第3話
星が降るような夜空の中列車は海を走り続けている。
夜の海の姿を描いた後寝てしまった少女を置いて私は先頭車両まで歩く。
昼寝をしたからかなかなか寝付けないでいた。
窓を開け潮風を肌にあてる。
絡みつくような潮風とは反対に海は星たちに照らされ美しく輝いていた。
波が立つたびに飛沫は輝きながら空に溶けていく。
ここはどこなのか、世界の真ん中なのだろうか。
はたまた世界の隅まで来てしまったのだろうか。
空を見ても海を見ても自分の居場所を知ることはできない。
どこに立っているかは自分が決めることなのかもしれない。
少女はどこまで行くつもりなのだろう。
「どこまでも」か。
世界の果てまでも行くのだろうか。
男の人が見たかったその場所、男の人の話から少女に見えたその場所は遠いのだろうな。
果てしなく遠い。
二人で話をして瞼の裏に映し描いていたその時が一番近かったのかもしれない。
それでも少女は探すのだろう。
少女の眠る車両まで戻りながらも少女の行動を思い計り思案はめぐる。
探して見つけてその道中にあった風景と一緒に男の人に贈るのだろう。
少女はどんな心持ちで列車に乗っているのだろうか。
その答えを私が出すことはできない。
少女の感情を計るには人になったばかりの私では足りないのだ。
そして少女もまたその感情を寝顔にすら映すことなく無邪気に眠るのでった。
私が目を覚ましたのは太陽が昇ってからずいぶん経ってからだった。
太陽からの目覚ましは少女が下ろしてくれたのだろうブラインドによって吸収されていた。
列車はどうやら動いてはいない。
ブラインドを上げると埃の匂いが立ち上った。
列車のドアは開いたまま閉じる気配を見せない。
私は固まってしまった体を伸ばしほぐしながら立ち上がる。
左右を見渡しても少女の気配は感じられなかった。
閉まってしまわないだろうかと思いながらホームに出る。
ホームには屋根がなく点々と赤く錆びた不思議な形の突起物が生えていた。
外に出ると心地よい程度の海風が私の肌を撫でていく。
あたりを見渡すと少し先にも平行してホームが海に突き出している。
ホームとホームの間に広がる砂浜に少女はいた。
私はかけられていた梯子を使って砂浜に降りる。
少女はいつものようにスケッチブックに絵を描いているわけではなかった。
初めて会った時のように少女は冷たく静かな雰囲気を漂わせ海を見つめていた。
「おはよう」
少女の背後から声をかける。
瞬間、空気は和らぎ波の音が帰ってくる。
「おはよう。ずいぶんと寝てたのねお姉さん」
少女は笑顔で答える。
「私が朝起きたら電車が止まっててね、ドアは開いてたから降りてみたの」
「そしたらこんなに広い砂浜があったのよ!」
先程までまとっていた雰囲気を微塵も見せず少女ははしゃぐ。
「サンダルを脱いで素足で砂浜を歩くのはなんだかわくわくしたわ」
よく見れば小さな足跡が残っている。
「ひとしきり楽しんだら疲れたから座って海を眺めてたの」
「ご飯にしましょ」
少女は急に立ち上がりながら言った。
「どこか雰囲気が固いわよお姉さん」
少女に指摘され表情が固まっていたことに気付く。
「ごめんなさい」
なぜか謝ってしまう。
「お姉さんが謝る必要はないでしょう?」
「まぁいいわ。聞きたいことがあるのかもしれないけど先にご飯よ」
少女は私がお腹空いてるもの、と笑いながら私をおいて電車に戻っていく。
少女は自分で気づいているのだろうか。
自分がまとう雰囲気が少女になりきれていないことに…。
私は少女が眺めていた海を一瞥してから少女についていく。
空では海鳥が羽ばたかずまるで浮くように飛びながら鳴いていた。
電車に戻ると少女はブラインドと窓を開けていた。
「このブラインド埃臭いわね。太陽の熱のせいでにおいが車内にこもってるわ」
「車両移ろうか」
