破壊の王と絶望の従者
神が世界を治めるようになり、人々は平和な生活を手に入れた。貧富の差は無くなり、人種や考えによる差別は消え、誰もが平等に扱われる世界。しかし、一部の者達は神の作る平和に不満を持っていた。貴族、資産家、政治家など、かつて私腹を肥やしていた者達にとって神の提唱する平等な世界は不要だった。秘密裏に結託し神の命を狙う輩も現れる程に。そこで、神を守る為に不穏分子を抹殺する目的で生まれたのが『粛清院』。神の目を欺き、神の心を痛めぬように、闇に塗れて仇名す者を討つ。その存在は対象の死を以って秘匿され、今に至っても知られる事は無かった。
奈落、地下一階。
神の恩情のお陰で、奈落始まって以来の賑わいを見せていた。商店は大リニューアル、並ぶ商品は地上と遜色ない物ばかり。食料品や衣料品だけではなく、テレビやラジオまでも。生活環境としては、インフラの整備だけに止まらず、電線を各牢に通し、インターネットまで出来るように。ひょろが目標にしていた生活が送れるようになっていた。
「完成だ…」
ひょろは、完成したばかりの新しい部屋を満足気に見つめている。
手伝っていた奈落の住民も嬉しそう。
「お前が来た時は、「何馬鹿な事言ってるんだ」って思ったけど…ここまでとは」
「いや~、俺達も嬉しいぜ。地下二階、三階って、どんどん改築していこうぜ」
何かを成し遂げるという事は、何かをしたいと思う前向きな心に変わる。前向きな思考が広まれば、奈落であっても人の心は折れる事は無い。
だが、ひょろは少し複雑な思い。
「こうやって完成すると、奈落から出られない事を実感する。俺達は、ず~~~と奈落で生きて行かなくちゃいけないんだよな…」
来たばかりのひょろにしてみれば、充実した環境を手にする事はちょっとした恐怖。地上に帰る夢を諦めているような感覚になる。
「そのうち慣れるって。外の世界でも交通事故で死ぬ事もあるだろ? ここでは、それが悪魔に変わるだけだ。煌太が居る分、地上よりも安全かもしれないぞ」
「そういうもんかな…」
落ち込むひょろの背中に、誰かがへばり付く。
「にょろ父さん、遊んでよ~」
へばり付いていたのは、カオリ。
未だにひょろと言えない事が可愛くて仕方がない。ひょろは鬱になっていたのが嘘のように、とろけそうなデレ~~~っとした顔になる。
「はいはい。じゃあ、帰ろう。皆、また明日」
「お、おお…」
「またな…」
ひょろのデレデレぶりに負け、深刻な話は終わり解散。
奈落の保育園。
転んでも怪我しないような緩衝材を床に敷き詰め、子どもが喜びそうなおもちゃが箱一杯、病気に対応できるように長老への直通電話も用意。ひょろが留守にする事が多々あるので、子ども達でもなんとかなるように必要なものはなんでも揃えた。
子ども達の世話を率先して行っているのは、ユキネ。
他の子ども達とは雰囲気が違い、可愛らしい服を着て三つ編みのポニーテールという奈落らしくない格好。他の子どもは、薄汚れたボロボロな服。
「ケンジ。そろそろ昼ご飯にするから、おもちゃを片付けて。ソウタ、ソウシ。料理を運ぶのを手伝って」
ユキネは、奥に用意されたキッチンで料理を作っていた。
料理のレパートリーは、炒飯などの簡単なものが多いが、この機会に難しい料理にも挑戦している。
ケンジが、料理をするユキネの様子を見に来る。
「ユキネ姉ちゃん、何作ってるの?」
「今日は、えっと…ミネストローネ…だね」
料理の本に載っていた料理。
作った事はないし、どんな味かも不明。説明の通り作っているが、味見した感じではあまり美味しくない。見た目が完璧なだけに何が間違っているのか分からない。
「姉ちゃん、姉ちゃん、俺達が味見する」
