生徒会会計 大塚尚輝
(会計side)
昔から、人と喋るのが苦手だった。
理由はない、本当に最初から、記憶が始まった時からだった。
俺には兄が一人いて、その兄は何でも出来る人だった。
人当りも良く、どこに居ても注目されて人の中心となれる人。
だけど兄はそれを鼻にかけることもせず、人よりノロマな俺にも優しくしてくれていた。
そんな兄の背中を俺はずっと見て来た。
妬むこともなく純粋に尊敬していたし、俺と兄の関係は良好だった。
理想の兄弟像と言っても良かったのではないかと俺は心の中で思っている。
でもそれを許さなかったのが周りの人たちだ。
優秀で有望な長男と、身体ばかりが大きくノロマで言葉を発しない次男。
俺と兄の生活の場は分かたれた。
俺は離れに移され、兄と会うことはなくなった。
どうしてお前は兄のように出来ないんだ。
どうしてこうも違うのかしら。
何が言いたいのか全然分からないわ。
もっとハッキリ喋りなさい。
本当に大塚家の血を引いているのか。
そんなことを毎日真正面から、もしくは陰で言われていたのを俺は知っていた。
離れに移されて兄に会えなくて寂しくて、頑張って喋ろうとした時期もあった。
でももう既に俺の立場は大塚家では暗黙の内に定まっていたようで。
何か言葉を発しようとすれば鋭い目で睨まれ、だからと言って喋らなければやっぱり駄目だと溜息を吐かれて。
じゃあ俺はどうしたら良い、喋ることも喋らないことも厭われる俺は。
辛かった、とてつもなく。
そんな中で迎える中学の受験、俺は大塚家からこの霞桜学園に行けと命じられた。
霞桜学園は中高一貫の実力主義の学校。
何の意図でこの学園を指定されたのかは尋ねなかった。
俺は喋ることを、意思を疎通することをこの頃には諦めていた。
ただ考えられることとして、全寮制のエリート校に厄介払いされたのではないかと推測する。
霞桜学園中等部に入学した俺は目立たないように静かに過ごした。
しかし迎えた成長期、このせいで俺は注目を浴びることになる。
小学生の時はただの身体がデカい奴、だけだったものが男らしい身体つきへと変化した。
その頃から周りの人たちは掌を返したように俺に集まって来た。
大塚様大塚様と、身体にすり寄る。
何も知らない相手からそんな態度を取られるのは気味が悪かった。
だから一度、来るな寄るなと言った、喋ることを放棄していた俺が一生懸命。
なのに、なのに誰も俺の言葉を聞いてはいなかった。
俺が『声』を発したことにだけ、騒ぎ立てた。
ここでも、俺の『言葉』は届かない。
それから俺は誰かとの関係を一切拒否して、無視した。
だけど高等部になって、生徒会会計に選ばれてしまった。
抱かれたいランキングに入ったらしい。
そんな折に一人の男子生徒から声を掛けられた。
その生徒は羽川と名乗った。
また抱いてくれとでも言うのだろうと思って俺は無視しようとした。
でも羽川は俺の背中に、ボクに親衛隊を作らせてはもらえませんか、という言葉を投げかけた。
親衛隊を作らせてくれ、それは何度も言われたことはあったけれど全て拒否していた。
でも俺は、今回それに同意した。
何故なら生徒会役員の皆に、親衛隊は作っておいた方が良いと言われていたからだ。
同意と言っても、俺は勝手にしてと言葉少なくそう伝えて後は全く親衛隊に触れていない。
生徒会会計親衛隊隊長となった羽川は時折活動報告に来たけれど、それも無視していた。
どうせ俺の言葉なんて必要としていないだろうと思って。
でも五月、あの子が霞桜学園に転入してきた。
井川優馬、太陽みたいな子。
『喋らなくても、俺にはお前の言いたいこと分かるから!!』
その言葉にどれだけ救われただろう。
俺が上手く言葉を言えなくても気にせず俺に笑いかけてくれた優しい子。
