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「ようこそおいで下さいました、王女殿下」
昼下がりの午後、ベクレル伯爵邸を訪れた第三王女一行を、執事長ウェルダが侍女たちを伴って恭しく迎えてくれる。
「ごきげんよう。ウェルダさん、カミーユ様はどちらに?」
「カミーユ様は薬草園に出てらっしゃいます。及び致しますので応接室でお待ちください」
案内しようとする執事長である老人にアリスはゆっくりと首を振る。
「いいわ。私がお伺いします。薬草園も見せて頂きたいもの」
にこやかに微笑を称えてはいるが、拒否することを許さない王族独特の威圧感があった。
ウェルダは皺の刻まれた目元でしばしアリスを見つめてから、恭しく頭を下げる。
「----かしこまりました」
「ライトとグローリアは中で待たせて貰ってて」
後ろをついて来ようとする側近にも、有無を言わせぬ口調で命じる。
(期限が半年あるからってのんびりなんてしているつもりはないわ)
いち早く目的を達成するためには、まず相手のことを知らなければならない。
けれど側近を後ろに従えてカミーユの素を引き出せるとは思えなかた。
だからここは1対1で対話できるようにしてほしかった。
「何かあれば声をあげて下さいね、王女殿下」
グローリアが言い、それに同意してライトも頷く。
…アリスの元へ来る前、グローリアはちょっと表ざたに出来ない仕事をしていた。
その関係で彼女はほんの小さな音も逃さない。
ベクレル伯爵家の敷地内程度なら、大きな声を出せば聞きつけて駆けつけられるだろう。
アリスが一人で出るのを彼らが許諾するのは、こうした事情もあってこそだった。
「うん。ありがとう。じゃあ行って来るわ」
----庭の薬草を主に栽培している区画にでると、かぎ慣れた草の香りと、見渡す限りの緑が広がっていた。
薬草園と言うよりかは、林か浅い森のあちこちに様々な植物を寄せ植えている感じだ。
鳥の鳴き声が聞こえ、たまにリスなどの小動物が顔をだす。
きっとこの庭の草の上で空を見上げて寝ころぶのは気持ちいのだろう。
実際には出来ないだろうけど、子供みたいに掛け回ってみるのも楽しそうだ。
アリスは迷わないように石畳でつくられた小道の上を歩いて進んだ。
茂る草花を興味深く観察しながら、周囲を見渡してみた。
緩やかな風に乗って漂ってくる、土や草の香りが心地いい。
「居ないわね」
…幾ら目を凝らしても思い当る人物が見当たらない。
小道を外れて木々の奥深くへ入ってしまっているのだろうか。
アリスは歩を止め、引き返すべきだろうかと思案する。
「うーん…、一体どこに行かれたのかし」
-----ドサッ
またたきする間に、目的の人物が目の前に現れた。
アリスの目がおかしくなっていなければ、彼は空から降って来た。
「…カミーユ、様?」
恐る恐る声を掛けると、ゆっくりと薄茶の髪の青年はこちらを振り向く。
とても罰が悪そうな、嫌そうな表情だ。
この事態が彼の意図するもので無いことだと良く分かる。
アリスはもう一度、カミーユを見つめて、次にゆっくりと彼の降って来た空を仰いだ。
(空…ではなく木?)
近くに立つ大木の、枝がアリス達の真上まで伸びている。
しかし普通に考えるとどうやっても届かないだろう。
建物の2階か、ひょっとすると3階にまで届くのではないかと思うほど上なのだ。
(え? あそこから、飛び降りた?!)
しかももの凄く華麗に着地した。
貴族である伯爵子息が出来る所業ではない。
いや、伯爵子息どころか手練れの衛兵でも不可能ではないか。
(えー…っと)
どう反応すべきだろうか。
「あの。ごきげんよう、カミーユ様」
しかし自然と滑り出て来たのは、当たり障りの無い挨拶。
カミーユはその台詞に僅かに眉を潜めるた。
「------殿下のような立場の方が、お一人でこんな所に来るのは関心しませんね。
「ええっと…側近たちならあなたのお屋敷で休ませていますわ。一人でカミーユ様に会いに行きたいと私が頼みました」
「---何のご用でしょう」
「信頼して頂くには共に同じ時間を過ごすことが一番ではないかしらと思って」
なんだかそんなお誘いをする状況じゃない事態がたった今目の前で起きている。
アリスはひとつ溜息を吐いて、彼の目を見据えた。
そのアリスを、カミーユは目を細めて睨むように見返して来た。
緊張感のある空気の中、そよ風が肌を撫でた。
同時にアリスが微笑を浮かべて口を開く。
「お庭の世話、ご一緒させて貰っても宜しいかしら? 出来れば通わせて頂きたいわ、と今日は言いに来たのだけど」
カミーユは眉間のしわを深くする。
余所行きの外面のいい仮面は完全に取りはずされている。
作り笑顔をする必要さえないほどに彼は動揺しているのだ。
「申し訳ありませんが遠慮させていただきます。素人に触らせても花が痛むだけですから」
「…まぁ」
彼の拒否をアリスはにこりと笑って受け流し、庭にためらい無くしゃがみ込む。
そして、白い美しい手で躊躇い無く土を掬った。
気高き王女殿下がそんな汚れるような事をするとは思っておらず、カミーユは目を見張る。
相手の反応も気にせずに、アリスは両手で土を確かめるかのように握り、粒を指先で擦り合わせた。
「栄養状態も水分量も、完璧ですね」
大事にされているのだと分かる土の感触に、無意識にアリスの頬が緩んだ。
カミーユはじっと彼女の手元を凝視している。
「分かるのですか?」