ソウタとソウシが、揃ってミネストローネの味見をする。
首を傾げながら、二人で何かを話し合う。
「姉ちゃん、ちょっと貸して」
兄弟揃ってキッチンに立ち、料理の手直し。
もう一度味見をすると、二人共満足気に頷く。
「姉ちゃん、食べてみて」
「う、うん…」
ユキネは、恐る恐るミネストローネを口に運ぶ。
その味はさっきまでとはまるで別物。あまりの美味しさにどんどん食べ進めていく。
「どうだった?」
「…美味しかった。とても…」
食べ終わったユキネは、料理センスの無さに落胆。
疲れた煌太の為に料理を振舞いたかった。
「…ソウタ、ソウシ。料理、好き?」
ソウタもソウシも、迷いを見せず断言。
「うん! 僕達の夢は、二人で料理屋さんをする事なんだ!」
ユキネには、眩しすぎた。
純粋な夢を語る二人は、もう二度と戻れない自分の姿を見ているような気持ちになる。今の自分にあるのは、煌太に対する後ろめたさと仄かな想い。
「だったら、これから料理をお願いしても良いかな? 私が作るより良さそう…」
二人にはユキネの心は理解できない。
純粋に料理できるのが嬉しい。
「うん♪ ありがとう姉ちゃん」
無邪気な二人に任せて、ユキネは外に向かう。
「ただいま~」
タイミング良く煌太が扉を開けて入ってくる。
煌太は、ユキネの悲しみの表情を見て物凄く心配する。
「ユキネ、どうしたんだ? 怪我でもしたか? 腹が痛いか? それとも…」
ユキネの様子を窺いながら、思いつく限り悲しい表情をする原因を連ねる。
煌太の優しい態度は、ユキネにとって嬉しいものであると同時に、自分自身を責めるきっかけでもある。
いつもなら、煌太を心配せないように笑顔を見せるところだが、今日のユキネは違った。
「煌太…聞きたい事があるの?」
「何だ?」
「あ、あのね…煌太は、私達のせいで外に出る事をやめたの? 私達が居なかったら…」
普段は絶対に聞かない質問だが、精神的な混乱に乗じて口にしてしまった。
煌太と共に来ていた長老は、思わず身を隠す。
「そうかもしれないな」
煌太の答えに、ユキネの心は深く沈む。
しかし、続けられた言葉に一瞬にして救われる。
「…だって、俺は皆が好きなんだ。皆が居ない場所で生きて行くなんて考えられない」
「え…?」
「俺が残ったのは皆の傍に居たいからだ。もし皆が外に出ていたら何としてでも外に出る。当り前だろ」
ユキネは煌太が自分を犠牲にしていると思っていた。でも実際は違っていた。煌太は奈落に住まう者を家族として捉えていた。辛い事や悲しい事があっても、一緒に居るだけで心が癒される存在。一生懸命戦っていたのは、大切な家族の為。
ユキネの頬を涙が流れる。
「どうしたんだ? やっぱり調子が悪いのか?」
心配する煌太に、ユキネは抱きつく。
今まで抱えていた心の枷を脱ぎ捨て、余計な事は考えず。
次第に、他の子ども達も集まってくる。
「何事だ?」
カオリを連れて帰って来たひょろは、状況を飲み込めず困惑。
カオリもそうなのだが、自然に煌太に寄っていく。
隠れていた長老は、ひょろに一言。
「儂らの杞憂じゃった」
ひょろは、長老の明るい表情を見て何となく察する。
「そうか、杞憂か…」
奈落とは思えない微笑ましい光景。
誰もが持っていた後ろめたい気持ちはこの日を境に消えていく。
「ギャーーーーーーーーーーー!」
最下より響く悲鳴。
しかも、人間ではなく悪魔の悲鳴。
「…」
煌太は、その異常さに無言になる。
気配に集中し、何が起きたのか事態の解明を進める。
「煌太…」
ユキネは、心配そうに煌太を見つめる。
煌太は、険しい表情。
「皆ごめん、ちょっと行ってくる」
煌太は保育園を後にしながら、ひょろに目で合図を送る。
