↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

友達に嫉妬するなと仰るので私も男友達と遠乗りに出かけました

掲載日:2026/10/13

「友達に嫉妬するなよ、リタ」


 それを言うなら、せめて私の馬に結んだ荷物を下ろしてからにしてほしかった。

 春の遠乗り会、その出発前である。婚約者のベルトランは私の鞍袋に水筒を押し込み、自分は初心者の組に回ると言い出した。女友達のマーヤが同じ組の世話役なので、一緒に行くのだという。


「昨日までは私と丘の道へ行く約束だったでしょう」

「世話役の仕事だよ。マーヤ一人には任せられない」


 ならば今朝、会ってすぐそう言えばよかった。私があなたの上着を預かり、飲み水が足りるか確かめ、わざわざ大きな鞍袋へ替える前に。

 と言いかけたところへ、マーヤが手を振りながらやって来た。


「リタもゆっくり行く組にすれば? 丘の道なんて疲れるだけよ」

「私は丘へ行きたいの。そちらに合わせる話はしていないわ」


 ベルトランが眉を寄せる。


「そうやって張り合うから、嫉妬だと言うんだ」


 張り合っているつもりはなかったのに、今の言い方は確かにそんなふうに聞こえた。言い直そうとして、口を閉じた。

 また私が、言い方を間違えたことになるのか。


 この一年、彼と二人で出かける約束には、よくマーヤの予定が割り込んだ。断ると心が狭いと言われ、黙っていれば理解のある婚約者だと褒められる。その褒め言葉が欲しくて黙った日もある。けれど今日は、乗りたい道まで譲るつもりはなかった。


「分かったわ。友達と出かけても構わないのね」

「ようやく分かってくれたか」


 彼がほっとした隙に水筒を抜き取り、その腕へ上着と一緒に押しつけた。


「では、これはご自分で」


 荷物を抱え直す彼の向こうで、ダリオが片手を上げていた。子供の頃から隣の領地で競争ばかりしてきた相手だ。今日も私を見るなり、自分の馬の方が速そうだという顔をする。

 いいでしょう。速い馬も、その腹立たしい顔も、今なら使い道がある。


「ダリオ。私と丘へ行かない?」

「行く。ずいぶんいい顔で誘うな」

「ベルトランに見せつけたいのよ」


 馬の首を撫でていた手が止まる。さすがに失礼だったかと口を開きかけたら、彼は私の後ろをちらりと見た。


「それで俺を選ぶあたり、見る目はある」

「断ってもいいのよ」

「断らない。君がこっちを見る機会なんだから」


 あまりにも平気な顔で言うので、一拍遅れて意味が分かった。


「それ、どういう……」

「昔から好きだって話。ほら、顔が変わった」


 私が返事を探している間に、彼は係へ組の変更を伝えに行った。取り残された私は、いったい誰に見せつけるつもりだったのか、早くも分からなくなりかけていた。


 ◇


 出発の名簿には、私とダリオの名前が並んだ。

 乗馬に慣れた者は二人以上で丘の道を進み、案内役のつく初心者の組は川沿いを行く。どちらも昼には古い水車小屋の休憩所へ着く。

 会を催す伯母は全員にそう念を押し、ベルトランへ組の名簿を渡した。彼とマーヤには、休憩ごとに人数を確かめ、出発の遅れる者がいないよう気を配る役目がある。その説明を、私はダリオの横で聞いていた。

