友達に嫉妬するなと仰るので私も男友達と遠乗りに出かけました
「友達に嫉妬するなよ、リタ」
それを言うなら、せめて私の馬に結んだ荷物を下ろしてからにしてほしかった。
春の遠乗り会、その出発前である。婚約者のベルトランは私の鞍袋に水筒を押し込み、自分は初心者の組に回ると言い出した。女友達のマーヤが同じ組の世話役なので、一緒に行くのだという。
「昨日までは私と丘の道へ行く約束だったでしょう」
「世話役の仕事だよ。マーヤ一人には任せられない」
ならば今朝、会ってすぐそう言えばよかった。私があなたの上着を預かり、飲み水が足りるか確かめ、わざわざ大きな鞍袋へ替える前に。
と言いかけたところへ、マーヤが手を振りながらやって来た。
「リタもゆっくり行く組にすれば? 丘の道なんて疲れるだけよ」
「私は丘へ行きたいの。そちらに合わせる話はしていないわ」
ベルトランが眉を寄せる。
「そうやって張り合うから、嫉妬だと言うんだ」
張り合っているつもりはなかったのに、今の言い方は確かにそんなふうに聞こえた。言い直そうとして、口を閉じた。
また私が、言い方を間違えたことになるのか。
この一年、彼と二人で出かける約束には、よくマーヤの予定が割り込んだ。断ると心が狭いと言われ、黙っていれば理解のある婚約者だと褒められる。その褒め言葉が欲しくて黙った日もある。けれど今日は、乗りたい道まで譲るつもりはなかった。
「分かったわ。友達と出かけても構わないのね」
「ようやく分かってくれたか」
彼がほっとした隙に水筒を抜き取り、その腕へ上着と一緒に押しつけた。
「では、これはご自分で」
荷物を抱え直す彼の向こうで、ダリオが片手を上げていた。子供の頃から隣の領地で競争ばかりしてきた相手だ。今日も私を見るなり、自分の馬の方が速そうだという顔をする。
いいでしょう。速い馬も、その腹立たしい顔も、今なら使い道がある。
「ダリオ。私と丘へ行かない?」
「行く。ずいぶんいい顔で誘うな」
「ベルトランに見せつけたいのよ」
馬の首を撫でていた手が止まる。さすがに失礼だったかと口を開きかけたら、彼は私の後ろをちらりと見た。
「それで俺を選ぶあたり、見る目はある」
「断ってもいいのよ」
「断らない。君がこっちを見る機会なんだから」
あまりにも平気な顔で言うので、一拍遅れて意味が分かった。
「それ、どういう……」
「昔から好きだって話。ほら、顔が変わった」
私が返事を探している間に、彼は係へ組の変更を伝えに行った。取り残された私は、いったい誰に見せつけるつもりだったのか、早くも分からなくなりかけていた。
◇
出発の名簿には、私とダリオの名前が並んだ。
乗馬に慣れた者は二人以上で丘の道を進み、案内役のつく初心者の組は川沿いを行く。どちらも昼には古い水車小屋の休憩所へ着く。
会を催す伯母は全員にそう念を押し、ベルトランへ組の名簿を渡した。彼とマーヤには、休憩ごとに人数を確かめ、出発の遅れる者がいないよう気を配る役目がある。その説明を、私はダリオの横で聞いていた。
やがて丘の道を行く組が呼ばれ、私たちは先に出発した。
ベルトランは見ていただろうか。
門を抜ける時、確かめようと振り向いたけれど、ちょうど前を伯母の馬車が横切った。それでも首を伸ばす私に、ダリオが声をかける。
「そっちを向いたまま走る競技なら、俺が勝つな」
「普通に走っても私が勝つわ」
「前を向いてから言ってくれ」
負けると分かっているから話を逸らすのね、と返すうちに門は木立の陰へ消えた。
川を渡った先で、ダリオは配られた地図を広げ、迷う様子もなく右を選んだ。私が従うと、ほどなく生垣と赤い屋根が見えてくる。
あの屋根、どこかで。
「ちょっと待って。あれ、出発したお屋敷では?」
「外から見ると大きいな」
「感想を聞いているのではないの」
私は馬を寄せて地図を覗いた。さっき渡った橋をこちら側に置いて見ると、今いる道は庭園を回って門へ戻る道だった。
「逆さまよ」
「地図は回して読むものだろう」
「あなたが半周したのよ」
彼は地図を回し、今度は屋敷を見て、黙った。
私は笑った。堪える間もなく声が出たので、馬まで耳を動かした。
「まだ門番に見つかっていないわ。今なら道を知っている顔で戻れる」
「そこまで言うなら案内してくれ。俺は景色を眺める」
「私の背中ばかりになるけれど」
「結構な景色だ」
言い負けた。
地図を受け取って前を向くと、彼が後ろで笑う。私に好かれたいと言ったくせに、気分よく勝たせてくれるつもりは、少しもないらしい。
