第6話 衛兵も男だったか……。
ば、万事休す……!
俺は通りの真ん中で、数人がかりの衛兵に押さえつけられていた。
愛剣を持ち逃げされたショックからもいまだ立ち直れてはいない。
踏んだり蹴ったりとはこのことか。
「ち、違う! 違うんだ! 俺は何もしてないんだぁ!」
「みんなそう言うんだよ! ったく、手間ぁ取らせやがって!」
野次馬が遠巻きにしている。
向けられるのは侮蔑の視線だ。
情けない。
まさかこんな形でオールドウィンの姓を汚すことになるとは。
爺様――すまない。
ネネィ――せめて最後にもう一目だけでも……。
「ラース……!」
ネネィの声が聞こえる。
幻聴だ。
彼女がここにいるわけがない。
俺は頭までダメになってしまったのか……。
自己嫌悪に陥りながら、それでも一縷の望みにすがるように顔を上げる。
するとそこには、
「え、ネネィ? なんで?」
彼女がいた。
薄汚れた布切れを被っているが、ネネィに間違いない。
まさか、付いてきていたのだろうか?
ネネィの顔を見て安堵しかかる。
それと同時に、みっともないところを見られているという羞恥。
これが最後になるかもしれないという絶望が同時に襲いかかってきた。
湧き上がる複数の感情に悶絶していると、ネネィがこちらへ駆け寄ってきた。
「ラース、痛そう! あなたたち、なに!?」
「え、な、なにって……なぁ?」
「あ、ああ。我々は衛兵として、その……」
「ラースを放して! ラースは良い子!」
「ちょ、どうするよ?」
「俺に聞くなよ……!」
強い。
衛兵が押されている。
先ほどまで厳つい顔をしていた彼らが、今は真っ赤でだらしない。
明らかにネネィを意識している。
衛兵も男だったか……。
「違うんですよ、お嬢さん。お連れさんには、近場の詰所で少しばかりお話を聞くだけで――」
「うそ! 都は恐いところ! ラースを取って食べるつもり!」
「ほ、本当ですって。いや、まぁ私的決闘罪には問われるとは思いますが……特に誰かを傷つけたわけでもないようですので、おそらく罰金刑がいいとこでしょう」
俺はその言葉を聞き逃さなかった。
「詳しくお願いします!」
地面に突っ伏しながら、声だけで衛兵に尋ねた。
「詳しくもなにも、詰所まで引っ張って説教して、後は相応の罰金を支払わせたらそれでおしまいだ。下手に逃げ回った分、多少増額はされるだろうがな」
それを聞いて、俺は全身の力が抜けていくのを感じた。
どんな些細な罪だろうと、衛兵に捕まれば一生牢獄暮らし。
そんな話、あるわけがなかったのだ。
己の思い込みに振り回された結果がこれ。
あまりの情けなさに涙が出そうになる。
俺は衛兵に引っ張りあげられるように立たされ、そのまま最寄りの詰所へと連行されることになった。
その後ろを、まるで親鳥に倣う小鳥のように、ネネィがチョコチョコとついて歩いてくる。
彼女の存在だけが、今の俺の、唯一の救いだった。
――――――
それから約二時間後。
俺は解放された。
ほとんどは説教という名目の講習だった。
自分がいかに愚かな真似をしたのかを朗々と聞かされ、リディーガルの一般的な法律や罰則、その他諸々のルールを延々と復唱させられた。
後半は魂が抜けかけていたが、おかげでこの街で生きる上での基礎知識が身に付いたように思う。
後でネネィにも教えてやろう。
罪状は、聞かされていた通りの私的決闘罪、および逃亡罪。
下された処罰は罰金刑だった。
初犯ということでこの程度らしいが、常習になるとやはり収監されるらしい。
しかも年単位で。
お、恐ろしや……。
お金を払って自由の身になれるなら安いもの――と、言いたいところだが、おかげでほぼ無一文だ。
ごめんよ、村のみんな。
俺が不甲斐ないせいで、みんなの好意がこの街の肥やしになってしまった。
最後に、”魔力潮流”という、個人で異なる魔力の波紋のようなものを読み取られて記録された。
これで俺も立派な前科持ちか……。
「ラース……!」
待合所にはネネィの姿があった。
備え付けのベンチに座っていたが、俺を認めるなり立ち上がって抱きついてくる。
ずっと待っていてくれたらしい。
俺が現れた瞬間、ネネィの周りに不自然に集まっていた男たちが散っていった。
なんだ、今の連中……。
もしかして、あれが俗にいう悪い虫ってやつなのだろうか。
まるで屍肉を狙う獣だ。
おちおち、ネネィを一人にもできやしない。
「ひどいこと、されなかった?」
そう言って、身体中をベタベタと触ってくる。
くすぐったい。
俺は無事であることを伝えると、ひとまずそれをやめさせた。
代わりにこちらから抱きしめ返す。
ネネィはそれを受け入れて、俺の背中にそっと腕を回した。
「……俺は付いてくるなって言ったはずだぞ」
「ごめんなさい、でも……」
「いや、良いんだ……危ない目にあったりしなかったか?」
「大丈夫。ネネィ、妖精。並より強い」
「はは、そうだな……」
彼女の身体からは森の香りがした。
故郷の香りだ。
俺は目を閉じ少しの間、家族との再会を噛みしめた。
詰所を出る。
大通りから外れたところにあるせいか、喧騒が遠い印象を受けた。
俺は振り返り、今しがた出てきたばかりの砦じみた建物を見上げる。
できることなら、今後一切関わりを持ちたくないと切に願った。