ひょろは頷き、子ども達の傍に寄る。
煌太は、本当は皆ともう少し一緒に居たかった。だが、その僅かな時間のせいで危険が迫るのは許されない。皆を守る為に今しばらく幸せな時間はお預け。
最下に向かう煌太。
降りる途中、今までにない光景を目の当たりにする。
人間と同じように、牢に隠れて震える悪魔の姿。
「…一体何に怯えているんだ?」
基本、悪魔は怯えない。
力に対して畏敬の念を持っていて、恐怖が如何に強くとも、最終的には尊敬してしまう。力が強い者は正義であり、例え死が待っていても恐怖で汚す事は無い。それだけに、牢の奥で怯える悪魔の姿は異様。
奈落の最下、地下108階。
いつもは悪魔達で賑わう場所だが、今は異様な静けさ。何処を見ても悪魔の姿は無い。
「あいつら、何処に行った?」
煌太は、様子を窺いながら黒い剣を胸から取り出す。
幾ら見渡しても悪魔の姿は無く、最後に自分の牢の中に入る。
「…居ないみたいだな」
牢の中は、いつもの通り何も無い。
だが、何かがおかしい。
煌太は、牢の壁を調べる。
「…」
壁の一角に細工をした痕跡がある。
押してみると、壁が壊れ、奥に小部屋が現れる。
「アルモス!」
小部屋の床に、アルモスが血を流し倒れている。
「煌太…様…」
「何があった?」
「に…人間が…」
アルモスは、意識を失う。
煌太は、「人間」と聞いてイフリートを思い浮かべる。
嫌な予感がして慌てて牢の外へ。
すると…。
「息絶える姿は拝めたかな」
戦闘服を着た人間が5人。
黒いマントを羽織った仮面の女を筆頭に、鉤爪を装着した金髪リーゼントの男、青い剣を腰に携えた美女、瞼を閉じた筋骨隆々の巨大な男、分厚い本をフラフラしながら持つ眼鏡の少女。
仮面の女は、煌太に近づく。
「久し振りだな。確か…3年ぶりかな」
煌太は、仮面の女の声に聞き覚えがあった。
3年ぶりというヒントで、それは確定。
「…神官長。二度と会いたくなかった…」
「まだあの時の事を根に持っているのか? ちょっと平手打ちをしただけだろ?」
「許す訳ないだろ! 神に声を掛けただけでユキネを殴りやがって! ユキネに謝るまで俺は許さない!」
ユキネは、煌太への謝罪を簡単に済ませようとした神に文句を言った。それが気に食わなかったらしく、レティスはユキネを殴った。本人は平手打ちと言っているが、拳を作り本気で殴った。
「謝る? 妙な事を言う。神は崇高な存在、決して関わってはならない存在。それを理解していなかった愚か者が悪い」
煌太は、黒い剣を左手に移し右拳でレティスに殴りかかる。
レティスは躱さず、拳を左頬で受ける。
「…満足か?」
頬に紋章が浮かびあがり、拳を受け止めている。
「…くそっ!」
煌太は、怒りを感じながらも拳を引っ込め、黒い剣を右手に握りなおす。
「悪魔達に何をした? アルモス以外の悪魔は何処だ?」
「全滅だ。全てここに居る」
レティスは、自分の体を指さす。
体から無数の悪魔の思念を感じる。
「…吸収したのか?」
「ご名答。お前を殺す為の糧となってもらった」
煌太は、黒い剣でレティスに斬りかかる。
私怨の為ではなく、純粋な脅威と捉えた為。
「そうはさせない!」
鉤爪の男が、煌太に襲い掛かる。
素早い身の熟しから繰り出される爪撃は、風切り音を響かせ渦を巻くように襲い掛かる。
「早い! だが、足りない!」
煌太は、爪撃を紙一重で躱し、黒い剣の柄で顔面を殴る。
痛みを感じている様子は無いが、鉤爪の男は煌太の動きに驚く。
「次は私だ!」
立て続けに、青い剣の女が横から襲い来る。
こちらは重い斬撃。
回避は容易いが、当たれば只では済まない。
「当たらない…」