優馬といると凄く楽で、喋らなきゃ、喋っちゃいけないという葛藤をしなくて良い。
それなのに、どうして。
『もっとハッキリ喋れよ、イライラする!!』
癇癪を起したように俺に向かってそう叫んだ優馬。
やっぱり、やっぱり俺は駄目なんだ。
俺の言葉は誰にも必要とされてないんだ。
優馬は我慢していたのだろうか、喋らない俺にいつもイライラしていたんだろうか。
そう考えると、楽だった優馬の傍がとてもとても苦しくなって。
まるで大塚家の離れで暮らしていた時のように辛くて。
優馬から逃げ出した。
優馬から逃げ出して、全てを押し付けてしまっている会長からも逃げ出して。
俺は大塚家に居た時と何ら変わっていなかった。
そう打ちのめされていた時に俺の親衛隊隊員を名乗る子たちが現れて。
井川優馬に与える大塚様の時間の少しでも親衛隊に向けてはくれないか。
近付かないでとは言わない、ただ今のままだと統率が取れなくて井川優馬への制裁が行われてしまう、と。
きっとその子達は悪気はなかった、でもタイミングが悪すぎた。
俺はもう優馬に近付くことさえ出来ないというのに。
傷に塩を塗るような行為、俺はもうどうしたら良いか分からなかった。
だけどそこに現れた、一人の青年。
親衛隊の二人は悲鳴を上げながら逃げてしまったけど、俺は逃げられなかった。
赤髪の最恐不良、神山司。
その名は他人を拒絶している俺でも知っている程に有名だった。
その鮮烈な赤を目にした時、あぁ殺されると思った。
最恐不良の名に相応しく、神山には様々な噂があったし、食堂で一度怒られているから。
でも彼は俺に対して一切怒らず。
むしろ俺に逃げ場所を提供してくれた。
条件は俺に寄ってくる動物たち。
どういうつもりなんだろうと最初は警戒していたけれど、何度か会う内に神山はそういう奴なんだと分かった。
神山の知り合い以上友達以下と言った接し方は楽だった。
友達でもない奴に気を遣う必要も葛藤する必要もないから。
だから俺は喋る時も伝わらなくても良い、くらいの気持ちで喋っていた。
だけど今思えば、神山と会話が成立しなかったことはなかったかもしれない。
俺の少ない言葉でも神山は全て分かってくれていた。
神山は、どういう奴なんだろう、もっと知りたい。
そう俺の中で革命とも言える考えが芽生えていた矢先。
神山に、生徒会と優馬のことを指摘された。
どうして今、そんなことを言う、何故今更。
逃げ切れたと思ったのに。
そんなことが頭をよぎって俺は愕然とした。
また俺は、逃げている。
本当に俺は変わっていないと、再び強く自覚させられた。
いろんな感情が溢れてきて、俺は神山に酷いことを叫んでそこから逃げた。
俺はどうしたら良かったんだろう。
兄の優しさに甘えずに自分を磨く努力でもしていれば良かったんだろうか。
でももう今更、今更だ。
それから俺は神山に提供された唯一の居場所にも行かなくなって。
諦めの念が自分を満たす日々を送っていた、そんな中。
再び親衛隊の子が二人俺の前に現れた。
この前と同じ子たちだ。
「会計様、近頃井川優馬と共にいらっしゃらないようですが、どうかなされたのですか?」
「確かに僕たちは井川優馬への態度について以前言及しました。でもそれで会計様の元気がなくなることは本望ではありません」
心配そうな表情。
心配、しているのだろう、この子たちは。
でも心が沈んでいた今、こういうものは勘に障るだけで。
「会計様、お願いです」
「どうか僕たちに貴方の言葉を聞かせ…」
「ッ、うる、さい…っ!!」
清閑なこの空間に、俺の声は思いのほか大きく響いた。
そしてシン…と落ちる沈黙。
俺が怒鳴るなんて思ってもいなかったんだろう、二人は呆然とそこに立っている。
どうして俺を放っておいてくれない、どうして俺を苦しめる。
最初に言葉を聞かなかったのは、お前たちのくせに…!!
