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MEMORY'S CLOCK

作者: 田村崎

 彼は足元に視線を落とし、次いで顔を上げ周囲を見回した。狭い空間には所狭しと時計が並んでいた。左右の壁に飾られているのは様々な形態の掛け時計。目の前に張り出した机らしきものの上には色とりどりの砂を上から下へ落とし続ける砂時計がざっと見ても百以上ある。辛うじてくすんだ木目を晒す床の上には丸いプレートに角が生えたような日時計が転がっている。その横には水で満たされた箱を連ねた姿の水時計。頭上には懐中時計と腕時計が葡萄のように吊り下がっていた。

 どう見ても異様な空間だった。どうして自分がこんな場所にいるのか、彼は思い出せなかった。それどころか、この場所に至るまでの道程さえ判然としない。唯、この場所に今自分が立ち尽くしているということだけが彼にわかる全てだった。

 明らかにおかしな状況だ。だが、彼は当たり前のことのように感じていた。それも夢幻ではなく、確固たる現実として。どうしてかと問われてもはっきりと答えられない。鼻先を掠める埃っぽい空気と寂れた古めかしいものの匂いが原因か。絶え間なく聞こえてくるそれぞれの時計の機関が織り成す音の所為か。それらを含めたこの空間自体が生み出す雰囲気の影響か。言葉では語ることができない何かが、彼に今を現実だと思わせていた。

 奇妙な空間は意外と広く、時計の群れは奥へと続いていた。先はよく見えない。彼は急にそちらに興味を引かれて徐に一歩前進した。獣道を彷彿とさせる時計と時計の間にできた細道に注意深く足を置きながら先へ進む。覚束ない足元に気を配りながらも周囲の様子に目をやる。デジタル時計ばかりが並んだ棚の前を通り抜け、からくり時計で埋め尽くされた一角を横目に行き過ぎる。どこまで歩いてもあるのは時計ばかり、代り映えのしない風景の連続だ。それでも何故だか足を止める気にはなれなかった。むしろ、止まってはいけないという気持ちが湧き上がってくる。

 時計を眺めながら、どのくらい歩いただろうか。どこまでも続くと思われた空間には行き止まりがあった。先程と同じように時計に埋め尽くされた壁の中央に柱時計がしっかりと床に足をつけて立っている。背の高い彼でさえそのままでは文字盤が見えない。ゆったりと運動を繰り返す大きな真鍮の振子が印象的だ。

 鑑賞しようと見上げた時、軽い金属音とともに鐘の音が響いた。全てが調和した空間が引き裂かれる。二、三、四――。耳を塞いでも鐘は頭の中まで届く。五、六、七――。意味もなく両目も閉じて、その場に蹲る。八、九、十――。精神をすり潰すような音は変わらず、彼の中を駆け巡る。

 ――十一、十二。そこまで打って、鐘の音は止んだ。だが、余韻の反響は止まらない。彼は必死に頭を両腕で抱え込んで堪えた。低く澄んだ余波が彼の心に細波を起こし、波紋を作っては去っていく。一つ音がするたびに、奥にある何かがざわめく。そうして、凪いでいた胸中がすっかり乱されてしまう頃には、残響は完全に失せていた。

 恐る恐る腰を上げて耳を押さえていた手を離す。すでに数々の微かな音の織り成す調和は戻っていた。胸を撫で下ろし、彼は元凶であろう巨大な柱時計を見上げた。黒い二本の針が上方を仰いでいる。間違いなくこの時計の鐘だ。未だに残る不快感に、こいつの所為でと知らず視線が鋭くなった。

「お客様ですね」

 突如背後で声がした。投げかけられた言葉に彼は凍りつく。この場所で初めて聞く他人の声だった。まるで鐘の音に呼ばれたかのように出現した存在にこの上ない恐怖を感じながらも、それ以上に正体を知りたくなって恐る恐る振り返る。

 時計だらけの空間に小さな老人が立っていた。

「探し物でございましょう」

 そう言って老人はしわだらけの顔を微笑ませた。


 驚きと困惑で切り返すことができずに押し黙っているうち、老人は悠然と彼の目の前に立っていた。その大きく曲がり老いの極みまで到達していそうな体躯からは想像もできない素早さだった。

