第3話 確かに鉄剣は飾りじゃない。
一触即発の剣呑な空気があたりを包み込む。
賑わっている通りの一部、俺たちの周辺だけが、にわかに静まり返っていた。
何事かと立ち止まる人々が壁となり、ある種コロシアムのような円形の空間が出来上がっている。
「剣を抜いて。腰に下げてるそれは、飾りじゃないんでしょう?」
女冒険者はそう言って目を細める。
確かに鉄剣は飾りじゃない。
だが、俺は躊躇う。
『何でもかんでも剣にものを言わせて解決する暴力的な男より――』
馬車の中で聞かされた言葉が、俺の心に待ったをかけていた。
敵がいる。
そいつは剣を抜いている。
だからって、なにも考えずにやり合ってしまって良いものだろうか?
他に手段はあるんじゃないか?
しかも相手は女性だ。
ここは一つ、落ち着いて話しかけてみるべきなんじゃないだろうか……よし。
俺は咳払いをすると、
「え、えっとだな、俺は別にこういうつもりで――」
「御託はいらない……抜かないなら抜かないで構わないのよ? 私はあなたの片腕を斬り落とせれば、それで十分なんだから」
と、取り付く島もなぁーい!
紳士というのは、こんな女が相手でも上手く立ち回れるものなのだろうか……!?
俺は改めて、モテる男への遠い道のりを実感した。
女が間合いを詰める。
強い剣気を肌に感じた。
爺様には遠く及ばないが、これほどの圧の持ち主は久しく見ていない。
隙を生じさせない構えといい、手練れであることは確かなようだ。
さて、どうするか……。
俺が考えあぐねていると、思わぬところから助け舟が入った。
「も、もうやめようよ、イゾルテ! きっとその人も悪気があったわけじゃないと思うよ!」
声のした方を見る。
そこには、対峙している女の仲間と思しき冒険者がいた。
つばが広く、先の尖った妙ちきりんな帽子を被った、少女のように小柄な女だ。
少女ではないと判断したのは、その胸がたわわに膨らんでいたからに他ならない。
神秘的な刺繍が施されたローブを身に付けているが、その問題の部分だけが、やたらと盛り上がっている。
これは……。
思わず凝視してしまった。
それに気付いた巨乳の女は、顔を真っ赤にしながら、慌てて両手でガードする。
し、しまった。女性に不快感を与えてしまったか。
「黙っていて、ルナウ。私、今気が立ってるの」
感情の欠片もない声で、イゾルテと呼ばれた女が告げる。
気圧されたのか、それっきり、ルナウという名の女も黙ってしまった。
他の仲間の連中にいたっては、この事態に干渉しようという気配すら感じられない。
むしろ事の成り行きに興味があるのか、楽しそうな視線を送ってくる始末だ。
こいつら、よほど争いごとが好きなのだろうか……冒険者への不信感が募る。
だが、あれこれ考えていられるのもそれまでだった。
まだ余裕があったはずの距離は瞬きの間に詰められ、獰猛な白刃が立て続けに襲いかかる。
速い――が、目で追えない速度じゃない。
俺はその全てを、スウェイとフットワークを駆使しつつかわしきった。
相手は特に驚いた様子はない。
間髪入れずに次が来る。
それを俺は――
「そっちは行き止まりよ」
急にイゾルテが口を開いた。
なんのことか分からなかった俺は、自身の回避方向に目をやる。
「うっ!?」
そこにあったのは人垣だ。
大勢の人だかりの中、身動きが取れなくなっていた野次馬による、人の壁が出来上がっていた。
俺は慌てて反対方向に舵を切る。
敵のナイフは目前だ。
しかし、これなら寸でで避けられる。
そう思った次の刹那。
俺は肉薄してくる凶器の、不可解な軌道を捉えた。
本来ならば振り抜かれていなければおかしいタイミングで、それは不自然にブレーキがかけられていた。
寸止めとは違う。
悪意を感じる、技巧。
――フェイント!
直感するや否や、俺は反射的に鉄剣の柄を握った。
視界の隅にあの薄刃が映る。
女の腰がひねり込まれた。
真っ直ぐ突き入れてくる気だ。
話が違う。片腕一本じゃなかったのか?
この角度は明らかに急所を狙っているものだ。
「ちっ……!」
観念した俺は、腰の鞘から剣を引き抜き、その勢いのまま相手方の攻撃を打ち払うことにした。
その時イゾルテの唇の端が、かすかに歪んだ。
笑った?
何故?
まだ何か奥の手があるのか?
分からない。
この女から溢れる殺気は、この薄刃の一突きに集約されている。
他の何かは感じ取れない……!