正しい道へ入ると、丘の斜面に若草が広がった。馬の歩みに合わせて木の影が腕を渡り、風で帽子が浮く。手で押さえるより先に、顎の紐を締め直した。
木立を抜けた先は緩やかな上りで、道も広い。ダリオと目が合うと、どちらからともなく馬を走らせた。肩が並ぶたびに彼が速めるので、私も譲る気がなくなる。
坂の上で馬を歩かせる速さに戻す頃には、二人とも息が弾んでいた。
「先に着いたのは私の方よ」
「鼻の差で俺の馬だ」
「あなたの鼻が高いだけでしょう」
笑いながら言い返して、ああ、こうして乗りたかったのだと思った。ゆっくり行こうと言われるのも、速すぎると叱られるのも嫌だった。今日は何も加減せず、走りたくなった時に走れた。
稜線へ出たところで、ダリオが左手の林を指す。
「あの先に石の橋がある。寄るか?」
「地図は私が持っているけれど」
「去年も来た。そこは間違えない」
「では、間違えたらおやつを一つもらうわ」
「着いたら俺に一つ」
結局、石の橋はあった。腹が立つほど見晴らしもよかった。
欄干に沿って馬を歩かせると、谷を流れる川がずっと下で光っている。私はあれこれ言うのをやめて見入った。こんな所があるなら、初めに教えてくれてもよかったのに。
「ここへ連れてきたかったんだ」
隣から聞こえた声に顔を向ける。
「見せつけるための相手じゃなくても、誘ってくれればいいだろうと思ってた」
さっき笑った口が、今は少し尖っていた。
私は手綱を持ち直した。そう言われてみれば、家へ帰ったら彼の名前を何度も出してやろうとまで考えていた。ベルトランの前で、今日は楽しかった、ダリオは親切だった、と。
「ごめんなさい。嫌な頼み方をしたわ」
「承知で乗ったよ。でも、帰りまであいつの反応ばかり気にするなら、もう付き合わない」
彼は川へ目を戻した。返事を待っている横顔を見ているうちに、私は景色を見るのを忘れていたと気づく。
「今は、あなたといるのが楽しいわ」
言ってから、少し説明を足したくなった。友達だから、とか、久しぶりだから、とか。けれど、言えば逃げたことになる気がして黙った。
ダリオは私を見たまま、口元を緩めた。
「それは期待するぞ」
「してもいいわよ」
どうしてこんな偉そうな返事しかできないのだろう。
彼が笑ったので、私も笑えた。
水車小屋に着くと、先着の参加者たちが馬を預け、卓を囲んでいた。私たちも昼食の並ぶ卓へ向かう。私は燻製肉の薄切りを眺めてから、隣の卵入りの丸パンを選んだ。
「そっちが好きだったのか」
「卵がはみ出るから、人前では食べにくいのよ」
「いまさらだろう。昔、両手で押さえて食べてた」
「昔の話をすると、あなたが苺を落とした時の話になるけれど」
彼はすぐに黙った。いい具合に勝てたので丸パンを一つ渡し、私は残りを両手で持った。
馬を下りてから、一度も後ろの道を見ていなかった。
◇
「リタ。帰るぞ」
ベルトランの声がしたのは、ダリオが約束の焼き菓子を選んでいた時だった。
私は袋を遠ざける手を止めた。石の橋へ着いた褒美だから一つは渡す。ただ、一番大きなものは私の分だと、さっき断ったはずだ。
「帰るって、まだ食べているわ」
ベルトランは馬から下り、私の隣に立った。少し遅れてマーヤも着く。
川沿いの道には、ほかの参加者の姿がなかった。
「どういうつもりだ。ダリオと二人で出かけるなんて」
卓の向こうで伯母が顔を上げた。ダリオは菓子の袋から手を引き、自分の椅子へ深く座り直す。
「友達と遠乗りに来たの。朝、お話しした通りよ」
「俺とマーヤのこととは違う。ダリオは男だろう」
「マーヤは女性でしょう?」
ベルトランは一瞬口を閉ざし、それからダリオを見た。
マーヤが横から言う。
「ベルトランは心配して追ってきたのよ。男の人は、その気もない女の人をわざわざ誘わないもの」
「誘ったのは私よ」
そこは間違えないでほしかった。ダリオにも思惑はあるけれど、今日の発端は私だ。
「嫉妬させたかったんだろう」
ベルトランが私へ向き直った。
朝なら、ようやく気づいたのかと言ってやったと思う。私は楽しそうな顔を作り、彼の顔をよく見て、自分の一日が報われたかどうか確かめたはずだ。
でも、今は。
手元の丸パンには、まだ一口残っていた。ダリオが食べ損ねている菓子もある。これを置いて彼について帰り、機嫌が直るまで黙って座るのかと思うと、もううんざりだった。
「朝はそうだったわ」
「なら、もういいだろう。マーヤとは何もないんだ。大げさにするな」
私が続きを言う前に、彼は当然のように卓に置いた私の帽子を取った。
