫く。
闇が全身を包み込み、その中でグライは粉々にすり潰される。
「言った筈だ。覚悟に時間も与えないと」
断罪の太刀を引き抜くと、闇は消え、粉々になったグライが通路に散らばる。
煌太は、悪魔化した住民達の下に向かう。
「…何が…時間を与えない…だ」
背後からグライの声が聞こえる。
足を止め振り返ると、粉々になった体が粒子状になり集まっていく。そして、頭からプリンターで印刷する様に再生していく。
「残念…だったな。私は、重力以外に無限の再生力を手に入れた。如何に細かくしようとも…直ぐに再生する」
言葉通り、グライは何事も無かったかのように元通り。
煌太は、動揺する事無く、再びグライの体に断罪の太刀を突き立てる。
しかし、断罪の太刀が刺さった瞬間から粒子状になり、宙を漂い少し離れた場所で再生。
「クキャキャ、無駄な事を」
嘲笑うグライを余所に、煌太は怒りのままに断罪の太刀を振るう。何度再生しようとも、何度嘲笑われようとも、煌太の攻撃は止まない。
それは、煌太が望んだ結果を導き出す前奏。何も知らないグライを恐怖させるために演出。
次の瞬間、煌太は断罪の太刀を天に投げる。上の階の通路にしっかり突き刺ささり抜けない状態に。
「遂に諦めたか?」
煌太は、右手を強く握り、魔力を集中する。
「…諦めるのは、お前だ!」
煌太の拳がグライの顔面を捉える。
「ば、かな…奴…だ。何、度、やって…も…無…駄…」
グライの様子がおかしい。
殴られた頬骨が湾曲し砕け、顔が捻じ曲がった状態で固まっている。
「う、嘘…だぁああっ! か、顔…が、がが…」
再生は行われている。だが、今までよりも遥かに遅く、ほとんど再生の様子が見えない。
煌太は、空かさず腹を殴る。
肋骨が折れ、内臓に突き刺さる。
「な、何で…回復…しな…い。俺…の…悪魔の…力…」
煌太は、激しい怒りをぶつけるように、何度も何度も殴り続ける。グライの全身がグニャグニャになり、物理的に立っている事が奇跡。
通路に突き刺さった断罪の太刀が、煌太の手元に戻る。
「お前の罪を、破壊する!」
断罪の太刀をグライに振り下ろす。
だが、煌太は直ぐに止める。
「そ、そんな…」
グライの前には、悪魔化した住民達が集まっている。グライを守るように全方向に配置されていて、いつの間に現われたのかは分からない。
「み、皆…」
煌太は、悪魔化している事を理解している。住民達が、店主のように死の解放を望んでいる事は知っている。だが、その切先が住民を傷つける事は無い。煌太には、何があっても住民に刃を向ける事は出来なかった。
例え、死が待っていても…。
「殺…す!」
住民達は、鋭い爪で煌太を四方八方から串刺しにする。
煌太の中には未だ強い怒りがある。だが、住民達に対する懺悔の気持ちが先に立ち、怒りによる魔力の緩衝が出来なくなる。その結果、煌太は激烈な痛みと魔力による疲労を同時にその身に受ける。
「皆、ごめん…。辛いよな、悲しいよな…。でも…俺には出来ない! 皆を手にかける事は…」
「愚か者だ~な! 戦闘に置いてその優しさは無駄だ!」
住民達は、執拗に煌太を刺し続ける。
煌太は、力を振り絞り魔力を全身に循環。傷が致命傷に至らないように、何とか保つ。
問題は、気持ち。
「馬鹿馬鹿馬~か! 偽善者の成れの果ては、つまらぬ意地で死ぬってか! 何とも傑作だな!」
刺し続け住民に意思はない。
だが、その目には涙が滲む。
「…煌…太。殺…して」
グライは耳を疑う。
「有り得ん! 何故だ! 何故、完全に悪魔化した人間が…意思を…」
一人ではない。
住民全員が、涙を流し煌太に乞う。
「煌太。殺してくれ…」
「お前の涙は…見たくない」
煌太は、断罪の太刀を構える。
だが、やっぱり出来ない。
「ダメだ! 皆を殺すなんて…俺には…」
「頼む…煌太…。俺達に…お前を傷つけさせないでくれ…」
住民達の意思とは裏腹に、鋭い爪を刺し続ける。
「皆…皆…」
最後の意思を成就させたいと思っている。しかし、顔を見る度立ち止まる。
煌太の精神が崩れた瞬間、住民の一人が鋭い爪を煌太の体に…。
「煌太!」
煌太の目の前に、ユキネの髪が映る。
ユキネは、煌太を庇うように覆い被さり、住民の爪に貫かれる。
「ユキネーーーーーーーーーーー!」
