優しい勝利
煌太は、帰還する事が出来ないイブを連れて地下一階に戻ってきた。イブは怖かった。煌太を殺す為に赴いた自分が、受け入れられる訳がないと思っていた。だが、その考えは一瞬にして壊れた。住民達は、煌太の「これから一緒に暮らす事になった」の一言で、直ぐに笑顔で受け入れた。誰一人として疑う事も、怪訝な表情を見せる事も無かった。
イブが暮らすようになって1週間。
奈落での生活に慣れ、すっかり住民達と馴染んでいた。
「ねぇ、この商品なんだけど…」
商店の店主に、イブがカタログを見せている。
色々な商品が紹介されていて、その幾つかに赤いペンで丸い印をつけてある。
「ああ、これか。2、3日あれば届くと思う。注文しておくからな」
「…ありがとう」
「どういたしまして」
イブは軽く会釈して、嬉しそうに立ち去る。
次に向かったのは、洋服店。
「すみません、この間頼んだ洋服、来てますか?」
「はい、来てるわよ」
洋服店では、頼んであった洋服を受け取る。
「ありがとう」
「また外のトレンド教えてね」
「はい」
洋服店の店主に手を振り、笑顔で去って行く。
イブは、すっかり住民達との付き合い方を熟知していた。奈落の住民達は、煌太に守られている反動で、誰かに何かを頼られる事にやりがいを感じている。そこに寄り掛かる形で、色々とお願い事をしている。因みに、物資搬入路やエレベーターからの脱出は今も時折試している。だが、何故か奈落に堕とされた訳ではないのに出る事が出来ない。外と遜色ない生活を送れているので、脱出する事にそこまで熱意を持っていない。寧ろ、他に知りたい事がある様。
保育園。
買い物を終えたイブは、注文していた洋服を広げる。
「皆、洋服買って来たよ」
イブが服を買って来たのは、子ども達の服がボロボロになっている為。大人達は、商店に並ぶ服を利用し比較的綺麗な格好を保っている。だが子ども達は、「地上での想い出を忘れたくない」と頑なに着ていた服を変えようとはしない。
子ども達は、未だ警戒心を持っていて、少しずつ恐る恐る近づく。
「これ…僕達に?」
好奇心旺盛なケンジの筈が、洋服をなかなか手に取らない。
「そうよ。さぁ着てみて」
ケンジは、イブの笑顔を裏切らないように洋服を着てみる。
地上で人気のヒーローが描かれたプリントTシャツ。
「これ何?」
ヒーローを指さし、イブに質問。
「それは、ホーリーロード。悪い奴らと戦う正義のヒーロー。子ども達に人気なのよ」
ケンジは、ヒーローの意味をしっかり理解している。そして、カッコいいとも思っている。だけど、あまり嬉しそうではない。
「…どうしたの? 好きじゃなかったかな…」
「お姉ちゃん、違うよ」
声を揃えて、ソウタとソウシが声を掛ける。
「ケンジは、煌太兄ちゃんと比べちゃったんだ。初めて見るヒーローより、ずっと僕達を守ってきた煌太兄ちゃんの方が…カッコいい。それに…僕達の想い出なんだ…その服」
見かねたユキネが口を挟む。
「私達には私達のこだわりがあるの。簡単には割り切れない…こだわりが。だから、特別な事をしないで。煌太が許したのなら私達も許すから…」
ユキネの後ろには、カオリが隠れている。
その目は、恐怖ではなく、怒りに近い。
「…そうよね。物で釣ろうなんて…自分が嫌になる」
イブは、子ども達の前に座り込む。
「お願いします!」
突然の懇願に、子ども達は困惑。
「その…煌太の事を教えて! 私はどうしても知りたいの。どうやってあんな力を手に入れたのか、どうしてあんなに優しいのか」
ユキネは、自信を持って片方の答えを教える。
「煌太が強い理由は分からない。でも、優しい理由は分かる」
「何なの?」
「煌太が優しいのは…煌太だからよ!」
答えになっていない答え。
イブは、期待していただけに固まる。
「実に正しい答えだ」
ユキネの答えに拍手を送りながら、アルモスが現れる。
死んだと思っていたイブは、驚愕。悪魔の出現に、子ども達は恐怖。
たちまち混乱に陥る。
「し、死んだ筈!」
「悪魔だ! 逃げなきゃ!」
イブは、子ども達の前で戦う準備。
ユキネを除く子ども達は、イブの後ろで泣き出す。
「皆、落ち着いて。アルモスは、煌太の仲間だよ」
ユキネは、アルモスを知っているのか、仲良さそうに握手している。
その様子で、子ども達は恐怖から解き放たれ、イブは不可解な表情で立ち尽くす。
「ど、どうして? 悪魔が、人間と?」
「アルモスは、煌太と主従の契約を結んでいるの」
アルモスは、精一杯のぎこちない笑顔を作り。
「そういう事だ。驚かせるつもりは無かったのだが、すまない事をした」