もう全てを吐き出してしまおうかと、もうどうにでもなれと、俺は感情のままに口を開いた。
しかしそこに乱入する声。
「俺にしてみればどっちもうっせぇ。つーか、お前らも学習しねぇよなぁ」
視界に入るは鮮烈な赤。
その言葉に俺はようやく気付く。
ここは以前にも同じ状況になった場所だと。
酷いことを言って避け続けて来た最恐不良の姿を見て。
あぁ今度こそ本当に殺される、そう思った。
裏庭、ここは神山司のテリトリーと言われている場所の一つ。
俺は神山にこの場所を提供されていたけれど、自分からそれを蹴ってしまった。
だから立場上、俺はこの親衛隊の二人と同じ侵入者だ。
神山は恐怖で動けない俺たちを見ながら、首筋に手を当てて口元に鋭い笑みを浮かべた。
「誰に断って、ここで騒いでんだ? お前ら」
「ひ…っ」
「逃げんじゃねぇ」
ガァンッ、と神山が傍の木を殴りつける。
それだけで逃げようとしていた足が止まった。
どうして、前はそんなに怒っていなかったのに。
鋭い眼光に身が竦む。
「お前ら、この前と同じ奴らだろ? 顔、しっかり覚えてるぜ」
「あ…ごめ…っ」
「人の顔見るなり悲鳴上げて逃げるとか、あん時はほんと傷付いたなぁ」
ニヤニヤと面白そうに笑いながら、親衛隊の一人の肩に手を回す神山。
その子は可哀想なぐらいに、身体を震わせて涙目になっていた。
それに神山も気付いているはずなのに離れようとしない。
むしろ頭に手を置いたり脅すような言葉を吐いている。
こんな、奴だったのか。
神山は見た目は怖いけど、無闇に暴力を振るわない動物好きな人間だと思っていたのに。
これじゃ、噂と大差ない。
「…、何だよ」
騙された、という思いと、親衛隊の子たちを助けなきゃ、という思いで神山の肩を引いた。
すると神山はスッと不愉快そうに目を細める。
怖い、手が震える。
確かに親衛隊の子たちはどうでも良い、だけど暴力を振るわれるのを傍観するほど嫌いではない。
「…あぁ、お前生徒会会計だろ? 授業もサボって仕事もサボって、うつつを抜かして? 良いよなぁ、俺にその権限譲ってくれよ」
「な、んで…」
「あ?」
こんな攻撃的な言葉、神山に一度も言われたことがない。
この短い聞き返しの言葉も、以前は癖だと言っていた。
でも今のこれは違う、明らかに相手を委縮させるために使われた。
神山は不機嫌そうな表情で親衛隊の子から離れて、俺の肩に手を乗せる。
「誰に口答えしてんのか、分かってんのかテメェ」
「……っ」
「…おい、チビ二人。お前らさっさとどっか行け」
「え…」
神山が親衛隊に目を移す。
二人は泣きそうなのを我慢しながら目を瞬かせる。
「俺は、この会計と『遊ぶ』から」
フッと笑った神山に、俺たち三人は凍り付く。
遊ぶ、の意味をそのままに捉えられるほど俺たちは能天気じゃない。
怖い、やっぱり怒ってたんだ、俺が酷いことを言ったから。
俺が言葉なんて、使ったから。
「何突っ立ってんだよ。…さっさと行けっつってんだろうがッ!!」
「ひっ!!」
「ご、ごめんなさ…ッ」
神山の怒声にビクッと身体を震わせた二人はようやく足を動かす。
その二人の背中に、神山は楽しそうに声色を変えた。
「親衛隊っつーのも名ばかりだよな、対象見捨ててんだから。面白れぇわ」
その言葉に二人は一瞬足を止めたけれど、そのまま走り去ってしまった。
「ははっ、マジで見捨てられたな」
「…当たり、前…」
ボソリと呟いた俺に神山は顔を向ける。
当たり前だ、俺はあの子たちに護られるようなことなど何もしたことがないのだから。
もう諦めはついている。
神山はそんな俺の顔をジッと見ていたけれど、呆れたようにため息を吐いた。
「お前ってメンドくせぇなぁ」
「……」
「つーかお前、少しくらい抵抗しろよ。俺が本気だったら今頃ボコボコだぞ馬鹿」
「え…?」
本気、だったら?
顔を上げて神山を見ると、そこには前みたいなどこか温かみのある神山の笑みがあった。
本気、じゃなかった…?
