第2幕'契約'
部屋に入ってドアの真正面にある机に向かった。その時、
「憎いんでしょ。」
後ろから声が聞こえた。ばっと振り返ると、そこには誰もいなかった。幻聴かと思い、再び参考書を取ろうとすると、
「分かってるんだろう?」
また声が聞こえ、振り返ると、短い金髪に青い瞳で、いかにも神話の天使が着ていそうな服を着た、10歳くらいの子供がドアの前にいた。
「いつからいた。」
「君が振り向く直前から。」
「お前は誰だ?」
冷や汗を浮かべながら聞いた。こいつの言っていることが本当とは思えない。でも最初に入ってきたとき、人の気配はなかった。
「僕は天使。君を正しき方向へ導くために来ました。あなたは選ばれし者です。私と契約を結べば、私の力を自由に使うことができます!」
「…あぁそうか。で、契約の内容は?」
「…アレ…?僕が天使って事信じるんですか?」
「いや、信じるも何も。羽生えてるし。つか浮いてるし。」
さっきは気付かなかったが、背中から白い羽が伸びていた。それに、20㎝くらい浮いていた。糸で吊っている様にも見えない。そもそも、気づかれず入ってきた時点で、信じざるを得ない。
「ほほう。では契約の内容をお伝えしましょう。」
そう言って天使は服の中から羊皮紙のようなものを取りだした。そこには得体のしれない文字が書かれていた。
「なんだ。これ。」
「天使界の文字です。では読みますね。
Contract
一,この契約は、両者の合意がなければ切ることはできない。
二,契約中、一方が命を落とせばもう一方も命を落とす。
三,契約中、一方は一方が望むことを可能な限り叶えなければならない。
なお、何らかの理由で契約書が消失しても、契約は続行される。
もう少し細かいところもあるんだけど。ま、大まかなところはこんな感じだよ。」
「なるほど。で、これって君にメリットあるわけ?」
「あんまり。でも天使は人が正しいことをするのを見るのが好きだから。」
「成程。で、僕へのメリットは君の力をほぼ自由に使えるってことだね。」
「うん。でも天使は世界がいい方向へ向かう力しか使えないから注意。で、契約は結ぶ?」
「じゃ、こっちから条件いいか?契約を結んでから一ヶ月間、僕が切りたいと言ったら切らせろ。」
「うーん…まぁいいよ。じゃ、契約を結ぶよ。ここ拇印を押して。」
紙の一番下の方に拇印を押すスペースがあった。
「でも、インクなんてないよ?」
「あぁ。大丈夫大丈夫。ここにインクが塗ってある。押せば拇印になるよ。」
まず僕が押した後、天使も押した。
「さて、契約を結んだら、僕ら天使のことを知ってもらうために、この世界の仕組みを教えることになっているんだ。」
僕はごくりと唾を飲んだ。天使が出てきた時点で僕の知る世界が一変したのに、この世界の仕組みをこれから聞かされるのだ。
「まず、この世界は5つに分けられる。上から神界、天使界、人間界、悪魔界、死神界。
神は天使を作り、天使は悪魔から人間界を守る。ここ2つは人間界を見ることができる。死神は最初の悪魔だけを作り出し、悪魔は人間界に災害をもたらす。ここ2つは人間界を見ることはできない。天使は寿命があるけど、悪魔は不死身だ。」
「おいおいおい。じゃあお前ここに来ても大丈夫なのか?」
僕は焦って聞く。
「大丈夫大丈夫。天使が生きていれば加護は保たれるからね。」
天使はにっこりとして答える。
「これで僕からの説明は大体終わりだけど…何か質問は?」
「ない。」
僕はきっぱりと答えた。そもそも話の次元が違いすぎて、何を聴けばいいのか分からないと言うのが本音だが。
「ははは。全くここまで話がサクサク進む人間は初めて見たよ。大体の人は天使って時点で疑うのに。」
「だから言っただろ。信じざるを得ないって。それより、最初に言ってた、「君は正しい。」「分かっているんだろ」ってあれどういう意味だ?」
少し険悪になって聞いた。
「もし僕の母さんのことを言っていて、僕に母さんを嫌うようそそのかしているつもりならやめとけ。僕の母さんは正しいことをしている。」
「はははは!どうやら君はとても利口で、家族を愛してるみたいだね。正しいって?少し悪い点を取っただけで晩ご飯は抜き!自分の息子が怪我をして帰ってきても心配するどころがまだ学力のことを気にしてる。そんな母親が正しいのか?バカバカしい!」
「僕の母さんの何を知ってる!」
声を荒げて叫ぶ。
「全てだ。空から見てたんだ。毎晩毎晩お前に信じ込ませるかのように泣いていることも。」
衝撃を受けた。あれが演技だって?いままでのこと全部嘘だったのか?