ユキネに血が、煌太の体に飛び散る。
「煌太…やっと護れた…。私…ずっとこうしたかった…」
煌太の体を思いっきり抱きしめる。
「煌太には…殺せないよね。煌太は、それで良いの…」
住民の爪から種がユキネの体に入る。
種は芽を出し、体に根を張る。
「だから…私が代わりに…」
ユキネの皮膚が黒く変色し、悪魔化が進む。
だが、他の住民とは様子が違う。
黒いコウモリ翼が生え、大人の体になる。
「ユキネ…」
「煌太、私が護ってあげる!」
ユキネは、住民の体に触れる。
すると、黒い皮膚が肌色に戻る。
「ユキネちゃん、ありがとう…」
人間に戻った住民は、そのまま息を引き取る。
グライは、またまた驚愕。
「な、何だとーーーー! どうして低級の悪魔にならない! どうして支配を受け付けない!」
ユキネは翼を羽ばたかせ、住民達に触れていく。
住民達は、触れられた途端に人間に戻り、笑顔を見せ死んでいく。
「ガブリエルが言っていたの。強い意思が輝き続けていれば、人としての心は失われない。意志ある者には、支配は効かないって」
煌太は、住民達を思い返す。操られながらも、最後には自我を取り戻していた。それは、グライの非道にも負けない強い意思があった証拠。
住民達を全員解放したユキネは、グライの下に舞い降りる。
「よくも煌太を虐めたわね!」
ユキネがグライに触れると、徐々に体が朽ちていく。
「体が…何だこの力!」
グライは煌太の攻撃で再生力が低下している。その状態で体が朽ちていけば、食い止める事が出来ず死に向かう。悪魔化したユキネの力は、今のグライにはあまりにも分が悪い。それは何かの意図が働いたと思ってしまう程。
「煌太を虐めた悪者は、私が成敗してあげる!」
「ユキネ、もういい! 後は俺がやる!」
ユキネは笑顔を見せ、煌太にウィンクする。
「安心して。今日は私が護るから!」
煌太は、嫌な予感がして仕方がない。
全身を駆け巡る寒気。
「ま、まさか…こんな女に…」
グライは、虫の息。
あと少しで倒す事が出来る。
「煌太、私にも…」
グサッ!!
「えっ…」
ユキネの背後に、黒いマントが。
それがいつ現れたのか、煌太にも分からなかった。
「私の大願を阻止する事は出来ない」
マントを翻し振り返る。
露わになる顔は、煌太が怒りをたぎらせる顔。
「レティス!」
「先ずは、大切な存在を奪おう」
レティスの持つ黒い槍が、ユキネの腹を貫通している。しかも、植え付けられた種諸共。
ユキネは、人間に戻っていく。
「煌太…」
レティスは、槍を振り、ユキネを煌太に投げる。
煌太は、体で優しく受け止める。
「ユキネ、しっかりしろ!」
「煌太…私、調子に乗りすぎちゃった…。やっぱり、ひょろ父さんの言った通りだったね…」
「ひょろ…?」
「さっき言ったガブリエルって…ひょろ父さんの事なの。神様が、私達の為に…」
ユキネは、どんどん弱っていく。
皮膚は白く変色していき、ボロボロと崩れていく。
「ユキネ、もう喋るな!」
「煌太…私、幸せだよ…。こうして、煌太に…抱きしめて…もらえて…」
「喋るな! 死んでしまったら、もう抱いてあげられないだろ!」
「嬉しい…。煌太に、愛してもらった…」
ユキネは、親の顔を知らない。
生まれて間もなく、施設の前に捨てられた孤児。愛を知らず、奈落に堕とされ、煌太に出会うまでは人間を憎んでいた。
「幾らでも愛してやる! だから死ぬな! もう大切な人が死ぬ姿を見たくない!」
「…煌太、大丈夫だよ。私は、ずっと傍に居る…。例え離れても…必ず、心は…ここに…」
ユキネは、意識を失う。
心臓は止まり、呼吸は止まり、体は壊れていく。
「ダメだーーーーー!」
煌太は、魔力を暴走させる。制御を考えず、全てをユキネの蘇生に傾ける。
ユキネの体は色を取り戻し、血色が回復。心臓が動き、呼吸も始まる。腹の傷も瞬く間に塞がる。だが、ユキネは目を覚まさない。
「ユキネ…ユキネ。起きてくれ、もう傷は無い…」
煌太は、ユキネを抱きしめる。
温もりはあるが、もはや心を感じられない。
「ごめん、ごめん! 俺が…俺が…」
溢れる涙でユキネの頬は濡れる。
煌太の背中は、怒りを忘れ悲しみに浸っている。
「無様だ」
レティスは、煌太に黒い槍を向ける。
