解き放たれた炎⁉
奈落には日の光は届かない。
最下に隠された魔法陣によって魔界の瘴気が注ぎ込まれ、自然界に存在する明かりは全て闇に飲み込まれる。堕とされた者達を照らすのは、通路に設置された蛍光灯のみ。悪魔達が標的を探しやすくする為に設置された恐怖の光。
深い闇の中、堕とされた者達は光を避ける。
…いや、避けていた。
今の奈落には、太陽の輝きが存在する。
天埼煌太という輝きが…。
地下一階。
これまでも賑わいの在る場所だったが、ひょろの提案で今までにない変化を見せようとしていた。
「そこは、思い切って壊してくれ」
「良いのか?」
「構わない。変化の為には大胆な行動も必要だ」
ひょろが陣頭に立って行っているのは、地下一階の改装。奈落に地上の生活環境に近い空間を作るのが目的。ひょろの大工経験を活かして綺麗な部屋を作っていく。
最初に取り掛かった保育園は、煌太の協力で数時間で完成。今は商店街の改装中。
「お~お~、やっておるな」
長老は、髭を扱きながらひょろの仕事ぶりを視察。作業を開始してから毎日来ている。
「出来るだけ早く完成させたくて…」
ひょろは、変わっていく地下一階の様子に満足気。
しかし、一つだけ気になる事があった。
「ところで長老。質問しても良いですか?」
「何じゃ?」
「集めて貰った資材ですが、何処から仕入れたんですか? 奈落では、簡単に手に入らないような気がして…」
「気になるのは尤もじゃな。ちょっと来てくれんか?」
長老は、ひょろの手を引いて幕のかかった牢の前に連れて行く。異臭とまではいかないが、なんとも独特で長時間居たくない臭いが漂ってくる。
幕を剥ぐと、中には何かの角、牙、爪などが大量に置かれている。
「ここは倉庫。置かれているのは、悪魔の一部じゃ」
ひょろは、臭いに嫌悪しながら角を手に取る。
「確かに、俺を襲った悪魔のモノにそっくりだ…って、これが仕入れの謎?」
「そうじゃよ。悪魔の角や牙には魔力が宿っているらしいぞ。その魔力が地上では貴重品らしくて、奈落を管理している業者が高値で売れると欲しがっておる。そこに付け込んで、物々交換の要領で取引をしているんじゃよ」
納得したひょろは、奈落の現状に溜息を漏らす。
「って事は、煌太が居なければ商売は不可能なのか…。何と言うか、頼りっきりだな…」
長老は、ひょろの意見に賛同しつつ表情が暗くなる。
「全くじゃ…。儂らがもう少し強ければ、煌太に自由を与える事が………今のは忘れてくれ」
ひょろは、ユキネの言葉を思い出す。
「長老、煌太は堕とされる筈じゃなかったのか?」
「…何故そう思うんじゃ?」
「ユキネがそんな感じの事を言っていたから…」
長老の顔は、益々暗くなる。
「煌太は…大人達の嘘でここに来た。いわば、犯罪の被害者…。そして、儂らのせいで…奈落から出る機会を捨てた…」
「本当なのか? 神の予知で奈落に来る者は選定される。もしかして、神が嘘に騙された?」
「確かに選定は神が行う。だが、神は犯罪因子者を告げるだけで、実際に奈落に搬送するのは役人の仕事じゃ。そのせいで悲劇は起きた…」
長老は、荷物の上に腰掛け、煌太の事を語り始めた。
「煌太は、幼い頃に両親を失い保護施設で生活を送っていた。今と変わらず、困った者の為に戦うヒーローとして…。じゃが、それは大人達にしてみれば邪魔なだけ。子ども達をコントロール出来ない状況が続き、遂に間違った行動に出る。煌太に運営費を盗んだ嫌疑をかけ、審議官の下に送った。審議官には保護施設の息がかかっていて、正式な調査を行わず奈落に堕とす決定をした。しかも巧妙な偽装をして、神の選定が行われたかのように…。奈落に堕とされた煌太は、最下の牢に入れられた。神が気付く前に死ぬ事を想定して。しかし、煌太は死ななかった。5年にも及ぶ絶望の戦いを経て、悪魔を倒せる存在へと進化。大人達の企ては破綻し、とうとう神の知るところになった。神は、自ら奈落に赴き、煌太に謝罪した。地上での幸せな生活と神の側近の座を用意して。これ以上ない好条件。当然、地上へ帰るものと思っておった。じゃが、煌太はあっさり断った。「俺が居なくなったら、皆の未来は無くなる」と…」
