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薬学者と棘の姫君  作者: おきょう


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「ライト、グローリア、帰りましょう。」

「王女殿下、薬の交渉は?」


グローリアがそっと口を挟むが、アリスは鼻で笑う。


「お父様のことですもの。緊急性が出れば無理やりにでも入手されるでしょう?----私はもう、この人に関わらない」


どうせ自分は駒のひとつでしかないのだ。

変わりなんて吐いて捨てるほど居るのだろうし、困る事態になどなるはずがない。


アリスはもうカミーユを見ようとはしないで、顔をそむけてなんの興味も示さない表情そのままで足早に部屋を退室する。

その間、カミーユは彼女を呆然と見送るしかできなかった。

アリスのピリピリとした空気が彼を動けなくさせていた。

(アリス)の後に退室したライトと、前を行く2人に続くグローリアだったが、グローリは扉をくぐる一歩手前で歩を止め、扉の淵に手をかけた状態でカミーユを振り返る。

カミーユへ向けられた赤毛の側近の顔は呆れたと言う風なため息を今にも吐こうとしているかのようだ。


「だから言ったでしょう」

「…え?」


いまだショックから立ち直れていないカミーユが、かろうじで掠れた声をグローリアへ返す。


「アリスは誰のものにもならないと。言ったはずです」

「っ……」


カミーユはグローリアの台詞ではっきりと思い出したのか、苦々しく顔をゆがめて瞼を薄く伏せてしまう。

あの夜の日。月夜の下で、確かにグローリアはそんなことを言っていた。

間違いなく受けていた忠告を、カミーユは受け入れず。結果、アリスに見限られてしまうという決定的な失敗を犯してしまった。


「どうしてですか。どうしてアリスは、あれほどまでに拒絶を…」

「私が話すことなどできません」

「………」



アリスの事情をグローリアが勝手に話すなんてもちろん出来ない。

当然のことだ。分かっていて聞いたのだけれど、カミーユは納得できなかった。

無意識に奥歯をかみしめてしまい、ギリッとした低音が口の中で響く。


「考えて行動して欲しいと、警告をしたつもりだったのですが」


咎める色を含んだ台詞は、カミーユの告白がグローリアの大切な主人(アリス)を傷つけたことへの抗議だろう。



グローリアもが退室し、一人になった部屋で立ち尽くしたままのカミーユ。


「くそっ…!」


苛立ちの感情そのままに足を振り上げ、目の前にあるローテーブルを蹴りあげる。

常人では持ち上げるのも一苦労のはずのテーブルは簡単にひっくり返され、上に乗せられていたティーカップや茶菓子は大きな音を立てて床へ叩きつけられた。

ちょうどティーセットを片づけにきた若い女中が、いつも物静かなカミーユの荒れように戸惑い扉の前で右往左往していたが、気にかけてなどいられなかった。



***********************



「っ…」


自分の寝室に入るなりベッドに細い肢体を放り投げると、馬車の中で乱暴に解いていた黒い髪が白いシーツの上に広がった。

頭上に手を伸ばして掴んだ枕を胸の中で抱きしめてから、壁を向いて横になると背を丸めてしまう。

アリスはまるで自分を必死に守るかのように限界まで丸まって、枕を抱きしめる力をさらに強める。


「アリス」


気遣わしげな声と共に優しい手が頭を撫でてくれたけれど、顔を上げることはどうしても出来ない。

枕に顔を埋めたせいであるくぐもった小さな声は、その手の主をはっきりと拒絶した。


「ごめん。一人にして」

「こう言う時にお前一人きりには」

「お願い」


きっと首をふっただろうライトの言葉を遮って、アリスは言った。

頭上で小さなため息を吐かれたのを感じた後、頭を撫でていた大きな熱い手がそっと離れていく。

ライトとグローリアがぼそぼそと何かを話し合う声の後、静かに扉は閉じられて、アリスのいる広い寝室はしんと静まり返った。


「……気持ちわるい」


抱きしめている枕に顔をすりつける。


愛を囁く男の声。

婚姻を結びたいと言った真摯な眼差し。


そうしたカミーユを思い出して--------吐き気がした。


じわりと沁み出た涙が枕を濡らして、涙の跡が広がっていく。


「もう…やだ……っ」


積を切ったかのように、ぼろぼろとアリスの目からは涙がこぼれて、もう止まらない。


やっぱり自分は人と仲良くなどなれないのだと思い知らされた気がした。

ライトとグローリアは『側近』だから、アリスは安心して傍に着けているのだ。

2人は側近だなんて枠を超えてアリスを大切に思っていることは分かっているけれど、アリス自身が『側近』としての彼らしか受け入れてはいない。

それを承知で彼らはアリスの傍にいる。


世の中からぽつんと取り残された感覚は寂しかったけれど、それ以上に人に寄せられる思いが怖かった。

愛を囁くあの声が気持ち悪い。

あんな言葉、二度と聞きたくないと心の底から思った。


「お母様……」


小さく小さく、枕に押し付けた口元でアリスはしゃくり上げながら呟いた。