煌太が回避した瞬間、鉤爪の男が頭上から攻撃。
二段構えの攻勢に、回避が追い付かなくなる。
鉤爪の回避に専念しているうちに、青い剣が煌太の脇腹に命中。
「もらった!」
「いや、届いていない」
黒い剣より発生した鎖が、青い剣に巻き付いている。
呆気にとられる二人の隙を突き、煌太は黒い剣を地面に突き立てる。
放たれる波動によって、二人は吹き飛ばされる。
「なんて事だ…。今のは結構全力だったわよ」
感嘆する青い剣の女。
「…俺は違う」
認めたくない鉤爪の男。
二の足を踏む二人を見て、眼鏡の少女は嘲笑う。
「人間に負けるようなら、粛清院から出ていく事ね」
分厚い本を開き、捲られたページを読む。
すると、煌太の足元から無数の茨が伸びてくる。
「魔界の植物の栄養になりなさい!」
茨は煌太に巻き付き、針を体に刺す。
血と共に力を吸収し、どんどん大きくなっていく。
「…こんなところで見るとはな」
煌太は深呼吸し、息を止める。
太くなっていた茨は、細くなっていき、最後には枯れてしまう。
「…対処法、どうして知っているの? ま、まさか…魔界に行った事が…」
ついさっきまで笑っていたのが、何かを悟ってから急に震えだす。
三人が沈黙する中で、満を持して瞼を閉じた男が動き出す。
「私に任せろ」
閉じていた瞼を開くと、突如、凄まじい重力が煌太を襲う。
超重力に潰されていくが、煌太は何故か笑顔。
「力を手に入れて浮足立っているようだな…」
超重力の中、煌太はスタスタ歩く。
煌太の足は地面にめり込むが、地面を足の力で抉りながら全身。
「…規格外。この私の重力を軽く踏み越えるとは…」
レティスは、右腕を上げ号令。
「悪魔の力を解放せよ」
青い剣の女が声高に名乗る。
「私の名はフロス! 氷塊の従者」
戦闘服を引き千切り、出現した右腕の紋章を爪で引っ掻く。
紋章が血で染まると体に変化が起きる。
全身が凍り、鎧に変化。竜のような形状の兜を纏い、僅かに覗く目は獣の様。持っていた剣は氷の剣に変化。
次いで鉤爪の男が笑いながら名乗る。
「俺はウィス。風刃の従者」
鉤爪を外し、両手の甲に刻まれた紋章を合わせる。
風が全身を覆い、腕も足も体も顔も鋭い刃のような形状に変化。
三人目に瞼を閉じた男。
「我は、グライ。重力の従者」
人の片鱗も無くし、ただの黒い球体に変化。
在るのは、不気味な大きな目だけ。
最後に眼鏡の少女。
「…イブ。知識の従者…」
分厚い本の最後のページを開き、書かれた紋章をペンで真っ黒に塗りつぶす。
他の者とは違い体の変化はない。その代わり、分厚い本が青い光と赤い光に変わり、周囲を一定速度でぐるぐる回る。
変貌を遂げた四人を見て、煌太は驚く。
「魔力…。これは、悪魔の力なのか?」
レティスは、仮面を外す。
「その通り、神に仇名す者を討つ為に契約した。この私もな」
レティスの目が輝くと、見えない力で煌太は壁まで吹き飛ばされる。
しかも、拘束され動けない。
「しまった!」
その隙を逃さず、ウィスが回転しながら迫ってくる。
回転は次第に竜巻になり、煌太を飲み込む。
「俺の刃で微塵に切り刻んでやるよ!」
竜巻の中でウィスの刃が煌太を刻む。
黒い剣で防ごうとするが、暴風の中では真面に行動する事が出来ない。出来る事は黒い剣から鎖を発生させ、体を包み込む事ぐらい。
「ウィス、私もやらせろっ!」
フロスが竜巻を斬り裂き乱入。
氷の剣を煌太に向けて振るう。
「氷漬けにしてやるよ!」
氷の剣から放たれる冷気で、竜巻と共に煌太の体は凍る。
「お前、俺まで凍るだろ!」
「安心しろ。お前は影響を受けない」
その言葉通り、ウィスは簡単に竜巻から抜け出す。
「一瞬凍ったかと思ったぜ」