アルモスは、そのまま立ち去ろうと背中を向ける。
だが、イブは煌太の事が気になる。
「待って! 煌太の事…教えてくれる?」
アルモスは、振り返りイブの表情を確かめる。
「どうやら、戦いの為ではなさそうだな…」
アルモスは、子ども達の前に胡座をかき、遠い昔を想い出すかのように話し始める。
「あれは、5年前。煌太様は、敵だった私に突拍子の無い事を聞いてきた。それは、か弱い人間らしい言葉であり、誰よりも強い優しさを秘めた言葉でもあった。今にして思えば、その時既に心を奪われいたのかもしれない…」
5年前、奈落最下。
大量の悪魔の群れに囲まれ、煌太は血だらけで片膝をついている。肩で荒い息を繰り返し、呼吸の合間に何とか立ち上がろうと努力。だが、傷は深く、その状態から抜け出せない。
目の前には、見下すアルモス。
「人間ごときが、悪魔に敵うとでも思ったのか? 他の者と同じように牢で震えていればいいものを」
煌太は、アルモスを睨みながらも悔しさが滲む。
「分かっている…。だがそれでも、俺は戦う。一人でも死なせない為に…」
「人間と言うものは厄介だな。愛だの、友情だの、力無き者にはただの枷でしかない」
「…力か…。なぁ、力は、どうやったら手に入る? お前達を倒せるような力は、どうやったら人間にも使える?」
煌太の投げかけた質問に、アルモスは大声で笑う。
「愚かにも程がある。今殺そうとしている者に、強くなる方法を尋ねるのか?」
「強くなる為に必要なら、俺は悪魔にでも土下座をする」
アルモスは、煌太の質問に興味をそそられる。
「そんなに力が欲しいか?」
「当り前だろ!」
少し考え、新たな楽しみを見出す。
「良いだろう。お前が我々に勝利する方法を教えてやろう」
煌太は、目を輝かせ喜ぶ。
「本当か!」
「ああ。ただ、力を手に入れる事が出来るかはお前次第だ」
「ありがとう!」
煌太は、アルモスの手を握り、笑顔で感謝する。
アルモスは、人間に感謝されて心の奥底で何かが騒ぐのを感じる。
翌日。
アルモスが煌太を誘ったのは、魔界。しかも、もっとも過酷で恐ろしい場所。禍々しい赤い空、枯れ果てた大地、長い年月放置された悪魔の残骸。そこは魔界でも辺境に位置し、ある逸話のせいで戦いを好む悪魔でも立ち入る事を拒む場所。それを裏付けるように、悪魔の姿は見えない。
煌太とアルモスが立っておるのは、荒廃した大地にポツンと建つ巨大な城の前。鋼鉄製の大門には門番の姿は無く、簡単に中に入れるように開いた状態。
「ここに力を手にする方法があるのか?」
「何より勝負と勝利を欲し、数多の悪魔、魔王と様々な死闘を繰り広げ、その全てで勝利した最強の魔王の居城。戦う相手が居なくなったある日、魔王はある触書を魔界全土に送った。「我の勝負に勝った者に、我の全てを授ける」と」
「つまり、その魔王に勝つ事が出来れば良いのか…」
「その通りだ」
「分かった…」
煌太は、躊躇いなく城の中に入っていく。
「おい! 怖くないのか? 最強の魔王は、嘘でも、過大な表現でもない。我にも勝てないような人間が敵う訳がないだろ!」
煌太は振り返り。
「やってみないと分からないだろ。それに、これしか方法は無い」
アルモスの忠告では、煌太を止める事は出来なかった。
城の内部は、より寂れていた。壁はボロボロに壊れ、廊下は所々が抜け落ち、飾ってある絵画は元の状態が分からない程破れている。
奥に向かう煌太は、白の惨状を見ながら溜息を漏らす。
「にしても、寂しい場所だな…」
「仕方あるまい。最強の頂に立った者は常に孤独。この状態こそ、真の最強を証明している」
語るアルモスも恐怖を感じ震えている。
「最強になる意味はあるのか? 得られたものが孤独だけ…俺には理解できない」
「悪魔の喜びは戦いの中にある。人間と同じ基準で考えても理解出来る訳がない」
「そういうものなのか…」
煌太の頭の中は、魔王に対する同情が強くなる。
玉座の間。
ここも寂びれ、奥に控える玉座以外は崩壊した残骸しかない。
玉座には、魔王と思われる影。しかし、眠ってるのか微動だにしない。
「…魔王」
煌太は、玉座に向かい歩く。
アルモスは、恐怖から逃れるように瓦礫に身を隠す。
「さて、魔王はどんな勝負を」
興味津々に瓦礫の脇から顔を覗かせる。
煌太は、玉座の前で止まる。
側頭部から生えた湾曲した角が特徴的な魔王。長く伸びた黒髪は女性のように綺麗で、指全てに嵌められた指輪は、宝石の代わりに紋章が刻まれている。来ている王らしい服は、長い間洗っていないのか薄汚れ、所々が解れている。
「魔王! 俺と勝負をしてくれ!」
煌太は、大声で叫び勝負を申し込む。
(何と愚か!)
