戦国時代という時代名称は、後世の名称である
前描き
戦国時代は、戦乱明け暮れる世を、江戸時代くらいから振り返って見ると、戦国という言い方ができるのだろう。そこから、戦国時代という名称そのものが生まれた。平安時代から鎌倉時代という、武士の幕開けを迎えた武家が、鎌倉時代の終わりに南北朝争乱から貴族による揺り戻しやらを乗り越え、室町時代を形成していく。
されど、その中では、様々な権力闘争があり、武家らしく内紛が戦闘となり、戦争となるような武家の時代を構成していった。武家の時代というのは、本質的には、闘争の時代と言えるだろう。
「武士の本懐」という言葉がある。武士によって、様々な捉え方をされているが、本質的には、内紛や戦闘という戦争が身近にある世界で、己や一族の命や命運をかけて戦い続けざるを得なかったモノ達の描く、「本懐」とはどのようなものだったのだろう。
当たり前だが、戦国大名と呼ばれている者達は、自分自身が戦国大名と呼ばれていることを知らない。
平安時代から鎌倉時代への流れとしては、貴族から武士の時代への転回点であったが、天皇家にしても、将軍家にしても、統治能力を維持していた時代であった。この統治能力は、家と領地を保護するというものである。
北条早雲(1432?-1519)と黒田官兵衛(1546-1604)が同じ大名であったとしてもその性質はかなり異なる。ここらへんは、見事な課題選定だと判断する。
嘉吉の乱(1441)に起きた将軍義教暗殺とか、応仁の乱(1467?-1477?)といった事件が、将軍家や管領家の家督争いが、天下大乱の魁になったようなものである。
個人的には、嘉吉の乱で、将軍が守護の赤松満祐に殺された事は、将軍家に家督争いそのものを調停する能力が亡くなったことを示したと言える。
つまりは、当時の体制として、家の相続と守護といった役職の相続は別であったと言える。権益が守護や地頭について回るとした場合、彼らの利益を調整するのが、中央政府としての役目ということになる。この役目が果たせなければ、地方政治の安定は得られなくなる。結果としては、政治闘争が、そのまま軍事闘争となり、戦争という形で表面化することとなる。これが、「戦国時代」である。
個人的には、戦乱の幕開けとも言える、北条早雲あたりとかが時期的には好き。他だと、本当に末期になる豊臣秀吉の天下統一から江戸期にかけてといったところですかね。庶民的な話は、やっぱり、池波正太郎先生の江戸時代を題材にした話が良いなぁ。
下克上の代表は一揆であり、戦国の世で一揆の目的は、食い物が無くて、食い物を奪う者への反逆であった。これは、戦争についても同じで、収奪的な要素が強かったのも、自分の民を食わせるために、他国の民から食料を奪うための戦争ということになる。参加する者達にとっても、飢餓に苦しめば、戦い奪う先に、生を得るという発想も生まれ、宗教的に後生御免(死後に極楽往生できる)を持って、戦いに追いやる力となっていた。
信長の戦争が、基本的に本願寺との闘争であったのは、権益という側面もあるが、一揆という下克上を推進する側と、撲滅する側との戦いであったとも言える。
さて、歴史ifとして戦国に実装したいのが、あやかし達の居場所である。鬼、河童、雪女といった様々な妖怪変化が住んでいたはずなのだ。そういった妖怪変化が実在し、魔道を用い、住まえるような世界でないとつまらない戦国と言える。山々は竜が住まい、鬼が集い、狗神や狐狸が駆け抜ける。そんな世界が面白い。
普通に話し、理解できる存在として狗神や狐狸を描くとする。といった流れからすれば、修験者や山伏という者達は、狗や天狗、狐や狸と人を繋ぐモノということになる。安部清明の母が、狐「葛の葉」とすれば、混血の者達も多く跋扈していたと思われる。彼らが、後々に山に住まう、忍者という展開を示す。
日本の場合、八百万の様々なモノに命が宿り、神ともなる。人もまた、念に囚われ、時には鬼とも魔物にもなる。混沌あまた広がる世界であり、その中での倫理はおよそ人の捉える事ができる範囲を超越する。
当時の妖術師というと果心居士が代表されるが、あまり面白くないので出てこない。それよりは、鬼族や天狗とかの方が好みである。
後描綺談
まぁ、資料と言え無いものも混ざっているが、資料である。後は、色々な映画やテレビなんかもあったりする。あやかしが混ざれば、ほとんど異世界と変わらないとは思うが、そんな世界も楽しからずやである。
資料:
童話「安寿と厨子王丸」
鎌倉時代「吾妻鏡」
上田秋成 著「雨月物語」
小泉八雲 著「怪談」
鍛代敏雄 著「戦国大名の正体」
アドテクノス 「家康最大の敗北」
エポック「関が原」
NHK大河ドラマ「国取り物語」
他にもいろいろと資料があるが、手元にある資料としてはこんなところである。