8話
どうもこんにちは、瑠伊耶です。―――ただ今、俺は壁にめり込んでいたりする。
……何でこんな事になったんだろう、としみじみと思いながら、うっすらと聞こえる悲鳴に耳が痛い状況だ。
多分、この悲鳴はセリカさんだろうと推測してみながら動けない状況をどうにか打破したく思っている訳で。
そういう状況下、何ともほのぼのとした声音が今一度俺の耳に届く。
「……あら~、瑠伊耶さん、こんな所でめり込んでちゃダメですよ~?」
「あ、亜摩さん。今そんな事言ってる場合じゃないと思うんだけど……」
取り合えず助けて欲しいと切に願っているのですが、どうも聞き入れてくれなさそうで。
と云うか、顔面も程よくめり込んでいるので声が出せないのはどうしてくれようか。
一応片目と片耳はめり込んでないから話し声は聞こえるんだが。
「……でも、一体どうしたと言うんですか~?」
瑠伊耶さんがめり込むなんて余程の事ですよ、と続け。
いや、俺が偶に壁にめり込んでるかの様な言い方せんで下さいな、亜摩さん。
こんな状況、何度もあって溜まりますかい。因みに初めての経験だと。
というか、俺だって何でこうなったのか本気で疑問なんだが。
たまたま出社した時にライアさんが居たので近付いて挨拶をしただけで殴り飛ばされたんだし。
そんな俺の思考を他所に、亜摩さんの疑問にセリカさんは少々痛々しい色を乗せた声音で答える。
「ライアちゃんが、アレの時期です」
「……ごめんなさい瑠伊耶さん~。私ではどうしようもありません~……」
諦めが早いですね!?
……しかし、アレとは一体何の事なのだろうか?
そんな俺の疑問に答えてくれるかのように、セリカさんの言葉は続く。
「……元々は男性の精を吸って生きる淫魔なんだけど。
色々とあって言ってなかったんだけど、ライアちゃんってちょっと男性恐怖症の気があるの。
だから、男性から精を吸う行為は出来なくって。私達みたいな理由を知ってる女性が精を分けてあげてるのよ。
でも、女性の精だけでは、精のエネルギーが絶対的に足りないみたいで……。
食物とかで取れるエネルギー総量は限られてるし、ね」
そうだったのか。最初の頃から何となく避けられてた時が多かったと思ったが……ソレが理由なら納得だな。
だが、今は普通に受け答えしてくれてるし、その症状は緩和していたみたいだが――
「それで、その精のエネルギーがどうしようもないぐらい減っちゃうと、禁断症状に近しい状況に陥る訳なんだけど……。
その禁断症状のある内に男性に近づかれると、男性の精を吸いたい、と言う淫魔の本能的な感情と、
男には近づきたくない、と言う男性恐怖症の感情がない交ぜになって、頭の中がパンクしてしまって無意識に近付いて来た異性を攻撃してしまうの」
何とハタ迷惑な。俺は内心そう思ってしまうが、ライアさんも苦労してるんだな、とも思ってしまう。
異性を誘惑して精を食らう淫魔に於いて、その異性を誘惑することすら出来ない彼女は生きていく為に大変だったんだろう。
――あぁ、だから此処で従業員をしているのか、ライアさんは。
キッチンスタッフなら不特定多数のヒトと交流する事はないし、事情を知っている関係者達なら如何とでも出来るしな。
「この衝動は波があるから、落ち着いた時に従業員総出ぐらいで精を分けて事無きを得るんだけど……
瑠伊耶くん、間が悪い時に来ちゃった上に、声も掛けちゃったから、無意識反射で……」
殴られた理由は理解しましたよ。でも以前からそれとなくでも良いから知らせて欲しかったです。
そうしたら俺も対策取れましたし、痛い思いもしなくて済んだんですし。
――しかし、壁にめり込んでいる割に意外と余裕な思考回路をしているな。
普通なら死んでもおかしく…………やっぱりあの父さんの息子なのか、俺。
そんな思い切り凹む思考に至った時、何故か目の前が滲む。
……泣いてなんか無いやい。
「あ、あのえっとその、ど、どうしたんですか~!?」
「い、痛いの? そりゃ痛いよね??」
俺が突然に涙目状態になったのを思い切りよく勘違いしたらしく、亜摩さんとセリカさんが焦ってあたふたし始める。
いや、身体が痛いのではなく、心が痛いです……………いや、マヂで。
そんな二人を他所に、もう一歩奥にあった気配が、嫌な感じになってきた事に、背筋が凍る様な予感がある訳ですが。
「・・・・・・・・・」
……方向的に見えないが、多分シヌ程睨んでる、睨んでるよ、ライアさん
嫌な汗が体を流れ落ちているのを感じる。
「うゎ、凄い汗……」
「あぅ、瑠伊耶さん~。気を確り持って下さい~」
いやそれ多分ライアさんには逆効果なのであまり心配しないで下さいませんかお姉様方。
……拙い、俺もあの人の不穏な気配に焦ってきたのか、変な方向に思考が回りっているぞ。
だが諫めようにも声が出んこの状況では――
等と、思っていたその時。
―――ナニカガブチッ、トキレルオトガ、キコエタキガシマシタ―――
「あたしの目の前でイチャイチャイチャイチャすんな~~~~~~~っ!!!!!」
その直後に、ライアさんの怒鳴り声が俺の耳を打ち貫く。
イチャイチャ等していないっ! 断じてしてないっ!
いかん、自分でそう思って、思い切り凹んだぞ……。
そんな馬鹿な事を考えてるうちに、キレたライアさんの拳がまたもや迫り―――
もう一段深く壁にめり込んだ事をここに追記しておく。
しかし、つくづく不死身だな、俺。