身体から力が抜けるのと同時に湧き上がったのは疑問。
「なん、で…」
「ちょっと賭けをしようぜ、会計」
「賭、け…?」
「あの親衛隊のチビ二人が戻ってくるか否か」
神山の言葉に俺は何を言っているんだろうと思った。
何の意図があってこんなことをしているのか分からない。
でもそんなの賭けが成立するとは思えない、だって。
「…来ない」
「戻って来ないに賭けるか、信用ないんだな」
「ない」
「それは、どっちに?」
分からないだろうと思った俺の言葉にも神山は正確に返してきた。
俺が親衛隊に対する信用がないのか、それとも親衛隊が俺に対する信用がないのかを、問うている。
「…どっちも」
「なるほどな。俺は戻ってくるに賭ける」
「分からない」
「意味分からないってか? そうだな、俺はお前よりあいつらのことを知ってるってだけだ」
何を言っているんだろう。
あれだけ脅しておいて、戻ってくるわけがないのに。
そもそも神山と親衛隊は何の繋がりもないはず。
神山は俺の隣の壁に背中をつけた。
「お前の最近の状況はだいたい把握してるつもりだ」
「……」
「マリモ…井川に、喋らなくても良いって言われたんだって?」
「……」
「甘えてんじゃねぇぞ」
一瞬、声が低くなった。
チラリと顔を見たけれど、表情は変わっていなかった、気のせいだったのかもしれない。
「…ない」
「甘えてないって? はっ、自分でも分かってるくせに。…楽だったんだろう、井川の傍は」
「……っ!」
的確に、言い当てられた。
楽だった、優馬の傍は楽だったから傍にいた。
「楽、それだけだっただろ」
「……?」
「楽しくは、なかっただろ」
「楽し…」
「楽と楽しいは、別モンだぞ」
楽しかったかどうだったか、それは勿論楽しかったはず。
そう、断言しようとして胸にモヤモヤが広がった。
楽しかっただろうか、本当に。
会長に全部押し付けて、悪評を優馬に教えて。
行く所行く所で鋭い視線に刺されていたのにも気付いていたけど無視して。
優馬と言えば俺だけを見てくれていたわけじゃなくて、副会長や空と海もそこに居て。
皆で取り合うような探り合うような、ギスギスした空気の中に居た気がする。
「楽しかったか?」
再び尋ねる神山の声に、俺は答えられなかった。
しかしそれ自体が、もう答えのようなもので。
言葉の少ない俺と会話を成立させられる神山が気付かないはずはなくて。
「実は俺、屋上で親衛隊隊長たちに突撃訪問されたんだよ」
「…隊長」
「お前のとこの隊長も居たぞ」
「…羽川」
その名を呟くと神山は目を見開いた後笑った。
覚えてたんだな、と嬉しそうに。
何故そこでそんな表情をするのか分からない。
「そいつらに、何て言われたと思う?」
「…、優馬」
「違う、井川をどうこうしろって話じゃなかった。…生徒会に戻させてくれだとさ」
優馬のことじゃ、ない?
だって散々優馬と離れろこっちを見てくれと言ってきたのに?
目を瞬かせると神山はすっとこちらを見た。
「確かに井川についても言っていた。目を覚まさせてくれ、その上で井川が好きなら…見守る覚悟はもう出来ている、ってな」
「……!」
「親衛隊隊長にンなこと言わせるなんざ、恵まれてんな、お前らは」
そんなこと、言われた覚えがない。
…いや、もしかして言っていたのかもしれない。
俺が、聞かなかっただけで。
「お前と親衛隊は圧倒的に会話が足りない。聞く耳持たなかったお前も悪いが、どこか遠慮してる親衛隊も悪い」
「…悪い」
「そう。喋らなくて良いなんてただの甘えだ。今は良いかもしれねぇけど、お前死ぬまで井川にくっついておくつもりか?」
「…出来ない」
「分かってんじゃねぇか。社会に出たら個人とずっと一緒にいるなんて無理な話だからな」
優馬と居ると楽だった、今は苦しいけど。
神山の言っていることは正論で、徐々に俺の頭の中に入っていくのを感じる。
「…俺」
「どうしたら良いかって? 自分で考えろ」
そう言われてしょぼんと肩を落とす。
何だか神山にこんな風に突き放されると悲しい。
目に見えて落ち込む俺に気付いたのか、神山は複雑そうな顔をして頬を掻いた。
「ったく…とりあえず、あいつらと話し合ってみれば良いんじゃねぇの?」
あいつら、と神山が指差す先には。
「っ、大塚様!!」
俺の親衛隊隊長の羽川とさっきの二人。
そして親衛隊隊員のほとんどが息を切らせて走って来ていた。
「俺の勝ちだな、会計」
どこか弾んだ声が、俺の耳に届いた。