アルモスは、煌太の様子と魔王の様子を見比べる。
「…勝負? 貧弱なお前が…?」
魔王は、瞼を開き、煌太の顔をじっくり眺める。
「頼む!」
臆する事の無い煌太の瞳に、魔王は急に嬉しそうに玉座から飛び出す。
そして、煌太の肩を掴み。
「良いだろう。どんな勝負にする? 殺し合いか? 殺した数の勝負か? 魔界の希少種の殲滅か? そうそう、マグマの中で宝石探しってのも久し振りにいいかもな」
魔王は、遊びの種類を数えるように煌太の提案。
だが、煌太はどの勝負にも反応しない。
「…勝負しに来たんだろ? だったらどれか選べ!」
「魔王、勝負を俺が決めても良いか?」
挑戦者の提案は、魔王初めての経験。
怒りの感情は現れず、首を大きく縦に振り。
「良いだろう! そういう骨がある展開もまた良い!」
魔王は大賛同。
煌太は、玉座に来る途中考えていた勝負を口にする。
「俺が考えた勝負は…」
息を呑む魔王。
そして、アルモス。
「優しさ勝負だ!」
煌太が宣言した勝負は、あまりにも魔界にそぐわない勝負。魔王もアルモスも、空いた口が塞がらない。
「一週間の間に、幸せにした人もしくは悪魔の数で競う」
魔王は、煌太の勝負に戸惑うが、敗北を知らない王は逃げる事もまた嫌う。
「良いだろう! 一週間だな。久し振りの勝負、絶対に勝たせてもらう!」
魔王は、煌太の手の甲に爪で小さな傷をつけ鎖型の紋章を刻む。
「これは契約の紋章だ。一週間後ここに来なければ、お前は死ぬ。いいな、逃げるなよ」
魔王は、一目散に走り去っていく。
残された煌太は、少し安心した表情を見せ帰路に就く。
「おい!」
アルモスは、煌太の表情に違和感を覚える。
「勝ち目があるとでも言うのか? 相手は最強の魔王、如何なる方法を使ってでも勝利を手にする。人間ごときが勝てる訳がない!」
「だったらそう思えば良い。勝つか負けるかは、最後まで分からない。それに、魔王にも救いが必要だ…」
煌太の表情には、憂いが混じっていた。
まるで、魔王を心配するかのような…。
そして、一週間後。
魔王の城には、数多の悪魔が押し掛けていた。その誰もがにこやかは表情をし、賑やかな歌で魔王を称える。
「これで勝ちは決まった」
綺麗に修繕された玉座の間では、魔王が今か今かと首を長くして煌太を待っていた。
魔王は、勝負を受けた日から魔界全土を回りありとあらゆる善行を尽くした。滅びかけていた種族や飢餓に苦しむ国を救ったり、路頭に迷う悪魔に住居と役職と与えたり、敵対する国同士を和平に導いたりと、誰もが感謝する行動を行った。その結果、恐怖の対象だった魔王は、優しく慈悲深い存在に変わっていた。
「魔王様」
入ってきたのは、新しく臣下となった悪魔。
「何かあったのか?」
「人間が到着しました」
「そうか! では、早速通してくれ」
玉座の間に通された煌太は、いつにも増してボロボロになっていた。
しかし、集まった悪魔の姿を見て、嬉しそうに笑う。
魔王は、煌太の様子に妙な感覚を覚えながら、本題に移る。
「挑戦者よ、いよいよ決着の時だ。準備は良いか?」
「…いつでも」
魔王は、玉座から立ち上がり、両手を広げる。
「さぁ見渡せ! 我が居城に集いし悪魔全てが幸せにした者だ! お前はどうだ!」
煌太は、両手を広げる。
「十万か?」
「いや、十人だ…」
魔王は、あまりの少なさに落胆する。
「自信があると思ったのだが、たったそれだけ…勝負を投げていたのか?」
「違う。これが俺の限界だ。貧弱な人間では、どんなに体を酷使してもこれが限界だった」
煌太の体は、その答えを物語っていた。
集まった悪魔達は、大声で歓声を送る。
「魔王様、万歳! やっぱり勝利は魔王様の物だ!」
称える悪魔達を見て、煌太は笑顔を見せる。