「探し物をしていらっしゃるのでしょう」

 再度、老人は静かに尋ねた。両眼が彼の真意を見極めんとでもするかのように見据える。

「探し物、ですか。僕、が?」

 促されて漸く捻り出せた言葉はその一言だけだった。とても満足のいく返答とは言えなかろう。それでも老人は微笑を崩さずに恭しく首肯した。

「そう、探し物ですよ。ここは誰かが失くされた時計をお預かりする場所。私はその管理者でございます。警察の落し物係とでも申せば分かり易いでしょうか。故に先程のように申し上げたのですよ。貴方様もご自身の時計をお探しではないかと」

 彼は僅かに冷静さを取り戻した頭で考える。自分は時計を探していたのだろうか。――否、確かに自分は時計を探していたのだ。唯一無二の自分の時計を。どうして言われるまで忘れていたのか。大切だったはずなのに。先程まで何も思い出せなかったのが嘘のように時計のことが心に浮かんだ。

「ええ、確かに貴方の言うとおり、僕は時計を探しています。協力していただけませんか」

 彼は自分の気持ちの赴くままに素直に助力を求めた。老人はさらに笑みを深めて何度も肯く。

「勿論、お力をお貸し致します。そのために私はいるのですから」

 まず、その時計についてお教えください。老人は静かな口調で請うた。彼は目を瞑り、記憶の泥沼を浚った。自分が求める時計は――。

「古い時計です。生まれてこの方三十四年と半年間ずっと、肌身離さず持っていました。でもつい一月前に失くしてしまった。大切に保管していたのに。尤も全ては僕の不注意の所為ですが」 

 思い出すだけで涙が滲んだ。手放してはならぬと誰よりも知っていたはずなのに。悔しさに打ち震える彼に、老人は柔らかな眼差しを向けた。

「大切にされていたのですね。これは是が非でも見つけて差し上げなければ。他に何か特徴はございませんか。どれほど些細なものでも構いません」

 彼は再び考え込んだ。時計の姿を求めて思考を重ねる。欲求が深まる。だが、今の彼にわかるのはそれだけだった。色も形も材質も具体的な記憶は全て忘却の彼方にあるようで欠片も見出せない。

 最早取り戻すことも叶わないかと諦めそうになった時、微かにそれらしき像が脳裏に閃いた。

「参考になるかはわかりませんが、確か僕の時計はシンプルで装飾が少ないはずです。どのようにと聞かれると答えられません。ただ、僕がそういう生き方をしてきたからだと思いますが」

 恐る恐る申し出ると、老人は首を縦に振った。

「どの辺りに仕舞われているか見当がつきました。調べて参りますので暫くお待ちを。すぐに見つけて差し上げます」

 老人は時計の狭間に消えた。自信を仄めかす老人の言動に安堵を覚えて、彼は深く息をついた。急に肩が軽くなる。自然と精神を尖らせていたことを知り、改めて失くしたものの大きさに震えた。

 思いを回らせていると、自然と足元に犇く時計が目に留まった。個々の時計に意識を向けるのは初めてのことだった。まじまじと見つめれば各々の個性が見えてくる。老人の言葉によればこれらは全て誰かの所有物だったという。どうしてここに並ぶことになったのか知る由もないが、きっと大切にされていたに違いない。

 暫く眺めているうちに、彼はどの時計も全く違う動きをしていることに気がついた。時計は目まぐるしく働くものから緩やかに時を刻むものまで様々だった。興味を覚えて左に視線を転じると、やはり個性的な時の進みを持つ時計が目につく。中でも完全に止まっている一つの目覚まし時計に心惹かれて手を伸ばしたが、届く寸前にしわだらけの手が横取りした。老人が戻ってきたのだ。

