お盆の夜
お盆の入りの夜、健太は台所で麦茶を飲んでいた。外はすっかり暗くなり、庭の蝉も鳴き止んでいる。ふと窓のほうを見ると、ガラスの向こうに誰かが立っていた。
最初は近所の人かと思った。しかし、その男は庭の暗がりの中にぼんやり浮かんでいて、こちらをじっと覗き込んでいる。白いシャツに古びたズボン、少し猫背の立ち姿。顔をよく見て、健太は息を呑んだ。それは三年前に亡くなった父だった。
「親父……?」
男は何も答えない。ただ窓に顔を近づけ、家の中を覗いている。健太は怖くなったが、同時に腹も立ってきた。死んだ父がお盆に帰ってきたのなら、なぜ堂々と玄関から入ってこないのだ。しかも、まるで泥棒のように窓から覗いている。
健太はふと、物置に置いてあったカナヅチのことを思い出した。父が生前、棚を作るために使っていたものだ。健太は台所を飛び出し、物置からそのカナヅチを掴んだ。
窓の外では父の霊がまだ覗いていた。
「親父!」
父の霊が驚いて振り返る。健太は手にしたカナヅチを振り上げ、その頭を思いきり叩いた。
「いてー!」
父の霊は頭を抱えた。幽霊とは思えないほど見事なリアクションだった。「何すんだ、お前!」と叫ぶなり、父は庭を駆け出した。白い服が暗闇の中をひらひら揺れ、やがて塀の向こうへ消えていく。
健太は呆然と立ち尽くした。まさか本当に叩けるとは思わなかった。そして、父の最後の言葉を思い出した。
「……痛いってことは、ちゃんと帰ってきてたんだな」
その夜、健太は仏壇の前に座り、父の写真を見ながら麦茶を一杯置いた。
「親父。来るなら窓から覗かないで、普通に帰ってこいよ」
すると、庭のほうから小さな声が聞こえた。
「……次から玄関にする」
健太は思わず笑った。お盆の夜は、まだ始まったばかりだった。
(了)