 やがて丘の道を行く組が呼ばれ、私たちは先に出発した。


 ベルトランは見ていただろうか。

 門を抜ける時、確かめようと振り向いたけれど、ちょうど前を伯母の馬車が横切った。それでも首を伸ばす私に、ダリオが声をかける。


「そっちを向いたまま走る競技なら、俺が勝つな」

「普通に走っても私が勝つわ」

「前を向いてから言ってくれ」


 負けると分かっているから話を逸らすのね、と返すうちに門は木立の陰へ消えた。

 川を渡った先で、ダリオは配られた地図を広げ、迷う様子もなく右を選んだ。私が従うと、ほどなく生垣と赤い屋根が見えてくる。

 あの屋根、どこかで。


「ちょっと待って。あれ、出発したお屋敷では?」

「外から見ると大きいな」

「感想を聞いているのではないの」


 私は馬を寄せて地図を覗いた。さっき渡った橋をこちら側に置いて見ると、今いる道は庭園を回って門へ戻る道だった。


「逆さまよ」

「地図は回して読むものだろう」

「あなたが半周したのよ」


 彼は地図を回し、今度は屋敷を見て、黙った。

 私は笑った。堪える間もなく声が出たので、馬まで耳を動かした。


「まだ門番に見つかっていないわ。今なら道を知っている顔で戻れる」

「そこまで言うなら案内してくれ。俺は景色を眺める」

「私の背中ばかりになるけれど」

「結構な景色だ」


 言い負けた。

 地図を受け取って前を向くと、彼が後ろで笑う。私に好かれたいと言ったくせに、気分よく勝たせてくれるつもりは、少しもないらしい。


 正しい道へ入ると、丘の斜面に若草が広がった。馬の歩みに合わせて木の影が腕を渡り、風で帽子が浮く。手で押さえるより先に、顎の紐を締め直した。

 木立を抜けた先は緩やかな上りで、道も広い。ダリオと目が合うと、どちらからともなく馬を走らせた。肩が並ぶたびに彼が速めるので、私も譲る気がなくなる。

 坂の上で馬を歩かせる速さに戻す頃には、二人とも息が弾んでいた。


「先に着いたのは私の方よ」

「鼻の差で俺の馬だ」

「あなたの鼻が高いだけでしょう」


 笑いながら言い返して、ああ、こうして乗りたかったのだと思った。ゆっくり行こうと言われるのも、速すぎると叱られるのも嫌だった。今日は何も加減せず、走りたくなった時に走れた。