思い出すのは、憎々しげに自分の見下ろす母親の顔。

愛してほしいと心から願って、けれどくれたのは憎しみと蔑みだけだった人。

アリスを何度も何度も、何度も殺そうとした。アリスが誰より愛して欲しかった人。



「うそ、だもの」


愛情なんてもの、絶対に信じない。信じられない。


それはどれほど欲しいと声を大にして訴えても貰えなかったもの。

誰よりも欲しかったのに、結局最後まで与えられなかったもの。

だからもういらないと、思ったのだ。

人からの好意なんて信じられない。

だってそんなもの、一度だって貰えたことがないのだから。


---今頃になってくれると言われたって、遅すぎる。


もう、アリスには、それに手を伸ばす勇気なんて残ってはいないのに。



「っ……」


馬乗りになって自分に覆いかぶさる母を思い出して、ぶるりと体が震えて、思わず身を固めて目をぎゅっと閉じる。


アリスの首を両手で締め上げながら、苦しむアリスの姿を楽しそうに笑って鑑賞する母のは、とてもとても美しく、アリスと同じ艶やかな黒髪をしていた。


(お母様は、かわいそうな人)


本当に愛する人から引き離されて、家の繁栄のために側室として王宮へあげられたアリスの母は、王族を憎んでいた。

けれど王族に憎しみをぶつけるのは難しく、その憎悪は生まされたアリスへと全て向かうことになる。

アリスが憎くて憎くて憎くて仕方がなかった母親は、アリスがお腹にいる頃から徐々に心を壊していったらしい。


そうして彼女はことあるごとにアリスを殺そうとするようになった。

覚えているのは、アリスの苦しむ顔が好きなのだと、恍惚と笑って語る姿。


『あなたの苦渋に満ちた顔は私の快楽なの。さぁ、この短刀でここを付くのよ、血をね、流すの。一番痛い場所にね、刺すのよ。出来ない?まさかそんなはずが無いわ。私の可愛いアリス。出来るでしょう?』


それでもこの世界でたった一人の母親で、アリスは彼女に愛してほしいと願い続けた。

小さな無垢な子供は、何度罵詈雑言を吐かれても暴力を受けても、一心に母親を慕い続けた。


『ねぇアリス。今度は池に飛び込んでみてはどうかしら。重しを作ってあげるわね?簡単に浮き上がって来てしまったら困るものねぇ』


ひたすらまでに、母は昔の恋人を思い続けた。

そして憎んでいる王との間に作らされたアリスを憎んだ。

元恋人が他の女性と結婚して子を産み、周りもうらやむほどの幸せな家庭をすでに築いていると聞いても。その事実は母の中で無かったことになってしまったらしい。もう彼女は、自分の世界の中でしか生きてはいなかったから。


『あなたが居なくければ私はあの人のもとへ帰れるわ。そうよ、子供の居ない側室なんて王宮では用無しですもの。早く帰って、あの人の子供を産むのよ。あぁ、アリスには早く消えてもらわないとね。私の可愛い子、早く死んでちょうだいね』


歌うように、とても素敵な案だと言うように、母は何度もアリスにそう言い聞かせた。


母親自身が低位貴族で馬鹿にされていたのだから、彼女の子であるアリスを守ってくれる人なんて一人もいない。

むしろ異母兄弟たちは面白い遊びとしてアリスを嘲笑し罵倒した。




その頃は、王位が先王から現王へと引き継がれた直後。

父王はなれない国政に翻弄され、寝る間もない忙しさで、アリスの処遇に気付く余裕は持っていなかったのも事態を拡大する一端だった。

何とか生き延びられたのは、母親は心と共に身体をも壊していてアリスを産んでからはベッドから起き上がるのもままならず、幼い子供でも必死になれば逃げきれるほどの弱弱しい力しか残っていなかったからだ。


誰にも世話をされなかった為に、10歳を超えても言葉もたどたどしく、折れてしまいそうに痩せすぎた、笑うことも泣くことも忘れてしまった娘の現状を知ったときの王の落ち込み様は凄かったらしい。

『おかあさまのお願い、聞けないわるい子でごめんなさい』『しねなくて、ごめんなさい』そう詫びるアリスを泣きながら幾晩も抱きしめ続けてくれた父王を覚えているから、父を憎むことはアリスには出来なかった。


王がライトとグローリアをつけてくれたのは、その直後。

その時すでにライトとアリスは顔見知りで、近衛隊長だったライトの父親にくっついて王宮に通っていた彼は何度かアリスを母の手から隠してくれていた。

グローリアとはその時は初対面だったけれど、彼女はライトと同じくらい大切に守ってくれた。

献身的に、暖かく優しく。側近たちは長い月日をかけて大切にアリスを守ってくれて、アリスはやっと2人にだけは人並みに懐けたところなのに。


「……誰も…いらないわ」


愛してほしいと願うことは、絶対に思ってはいけないことだと。

死にあたいする程の悪いことなのだと。

何年も何年もかけて、既にアリスの体に刻み込まれてしまっている。

成長して、その考えが可笑しいのだと知ったけれど、もう心と体に叩き込まれたこの絶望を消すことなど不可能だ。


「ごめん、なさい…」


自分のふがいなさで傷つけた男の人へ、震える声で誤った。


けれどカミーユの想いは彼女にとって、ただの恐怖でしかないのだ。


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