魔王は、煌太の笑顔を見逃さなかった。
「人間…まさか」
煌太は、魔王の前に正座。瞼を閉じて、魔王の審判を待つ。
「…静まれ―――――――!」
魔王は、歓喜する悪魔を鎮める。
悪魔達が静まり返ると、魔王も膝を付く。
「人間、名前は?」
「天埼煌太…」
「煌太、この勝負は何の為だ?」
「勿論、力が欲しいから…」
「そんな嘘が通じると思うのか? お前の顔は、負けたというのに清々しい。それは何故だ?」
「それは…」
煌太は、これ以上誤魔化す事は出来ないと悟り、真意を話し始める。
「ここの寂しさが、魔王自身の心を投影していると思った。普通の戦いだったら、きっと永遠に孤独のまま。そんなのはあまりにも辛すぎる。だから、優しさ勝負にした。俺の顔が清々しいのは、魔王が孤独じゃなくなったからだ」
魔王は呆れた。
「煌太、お前は底抜けの大馬鹿だ。勝者がかける情けとは次元が違う…」
「これで良いんだよ。どの道、俺が頑張っても救える人はこれ以上増えない…」
煌太の腹部から、血が溢れてくる。
「その傷…」
「人間は弱いんだよ。悪魔と違って、簡単に死んでしまう。どんなに頑張っても思った通りにはならない…」
煌太の顔色はどんどん悪くなり、意識を失う。
魔王は、煌太の傷に触れ、クスクス笑い始める。
「皆の者! この度の勝者は、煌太だ!」
笑顔の魔王は、集まった悪魔達に宣言。
悪魔達は、魔王の言葉に耳を疑った。誰よりも勝利を愛した魔王が、自らの意思で敗北を認めたからだ。
「魔王様、一体どうして?」
「煌太が此度の勝負を申し込まなければ、俺はお前達に優しさを与える事は無かった。お前達が笑っていられるのは、全部煌太のお陰。それは、煌太はここに居る悪魔全員を幸せにしたと同意」
魔王は、自ら力を煌太の体に流し込む。
傷は瞬く間に塞がり、煌太の血色は良くなる。
「煌太は、俺よりも多くの者を幸せにした。よって、文句なしに煌太を勝者とする」
魔王の角が折れ、床に落ちる。
その瞬間、煌太の体から凄まじい闇の光が噴き出す。
「今こそ、新たな魔王が生まれる。誰よりも優しく、誰よりも素晴らしい王だ!」
煌太が瞼を開くと、魔王を含めた全ての悪魔が頭を垂れる。よく見ると、アルモスの姿もある。
「な、何が起きた?」
「煌太よ、お前に全ての力を与えた。俺に勝利した最強の魔王よ、俺に何を望む?」
煌太は、咄嗟だが答えは直ぐに思いついた。
「…幸せな世界」
話を聞き終えた子ども達は、一生懸命拍手を送る。
イブは、目を丸くして驚く。
「そ、それって、魔王と戦う事無く力を手に入れたって事?」
「まぁ、そうなる」
アルモスは、懐から手紙を取り出す。
「これは、かつての魔王、アルスゼアからの手紙だ。中には、王国の現状と国民達の様子が書かれている。読んでみるか?」
イブは、アルモスから手紙を受け取り、早速読み始める。
「…何これ? 本当に魔界からの手紙なの?」
「紛れもなく」
「…畑の様子、水路の整備、民家の建設? 魔界ってこんなに穏やかな話題で盛り上がるの?」
「煌太様の国民ぐらいだろうな」
アルモスの発言に、全員驚愕。
ケンジは、アルモスにしがみ付き。
「煌太兄ちゃん、王様なの?」
ソウタとソウシは、目を輝かせ。
「やっぱり煌太兄ちゃんだ!」
カオリは、嬉しそうにユキネの周りをグルグル回り。
ユキネは、誇らし気に何度も頷く。
「煌太らしい」
喜ぶ子ども達とは違い、イブは何とも不安そう。
「…魔王」
「煌太様が悪魔達の王だと、何か変わるのか?」
アルモスの指摘に、イブは声を荒らげる。
「だって魔王よ! 悪の権化、恐怖の象徴! どう考えても喜んでいい相手ではない!」