「話せた時点で気付けよ」
凍り付いた煌太に、グライが上空から近づく。
大きな目で煌太を捉え、黒いオーラを放つ。
黒いオーラは、凍り付いた竜巻を押し潰し破壊。その勢いのまま煌太も押し潰す。押し潰される最中、煌太を覆っていた鎖は砕け重力に晒される。
「これが本当に力だ!」
その声から歓喜が伝わる。
「もう良い? だったら、拘束しちゃうよ」
イブの声と共に、煌太の近くに赤い光が現れる。
赤い光は高速回転し、封印陣を構築する。
煌太は、封印によって全く動けない状態になる。
「…散々だな…」
全身に酷い傷を負っている煌太だが、辛うじて致命傷に至っていない。
「なかなかの強度だ。本当に人間か疑わしい」
レティスは、封印された煌太を足蹴にする。
何度も何度も繰り返し、深い溜息を吐く。
「神に仇名す者の末路は、いつも同じ」
レティスは白く輝く槍を手にし、煌太に向ける。
「死を以って償うしかない」
白い槍は、煌太の胸を貫く。
煌太は、瞼を開いたまま意識を失う。
レティスと三人の従者は、煌太の死を確信し余裕を見せる。
だが、イブだけは何かに怯えるように震えている。
「どうした? イブ」
「まさか、人殺しが怖いのか?」
心配するグライと、揶揄うウィス。
フロスは、溜息を漏らし氷の剣を煌太の肩に突き刺す。
煌太は、反応しない。
「怯える意味が無い。こいつはもう終わりだ」
イブもそう思いたい。
だけど、煌太の有り得ない状態が恐怖を呼び起こす。
「気付かないの? この男…あれ程の攻撃を受けても体を保っているわ。私は殺傷力が無いから分かる。でも、フロス、ウィス、グライの攻撃でこの程度で済むものなの? 普通なら、体は粉々に砕けている筈。もっとおかしいのはレティス様の槍の影響。利用している悪魔の力を考えれば、原形を保てる訳がない!」
イブの話を聞くと、楽観視していた他の者も異常に気付く。
誰よりも反応したのは、レティス。
「…何を言っている。だったら…」
レティスは、煌太の体に更に槍を突き刺す。
体の変化が起きない事を確認すると、更に一撃。
「やっぱり…異常。この男は危険です、一旦退避を!」
イブの進言に、レティスは断固反対。
「それは出来ない。神の為にも何としても屠る!」
白い槍に力を集中。
巨大な光に包まれる。
「この一撃で、原子に帰る!」
「やめて下さい! 私の知識が教えるんです。このままでは大変な事になると!」
イブの必死の懇願でも、レティスは引き下がる気配を見せない。
「その娘の言う通りだ」
フラフラのアルモスが、煌太の牢から出てくる。
レティスは、巨大な光を弱めアルモスを窺う。
「生きていたのか?」
「…僅かに。それより、その娘の言う通りにするんだ。でなければ、後悔する事になる」
「後悔? 殺し損ねて後悔しても、殺して後悔する事は無い」
アルモスは、深く肩を落とす。
「矮小な人間が突如力を手に入れ、気が大きくなっているのは分かる。だが、もう少し相手の気配を探る術を身に着けた方が良い。お前の使おうとしている力は、煌太様だけではなく、奈落に住まう者にも被害を齎す。そうなれば、煌太様は黙っていない」
「死んだ人間に何が出来る? 出来る事と言ったら、黙して語らぬ事ぐらいだ」
レティスは、再び巨大な光を槍に纏わせる。
そして、煌太に向かって放つ。
巨大な光は爆発し拡大。
奈落の下層を破壊範囲に飲み込む。
「これで、天埼煌太は消滅した!」
大声で勝利を喜ぶレティス。
障壁を張り逃れたアルモスは、光の中で死んでいく人を見て煌太に謝る。
「申し訳ありません…。愚かな人間は、私の言葉ではどうにも…」
イブも恐れている。
恐れるあまり、急いで帰還の為に魔法陣作成。
