風紀委員長の想い
(山下 side)
「神山 司、か……」
風紀室に戻った俺は、神山が承諾した『提案』に関する書類を書いていた。
その書類に俺の筆跡で書かれた『神山司』の名前を眺める。
彼の名前はこの霞桜学園において、あまりにも有名だった。
今や最恐の赤髪不良と言われ恐れられているが、最初からそうだったわけではない。
まず最初に注目されたのは、外部入学という事実。
中高一貫で実力主義な霞桜の高等外部入学試験は、とてつもない難しさだと言われている。
それなのに、神山はそれを突破した。
二十三名受けて、ただ一人、神山だけが。
しかもこれは教師が俺にポロっと溢して内緒にしてくれと頼まれたのだが、神山はオール満点だったらしい。
そういうことがあって、神山は入学前から注目の的だった。
しかし迎えた入学式の日、俺たちは愕然とした。
神山司の席に、真っ赤な髪をした青年がポケットに手を突っ込んで足を組んで座っていたからだ。
しかも寄らば斬る、といった雰囲気を醸し出していて誰一人話し掛けることが出来なかった。
しかし俺たち風紀委員会があることからも分かるように、霞桜にもヤンチャな奴はいる。
そんな不良が、神山に喧嘩を吹っ掛けたらしい。
しかし風紀には届け出が来なかった。
何故なら、誰も怪我をしなかったからだ。
神山は、その不良たちを手を出さずに退けた。
その方法は、喧嘩を吹っ掛けた不良たちが頑として口を割らなかったので、知ることは出来なかったが。
そして神山は次の日から教室には来なくなった。
そんなことがあって、神山の噂が爆発的に広まった。
最初の期待の分、拍車が掛かった悪い噂が。
それは一年かけて確実に浸透していった。
神山は、風紀では微妙な対象だ。
悪い噂もあり、授業にも出ず、見た目も不良然としている。
それなのに順調に二年に進級していることからテストの成績は悪いわけではないことが分かる。
更に、授業中は学園内を徘徊して神山のテリトリーと言われている場所がいくつか出来ているが、足を踏み入れても神山から何かをされるわけではなく、生徒たちが自主的に避けているだけだ。
この客観的事実により、俺たち風紀は神山に接触出来なかった。
しかし、神山の問題を端に置かなければならない事態が発生した。
五月という中途半端な時期に転校してきた、井川優馬の存在だ。
井川はお世辞にも可愛いや綺麗といった誉め言葉を使えない容姿だ。
もじゃもじゃした髪に、ビン底眼鏡。
そしてあのマイク要らずな大声に、自分は正義だと言わんばかりの態度。
それだけだったら学園で浮くぐらいだっただろうに、何を間違ったか会長以外の生徒会役員が井川に惚れ込んでしまった。
生徒会役員には、かなりの規模の親衛隊が存在する。
隊長たちは話し合おうとしているのだが、下の隊員たちが先に暴走してしまった。
必然的に制裁対象となった井川だったが、その井川を守るために親衛隊にキツく当たるという血迷ったことを役員はやり始めた。
井川にこれ以上手を出すなら親衛隊を解散させるだの、親の会社の取引を無しにするだの。
火に油を注いでどうするんだと頭を抱えたことも一度や二度じゃない。
それでもやはり争いは絶えなくて、風紀は大忙しで休む暇もないくらいだ。
だが俺以上に辛いのは、井川に惚れなかった会長の間宮だろう。
井川が来るまでは、生徒会は有能だった。
そして、俺から見ても和やかだった。
双子の樋口書記たちのイタズラに大塚会計は無口ながらもオロオロとし、間宮会長はそのイタズラを煽り、それを笑顔なのにブリザードを背後に吹かせる戸高副会長がたしなめる。
俺も時々巻き込まれて、樋口たちの被害者になる時もあれば、戸高と共に止める役目も果たしていた。
俺は風紀委員長としても、俺個人としても、生徒会のことは気に入っていた。
それなのに、今や間宮一人で仕事をしているこの状況。
そして間宮のみが仕事をしていると知っている俺たちに声高々に叫ばれる、間宮はセフレと遊んでいる駄目な奴だという井川の言葉。
それも、共に仕事をしてきた戸高たちが吹き込んだ言葉だ。
そんなことをされても間宮は笑って、親衛隊隊長の曾根崎の手伝いも断って一人で全てやっている。
この異常な事態に、俺は風紀委員長として、友人として、間宮に何度もリコールを促した。
もう此方は準備出来ていて直ぐにでも実行出来るのに、間宮は頷かない。
まだ戻ってくると、信じている。
そんな間宮を貶めようとする役員にも、信じ続けて無理をする間宮にも、何も出来ない自分にも、腹が立って仕方がなかった。
しかしそんな中、一石が投じられた。
神山司だ。
風紀委員の報告を聞いただけだから詳しくは分からないが、何故か間宮と神山が共に食堂に来たらしい。
久々に見る間宮に興奮しながらも隣の神山に困惑していた生徒たちだったが、井川と役員たちが来て一気に食堂の雰囲気が悪くなった。
井川は整った容姿の人間を無意識に好んでいるようで、怖い噂で隠れてしまっているが容姿は普通以上に整っている神山は、早速井川に気に入られたらしい。
いつ神山が爆発するかハラハラすると同時に、神山が井川を殴りでもすれば儲けものと期待していた生徒が大半だっただろう。
だが、神山は期待を再び裏切った。
生徒会役員を一喝するという、良い意味での裏切りを。
いや、一喝と言うのは言い過ぎか。