「もっと強いと思ったが、買い被り過ぎたようだな」
「…悲しむ気持ちが…弱いというのか?」
「そうだ。死んだ者に何の価値がある? ある筈がない。ただ屍を晒すだけだ」
煌太は、ユキネを抱きかかえ、立ち上がる。
「だったら、俺は弱くていい。死を悲しむ事を止めはしない…。悪以外は!」
レティスは、瞬間移動。
煌太の眼前に立ち、ユキネを取り上げる。
「返せ!」
「…」
レティスは、ユキネを奈落の底に向かって放り投げる。
「ユキネ!」
煌太は、ユキネを追う。
だが、レティスが立ちはだかる。
「死体は捨てろ。要らぬ感情と共に!」
レティスは、黒い槍を煌太に向かって突き出す。
「ふざけるなっ!」
煌太は、黒い槍を躱し、ユキネを追って飛び降りる。
黒い槍は、不自然な動きで煌太を追尾。体を貫くと、強引にレティス元に引き寄せる。
「敵から目を逸らしてはダメだろう?」
「離せ! 早くしないと、ユキネが…」
「あれは死体だ。目覚めぬ者に気を削がれるな」
「まだ生きている! 精神が離れていても、いつか必ず戻る!」
「有り得ない。一度死を受けた体には、魂は戻らない。どんなに綺麗に蘇生してもそれは揺るがない」
レティスに対する激しい怒りが込み上げる。
体から闇が溢れ、煌太の腕を覆う。
「邪魔をするな!」
煌太は、レティスを殴る。
闇の力はこれまでにない威力で、受けたレティスは苦悶の表情を浮かべ膝をつく。
「…これが、魔王の力か…」
(レティス、代われ!)
レティスの中のバアルは、煌太の力に戦闘欲求が爆発寸前。
「まだだ。お前が出る必要はない」
(何を言っている! あの者の力は我でさえ畏怖を感じる)
「だったら証明してやる。私でも十分倒せる」
(…良いだろう。そのかわり、敗色が窺えたら強引に代わる)
「その機会はない」
レティスとバアルが会話している間に、煌太は拳を構えて飛び掛かる。
「壊れろ!」
煌太の拳をギリギリ躱す。
だが、皮膚が裂け出血する。
「凄まじい力だ。だが…」
レティスの傷は直ぐに塞がる。
黒い槍を構え瞬間移動。煌太の死角に回り込みながら、急所を的確に突く。
煌太は、貫かれる事を気にせず拳を振るう。
「神を狂信して人を殺す悪鬼! 今ここで、その罪を終わらせる!」
槍に貫かれながら、煌太の拳はレティスの体を捉える。
激しい衝撃は、肋骨を砕き、内臓を破壊。
「ぐ…。流石に受けてはならないようだな…」
「壊れろ! 罪を償う為に!」
レティスは、黒い槍を引き抜き、煌太を蹴り飛ばす。
煌太は、空中で態勢を整え、両手に深い闇を収束。
「ジャッジ・エンド!」
闇の奔流がレティスを飲み込む。
「アブソープション」
闇の奔流は、レティスの体に吸収されていく。
「闇を…吸収…」
煌太は、断罪の太刀を呼び寄せ、レティスに斬りかかる。
「戦いは非情になった方が勝つ。神を護る為に必要なら、私は何処までも非常になる!」
黒い槍は、吸収した闇を纏い、竜のように蠢く。
「お前の力を利用する。ジャッジ・エンド」
黒い槍より放たれる闇は、煌太のものよりも激しく強い。
煌太を飲み込み、牢を破壊しながら奈落の壁を抉っていく。
「絶対に…お前を…壊す…」
煌太は、闇の中で必死に足掻く。
「それは不可能だ」
闇を掻い潜り、レティスが煌太の腹に黒い槍を突き刺す。
闇の奔流は姿を変え、煌太を縛る鎖に。
「…壊す…絶対に…」
槍によって出来た傷は、煌太の体を侵食し、生命活動を阻止していく。
「まだ生きているのか? 死を受け入れれば楽になる」
レティスは、槍を引き抜き、傷口に腕を突っ込む。
「がぁああああああ!」
「うるさい。少し黙っていろ」
傷口から心臓を触り、闇を塗り込んでいく。
「これで確実に死ぬ。予想通り、お前は人間だ。人間にとって闇は毒。魔力による制御を離れれば、体を護る術はない」
レティスは、煌太に魔力が残っていない事を確認して闇を塗り込んだ。最も効率的で、最も苦痛を伴う方法を敢えて用いた。
「さらばだ、神を殺す可能性を持った者よ。己の運命を受け入れろ」
レティスは、煌太の死を確信して奈落の最下に向かう。
傍観していたグライもレティスを追う。
「…ユキネ…ごめん…」
煌太は、闇に侵食され命の灯が消えていく。
レティスに対する怒りより、ユキネに対する懺悔を胸に…。