「急がないと、急がないと!」
イブの異様なまでの慌て方に、ウィス、グライ、フロスも嫌な予感に苛まれる。
そして、その予感は的中する。
「…許さない」
光の中心から煌太の声が聞こえる。
歓喜に浸っていたレティスは、声を聞いて初めて戦慄を覚える。
「まさか!」
煌太の姿が、光の中から徐々に現れる。
体の傷が消えている。
「お前は、悪だ。裁くべき存在」
レティスに迫る煌太に、フロスが氷の剣で斬りかかる。
煌太の体は氷に閉じ込められるが、たった一歩踏み出しただけで粉砕。
「私の氷が…」
今度はウィス。
竜巻を起こし迫るが、一瞬走った黒い光が竜巻を掻き消す。
「上位悪魔の力だぞ!」
グライは巨眼を大きく見開き、最大限の重力を発生させる。
しかし、重力は反転し、逆にグライが地面に叩きつけられる。
「…信じられん」
イブは、ただただ怯えて動けない。
横ぎる煌太に一瞬睨まれただけで、大粒の涙を流す有り様。
「これが…本来の力…」
レティスは、自分の中に現れた恐怖に戸惑っていた。神の名の下、如何なる相手と戦う事になっても決して怯える事が無かった。それは、神を守る強い意思が支えていたお陰。神の存在がある限り、恐怖を感じる事は無いと思っていた。
「恐怖など感じるものか! 神が居る限り、私は無敵だ!」
レティスが槍を構えた瞬間。
「断罪の太刀!」
煌太の黒い剣が、レティスの槍を斬り裂く。
黒い剣は幅が広くなり、中央に炎、氷、雷、光、闇を模った紋章が浮かび上がる。そして、切先に一番近い炎を模った紋章が消える。
「どうして攻撃した? 被害が出る事を知っていたのにどうしてだ!」
煌太の額に、炎を模った紋章が浮かび上がる。
「神は、世界に真の平和を齎した。だが、神の理想を維持する為には、人間はあまりにも罪深い生き物だった。その為に我々は、平和を乱す存在の管理、処分を行った。これこそが奈落の意義! これこそが神の意志!」
黒い剣が、炎を纏う。
「だったら断ち斬る! お前の間違った考えごと、この断罪の太刀で!」
黒い剣の真の名は、断罪の太刀。
中央の紋章は施された封印。煌太自身が力を制御する為にアルモスの協力を得て施した。
「お前には出来ない!」
レティスは白い槍を空中に大量に出現させ、一斉に煌太に向けて放出。
「神に逆らいし者に、死の終焉を!」
大量の白い槍は、レティスを避け、その全てが煌太に向かう。
煌太が断罪の太刀を振るうと、大量の白い槍は不自然に集まり、一塊の光になる。
「殺した人間の痛みを知れ!」
光の塊は、レティスに向けて高速移動。
事態の急変に対応出来ず、レティスは光の塊に包まれる。
「そんな!」
光の塊の中から何とか脱出。
しかし、断罪の太刀を振り下ろす煌太の姿が眼前に。
「レティス様!」
ウィスが、煌太に突進攻撃。
煌太は、断罪の太刀でウィスの刃を受け止める。
「邪魔をするな!」
断罪の太刀に刻まれた光の紋章が消える。
煌太の背中から、光の翼が生える。
翼より発せられる光を浴びたウィス、フロス、グライは急激に力を失う。そして、元の人の姿に戻ってしまう。
「何なんだあの男は! 私達は、何を相手にしているんだ!」
フロスは言い知れぬ恐怖に怯えながら、ただ一人力を失っていないイブの下に走る。
「早く魔法陣を完成させろ!」
「あ、あと少し…あと少し…」
イブの魔法陣は完成間際。
しかし、レティスの状況では間に合うとは思えない。
断罪の太刀を構えた煌太が眼前に迫っている。
「俺は、俺の意思で、その全てを断罪する!」
誰にも止める事が出来ない煌太の怒り。
レティスは、死を確信し瞼を閉じる。
「神よ…」
(何浸ってやがる! 神に救いを乞うより、我に頼め!)