『人の話や噂だけでしか判断しない野郎どもは黙ってろ』…そんなことを、言い放ったらしい。
そのまま神山と間宮は食堂を出て、驚くことに井川と役員たちも出ていった、ということだ。
それを聞いた時に沸き上がった、何とも言えない感情。
嬉しいような、悔しいような。
そしてそれを上回る、高揚。
何かが変わるような予感がした。
神山と接触したかったが、生憎徘徊している神山を探す暇がない。
だが、食堂から出た神山は間宮と共に生徒会室に戻っているような気がして俺は生徒会室に向かった。
すると予想通り、神山と間宮はいた。
俺と神山は、噂で知ってはいるが実質初対面であったから挨拶をした。
目が合っただけで病院送りなんて噂を流した馬鹿はどこのどいつだと言いたくなるほど、神山は普通の人間だった。
どういう経緯で関わるようになったのかは知らないが、間宮とも友人のように会話していた。
神山は生徒会だの風紀だの家柄だの容姿だのを気にしない性格のようだから、間宮も話しやすいんだろう。
そう思い至って、俺が気に入ったぞと神山に対して口にすれば。
間宮は神山を後ろから抱き締めて、俺のモンに手ぇ出したら風紀潰すぞ、と威嚇してきた。
その目は、恋する男の警戒のソレだった。
これには内心、かなり驚いた。
間宮が誰かに対して固執するのを初めて見た。
もしかして二人は恋人同士なのかと思ったが、神山は反論していたから違うのかとの結論を出して、また驚いた。
間宮が片想いなんて、青天の霹靂だろう。
何があったのか好奇心を抱いたが、間宮へのリコールの呼び掛けと神山との接触を果たした俺は、間宮が憧れているという他校の生徒会長について口にして退室した。
間宮が憧れている会長について、以前生徒会役員と俺に話して聞かせてくれた。
学校改革をしたこともそうだが、それを威張らず驕らない態度と、生徒たちから慕われている所に憧れたらしい。
間宮家が調べればその鷹宮中学の生徒会長の名前も現在地も分かるだろうにそうしないのは、その会長への憧憬故だ。
だからそれを尊重して、俺やまだまともだった役員たちもその会長に関しては調べようとはしなかった。
風紀室に戻った俺は、頭を切り換えた。
いつの間にか間宮に近付いていた神山。
ただの友人や恋人同士ならば問題ない。
だが、今になって間宮と関わる気になった神山の意図が分からない。
井川のせいで荒れに荒れている、今になって。
喋ってみれば神山は悪い奴でないとは感じたが、間宮は現在霞桜学園を動かせる唯一の生徒会役員だ。
俺も慎重にならざるを得なかった。
それ故に、俺は実家の山下家に神山司の調査を頼んだ。
そして後日与えられた情報書類を見て、驚愕した。
神山は間宮が憧れている、鷹宮中学の生徒会長だったのだ。
神山は成績優秀、文武両道を体現したような存在感で鷹宮中学に進学。
その中で有名な不良校だった鷹宮を改革していた。
しかし変化が訪れたのが、中学三年の三月上旬。
暴力事件を起こした神山は有名公立高校の推薦も取り消され、もう隠す必要がなくなったとばかりに髪を赤に染め、不良らしく振る舞い始めた、と書かれていた。
霞桜の誰もが予想しないであろう情報の真偽を確かめたくなったが、本人に訊けば疑って調べたことを知られてしまう。
それは何となく、遠慮したかった。
そしてまた数日が経って、間宮に相談したいことが出来た。
ずっと、風紀で話し合ってきたことが中々決まらない。
しかもそれは、生徒会に大きく関わることだった。
もうこの際、間宮に訊いてみようかと生徒会室に行けば、また神山がいた。
神山は井川のように邪魔するのではなく、片付けをしていたようだ。
何故神山がと思ったが、会長席で眠っている間宮を見てそんな疑問は消失した。
間宮は一人で仕事をするようになってからは、簡単に休むことはなかった。
それが最近特に顕著だったというのに、間宮は実際に目の前で寝息を立てている。
すると神山はしれっと睡眠薬を盛った、と告げてきた。
それは間違いなく、間宮を気遣っての行動。
それから俺と神山は仮眠室に間宮を寝かせ、その部屋を出た。
そこで神山の背中を見て、罪悪感と探究心が湧いてきた。
俺はたまらず、謝罪して情報の真偽を問うと、神山は誤魔化すことなく頷いた。
暴力事件は許されるものではないが、過剰であれ、絡まれた故の暴力であったし、今の神山は間違いなく間宮の支えになっている。
そこで思い付いたのだ。
神山に、風紀で話し合ってきたことを任せてみればどうか、と。
風紀で話し合ってきたことというのは、ある役職についてだった。
その役職に神山は適任だと思った。
最初は渋っていた神山も、間宮の負担を口にすれば頷いてくれた。
そうして俺は今、その役職の推薦書を書き終わった。
これを学園に提出すれば、完了だ。
学園が渋ろうが、絶対に通してみせる。
何と言っても神山に関する噂の大半が偽物で、本人は入試オール満点合格と風紀関係の問題を一切起こしていないという事実があるのだから。
これで神山も、間宮も、俺も、動きやすくなるはずだ。
「頼んだぞ、神山──……」
俺は、神山とは風紀としてではなく一生徒としてなら関われたのに、今まで関わってこなかった。
それなのに、自分勝手な期待を抱いているというのは分かっている。
だが、何か変わってくれれば良いと、以前のような生徒会に戻ってくれと。
願わずには、いられないんだ。