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「この後で乾燥させて粉にするのですか」
積んだばかりの籠にもったラックの実を、アリスは言われるままに水を張った盥にうつした。
ラックの実は青緑色でアリスが片手で握って隠れるかどうか位の大きさのものだ。
庭にあるため池の脇に座り込み、2人並んでラックの実を洗う。
ちなみに今日も側近は屋敷の中で待って貰っている。
傍に付けているとなんだかんだでライトが世話を焼きたがるし、グローリアは色々なことに敏感なのでこの間のようにカミーユが降って来たりなんてしたら、物凄く警戒心をあらわにしてしまうだろうからだ。
「出来上がったものを主成分にして調合するつもりです」
「へぇ」
(なんか…知識量が凄すぎるわ)
彼は研究者で、いうなれば『調合』がメインなはず。
研究用に調合する薬草などを材料から作っている薬学者などあまり聞かない。
たいていは薬草を育てる農家から購入するものだ。
彼の研究方法に、アリスは興味をひかれていた。
『調合』からではなく本当の最初の最初までさかのぼって、原料から研究して開発、研究、調合を一人で行っている。
半端ない知識量と手間が必要だが、深くまで掘り下げることができる。
そこまでの頭脳を持つための教育を受け、手間と時間をさけるのは、生活のための研究開発では無く、あくまで貴族の『趣味』だからだろう。
一般人が仕事として行うのであればこんな効率の悪い方法はなりたたない。
「本当に好きなのですね」
ラックの実を洗いながら、しみじみと呟いたアリスに、カミーユは微笑を浮かべる。
温和な表情とは真逆に「いきなり何を意味不明なこと言ってんだ」と思っているのだろう。
アリスの勝手な想像だったが、当たってる気がする。
なにせ同じタイプの性格だから。
アリスも彼と同じように上品に口端を上げて微笑して見せた。
「すみません突然。よほど好きでなければここまでしないですよね、と思ってしまって」
「---そうですね。嫌いではないですよ」
「…………?」
つまりは好きでもないと言うことだろうか。
(よく分からない。この人、遠回しすぎて面倒だわ)
あまり気が長い方でないアリスにとって、回りくどい話は苦手だった。
どうして貴族はこういろいろ濁して話すのだろうと思う。
小さく嘆息してから、アリスは話題を変えて振ってみた。
ずっと気になっていたが、なんとなく聞きそびえていたことだ。
「そういえば、私たびたびお邪魔しているのにご当主に挨拶させて頂いてないのですが、宜しいのでしょうか」
屋敷の持ち主であるベクレル伯爵に無断で入り浸っている。
非常識のは分かっているのだが、何せ顔を合わせないのだから挨拶も何もしようがないのだ。
時間を作って貰ってでも面会を申し込むべきだろうかとカミーユに問うたが、彼は否定する。
「いいえ。特に必要はないでしょう」
「そう?」
「もし気になるなら王宮ですれ違った時にでも。館よりも王宮の方に入り浸っていますし」
ベクレル伯爵は領地の管理などは信頼のおけるものに任せ、普段は王宮で勤めていた。
だからむしろ王宮ででの方が出会う可能性は高いようだ。
そう言うカミーユに、アリスは頷くしかなかった。
(そんなに王宮に入り浸っているなら……カミーユ様とベクレル伯爵が顔を合わせることも少ないと言うことよね。この雰囲気だともしかして仲が悪いとか?)