振り下ろされる断罪の太刀。
だが、レティスの背中から伸びる黒い腕が受け止める。
「炎の滅びを受けない…?」
断罪の太刀に纏わせていた見えない炎。触れただけで延焼する筈が現象が起きない。
困惑する煌太を嘲笑うかのように、レティスの中から男の声が響く。
「よもや人間がここまで強いとは…。魔界でもなかなか存在しない!」
レティスに変化。
黒い鎧を纏い、頭には王冠。手にした白い槍は、黒く禍々しい形状に変化。
「我は、破壊の王バアル! 強者との邂逅に心躍らせ参ったぞ!」
黒い腕が体内に戻り、今度は肩から二本の腕が出現。
黒い腕にはそれぞれ形状の違う黒い槍が握られている。
「人間よ。名は何と言う?」
「…天埼煌太」
「煌太よ。我は楽しいぞ! これ程の強者と戦える事が!」
黒い腕が伸び、槍で煌太に攻撃。
煌太は翼を羽ばたかせ上空に回避。
「戦いに興じるつもりはない」
煌太は、翼より光を大量放出。
バアルは、光を受け苦しみ始める。
「…ぐぅううう。あの光は、魔力を根底から削るのか。悪魔にとっては致命的な攻撃…」
(大丈夫なのか?)
心配するレティスの声に、バアルは笑って応答。
「いや、危険だな。不完全な状態では、時間稼ぎが限界か…」
バアルは黒い槍を幾つも作り、束ねていく。
何本も何本も束ねると、黒い槍は闇の光になる。
「煌太! 我が力、その体に刻め!」
闇の光は、翼より発せられる光を吸収。
光と闇が融合した槍に変化。
「デストラクション!」
光と闇の槍を煌太に向けて放つ。
空間を斬り裂き、煌太の体を貫く。
(勝ったのか!)
レティスの歓喜とは裏腹に、バアルの答えは落胆に満ちていた。
「無駄に終わったか…」
バアルは戦う事を止め、イブの下に走る。
疑問を抱くレティスは、体の支配を自分に移す。
「あの傷で生きている? そんな化け物であってなるものか」
バアルの意思を無視し、煌太の状態を確認すべく近づく。
バアルの放った槍は、確実に煌太の体を貫通している。しかも、深く項垂れ、意識が無いようにも見える。
「やはり死んでいる。バアル、少々怯え過ぎではないか?」
(愚か者! 何処が死んでいるというのだ! これはただの…)
バアルの忠告虚しく、背後から断罪の太刀が振り下ろされる。
咄嗟の回避で、何とか左腕だけの損失で待逃れる。
「どうして背後に…」
痛みで意識を失うレティス。
バアルが体の支配を受け持つ。
「愚か…そして、無知。お前も…我も…。こうして見比べても…現実と見間違う」
バアルは、背後の煌太と槍が突き刺さった煌太を交互に見る。
何度も見比べるうちに、槍が刺さった煌太は水面に映った景色のようにたゆたい消える。
「バアル、レティスから離れろ。そうしなければお前も死ぬ」
煌太は、断罪の太刀を上段に構え迫ってくる。
ただならなぬ雰囲気に、バアルも圧倒される。
「残念だが、この女にはまだ用がある」
バアルは、改めてイブの下に走る。
「早く魔法陣を発動しろ!」
「は、はい!」
イブは用意していた魔法陣を起動。
「ウィス、フロス、グライ、さっさと逃げろ! 俺達も直ぐに向かう」
言われた通り三人は魔法陣の中に消える。
バアルも急ぐのだが、魔法陣間際で煌太が立ちはだかる。
「罪を償え!」
煌太は、断罪の太刀をバアルに向けて振り下ろす。
バアルは、冷や汗を垂らしながらも余裕を見せる。
「今は拒否!」
バアルと煌太の間に、突如、イブが瞬間移動する。