「他のお客様の時計に手を触れてはなりません」

 老人は厳しい口調で諌めた。笑顔を見せていた老人の鋭い非難の視線に彼は慌てて諸手を挙げた。

「すみません。ちょっと気になって」

「いつかは止まるが時計の定めにございます。可哀想に、この時計は持ち主に巡り会うことができなかったのです」

「もう、出会えないのですか?」

 訊くと老人は悲しげに、無理でしょうと断じた。

「稀に歩みを止めた時計をお探しのお客様がいらっしゃいますが、それは極めて特殊な場合です」

 老人が悲痛な面持ちで一瞥すると、時計は手中から忽然と姿を消した。驚く彼の目前で、老人はひらりとその手を翻す。微かに空間が歪んで金色の輪郭が現れた。細身のローマ数字が並ぶ文字盤の上を飾り気のない矢のような針が動いている。

 彼は目を見開いて絶句した。

「貴方様が探していらしたのはこの時計ですね」

 老人は金の上蓋を閉じてその懐中時計を差し出した。彼は呆然としながらも、ぎこちない動きで手を伸べる。金の鎖が軽い金属音を立てて彼の手に吸い込まれ、彼の中を何かが突き抜けた。忘れていた思い出が深淵から鮮やかに蘇る。

「ああ、だから僕はここに来たんだ」

 取り戻した大切な時計を彼は握り締め胸に抱いた。二度と失うまいという気持ちをこめて。

「お時間です。ご自身の世界へお戻りください」

 老人が高らかに告げた。柱時計の鐘の音が再び鳴り響き、空間が霞む。彼の体は何かに引っ張られ、墜落し始めた。

「お気をつけて。奇跡に二度目があるとはお思いにならないように」

 逆らわずに落ち行く中で老人の最後の一言がやけにはっきりと聞えた。


 彼が目を覚ますといの一番に薄茶けた天井が目に入った。自宅の寝室だ。覚醒する直前、別の場所にいた気がしたが幻覚だったようだ。

 真正面のドアが開いて彼の妻が顔を覗かせた。

「貴方、起きたの?」

「ああ、登喜江、おはよう」

 普通に声をかけたつもりだった。ところが長年連れ添った妻は瞬時に表情を強張らせ、手にしていたシャツを取り落とした。まるで幽霊でも見たかのような反応に彼は顔を顰める。

「何やっているんだ。みっともないぞ」

 軽く窘めてみたが、その場で立ち尽くしたまま動こうとしない。仕方なく代わりにシャツを拾って押し付けると、妻は彼をじっと見つめた。

「何だよ。一体何が……」

「貴方、記憶が戻ったのね!」

 妻は歓喜の声を上げて彼に抱きついた。予想だにしない返答に、彼は動揺した。状況が全く飲み込めない。困惑する様子を見かねたのか、妻は全ての事情を話した。曰く、彼は一ヶ月前に交通事故に遭い、記憶を喪失していたのだと。

 俄かには信じがたいことだったが、咽び泣く妻の姿にこれが現実であることを感じた。彼は暫く細い体を抱きしめていたが、不意に顔を上げた。時計の針が進む音を聞いた気がしたのだ。同時に脳裏に言葉が浮かぶ。

 僕の大切な時計はここに。

 意味も理由も分からなかったが、何故か喜びが込み上げてきて彼は穏やかに一笑した。

 読者の皆様、お初にお目にかかります。田村崎と申します。初めての投稿でしたが、いかがでしたか。中学三年生から、制作活動を開始した社会人です。大学卒業後は社会人の傍らほんの少しだけ制作活動も続けていますが、よい発表の場がなく、パソコンの中に保存されたままになっているものもあります。

 そこで、今回思い切ってWEB投稿してみました。初投稿にどれを選ぶか迷いましたが、一番の自信作にしてみました。これは私が大学時代に自分の所属していた文芸サークルの機関誌にて発表した掌編です。大学時代にはこれを含めて九つあまり掌編を書きましたが、一番評価がよく、かつ筆者自身も納得のできとなったのがこの『MEMORY'S CLOCK』でした。

 今後はこのような掌編と、時間に余裕ができれば、長編の連載もしていく予定です。ちなみに掌編は純文学やミステリーなどの一般向け小説メイン、長編はライトノベル調のファンタジーを予定しています。

 よろしくお願いいたします。

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