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家に帰って、黒い影のことを母さんに話をしてみた。
母さんは『あんた、高校に入ってからなんか悪いものでも食べたのかい』と本気にはしてくれなかった。
僕は、何度か状況を説明しようと試みるものの、母さんはテレビを食べながら煎餅を食べ始めてしまった。
バリバリと煎餅が口の中で割れる音の中で、テレビからは芸人のうちわネタ話や後輩芸人いじり(ほとんどイジメに近い)の笑い話が耳の中に入ってきた。
僕は、なんだか耐えきれなくなって、階段を上って2階の自分の部屋に戻った。
翌朝、学校に着くと、ホームルームが始まっていた。
先生は、僕の方に目配せをし、口パクで『早く席に座るように』にと言った。僕は、それに従うようにスタスタと自分の席に座った。(出席を取る前だったから、遅刻は免れた)
頬杖をついて、黒板を眺めていると、先生の横に黒い影が発生した。
ぶわぶわと。いや、ふわっとだろうか。ぶわっと?
表現の方法はさておいて、またしても僕の目の前に現れた。
なんにしても、1日ぶりの再会である。
黒い影は形を変えて、なんだか4頭身くらいの小さな人間のような形に変化した。
そして、行儀良く黒板の端から端までを、後ろで歩いて見せた。
僕は、その姿をぼぉーとしながら見つめていた。
「田井中」
僕の肩を叩きつつ、名前を誰かが呼んだ。
僕は、後ろを振り返ると、あいつが立っていた。
「おはようッ」
幼馴染身の女の子は、僕の後ろで笑顔で立っている。
僕は、あまり友達がいるほうではない。人付き合いも得意ではない。
でも、彼女だけは幼稚園から高校までずっと一緒で、両親同士も仲が良かった。単なる腐れ縁と僕は思っている。
もう一度黒板のほうに振り返ってみたが、そこに黒い影はなかった。
「田井中?」
「ん?あぁ、いや何でもないよ」
「今日5時間目の理科の授業だけど、宿題やってきた?」
彼女は、もじもじしている。魂胆がよくわかるのも腐れ縁である証拠だ。
「やってきたけど」
僕は、カバンの中から宿題のプリントが入ったファイルを取り出して、彼女の顔の前に掲げた。
「あ、ありがと!」
そう言って、彼女はファイルを右手で受け取ろうとしたが、僕はそれをスルっと交わして自分の机の上に置いた。
「あ、ケチッ!」
「ケチじゃないだろう、ケチじゃ」
彼女は、大きな声を出しながら僕を指差しながらプンプンと機嫌が悪そうであった。
宿題をやっていないのに、貸してくれないからと言って怒るほうも怒るほうであるが。
「ミルクティー1本で考えてやるよ」
「本当?」
彼女は、両手を合わせて目を輝かせている。僕は少しだけドキッとした。
「本当だよ」
「じゃ、買ってくるね!」
彼女は、駆け足で教室を飛び出して売店まで走っていってしまった。アニメでよく聞くダッシュ音が僕の頭の中で脳内再生されていた。
「今日もお熱いね〜ご夫婦は」
僕の横から、雰囲気が軽そうな(僕と真逆な)男子が、軽快に現れた。
「そんなんじゃないって」
「ふーん」
話しかけてきたのは、中学から一緒のこれまた腐れ縁のハルだった。
「ハルは、宿題やってきたのか?」
「俺?やってきてないけど。もしかして、田井中はやってきた感じ!?」
こいつも目を輝かせている。いや、多分僕とあいつの会話を聞いて、しれっと現れてきたのだろう。ハイエナ根性とも言うべきか。
「ミルクティーだ。朝の一杯は栞が買ってきてくれるから、お前は昼にくれればいいよ」
「お。話がわかるねぇ。いいよ、いいよ田井中くん。そういうとこ好き」
「うわ、お前にくん付けされるのちょっと気持ち悪い」
僕の日常は毎日こんな感じである。
友達は少ないけど、昔から知っている知り合いとは仲良くやっている。
ハルも栞も僕のことをよくわかってくれているから、僕としてはとても助かっていた。人付き合いは苦手だったのだけれど、彼らがいるおかげで僕は学校に来れているとも言える。本当は、ミルクティーなんて要求しないでも彼らに宿題を見せてあげたいところである。でも、簡単に貸しても楽しくないし、彼らのためにもならない。
僕なりに考えた結果、好物のミルクティーを要求するルールが、気付いたら出来上がっていたのだった。
放課後、僕はいつもの河川敷に膝を丸めて座っていた。今日は、昨日に比べていささか寒い。
黒い影について考える。
あれは、なんだろうか。そして、不吉な感じもしないのはなぜだろうか。ああいう類のものが見えると、大抵の人は『不吉な予感がする』などと騒ぐはずなのに、僕は不思議とそんな気持ちは湧き上がらなかった。
もしかしたら、自分自身が彼の存在自体をまだ認識していないからなのだろうか。
考え事をしていると、またしても黒い影が現れた。
のんきに、目の前の川を泳いでいる。クロールや、バタフライ、平泳ぎ。
さながら、一人個人メドレーリレーであった。