第二話
不規則なリズムで揺れる列車に乗り込んでどれぐらいたっただろうか。
駅も島も見えず車窓から広がるのは海、海、海。
乗り込んですぐに開けた窓からはぬるい風が車内に侵入し私の体を撫でていく。
本を読みながら時間をつぶすには気持ちのいい環境だったがだんだんと体も固まってきてしまった。
もぞもぞと重心を動かすついでに車内を見渡すが右にも左にも誰も人はいない。
海と海の間を水しぶきを上げながら列車が私一人のもの、世界から切り離された私を襲う孤独感が
軽いめまいのような興奮を覚えさせる。
いてもたってもいられなくなった私は本当に人がいないか車両を移動することにした。
誰もいない車両を斜め前に伸びる自分の影を追いかけながら進んでいく。
最後尾の車両のドアを開けた瞬間いきなり列車がスピードを落とし始めた。
背後から不意に波をかぶったようにバランスを崩し倒れそうになる。
とっさに手すりにつかまり倒れるのをこらえた私の視界の端からは見慣れた建築物が流れてきた。
ホームには一人のかわいい少女がベンチに座ってスケッチブックを膝に置いて列車を待っていた。
ドアが開き少女と目が合う。
青い瞳の少女は私に微笑みかける。
その微笑みは青い空、高く上った太陽の景色の中でどこか冷たいものを感じさせた。
少女は鼻歌を歌いながら近づいてくる。
なぜか私は背中に冷えた汗が流れるのを感じた。
「こんにちは、お姉さん」
容姿から連想されたままの綺麗な声で少女は私に声をかける。
「こんにちは」
ただ挨拶を返すことしかできない。
「なんでお姉さんは立ってるの?」
無邪気な笑顔を絶やさず少女は私に問いかける。
「一人しか乗ってないのかなって探検してたんだ」
「そうなんだー。面白いお姉さんだね」
私の答えを聞いて少女がアハハと笑って面白い人認定を下す。
とたんに私の中でいつの間にか張られていた緊張の糸がゆるんだ。
同時にようやく列車のドアは閉まり緩やかに加速を始める。
私と少女は微妙な間をあけ隣り合って座った。
緊張が解けたからか急に言葉が頭の中を行き来し始める。
「あなたはどこまで行くの?」
今度はこちらが少女に質問する。
「どこまでもよ。海を走って海鳥を眺めながら絵を書きたいの」
「スケッチブックを持ってたもんね。絵をかくのが好きなんだ」
不意にぐぅ、とお腹が鳴った。
そういえば何か食べるものを持ってくるんだったな。
少女にも聞こえてしまっただろう、自分の顔が恥ずかしさで火照っていく。
すると少女は鞄を開け紙に包んだバゲットと赤いソースを取り出した。
取り出したバゲットをちぎりソースにつけ食べる。
「はい、どうぞ」
差し出されたバゲットを私もちぎり一口もらう。
「美味しい…」
パンも美味しいが赤いトマトソースが特に美味しい。
「お姉さんいい人そうだからあげる」
言いながら少女はスケッチブックと鞄から鉛筆を出して席を立つ。
車内の揺れに体をふらつかせることなく少女は前の車両に行ってしまう。
追いかけようか迷ったが少女は鞄を置いて行ってしまったしバゲットを食べて待つことにした。
ぼーっと車窓から見える海を眺めながら口を動かす。
景色は流れているはずなのにひたすらに海が続くので止まっているような錯覚を覚える。
お腹が膨らんでくると軽い眠気が私を襲ってきた。
昼寝をするのにもちょうどいい雰囲気だ少し眠ることにする。
夢の世界へと落ちるとそこでは男が待っていた。
「封筒開けてくれなかったね」
男は言いながら私に笑いかける。
私を置いていったくせに。
「まあ、いいよ。今は必要ないってことだ、君は変わってもこの世界はそういうふうに出来ているからね」
「それじゃあ、あの少女のことは君に任せたよ」
「あとあんまり長く昼寝するのはよくないよ」
言いたいことを言って男は私を置いて闇に溶けてしまう。
追いかけようとするが闇は光に塗りつぶされ始め私は目を覚ました。
目を覚ますと太陽はずいぶんと色を暗くしていた。
目の前の席には少女が座って絵を書いている。
「おはよう、お姉さん」
少女は顔をスケッチブックからあげると私が起きた事に気が付いた。
「おはよう」
おはようという挨拶がふさわしい時間はだいぶ昔のことだが一応おはようと返しておく。
「ねえ、あなたは今まで何をしていたの?」
ふと気になって問いかける。
「ああ、あまり動かないで。お姉さんの似顔絵を描いているんだから」
いつの間にか寝顔を描かれていたらしい。
「私はねずっと山小屋で暮らしていたの」
「もちろん一人でね」
少女は鉛筆を動かしながら話し続ける。
ある日ドアが叩かれたの。
「すいません休ませてくれませんか?」って
それはいつもの日常じゃなかった。
私がドアを開けると男の人が立ってた。
ずいぶん顔色が悪そうでね水が欲しいっていうから部屋の椅子に座らせて飲ませてあげたんだ。
少女の話す雰囲気は見た目とは裏腹に長い年月を感じさせるようになっていた。
その人は異質だった。海を探してるんだって。
自分の目的のために行動してるんだよ?
この世界ではとびきりに異質でしょ?
具合が悪いのはどう見ても明らかなのに海が見たいんだって。
綺麗で穏やかな時間が流れているはずなんだって。
目だけは輝かせて私に語ってた。
でもねもう男の人は限界だった。
きっと私のところに来る前から随分ひどかったんだと思う。
私の家で過ごしたのも一ヶ月ぐらいだったかな。
具合は悪くなるばかりでね。
それにすごい勢いで年をとっていったの。
男の人は毎日「海」の話をしててね私は話を聞きながら海の絵を描いてあげたりしてた。
でも話で聞いた想像でしかないからね見せるとまた細かい説明を始めて修正させるんだ。
結局、納得のいく絵が描けたことはなかったな。
最後の日、男の人は日向に座って海が見たかったなぁって言い続けて目をとじて二度と開けなかった。
それでね私も海ってやつが見たくなったんだよ。
当たり前だよね、目の前で人が死ぬ間際いや死にながらにも見たがった風景だもん。
だからね私は絵を書いてあの男に届けてあげるの。
本当の海を見て。本物を届けてあげるのよ。
「はいできた。これはお姉さんにあげる」
静かに語っていた少女は唐突に明るい声を上げた。
少女が差し出した紙には私の寝顔が描かれている。
「お姉さんまだ本当に若いでしょう。これからいろいろあると思うけど頑張りなさいね」
暖かな少女の言葉からは外見には現れない本当の年齢が見え隠れしていた。
それに私は少女が最後「男の人」を「男」と呼んだことに気づいていた。
一ヶ月しか一緒に過ごさなかったのに大事な人だったんだろう。
受け取った似顔絵を大事に折りたたんでバッグにしまう。
「付いて行ってもいいですか?あなたがその人に届けたいその場所まで」
「やっぱりお姉さんいい人だね」
それはもう無邪気な少女の顔で放つ無邪気な少女の言葉だった。
「お姉さんが私に敬語使うなんて変だよ」
とてもおかしそうに少女は笑った。