生
体が浮いている気がする。重力を感じない。上か下か右か左か、自分がどういう状況なのかわからない。
目をゆっくりと開ける。
暗い。暗いというのか景色がない。
新月の日の夜よりも暗い。周りは完全な暗闇だった。
そうか、私は飲まれたのか。
少し落ち着いて現状況を整理していく。
飲まれたということは私はあの化け物と同化してしまったのだろうか。
自分の手を見てみるも、暗闇に光などないので、手元さえも確認することができない。
いや、飲まれて同化したのなら、手など存在しないのだろう。
宙を見上げ、深く息を吐いた。
あいつはどうなったのだろうか。無事逃げ切れただろうか。もう私には何をすることもできない。これからどうなるのだろうか。
考えることが怠くなってきた。
目を閉じる。
このまま、眠ってしまおう。どうせ何もできないのだから。
「眠ってしまうの?」
え?
声が聞こえて目を開けた。目の前に少女が浮かんでいる。
なんだ、この状況。
少女は真剣な表情のまま、その目を瞬きさせる。
いや、なぜ少女が浮かんでいる。なぜ見える。なぜいる。
考えるのが怠いのに、目の前の状況にくるくると頭が回っていく。さっきからいろんなことが起こりすぎて頭が限界なのだ。すこしゆっくり寝させてほしい。
「眠っちゃダメ」
閉じかけた目を開く。
「あなたにはまだやれることがある」
何を言っているんだろう。私にはもう何もできない。実体がないのだから。
「あなたはまだ生きてる」
そっと握られた手。その手の中に私の手がある。ここでやっと実体があることに気づいた。
再び視線を戻すと、
「私?」
私がいた。少女ではなく私が。
これは何だ。夢なのか。
「起きろ。起きて、何か掴むんだ。こいつは有機物。燃えやすい。火を使えば私は助かる」
「なにを」
「このままでは窒息死する。起きろ」
はっと目を開ける。あたりはどろどろの溶体に包まれている。体が急に重く感じる。絡み取られて体が思う様に動かない。苦しい。息ができない。窒息死するという先ほどの言葉が蘇ってくる。掴めと言ったが、何があるというのだ。溶体の中で何も見えない。
その時、手に何かが振れた。考える前にそれを掴む。ぐっと進む重力に、引かれないように手に力を籠める。
「バハァ……ッ!」
溶体から外に出た。溜まっていた息を吐きだすと、外の空気が肺に入り込んでくる。
溶体の正体はあの化け物だった。確かに飲まれたことに間違いはないようだ。
『こいつは有機物。燃えやすい。火を使えば私は助かる』
あの言葉を信じるなら、
ミシィと不吉な音が手元から聞こえた。握っていた廃墟の骨組みの鉄が曲がる。顔は出たが体が飲まれたままだ。このままではまた飲み込まれる。ポケットに手を入れて、ライターを取り出す。
その時怪物が急に向きを変え、私を飲み込むように覆いかぶさる。
強い力で体が流れ、鉄から手が離れた。
再び息ができなくなり、焦って、ライターに火をつけようとフリントホイールを回した。
しかし火がつかない。酸素が薄いのだ。
また、何か掴めれば!
しかしそう簡単に何かを手探りでつかむなどできはしない。
だからと何もしないぐらいなら。
体を動かして移動しようとする。どこが前か後か外に近いのかそんなことはわからないが、動いていればきっと外に出ることができると、泳ぐように這うように一方へ進んでいく。
息が続くまで。
ばっと伸ばした手が空気に触れる。
外だ。
そう思った私は運よく出た手に持つライターに火をつけた。
一瞬にして外が見えた。何が起こったのかわからなかったが、怪物が火をよけるように身を曲げていたのだ。ライターを自分に近づけて、溶体を遠ざけ、あとは力で体を引き抜いた。
怪物から転がり出た私は目の前の店に転がり込んだ。BARのようだ。いろいろな銘酒が並んでいる。
うめき声が聞こえて外を見ると奴がこちらに向かってきていた。
ちらりと見えたスピリタスの瓶を投げると、入り口の前で割れ、中の酒が広がった。そこに火をつけたライターを投げ入れると、あっという間に燃え上がる。
それをみた怪物は再びうなり声をあげて、踵を返した。
ホッと息をつくも今度は目の前の炎が思いのほか強くなり、慌てて消火器で火を消した。
消火器を投げ捨てるように手放し、崩れるように腰を下ろした。カウンターに背中を預ける。
今までの嵐のような状況から一変し、静けさがあたりを覆う。
「はは……」
乾いた笑いが込み上げる。
急に雨が降り出した。静けさはなくなったが、寂しさのような感情は倍になって私を包んだ。