長老は立ち上がり、倉庫の外へ向かう。
「儂らは自分達の命の為に、煌太の自由を奪った。儂らがもし「心配するな」と強い意思を見せる事が出来たなら、煌太は外の世界に帰る事が出来たかもしれん…」
去って行く長老に、ひょろは最後の質問。
「煌太は、辛いと言ったのか?」
「…一言も」
「じゃあ、誰も悪くない。罪悪感に苛まれる必要は…」
「ある!」
長老は強い語気で否定した後、それ以上何も言わず立ち去る。
煌太に対する深い懺悔と後悔は、奈落に住まう者の心を縛り付けていた。
その頃、煌太は最下から順に上がっていた。
「危機に瀕している人は…」
手摺を足場にして、軽やかに、そして素早く、風のように上っていく。汗を流す事も、呼吸を乱す事も無い姿は、何処からどう見ても人の枠を軽く凌駕している。
「うああああああああああ!」
上の階から男性の悲鳴が聞こえる。
煌太は、速度を上げ、声のする階へ一気に上る。
そこには、人の腹を引き裂く悪魔の姿。
「またお前か! いい加減にしろ!」
駆け上がりながら、すり抜けるように黒い剣で悪魔を一刀両断。
悪魔の死体を蹴り飛ばし、腹を裂かれた人の様子を見る。
「大丈夫か!」
深く裂かれた体は、もはや手遅れ。
息も絶え絶えに、煌太に笑顔を見せる。
「…煌太…ありがとう…。助けに…来てくれると…思ってた…。やっぱり…俺達…の…ヒーロー…だ…」
男性は、笑顔を残したまま絶命。
煌太は、男性の死体を抱きしめる。
「すまない…。俺が、もっと早ければ…」
助けられなかった悔しさに、煌太は涙が溢れてくる。
奈落の悪魔達は何度でも復活する。しかし、その都度記憶が失われ、煌太に対する恐怖や無力感は復活した時には無くなっている。そのせいで、煌太が殺した悪魔は必ずまた人を襲う。何度繰り返しても、そのサイクルは変わらない。
「煌太様、お察しします」
涙を流す煌太の背後に、黒いオーラを放つ悪魔が現れる。
貴族のような出で立ちで、長く伸ばした黒髪から湾曲した角が2本。牙や爪は短く、体格も人間と大差ない。
「アルモス、この悪魔の記憶を…」
「了解しました」
アルモスは、悪魔の死体に指を突き刺す。
「№773…カテゴリー3…撃滅回数38。カテゴリー4への移行は見られない…」
アルモスは、煌太の力に従属を誓った悪魔。膨大な魔界の知識を保有し、煌太が強くなる為に必要な情報を提供し続けている。とは言っても、強さ云々以外にも心酔している。
カテゴリーは、悪魔を力別に分類した階級。1と2は低級。3と4は中級。5は上級と判断。5以上はAとSに分類され、魔王とその臣下に値する。奈落に居る悪魔は、最大で5。AとSは、魔界にしかいない。
「やっぱり、カテゴリー3には記憶の刷り込みは出来ないのか?」
「以前も申しましたが、刷り込みを行えるのはカテゴリー4からです。3までの悪魔は、力が弱くて記憶が保持されません…」
「そうか…」
煌太は男性の死体に手を合わせ、再び上階に昇っていく。
アルモスは、男性の死体に呪文をかける。
「お前は運が良い。煌太様が居る世界に生まれて…」
男性の死体は、光の塊に変わり上層に向けて飛んでいく。
そして、地下一階を超え、外に。
煌太は、その様子を見ながら決意を胸に刻む。
(いつか、皆を外に…)
諦めきれない煌太の目標。
それは、奈落に堕とされた者達の解放。
煌太は、いつもよりも速いペースで地下一階に辿り着いた。
いつもよりも賑やかで、子ども達の部屋の前に人だかりが出来ている。
「押さないでね~。ちゃんと、皆の分ありますから」
人だかりの中心には、新入りと思われる男性の姿。