勢いよく振り下ろした断罪の太刀は、簡単には止まらない。バアルを倒す事を考えれば、イブを犠牲にしてそのまま振り下ろせばいい。だが、煌太は目的の為に何かを犠牲にする事は絶対にしない。
「…はぁ」
煌太は、断罪の太刀を強引に体に戻す。
イブの目の前を、何も持たない煌太の手が通過していく。
「思った通りだ!」
バアルは、魔法陣の中に消えていく。
「煌太よ。お前は優しすぎる。敵ならば、問答無用に殺さなくてはな…」
煌太は、消えていくバアルに悔しさを滲ませる。
抑えきれない感情を叫び、死んでいった者達の事を想い瞼を閉じる。
バアルによって取り残されたイブは、煌太にから離れ、再び魔法陣をの構築を試みる。
「…死にたくない、死にたく…ない」
必死に作る魔法陣だが、何故か上手く作れない。
「嫌、嫌…お願い…早く…」
魔法陣の骨格を描くが、線は歪み、文字の位置がバラバラ。恐怖心が冷静さを奪い、魔法陣作成の為に必要な集中力を完全に奪っていた。
そこに、煌太が近づいてくる。
「何をしている?」
煌太の声を聞くと、イブの恐怖は絶頂に達する。
涙で濡れた顔で振り返り、煌太に懇願する。
「お願い! 殺さないで!」
煌太の足にしがみ付き、大粒の涙を流しながら何度も何度も頭を下げる。
「…殺しはしない」
煌太は膝を付き、イブの頭を撫でる。
「だから、もう泣くな」
見上げた煌太の顔は、満面の笑み。
イブの中で、恐怖が和らいでいく。
そして、煌太の頬に残った涙の跡を見ると自分の過ちを痛感する。
粛清院、研究所。
命からがら逃げ伸びたレティス達は、敗走の事実に落胆していた。それは、治療にあたる他のメンバーも同様。研究所は暗く沈んだ雰囲気に包まれている。
「まさか、あれ程とは…」
ウィスは、震える手を必死に押さえている。
「高位の悪魔と契約した結果がこれか…」
フロスは、用意されたかき氷を貪っている。
「お前達、イブの事を心配しろ。敵の下にたった一人…どれだけ危険か」
グライは、残してきたイブを心配する。
「…敗戦を演じてしまったのは、私のせいだ。力を過信し、状況を甘く見、結果…この有り様…」
レティスは、切断された左肩を押さえ痛みと苦しみに耐えている。その激痛は、今まで強硬だった姿勢を一変させる程。
(レティスよ。少し良いか? 話がある)
レティスはバアルと代わる。
「これより話すのは、煌太との戦いを続ける覚悟が無ければ意味が無い。お前達に、あの恐怖と戦う覚悟はあるか?」
黙り込む一同。
口を開いたのは、フロス。
「その話の先には、勝利はあるのか?」
「勿論だ…と言いたいが、実際は五分五分」
「五分もあるのか…。だったら、私は覚悟を決めた! 負け犬のまま終われるか!」
フロスが決意を固めると、ウィスとグライも頷き賛同。
三人の意向を確認したバアルは、最後にレティスに聞く。
「お前はどうだ?」
(…私は、神を守る為に命を捨てる覚悟は決めている。一々聞くな)
「では、話しをしよう」
バアルは、床に魔法陣を描き始める。
「我々が煌太と互角に渡り合う為に…」
魔法陣は、禍々しい闇を放つ。
「魔界に赴き大量の悪魔を喰らう。それがパワーアップ最大の近道。だが、悪魔達との戦いは非常に危険で過酷になる。弱い覚悟では乗り切れない」
バアルの悪魔らしい発想に、決意を決めたものの少し恐ろしくなる。
だが、決意は揺るがず口を差し挟む者は居ない。
意志を確認したバアルは笑みを浮かべる。
「さて、強くなろうか。我々の世界で」