「これでも一応、植物学者ですもの。薬草に関しては詳しくないけれど、土いじりは大好きですよ」
「……変な人ですね」
「あなたも…ところで、一つ聞きたい事があるのですけれど」
「何でしょうか」
土から顔を上げたアリスの目に映るカミーユは、微笑を作って首をかしげている。
しかし先ほどのことを問われるのではないかと、僅かに肩がいかっているのにアリスは気づいた。
(うわぁ、警戒されてるなぁ。でもさっきの事とはまったく違う質問なのだけど)
目の前に立つこの青年と先日初めてあった時から、アリスは彼に対して奇妙な感覚を覚えていた。
だからその事を問おうと思っていたのも、側近たちを付けず2人にしてもらった理由の一つなのだ。
(でも…これ以上面倒な関係になるわけにはいかないし)
今日のうちは止めておくべきだろう。
もう少し信頼を得てから。とアリスは心で決めてにっこりと笑った。
そして適当に目に入ったものを指さしておく。
「えぇ、あれはどうするのかと思いまして」
「……」
アリスの指したものは、指でつまめる赤く丸い実。
2人の居るすぐ脇の木の根元に置いてある籠にたくさん入れられていた。
カミーユが降って来た大木に沢山なっているので、彼は木の上でこれを採取していたのだろう。
「リーナと言う木の実です。砂糖で煮つけてシロップにします」
「シロップに?」
「子供向けの栄養補助食品的なものですから、味も子供向けにと」
「研究用では無かったのですね。でも個人で使うには量が多いわ。これって、どこかに出荷していたりするのでしょうか?」
「下町の幾つかの薬屋にほぼ無償で卸しています」
「なるほど」
にこやかに女王様使用の笑みを携え頷いて、彼に見えないように俯いてから眉間にしわを寄せる。
安価で庶民に薬を提供。
まるで良い人っぽい行いだ。
いや、行いだけみれば普通に良い人だった。
(この色々含んだ嘘っぽい作り笑いさえなければね…)
アリスは頭で色々と思案しながら、赤いリーナの実を一粒つまんで自分の口に放り投げてみた。
奥歯で噛みつぶすと、柔らかい果肉から果汁が染み出す。
物凄く苦い。下の上にピリリとした刺激も走る。
薬は苦いものだが、確かに砂糖にでも煮付けないと口に出来るものではないようだ。
「あの?」
「勝手にごめんなさい。どんなものかと気になって」
「……そうですか」
「見た目は木苺に似ているのに、味は正反対ですね。すっごく苦い」
「でしょうね。」
アリスが口を窄めて渋い顔をしてみせてから伺い見ると、カミーユは先ほどの厳しい表情はもう取り払われていた。
動揺はなんとか抑え込んだらしい。
「リーナを生で食べるなど聞いたこともありませんよ」
けれど明らかにアリスの行動に呆れている。
アリスの行動はどこまでも場にそぐわない的外れなもので、本来問いただすべき事柄とはまったく違う方向に向かっている。
しかしそれは深く立ち入る気は無いと言う意思表示であった。
上手く悟ってくれたのか、無言でカミーユは小さく首を降ったあと諦めたように嘆息すると、アリスに手を差し出した。
その手に手を置くと強く引かれて立ちあがらせられる。
あまり心情の読めない表情のまま、カミーユはアリスから庭へと視線を移した。
「広いですから、手があって困ることはありません」
「それは、お手伝いさせて頂けると言うこと?」
「どうせ断ってもやるつもりでしょう」
「この短時間で私の行動を予測出来るまでになるなんて、素晴らしいですわ」
「………」
---ふっ、とカミーユの纏う空気が和らいだ気がした。
今の流れでどうして彼の警戒がとけるのか、アリスには理解できない。
「何と言うか…あなた相手だと取り繕うのが馬鹿らしくなりますね」
それは小さな小さな音にもならない呟きで、アリスの耳には届かなかった。
ただ柔らかくはにかむ様に見える今の表情は作ったもので無いのではないかと思う。
「……何かおっしゃった?」
「いえ。何も」
(色々と謎だけれど、まぁ…悪人では無いみたいだし)
ちょっと身軽な人と言うだけなのだろうか。
(わざわざ変に疑って目標から遠のいても困るし、気にしないべきなのかな)
気になるけれど調べるのは警戒させるだけのような気がする。
ここは目標を第一に考えて妙な事柄はなかったこととして考えよう。
側近たちに知られればどうして放っておいたと怒られるから、内緒でいこう。
教えると警戒してもう彼と2人では合わせてくれないだろうし。
どうかこの判断が間違いではありませんように、とアリスは心から祈るのだった。
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----夕刻時。王宮への帰りの馬車の中で、隣に座るライトがアリスに問いかける。
「で、どうだった?」
「良く分からないわ」
空から降ってくると言うちょっと奇妙な行動はあったが。
それについては口を開くつもりはない。
言葉を濁して眉を寄せ、首を捻って唸るアリスに、向かいに座るグローリアが苦笑する。
「時間がかかりそうだね」
「たぶんね。半年もかけるつもりは無いけれど国王陛下にはしばらく待って貰わないと。報告はライトに任せたわ」
「お前さ、面倒なことは大抵俺に放り投げるよな」
胡乱気な眼差しが隣から刺さる。
「……ねぇ。グローリア、私を待っている間は何をしていたの?」
「お茶を頂いて、そのあと庭の隅を借りて剣の稽古」
「さすがね。努力を怠らない側近で鼻が高いわー」
「おい。都合良く聞こえない振りをするな!」