掃除を始める勢いの少女に提案するとはっとした顔で少女が止まる。
「そうだった。ご飯だったご飯だった」
少女は恥ずかしそうに顔を赤らめながら荷物を手に取る。
今日の少女は「少女」と「女の人」を行ったり来たりしている。
それはここが少女の求めていた場所ということなのだろうか。
朝というよりか昼に近くなってしまった食事を終えると少女は再び列車を出ていった。
スケッチブックと小さな折り畳みの椅子を持ち出してホームに座る。
海鳥は先ほどまでよりやかましく鳴いている。
私もなにか書いてみようと思い紙と鉛筆をもって少女についていく。
少女は海を描いていたので私は山を描いてみる。
改めて見るとこの島の中央は山になっているようで砂浜からはすぐ山になっているようだった。
山の後ろからはどんどんと蒸気が噴き出すように雲が出てきていた。
しばらく二人無言で筆を走らせる。
あまり絵の教養がないなりに会心の作品が描けたかと思うと後ろから声をかけられた。
「お姉さんすごく絵うまいね!」
少女はいつの間にかどこから出してきたのか帽子をかぶっていた。
「お姉さんが描いてたあの山登ってみない?」
ふと少女の後ろに止まる電車に視線を移すが動く気配は全くなかった。
「登ってみようか。水筒持って行ったほうがいいよね」
「水筒もだけどお姉さんも帽子被ったら?」
じりじりと日差しに焼かれ続ける髪はとても熱かったが生憎私は帽子を持ってきていなかった。
駅を出たときずいぶん急いでたからなぁと思い返す。
数日前のことなのにずいぶん前に感じる。
ふと記憶の中で思い当たるものがあった。
「ちょっと待ってて」
「じゃあ水筒準備してるね~」
少女に水筒を準備してもらっている間にバッグの中で封筒を見つけ出す。
夢の中の男を思い出しながら封筒を取り出す。
「……必要になった物が出てきたりするのだろうか」
つぶやきながら封筒を開ける。
昼間の日差しの中そんなわけはないのになぜだか封筒の中は不鮮明でよくわからない。
手を入れてみると帽子のつばのようなものが指先に当たった。
引っ張り出すと、どうしても入らないであろう麦わら帽子が出てきた。
封筒は帽子を吐き出したにもかかわらず急に重さを増す。
不意なことで封筒を落としてしまうと床に触れた封筒は黒い水たまりのようなものを作り上げた。
「お姉さんまだー?」
少女が待ちきれずに呼びに来る。
「もうちょっと待ってねー」
答えたのは黒い水たまりから放たれた聞き覚えのある男の声だった。
水たまりは一瞬広がりを見せ何か弾んだように盛り上がる。
人型で固まった黒い何かはだんだんと色が透け始める。
「久しぶりですね」
そこに現れた男が最初に挨拶したのは少女だった。
久しぶり……?初対面じゃないの?
そういえば夢に現れたとき少女をよろしくと言っていたような気がする。
「久しぶりね、お兄さん」
少女も挨拶を返す。
「お兄さんと呼ばれるとは!初対面では小僧呼ばわりされたのにずいぶんと慣れてきたんですね」
「そりゃあ少女でいた時間のほうが長いんだから慣れたら元のように振る舞えるさ」
少女の雰囲気が一瞬、変わる。
「それはなにより。ところで、こちらに来たついでに私もご一緒してもいいですか?」
「それはお姉さんに聞いて?」
ころころと雰囲気を変える少女に話を振られたところでやっと私の番である。
まず言いたいことがある。
「私への挨拶がない!」
「お久しぶりです」
「遅い。罰として荷物を持て」
「君はずいぶんと明るくなったね」
反省の色なく男は笑っている。
「同行は許されたらしいし早く出発しようか」
男は少女からスケッチブックと水筒をもらうと先頭に立ってさっさと行ってしまう。
私は少女と顔を見合せ笑いながら男を追いかけ列車を降りる。
外はじりじりとした日差しが照り続けているが海鳥の気配は消えていた。
地面に移る影は3つだけ、山へと向かっていた。