他人の家の事情に口を出すのはあまり良い結果を生まない。
分かっていたから深く突っ込むことはせず、アリスは納得したふりをしてただ頷くだけにした。
(とりあえず当たり障りのなさそうなこと言っとこう)
「伯爵様はお仕事熱心なのですね」
「いえ……」
アリスがそのまま流そうとしたのに、カミーユの方の表情が曇ってしまう。
同じように笑って返してくれればいいだけなのに。
これでは気づかなかった振りもできない。一体何なんだ。
アリスは半ば面倒に思いながらも、できるだけ穏やかな口調を保って首をかしげて見せる。
「----距離がわからないんですよ。お互い…」
「…距離?」
「あまり関わりのないまま育てられたもので。今更どう付き合えばよいのか分からなくて。だからお互いできるだけ顔を合わさないようにさりげなく行動していたり」
「…………へ?」
「別に何かあったとか、確執があるとかではないのですが。どうしてか噛みあわなくて」
「………え、っと。あの」
さぁっと二人の間を柔らかな風が吹き抜けた。
水面が風に合わせて揺らぐ。
何の音もない静かな間が、しばらく続いた。
(え? 何、お悩み相談? なぜここで? 私に?)
疑問符だらけのアリスの思考と同じように、カミーユの頭の中でも疑問符が渦巻いているようだ。
口に出してしまってから、はっと気づいたように口を手で押さえ眉間に眉を寄せている。
どうやら気を抜いてうっかり出てきてしまったらしい。
(何よその顔。私だって困ってるんだから、相談なんて受けたことないし!)
人付き合いの希薄なアリスには、他人の悩み相談なんて初めてだ。
(無理。無理。うん、無理)
格好よく気の効いた返答なんて無理。
そんな対人レベルの高い行いは今のアリスには不可能だ。
未曾有の事態にどう答えるべきか頭の中をフル回転で動かしているアリスだったが、不意に立ち上がったカミーユにまた思考を遮られる。
芝生に腰を下ろしているアリスを見下ろして、動揺した様子で視線を右往左往させていた。
ちょうど真上にある太陽にさらされた彼の薄茶い髪の輪郭が、光の加減で輝いているように見えて、綺麗だな。と脈絡なく思った。
「あの…?」
「すみません。忘れてください…これ、向こうで干してきます」
「あ、はい」
洗い終わったらしいラックの実が入った盥を抱えて、カミーユは行ってしまった。
取り残されたアリスは目を瞬かせて呆けるばかりだ。
呆然と目を瞬かせながら、無意識に口を開く。
「意味が分からないわ」
(でも、多分。今のって素の言葉よね)
だからあんなに慌てたのだろう。
うっかり素を出してしまうほどには信頼されたのかと思うと、無意識にアリスの頬が緩んだ。
目的に近づいたからの喜びとは違う。 ただ素直に嬉しかった。
-------しばらくして、戻って来たカミーユはもう元の穏やかな彼に戻っていた。
アリスもカミーユの要望どおりに忘れた振りをして、いつも通り振舞うように心がける。
それでもやはり気になって、新しく摘んだラックの実を洗いながら、ベクレル伯爵の事を思い返してみる。
水面に手を差し込んで、つるりとした感触を指先で転がしながら。
(うーん…でも挨拶くらいしかしていないしなぁ)
行事ごとで会った時に本当に事務的な挨拶と、2言3言の世間話程度しか身に覚えがない。
気にかけなかったから、ベクレル伯爵だけでなく誰に対してもそれくらいしか記憶がないのだ。
考えて考えてひねり出したベクレル伯爵は、穏やかな人柄で、笑った顔はカミーユに少し似てた。
アリスを血縁だけで軽視するような人たちからは一線を置いていたから、まぁ公平な判断ができる人なのだろう。
あとは確か財務系で偉い立場だったような…気がする。
(-----あぁぁ。うろ覚えすぎて分からないわ)
まさか王宮の奥の自室と薔薇園に引きこもっている自分の生活をこれほど後悔する日が来ようとは。
予想外すぎる展開だ。
(今度会った時にはもう少し話そう、うん)
伯爵様と出会う為には人目のある中央部分へ出て行かないといけないから、少し億劫だけれど。
重い腰を上げても良いくらいには気になる。
アリスは勝手に結論づけ、勝手に納得し、勝手に頷いた。
何かを決意したよなアリスの様子を傍らに居たカミーユは見ていたが、もう口を滑らせまいとしているのか何も言いはしなかった。