 稜線へ出たところで、ダリオが左手の林を指す。


「あの先に石の橋がある。寄るか?」

「地図は私が持っているけれど」

「去年も来た。そこは間違えない」

「では、間違えたらおやつを一つもらうわ」

「着いたら俺に一つ」


 結局、石の橋はあった。腹が立つほど見晴らしもよかった。

 欄干に沿って馬を歩かせると、谷を流れる川がずっと下で光っている。私はあれこれ言うのをやめて見入った。こんな所があるなら、初めに教えてくれてもよかったのに。


「ここへ連れてきたかったんだ」


 隣から聞こえた声に顔を向ける。


「見せつけるための相手じゃなくても、誘ってくれればいいだろうと思ってた」


 さっき笑った口が、今は少し尖っていた。

 私は手綱を持ち直した。そう言われてみれば、家へ帰ったら彼の名前を何度も出してやろうとまで考えていた。ベルトランの前で、今日は楽しかった、ダリオは親切だった、と。


「ごめんなさい。嫌な頼み方をしたわ」

「承知で乗ったよ。でも、帰りまであいつの反応ばかり気にするなら、もう付き合わない」


 彼は川へ目を戻した。返事を待っている横顔を見ているうちに、私は景色を見るのを忘れていたと気づく。


「今は、あなたといるのが楽しいわ」


 言ってから、少し説明を足したくなった。友達だから、とか、久しぶりだから、とか。けれど、言えば逃げたことになる気がして黙った。

 ダリオは私を見たまま、口元を緩めた。


「それは期待するぞ」

「してもいいわよ」


 どうしてこんな偉そうな返事しかできないのだろう。

 彼が笑ったので、私も笑えた。


 水車小屋に着くと、先着の参加者たちが馬を預け、卓を囲んでいた。私たちも昼食の並ぶ卓へ向かう。私は燻製肉の薄切りを眺めてから、隣の卵入りの丸パンを選んだ。


「そっちが好きだったのか」

「卵がはみ出るから、人前では食べにくいのよ」

「いまさらだろう。昔、両手で押さえて食べてた」

「昔の話をすると、あなたが苺を落とした時の話になるけれど」


 彼はすぐに黙った。いい具合に勝てたので丸パンを一つ渡し、私は残りを両手で持った。

 馬を下りてから、一度も後ろの道を見ていなかった。


 ◇


「リタ。帰るぞ」


 ベルトランの声がしたのは、ダリオが約束の焼き菓子を選んでいた時だった。

 私は袋を遠ざける手を止めた。石の橋へ着いた褒美だから一つは渡す。ただ、一番大きなものは私の分だと、さっき断ったはずだ。


「帰るって、まだ食べているわ」


 ベルトランは馬から下り、私の隣に立った。少し遅れてマーヤも着く。

 川沿いの道には、ほかの参加者の姿がなかった。


「どういうつもりだ。ダリオと二人で出かけるなんて」


 卓の向こうで伯母が顔を上げた。ダリオは菓子の袋から手を引き、自分の椅子へ深く座り直す。


「友達と遠乗りに来たの。朝、お話しした通りよ」

「俺とマーヤのこととは違う。ダリオは男だろう」

「マーヤは女性でしょう?」


 ベルトランは一瞬口を閉ざし、それからダリオを見た。

 マーヤが横から言う。


「ベルトランは心配して追ってきたのよ。男の人は、その気もない女の人をわざわざ誘わないもの」

「誘ったのは私よ」


 そこは間違えないでほしかった。ダリオにも思惑はあるけれど、今日の発端は私だ。


「嫉妬させたかったんだろう」


 ベルトランが私へ向き直った。

 朝なら、ようやく気づいたのかと言ってやったと思う。私は楽しそうな顔を作り、彼の顔をよく見て、自分の一日が報われたかどうか確かめたはずだ。

 でも、今は。

 手元の丸パンには、まだ一口残っていた。ダリオが食べ損ねている菓子もある。これを置いて彼について帰り、機嫌が直るまで黙って座るのかと思うと、もううんざりだった。


「朝はそうだったわ」

「なら、もういいだろう。マーヤとは何もないんだ。大げさにするな」


 私が続きを言う前に、彼は当然のように卓に置いた私の帽子を取った。


「それを置いて」


 声が思ったより低く出た。

 ベルトランの手が止まる。私自身も少し驚き、それから、自分の膝に載せた片手が強く握られているのに気づいた。


「帰るとは言っていないわ」


 伯母が椅子を引いた。


「その前に、二人とも。あなたたちの組はどうしました?」

「川沿いの四阿で休んでいます。案内役も馬丁もいますから」


 ベルトランはすぐに答えた。伯母は川の方へ目をやってから、もう一度彼を見る。


「ここへ来ることは伝えたの?」

「すぐ戻るつもりでした」

「私も、止めに来ただけですわ」


 マーヤが続けたが、伯母の表情は変わらなかった。

 蹄の音が聞こえた。川沿いの木立から、案内役を先頭にした一行が現れる。馬丁が最後についており、その間には緊張した顔で手綱を握る令嬢もいた。

 伯母に尋ねられ、案内役は馬を下りた。


「四阿を出る時刻になってもお戻りにならず、お二人を捜して少しお待たせしました。お姿が見えたので、こちらへ参りました」


 その人はまず参加者を降ろそうとした。ベルトランが手を貸しに向かうより早く、伯母が近くの従者へ指示を出す。


「皆さんに飲み物を。帰りの世話役はこちらで立てます。お二人はもう結構です」

「待ってください。だからリタを迎えに――」

「あなたにお願いしたのは、この方たちのお世話です」


 戻ってきた令嬢の一人が、ベルトランに預けた手袋はどこかと尋ねた。彼は自分の馬を振り返り、けれど私からも離れたくないらしく、その場に立ったまま答えた。マーヤが唇を結んで取りに行く。

 ベルトランの手には、まだ私の帽子があった。

 以前なら私が受け取って場を収めたと思う。ごめんなさいと笑い、彼が困らないように何か理由を作って。そういう役なら、ずいぶん上手になってしまった。

 私は立って帽子を取った。ただ手元へ戻しただけなのに、彼は帰る気になったと受け取ったらしい。すぐに表情を和らげた。


「分かればいいんだ」


 胸の奥が冷えた。

 この人は、私が何を言おうとしたのか、一度でも気にしただろうか。


「伯母様。父にお話しする時、今日のことを伝えていただけますか」


 伯母が私を見た。ベルトランも何か言いかけたけれど、私は伯母から目を逸らさなかった。


「婚約を解消したいのです」


 言えた。

 その途端に膝が頼りなくなったので、私は卓の縁に手をついた。


「ここでそんな話をするな」

「両家で話します。けれど、決めたことは今、お伝えします」


 伯母は私の手を一度見て、頷いた。

 座り直した時、ダリオは何も言わなかった。私の手元へ菓子の袋を戻し、それから一番大きな一つを取った。


「それは駄目だって言ったのに」

「一つは一つだろう」


 まだ膝は震えていたけれど、言い返す声は出た。


 ◇


 正式な話し合いは、それから五日後だった。

 父とベルトランの父、それに遠乗り会での出来事を伝えるため、伯母が同席した。私は父の隣で、婚約解消の書面に目を通していた。


「たった一度、君より友人を優先しただけだろう」


 ベルトランが言う。

 隣で父が口を開きかけたので、私は小さく首を振った。


「一度ではないわ。けれど、数を揃えるために来たのではないの」


 何度だったかは覚えている。約束が変わった夜、次に誘われたら断ってやると決めたことも。それでも誘われれば嬉しくなったから、きっと今度はと待っていた。

 そんな自分まで否定したくはなかった。好きだったから、隣にいたかった。その気持ちを、また彼に説明して分かってもらおうとは思わなかった。


「あなたとは結婚しません」


 彼は父親の方を見た。父親は書面に目を落とし、贈答品の返還について最後の確認をした。両家で争う項目は、もうなかった。

 伯母も、次回以降の遠乗り会は別の二人に任せると告げた。


「マーヤまで外すのですか」

「二人とも引き継がずに持ち場を離れましたから。婚約のお話とは別です」


 彼はしばらく黙っていた。

 私はペンを取った。握り直す必要もなく、自分の名前を書けた。ベルトランの前へ書面が移ると、彼はそこにある私の署名をじっと見た。


「リタ。今度は君と行く。二人で丘へ行こう」


 ああ、それを朝に聞きたかった。

 そう思ったので、少し悲しくなった。聞けて嬉しいとは思わなかった。


「あの道は、もう楽しく走ってきたわ」


 彼は何か言おうとして、やめた。

 やがて署名が済み、父たちが書面を一通ずつ受け取った。これで終わりだと告げられ、私は椅子から立った。

 ベルトランも立ち上がり、私へ腕を差し出した。廊下を一緒に歩く時の、慣れた仕草だった。

 私は一礼して、その腕の前を通り過ぎた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。