「分かってるんだろ?あの母親が正しくないことを。お前はこれまで何度殴られた?何度暴言を吐かれた?簡単に許していいものなのか?…お前は嫌われたくなかったんだ。たった一人の家族に。」
その瞬間、自分の心が分からなくなった。本当に僕は、あの母親を許すべきなのだろうか?
「大丈夫。君には僕が付いている。君はもう、一人じゃないんだ。さぁ、あの母親に報復してやろう。お前ならできる…」
その夜、リビングに忍び込み、母さんがずっと大事にしていた、ダイヤのネックレスを壊して、隠した。とても小さなことだったが、少しすっきりした気がした。ただ、眠る直前、天使がずっとにやけていたのが気になった。
もしかしたらこの時点で、優しくまじめな子であった僕は、どこかへ消えていたのかもしれない。
「名前?」
天使はきょとんとした顔で聞き返した。
「そう。名前だよ。君がここに来てからもう1週間は経つけど、一向に名前教えてくれないし。僕だって天使って呼ぶのはそろそろ嫌だよ。」
机から椅子をグルんと一回転して、ベットに座っている天使に聞いた。
「いやだよ。名前を教えるなんて。」
僕はため息をついて、
「じゃ、分かったよ。リクエスト。名前を教えろ。」最近になって聞いたことだ。僕が何か頼みごとをするとき、契約の力を使うにはリクエストと一言言わなければならないらしい。それに命令するなという頼みは、一回しか使えず、5分間しか適用されない。リクエストを断るときは両者の合意が必要。リクエストの中に期間があった場合、その期間続行する。といったようなルールがあるらしい。最初に言ってほしかったけど。ま、今リクエストしたことで、天使は名前を教えなければならないということになったわけだが。
「うっ…分かったよ。名前はないんだ。」
ほう。なら教えれないわけだ。まぁ、名前がなければ…
「名前がない!?」
驚いて聞き返す。
「うん。天使は名前を持つ権利がないんだ。必要ないからね。」
あー成程
「じゃ、ホープって呼んでいいか?」
「えっと…それってどういう意味の言葉?」
「英語で望むっていう意味。お前は俺の望みを聞いてくれるからな。」
「…うん。じゃあそう呼んでよ。僕も嬉しいよ。」
ホープはにっこりと笑った。
「ところで母親はまだ気づいてないの?」
「あぁ。母さんは2週間に一度あれを磨くから、そろそろ…」
言い終わる前に下から声がした。
「賢人―ちょっと降りてきてー」
「ほらね。」
扉を開けて下へ降りて行った。
「なんだよ母さん。」
ふくみ笑いをこらえて聞いた。
「私のネックレス知らない?ここにおいといたんだけど…」
そう言う母さんの目の前には、5,6の引き出しが開けられ、中身が床に散らばっていた。
「知らないよ。いつも触るなって言われてるし。」
「…そうよね。ごめんなさい。さ、勉強に戻って。」
「はーい。」
そういって、僕は部屋に戻った。
「どうだった?」
ホープにそう言われると、笑って、
「いい気味だよ」と、答えた。