「それを置いて」
声が思ったより低く出た。
ベルトランの手が止まる。私自身も少し驚き、それから、自分の膝に載せた片手が強く握られているのに気づいた。
「帰るとは言っていないわ」
伯母が椅子を引いた。
「その前に、二人とも。あなたたちの組はどうしました?」
「川沿いの四阿で休んでいます。案内役も馬丁もいますから」
ベルトランはすぐに答えた。伯母は川の方へ目をやってから、もう一度彼を見る。
「ここへ来ることは伝えたの?」
「すぐ戻るつもりでした」
「私も、止めに来ただけですわ」
マーヤが続けたが、伯母の表情は変わらなかった。
蹄の音が聞こえた。川沿いの木立から、案内役を先頭にした一行が現れる。馬丁が最後についており、その間には緊張した顔で手綱を握る令嬢もいた。
伯母に尋ねられ、案内役は馬を下りた。
「四阿を出る時刻になってもお戻りにならず、お二人を捜して少しお待たせしました。お姿が見えたので、こちらへ参りました」
その人はまず参加者を降ろそうとした。ベルトランが手を貸しに向かうより早く、伯母が近くの従者へ指示を出す。
「皆さんに飲み物を。帰りの世話役はこちらで立てます。お二人はもう結構です」
「待ってください。だからリタを迎えに――」
「あなたにお願いしたのは、この方たちのお世話です」
戻ってきた令嬢の一人が、ベルトランに預けた手袋はどこかと尋ねた。彼は自分の馬を振り返り、けれど私からも離れたくないらしく、その場に立ったまま答えた。マーヤが唇を結んで取りに行く。
ベルトランの手には、まだ私の帽子があった。
以前なら私が受け取って場を収めたと思う。ごめんなさいと笑い、彼が困らないように何か理由を作って。そういう役なら、ずいぶん上手になってしまった。
私は立って帽子を取った。ただ手元へ戻しただけなのに、彼は帰る気になったと受け取ったらしい。すぐに表情を和らげた。
「分かればいいんだ」
胸の奥が冷えた。
この人は、私が何を言おうとしたのか、一度でも気にしただろうか。
「伯母様。父にお話しする時、今日のことを伝えていただけますか」
伯母が私を見た。ベルトランも何か言いかけたけれど、私は伯母から目を逸らさなかった。
「婚約を解消したいのです」
言えた。
その途端に膝が頼りなくなったので、私は卓の縁に手をついた。
「ここでそんな話をするな」
「両家で話します。けれど、決めたことは今、お伝えします」
伯母は私の手を一度見て、頷いた。
座り直した時、ダリオは何も言わなかった。私の手元へ菓子の袋を戻し、それから一番大きな一つを取った。
「それは駄目だって言ったのに」
「一つは一つだろう」
まだ膝は震えていたけれど、言い返す声は出た。
◇
正式な話し合いは、それから五日後だった。
父とベルトランの父、それに遠乗り会での出来事を伝えるため、伯母が同席した。私は父の隣で、婚約解消の書面に目を通していた。
「たった一度、君より友人を優先しただけだろう」
ベルトランが言う。
隣で父が口を開きかけたので、私は小さく首を振った。
「一度ではないわ。けれど、数を揃えるために来たのではないの」
何度だったかは覚えている。約束が変わった夜、次に誘われたら断ってやると決めたことも。それでも誘われれば嬉しくなったから、きっと今度はと待っていた。
そんな自分まで否定したくはなかった。好きだったから、隣にいたかった。その気持ちを、また彼に説明して分かってもらおうとは思わなかった。
「あなたとは結婚しません」
彼は父親の方を見た。父親は書面に目を落とし、贈答品の返還について最後の確認をした。両家で争う項目は、もうなかった。
伯母も、次回以降の遠乗り会は別の二人に任せると告げた。
「マーヤまで外すのですか」
「二人とも引き継がずに持ち場を離れましたから。婚約のお話とは別です」
彼はしばらく黙っていた。
私はペンを取った。握り直す必要もなく、自分の名前を書けた。ベルトランの前へ書面が移ると、彼はそこにある私の署名をじっと見た。
「リタ。今度は君と行く。二人で丘へ行こう」
ああ、それを朝に聞きたかった。
そう思ったので、少し悲しくなった。聞けて嬉しいとは思わなかった。
「あの道は、もう楽しく走ってきたわ」
彼は何か言おうとして、やめた。
やがて署名が済み、父たちが書面を一通ずつ受け取った。これで終わりだと告げられ、私は椅子から立った。
ベルトランも立ち上がり、私へ腕を差し出した。廊下を一緒に歩く時の、慣れた仕草だった。
私は一礼して、その腕の前を通り過ぎた。