新入りが来るのは珍しくないが、その服装はかなり珍しい。
「法衣…? どうして神に仕える者が…」
今までではありえない神職の男性に否応なしに警官感が強くなる。
煌太が警戒心を抱いていると、法衣を着た男性は近づいてくる。
「あなたも、お一つどうですか?」
差し出したのは、クッキー。
甘く良い匂いがして、腹の虫が騒めく。
「…お前は、どうしてここに? 神官だよな…?」
煌太の質問に、法衣の男性は満面の笑みで答える。
「そうですよ。神の見た未来では、どうやら犯罪を犯すようです。自分では自覚は無いのですか…神の仰る事には間違いはありませんからね」
笑顔を絶やさない法衣の男性に、煌太の不信感は益々強くなる。
差し出されたクッキーを受け取らない。
「兄ちゃん、食べないの?」
ケンジは沢山のクッキーを抱え、嬉しそうに笑っている。煌太が拒んだクッキーも貰いそうな勢い。
「ちょっとな…。ケンジも今は食べるなよ。皆と一緒が良いだろ?」
「うん♪」
煌太は、クッキーをこれ以上受け取らないように促す。
その上で、法衣の男性に質問。
「何時ここに来た?」
「今し方です。来たばかりで不安でしたが、このように笑顔が溢れているとは」
「それはおかしいな。だったら、地下一階に居る筈がない」
「どうしてでしょうか? 神に仕えていた者が低犯罪エリアに居ても不思議では…」
「奈落に堕とされる者は、特例を除き犯罪の重さで階層が決まる。その例外ってのは、子どもかどうかだ。大人の犯罪因子者は、どんなに情状酌量を考えても地下10回以降だ。地下10階以上は、基本子どもにしか割り当てられない。来たばかりでここに居るのは、不自然!」
法衣の男性は、慌てて繕う。
「私は元神官。他の人とは違う裁定もあり得るでしょう」
「ない。絶対にな」
「どうしてそこまで言い切れるのですか?」
「俺は何度も見てきた。どんな役職にあろうと、どんな過去があろうと、神は人を区別しない。決められた法に則って決定を下すのみ。もし、お前が地下一階に降ろされたのなら、それは…お前が今も神官だからだ!」
煌太の指摘に、法衣の男性は深い溜息を漏らす。
「はぁ~、こんなに早く気付かれるとは…。あなた達の現状を知り、心の支えになりたいと神に申し出たのです」
開き直ったような仕草だが、嘘を認め弁明した事で奈落の住民達は一様に安心。
「だったら、もういいよな」
一人の男性が、クッキーを口に運ぶ。
「止めろ! まだ信用するのは早い!」
しかし、時すでに遅し。
男性はクッキーを胃の中に送り込んでいた。
「大丈夫だぜ。ほらっ」
男性は健在ぶりをアピール。
だが、直ぐに様子が変化。
「…あれっ? 何だか、意識が…」
男性は、泡を吹きながら倒れる。
噴き出す泡には、次第に血が混じる。
「…おい…」
煌太は、男性の下に駆け寄る。
胸に耳を当て、心臓の音を探る。
しかし、心臓は鼓動していない。
「死んだ…」
次第に湧き上がる怒り。
煌太は、法衣の男性の胸倉を掴む。
「どうして殺した!」
法衣の男性は、にこやかな表情を一変。
鬼のような形相で奇妙な笑い声を上げる。
「ギュキイィイイイ! 決まってるだろうよ~! ここに居る人間は、殺さなきゃいけねぇ存在なのよ~! 辛いだろ、苦しいだろ~。だったら、早々に楽にしてあげねぇとな~!」
煌太は、怒りの任せて法衣の男性を殴り飛ばす。
法衣の男性は、通路の手摺に激突し、勢い余って落下。
しかし、直ぐに浮き上がってくる。
「いきなり殴るとは…お前はやっぱり、は・ん・ざ・い・者。ギュキイィイイイイ! 今直ぐ殺してやるぜ~!」
法衣の男性の体に変化。
体がどんどん大きくなり、着ていた法衣が破れる。露わになった上半身の皮膚は、岩のように変化しひび割れ、ひび割れた隙間から炎が噴き出す。炎は岩の皮膚を真っ赤に燃やし、マグマのように激しい熱を帯びる。