「例え魔王でも、煌太様は悪ではない。それはお前も分かっている筈だ。人間にも悪人は居る。それと同じように、悪魔にも平和を愛する者も居る。その者が、何者かが大事なのではない。その者が、何をしてきたかが大事なのだ」
イブは、不安の根底を砕かれる。
そして、急に暗い表情に変わる。
「新参者、お前が何に迷っているのか知っている。その迷いの深さも理解出来る。だが、その迷いを打ち払うのは、肩書や常識ではない。それだけは忘れるなよ」
アルモスは、子ども達の手を振り保育園を後にする。
イブの部屋。
煌太がひょろに頼んで作ってもらった部屋。場所は地下二階で、保育園の真下。ベッド、タンス、冷蔵庫、テレビが設置され、インターネットも使用可。奈落に堕とされた訳ではないので、インターネットに制限はなく、その気になれば粛清院と連絡を取る事も出来る。だが、帰れないと分かってから一度も連絡を試みた事は無い。
イブはベッドに寝っ転がり、アルモスが言っていた事を思い出していた。
「…迷いを打ち払うのは、肩書や常識ではない…。私だって分かっている。でも…そんなに簡単じゃないのよ…」
頭を悩ませていたのは、レティスと煌太どちらを選ぶか。粛清院の一員として憧れてきたレティスは、イブにとって神と同じくらい崇高な存在。それ故に、どんな非道な行為でも必要な事と割り切って来れた。方や煌太は、神の敵として認識されていて、しかも魔王。粛清院の一員としての思考ならば、憎しみを以って妥当しなければならない存在。しかし、粛清院の敵である煌太は、想像を絶するほど優しい存在。敵であっても情を以って接するくらい。今のイブの頭の中では、目的の為に手段を選ばないレティスが少し霞んで見える。
「はぁ…。煌太が悪人なら迷わなくても良かったのに…」
イブが残ると決めてから、ずっと煌太を観察してきた。それは、偵察と言えるものではなく、どちらかと言えば気になった異性を観察するようなもの。だから余計に、迷いは顕在化し、レティスの影が薄くなる。
溜息を何度も漏らしていると、扉をノックする音が聞こえる。
「は~い、どなた?」
「ユキネだけど、開けてくれる?」
イブは、ベッドから起き、扉を開く。
扉の前では、美味しそうな料理を手にユキネが立っている。
「ソウタとソウシが作ったの。どう? 美味しそうでしょ」
「そうね…」
鼻を擽る良い匂い。
だが、イブは全く嬉しそうに見えない。
「…もしかして、お腹でも痛いの?」
「違うわよ」
「ふ~ん、それにしては元気がないね。アルモスが言っていたけど、悩みごとがあるの?」
イブは、悩み解消の一助となる事に期待し、ユキネに質問してみる。
「ねぇ、一つ聞いても良いかな?」
「良いけど、何?」
「ユキネちゃんは、煌太の事をどう思う?」
ユキネは、少し恥ずかしそうに。
「そんなの決まってる。煌太の事がだ~~~い好き!」
突然の告白に、イブまで赤くなる。
「な、何よその答え! こっちまで恥かしくなるじゃない」
「だって、煌太の事聞いたから…。でもどうして? もしかして、イブも?」
「ち、違うわよ!」
力の籠った否定に、ユキネは逆に疑う。
「本当…?」
「あ、当たり前でしょ! だって、敵よ、敵! そ、そんな感情を…持つ訳が…」
敵と断じながら、煌太の顔が浮かぶ。
敵であっても簡単に許してしまう笑顔が。
「敵か…」
ユキネは、恋敵(?)に塩を送る。
「もっと素直で良いと思うよ。誰かを気にしないで、自分の想いを大事にしたら?」
その言葉は、イブの悩みに直撃。
「自分の想い…か」
イブは、ブツブツ言いながら部屋の中に消えていく。
ユキネは、料理を持ったまま扉の外。
「あ、あの…料理…」
ユキネは、恋敵(?)に塩を送った事を少し後悔しながら、誰より苦しんでいる煌太の為に、少しでも負担を減らせる力になる事を望んでいた。