それにしても、都についてまだ半日も経っていないというのに散々な目にあったものだ。
やたら好戦的な女に絡まれ、衛兵に追われ、剣も失くした。
その上、手持ちも底をついたとあっては、今夜の宿にも困る始末だ。
「せめて剣だけでも取り戻せればな……」
人生の大半を共にしてきた愛剣。
いってみれば、あれも家族のようなものだ。
あんな迂闊な真似さえしなければ、今でも俺の側にいて元気付けてくれていたに違いないのに……。
「あ、剣」
「ん? どうした?」
俺の呟きを聞いたらしいネネィが、何かを思い出したように立ち止まる。
「ラースの剣、置いてきちゃった……」
そう言って彼女は、叱られた子供のように縮こまってしまった。
俺はそんなネネィを安心させるように肩に手を置く。
「どういうことか教えてくれ。ネネィお前、俺の剣を見たのか?」
「うん、見た。陰に潜み生きる者の子供が持ってた……」
「ほう……」
なにそれ。
全然分からん。
だが子供ってことは、たぶん間違いないだろう。
「でも、安心して。ネネィ、剣の場所、分かる」
「いや、でも――」
あの赤目の少年が、二時間以上も同じ場所に留まっているとは思えない。
俺の剣をどうするつもりなのかは分からないが、もうとっくに売り払われていたとしてもおかしくない頃合いだ。
しかし、ネネィはそんな俺の右手に触れると、
「……見えた。こっち」
そのまま手を握って走り出した。
「ど、どういうことだ?」
「大丈夫!」
珍しく自信満々な彼女の表情。
そんな顔を見せられてしまうと、俺は何も言えなくなってしまう。
任せてみるか、という気分になってしまう。
知らないはずの街中を、ネネィはズンズン進んでいく。
その道中、俺は気付いた。
祭りのように賑やかだったリディーガルが、今は少し落ち着きを見せている。
横切った広場の時計台が、いつの間にか午後の四時前を指し示していた。
街からは少しずつ、人の波が引き始めているようだった。
――――――
「どういうこったよ、トマスの爺さん!」
リディーガルの港にある倉庫街。
その一角に、盗賊ギルドが使用している事務所がある。
中は薄暗く、所狭しと木箱や調度品が並べられている。
唯一明かりが灯されている部屋の奥。
そこで、赤目の少年は怒鳴り声を上げていた。
両手で思い切りカウンターを叩けば、そこに乗せられていたラースの剣がカタカタ揺れた。
相対する人物は、そんな彼に冷ややかな視線を送っている。
カウンターの奥で安楽椅子に揺られながら、さもつまらなそうに依頼された鑑定品を一瞥すると、
「どうもこうもねぇよ、ロイ坊。こいつぁただのナマクラだ。魔法剣じゃねぇし、魔術加工品ですらねぇ。五角銅貨一枚分の値打ちもありゃしねぇよ」
バッサリと言い切った。
しかし、ロイと呼ばれた少年は引き下がらない。
「爺さんはあの場面を見てねぇからそんなことが言えんだ! この剣はイゾルテの決めの一撃を弾いたんだぞ!? 透過剣の一撃をだ! ただのなまくらに、あんな芸当ができるわけねぇ!」
「んなもん知るかよ、馬鹿野郎。たまたま透過の効果を発現してなかっただけの話じゃねぇのか?」
「ぐっ……!」
正論だ。
ぐうの音も出ない。
しかしロイには確信があった。
あの時、イゾルテは確実に相手を殺す気で仕掛けていた。
あのタイミングは、言ってみればイゾルテにとって必殺のパターンだったのだ。
透過は発現していた。間違いなく。
「……トマスの爺さん、頼む。もう一度――」
「おう、ロイよ。てめぇ、俺の目利きに文句付けようってのか?」
「…………」
凄まれ、ロイは言葉を飲み込んだ。
盗賊ギルドという組織は、基本的にダークエルフのみによって構成されている。
これは発足当時から変わることがない、ある意味伝統のようなものだ。
しかしほんの一部だけ、その優秀さから特例的に所属することが許されている他人種が存在する。
その内の一人が、このトマスだ。
彼は普人でありながら、リディーガルの盗賊ギルドで半世紀以上もの間、専属鑑定士を務めている男だ。
時折、ギルド本部があるトリスデンから使いが寄越されるほどの優秀な目利きである。
彼の仕事にケチをつけるということは、それはつまり、これまでにギルドが扱ってきた商品の価値そのものにケチをつけるということに他ならなかった。
「ロイ坊、聞け。おめぇがこの業界で成り上がろうと努力してるこたぁ知ってる。けどな、焦りや思い込みに振り回されるような真似だけはすんじゃねぇ」
「…………」
不服そうな顔で俯くロイに、トマスはやれやれとばかりにため息をついた。
「とにかく、剣はおめぇが処分しな。なんなら素振りでもしてくりゃ良い。ちったぁマシな考えが浮かぶかもしれねぇぞ?」
「……うっせーな」
ロイはラースの剣を乱暴に掴み取ると、憎まれ口を吐きながら踵を返した。
《種族について》
・普人 / ヒュマニ
・森人 / エルフ
・鉱人 / ドワーフ
・豆人 / リトルポーチ
・陰人 / ダークエルフ 等々
他にもまだ数種類存在しますが、これらを総称して人間、または人類と呼びます。
今のところ作中に登場しているのは、赤い目の少年以外は全て普人です。
今後も特に記述がない場合は全て普人となります。