「どうだ~、このッ姿! これは、俺達の研究のせい~~~~か。炎の悪魔を掛け合わせた姿ッ! 俺の名は、イフリーーーーーート! 灼熱の王様だよ~~~~~! ギュキイィイイイイイイ!」
イフリートと名乗った法衣の男性は、もはや悪魔そのもの。
集まっていた者達は、悪魔の恐怖から一目散に逃げる。
ケンジも逃げるが、足が絡まり転ぶ。
「うぅううう…ひぃっく…痛いよ~…誰か…助けてよ…」
必死に涙を堪えるケンジ。
煌太はイフリートを無視し、ケンジを抱き起す。
「大丈夫か?」
「…兄ちゃん、怖いよ、痛いよ…うぅ…」
煌太はケンジを抱え、保育園に走る。
だが、イフリートは簡単には見逃さない。
「幼子よ…今直ぐ殺してやるよ~~~~~!」
熱を帯びた剛腕を、煌太ではなくケンジに向ける。
「ふざけるな!」
煌太は咄嗟に身を翻し、自身の体でケンジへの一撃を庇う。
「兄ちゃん!」
「大丈夫だ…」
煌太の背中は、真っ赤に焼け爛れる。
それでも、ケンジを逃がすべく前進。
「今の一撃で沈まないとは…タフ。タフタフタフ…タフ! 殺し甲斐があるってもんだ~~~!」
イフリートは、尚もケンジを狙い続ける。
煌太が庇う事を知って態と…。
騒ぎを聞きつけたひょろが、煌太の下に駆け付ける。
「煌太!」
「俺の事はいい。早く、ケンジを…」
「分かった」
ひょろはケンジを受け取ると、保育園に急いで逃げる。
「逃がさないぜ~~~~!」
追撃に向かうイフリートだが、煌太がそれを許さない。
黒い剣を胸から取り出し、イフリートの背後に斬撃を見舞う。
「ケンジに手を出すな!」
「ギュキイィイイイイイイ! 折角解放してやろうとしたのにぃーーー。辛い現実から逃げられる最後の方法だぜ。死なせてやろうよ~~~」
イフリートの言いたい事は、奈落の現状。
奈落に堕とされた者は、生きて解放される事ない。奈落の外に出たければ、死ぬ以外に方法は無い。
「下らない! ここに居る者が生きる事を諦めていると思うのか? 馬鹿らしい、そんな事は思っていない! 皆、生きる意思を持っている。未来への希望を持っている!」
煌太は、何度もイフリートの背中を斬り続ける。
「下らないのはお前だよ~! 希望がある訳無いだろ。この奈落に~~~!」
「皆には俺が居る! 生きる事を許さない世界は…俺が断ち斬る!」
イフリートの皮膚は、見た目通り硬くて黒い剣の斬撃が効かない。
それでも、響き渡る煌太の言葉は奈落に住まう者の心を強くする。
「出来るわきゃねぇだろーーーー! そんな馬鹿には、死のお仕置きが必要だな。ギュキイィイイイイイイ!」
イフリートは方向転換し、煌太に向けて拳を振るう。
風を切る速度に、煌太の回避はギリギリ。
しかし、煌太に焦りの感情は無い。
「こっちに来い!」
煌太は回避しながら手摺を超え、階下に落ちていく。
イフリートも後を追い、落下。
危機が去った地下一階では、煌太を応援する者達が手摺越しに声援を送る。
「頑張れ、煌太ーーーー!」
「俺達は、生きる希望を捨てないぞーーーー!」
沸き立つ住民達。
だが、こっそり様子を見に来たユキネは違っていた。
「…煌太、ごめんなさい…」
奈落に縛り付けている後悔の念が、ユキネの中で茨のように成長していた。
落下する煌太は、真っ直ぐに最下に向かっていた。
イフリートの姿に怯える人達に為に、出来るだけ早く最下に降りたい。
「何処まで行くつもりだ~? 人間を殺させないつもりか~? つまらん、つまらん、つまらん!」
追うように落下してきたイフリートだが、地下30階を超えた辺りから人間を見ながらそわそわする。殺したい衝動を抑えられないのか、ブツブツ殺意方法を口にしている。
そして地下38階で、手摺に手を掛け留まる。
「戦う前に、ちょっとここいらで…」
イフリートは、獲物を物色するように牢の中に入っていく。
煌太は嫌な予感を抱き、イフリートの後を追う。