今さらどうすることもできず、俺はままよとばかりに剣を振った。
金属と金属が打ち合う甲高い音があたりに響く。
一撃は弾いた。
次はどうなる?
俺は周りの人間に注意を払いながら、すぐさま間合いを取る。
油断なく、改めて愛用の鉄剣を構え直し、そして――
「なんだったんだ……?」
首をひねった。
妙だ。
結局何も起こらなかった。
イゾルテのあの意味深な笑みは、一体何だったのか。
当のイゾルテはといえば無表情のまま、右手に持った直剣の薄い刃をジッと見つめている。
隙は……ない。
こちらへの警戒は向けられたままだ。
しかし殺気は消えている。
幾分か落ち着いた様子で、彼女はその場に立ち尽くしていた。
なんだろう。
急にどうしたんだ、あの女。
良く分からん……。
イゾルテの仲間の冒険者たちも、驚いた様子で何事かを囁き合っているだけだ。
それまでは興味深げだった野次馬も、イゾルテがトーンダウンしてしまったせいか、ぱらぱらと解散し始めている。
俺は抜いてしまった剣のやりどころに困ってしまった。
これは……荒事はお終いということで良いのだろうか?
俺が困惑していると、道の向こう側から「ピー!」という、音域の高い笛の音が聞こえてきた。
それにいち早く反応したのは冒険者たちだ。
彼らは慌てたような表情を浮かべると、次々と人混みをかき分け姿を消していく。
イゾルテはいまだ動かない。
そんな彼女にルナウが駆け寄る。
「行こう、イゾルテ! また問題を起こしたことが知れたら、もうギルドも庇ってくれないよ!」
「…………」
「ん〜……もう!」
応えないイゾルテに痺れを切らしたのか、ルナウは彼女の腕を掴んで強引に連れていく。
「あなたも早く逃げてください!」
途中振り返り、俺の方を見てそう言った。
イゾルテも視線をこちらに向けている。
真っ直ぐに。
何かを言いたげに。
しかし、口は真一文字に結んだままだ。
そんな二人が立ち去っていくさまを、剣を抜いたまま見送る俺。
状況が飲み込めない。
ポカンとしたまま行動を起こさずにいると、
「おい、そこのお前!」
冒険者たちが消えた方向の逆側から、また新たに武装した連中が現れた。
三人組でいずれも男。
白銀色の光沢を放つ、揃いの鎧一式を身につけていて、手には身の丈ほどの長槍が握られている。
「街中で私的な決闘が行われているとの通報があった! 今すぐ武器を置いてその場にひざまずけ!」
「え? いや、俺は――」
「申し開きは後で聞く! 従わないなら力ずくで連行するぞ!」
どうやら衛兵らしい。
こ、これはマズいことになった。
まさか初日から犯罪者扱いを受けることになるとは……!
「ま、待ってください! 俺は仕方なく応戦しただけで――」
「だから話は後で聞くと言ってるだろ! もう良い、多少痛いくらいは我慢してもらうからな!」
話し合いの余地はないようだ。
三人の衛兵は槍の切っ先をこちらに向け、取り囲むようにして展開を始めている。
グズグズはしていられない……!
俺は脱兎の如く逃走を開始した。
「こいつめ!」
衛兵の一人が槍を突く。
狙いは俺の足元。
それを跳躍で回避すると、相手の肩に足をかけてさらに跳び上がる。
「な、なんだ!?」
踏み台にされた衛兵の、慌てた声が聞こえた。
俺はそれを尻目に人だかりの中へ飛び込むと、見つからないように姿勢を低くしながら、ひたすらに駆けた。
人の流れを遡るようにして移動を続ける。
だが、衛兵たちが上げる制止の声との距離は、一向に離れる様子がない。
こちらに負けじと群衆をかき分け、強行突撃を敢行しているようだ。
「うわわ……どうする、どうする……?」
衛兵に追いかけられるなんて初めての経験に動揺が抑えきれない。
それでもこのまま直線的に逃げ続けるのは得策でないと考えた俺は、人波から外れて細い路地裏へと進路を取った。
「いたぞ! こっちだ!」
その声に驚いて振り向く。
衛兵の一人がニヤリと狡猾な笑みを浮かべていた。
俺が路地へと逃げ込むことは読まれていた……!?
発見の合図を受けて他の衛兵たちがドヤドヤと集まってくる。
え……ええー!?
ふ、増えてるー!
十人くらいいるー!
どこから湧いて出たのか知れない大勢に押し寄せられながら、俺は死に物狂いで細い道へと逃げ込んだ。