「人間み~つけた~~!」
イフリートは、牢の奥で縮み上がっている男性に近づく。
「お前は、生きる意志があるのか?」
殺すのではなく、質問。
後を追ってきた煌太は、予想外の展開に様子を窺う。
「…い、生きたい…。生きて、もう一度家族に会いたい…」
震える言葉だが、男性の意思はしっかり伝わる。
「ほ~、奈落から出る事は不可能だぞ。家族に会いたい望みは叶わない~~~! それでも、生きる希望はあるのか~?」
「あ…ある…」
「ただ怖がっているだけじゃねぇのか? 悪魔に殺されたくないから、引き籠っているだけだろ~~~?」
男性は、何も言えず蹲る。
煌太が、イフリートを諭すように話す。
「それでもいいだろ。殺されたくないって事は、生きたいって事の証拠。家族に会いたい気持ちを恐怖が上回っていたとしても、生きたい意思に変化はない。絶望し死を受け入れたなら、とっくに外に出ている」
「はぁ~~~~。意思はあっても、永遠に苦痛を味わう…」
イフリートは、溜息を漏らし牢から出る。
煌太は、殺さなかった事に安堵した。
だが…。
「やっぱり死んだ方が良いって~~~~!」
イフリートの手から火球が放たれる。
安堵していたせいで煌太の反応は遅れ、男性は炎に包まれる。
「死にたくない、死にたくない! 助け…て…」
炎に包まれる男性は、泣きながら焼け死んでいく。
「…」
煌太は、炎に包まれる男性を抱きかかえる。
炎で体が焼けても構わず。
「すまない…。俺が…居たのに…」
油断した後悔、イフリートを許そうと考えた後悔、頭の中は自分を責める言葉が飛び交う。どうして殺さないと思った、既に一人殺しているのに…。どうして攻撃しなかった、既に悪と断定出来ているのに…。どうして、どうして…。自分を責める言葉は、次第に1つの結論に至る。
「…許してはならない」
男性の体から炎が消える。
消火ではなく、消失。一切の熱量を残さず、炎の残滓も残さず。そして何故か、男性の体も消えていく。安らかな顔になり…。
イフリートは、その異様さに気付いていない。
「次は、隣か。ギュキイィイイイイイイ!」
隣の牢に向かうイフリート。
意気揚々な表情は、突如鈍る。
「な、何だ…?」
全身を駆け巡る激痛。
体を隈なく調べるが、傷は付いていない。
「許しを乞うても、もう遅い…」
イフリートの視界に、一瞬煌太の姿が映る。
そして再び襲う激痛。
乱雑に拳を振るっていると、背後に煌太の姿が見える。
「お前の仕業かーーーーー!」
火球を煌太に向かって放つ。
しかし、火球は煌太の前で消える。
「お前は痛みを知れ! 痛みを知らないから、人を殺す!」
煌太は、黒い剣で斬りつける。
今まで同様、イフリートを傷つける事は無い。
だがイフリートは、あまりの激痛に苦悶の表情を浮かべ、真面に声も出せない。
「…ギュ…イィイイ・・・イイイイ…これは…」
ダメージの訳を黒い剣と悟り、イフリートは背中から炎を吹き浮遊し大穴の中央に移動。
「お、お前…内部に振動を…」
煌太は質問に答えず、手摺を足場にイフリートに飛び掛かる。
イフリートは、煌太から逃げるように上昇。
しかし、黒い剣から放出された鎖が足に絡まり引き摺り降ろされる。絡まった鎖は血が噴き出るほど食い込み、激痛はイフリートを襲う。
「痛いだろ? 逃げ出したいほどに…」
イフリートは何度も引き千切ろうと試みるが、鎖はビクともしない。
「何だこの鎖は!」
煌太は鎖を纏めて掴み、振り回し遠心力をつけ通路に叩きつける。
激しい激震で通路の一部が崩落。地下39階にイフリートは落下。
「ギュキイィイイイイイイ! 失策だな!」
イフリートは、わざと離れた牢に炎を放つ。
「俺を落としたせいで、人が死ぬぞ~~~~~!」
炎の的となった女性は、迫りくる炎に死を覚悟。
両手を合わせて、強く瞼を閉じる。
「もう誰も…殺させない」
女性の耳に聞こえる煌太の声。
瞼を開くと、両手を広げる煌太の姿。
「煌太…」
微笑む煌太は、その身で炎を受ける。
離れた場所の為、黒い剣で斬り裂く暇が無かった。
「ギュキイィイイイイイイ! 良い事思いついたぜ~~~」
イフリートは、再び離れた牢に炎を放つ。
同じように、煌太は炎を受ける盾になる。
「た・の・し・い…。楽しいぞーーーー!」
何度も放たれる炎。
皮膚は爛れて破れ、牢で隠れる者の顔には煌太の血が降りかかる。
牢に潜んでいた者達は、格子にしがみ付き。
「止めてくれ…煌太、もういい」
「私達の事はもういいの。だから…死なないで」
守る事を止めるように必死に頼み込む。
彼らは自分達のせいで煌太が苦しむ事に耐えられない。煌太が苦しむぐらいなら、煌太の邪魔になるぐらいなら、いっそ炎に焼かれて死んでしまいたい。煌太に守られてきた彼らにとって、自分の命より煌太の命が大事だった。
しかし、煌太は…。
「絶対に…守るから」
微笑みながら、炎を受ける。
繰り返される一方的な攻撃だが、煌太に思いの外ダメージの蓄積は無い。受けた炎は、一瞬全身を覆うが、直ぐに鎮火。異常な状態なのだが、イフリートは高揚する感情に振り回され、煌太の状態に思いを馳せる余裕はない。
「そろそろ死んでもらおうかな~~~~! ギュキイィイイイイイイ!」
イフリートは全身を炎に変え、煌太に向けて突進。
煌太は、両手を広げたまま突進を受ける。
「馬鹿馬鹿バーーーーカ! 最大火力を受け止められる訳ねぇよ~~~!」
イフリートから放たれる炎は、煌太の体を完全に飲み込む。
牢に潜んで居た者達は、炎に包まれる煌太を見ていられない。
「俺達のせいで…」
その時、炎に黒い影が混じる。
イフリートは、目の前で起きる現象に違和感を覚える。
「何だ、炎の感覚が…」
叫び続けていたイフリートが、久方ぶりに冷静な顔になる。
力を集中し、火力を増強。
しかし、炎は拡大せず、寧ろ徐々に小さくなっていく。
「おいおい! 俺の炎が、何故弱く…?」
そして、炎は鎮火。
「イフリート、お前の罪を焼き尽くす!」
炎から現れる煌太。
爛れた皮膚は元に戻り、疲弊した様子も無い。手に持った黒い剣は消え、代わりに、両手の甲に炎を模った紋章が浮かび上がる。
「嘘だろ!」
驚愕するイフリートに、煌太は右拳を叩きつける。
吹き飛ばされるイフリート。
拳を受けた左肩は、白く脱色し、表面がボロボロ崩れていく。
「ギュキ! 肩の感覚が…無い…」
白い脱色は拡大し、イフリートの左腕全体が白色化。
全く動かせなくなる。
「お前は、罪を犯した」
イフリートの背後に煌太。
今度は、左拳で右肩を殴る。
左同様、白色化が進み、感覚を奪う。
「何をした! どうして俺の腕は動かなくなった!」
イフリートの質問に、煌太は答えない。
代わりに、白色化した右腕を掴む。
すると、腕は灰となって砕け散る。
「ギュキアアアアアアアアアア! 俺の腕がーーーー!」
怒りに震える煌太の額に、炎の紋章が浮かび上がる。
「罪を犯したのなら、罰を受けないといけない」
煌太は、イフリートの頭を掴む。
頭頂部から徐々に白色化。
「止めろ止めろ! 俺を殺すつもりか? 罪を犯すのか? 神が許さないぞ、良いのか? 良いのか!」
煌太に動揺は無い。
イフリートの白色化は、劇的に進行。
瞬く間に全身真っ白に。
「恨み言なら神に言え。奈落を作った神なら、罪を犯したお前に同じ罰を与えるだろ?」
「お、お前は…神じゃ…ない」
「俺は…奈落の断罪王。奈落での罪は、俺が罰する!」
白色化したイフリートは、粉々になって霧散する。
煌太の勝利に、牢に潜む者達は歓喜。
だが、煌太は悲しみの涙を流す。
「…ごめん」
守れなかった自分を責め、失われた命の重さを実感し、深い心の傷を抱え込む。
癒せる者は居ない。
もし居るとするなら、絶望渦巻く奈落を終わらせる事が出来る者。