第1話:雨の日の、不純な奇跡
その日、私の世界は終わった。
二週間前に会社をクビになり、今日、最後の失業保険の手続きを終えた帰り道。道すがらに立ち寄った本屋で最新刊を手に入れて電車を待っていた私を襲ったのは絶望だ。
「……嘘。……なんで」
本の中、私の最推し——ジェイミーは、雪の降る崖の上で美しく微笑み、そのまま奈落へと堕ちていった。
公式が最大手。公式が神。けれど、その神が下した裁きはあまりにも残酷で、完璧な『死』だった。
家に着くまでの記憶はない。
気づけば、私は家賃三万円のアパートで、濡れた服のまま床に這いつくばっていた。
「……仕事もない。……お金もない。……推しも、もういない」
鏡に映る自分は、〇〇年の月日を無駄に重ねただけの、ただの『ポンコツ』だ。
会社では、自分なりに頑張ったつもりだったけれど上司から「居ない方がマシ」と吐き捨てられた。誰かに嫌われたくなくて、必死に頑張った結果は報われなかった。
——居ない方マシって
「……あはは、そっか。……私は居るだけだ邪魔なのか。先生と同じだね。」
主人公が先生に向けて言い放った言葉が私を貫いていく。
その瞬間、突発的な怒りとドロドロの執着が、空っぽの胃の奥からせり上がってきた。
私は狂ったように部屋を漁り、古本屋の隅っこで拾った、薄汚れた『十九世紀の降霊術』という怪しげな古書を引っ張り出した。
「何をしても邪魔なら、何をしても良いよね?」
その辺にあった紙にペンで魔法陣を描く。本来なら鼻で笑うようなオカルト。けれど、今の私にはこれしか縋るものがない。
ふと、ペンを持つ手が止まる。
(……待って。呼んでどうするの? 私みたいな女、先生が一番嫌う人種じゃない。無視される。蔑まれる。……そんなの、耐えられない)
推しに会いたい。でも、嫌われたくない。
矛盾した願いが、脳内で火花を散らす。
その時、私のポンコツな脳みそが、悪魔のような解決策を弾き出した。
「……そうだ。なら、最初から好感度MAXで呼べばいいんだ」
私は震える手で、魔法陣の端に、本来の術式にはない『注釈』を書き加えた。
『※召喚対象は、術者に対し最大級の慈愛を持つものとする』
「……っ、いや、ダメ。先生は天才だもの。私のこの、散らかった部屋や堕落しきった姿、秒で好感度が下がっていく。……絶望される。……それだけは、嫌」
私は泣きながら、さらに文字をねじ込んだ。
それは、誇り高い悪役に対する、最大級の侮辱であり、究極の愛。
『※かつ、その好感度は、いかなる事象によっても減少・変動しないものと固定する』
「……ごめんなさい、先生。……私を、嫌わないで」
叫びと共に、魔法陣が、網膜を焼くような不気味な光を放った。
インクの香りと、冷たい雪の気配が、湿った部屋に充満する。
光の渦の中から、コツ、と硬質な靴音が響いた。
そこに立っていたのは、三つ揃えのスーツを完璧に着こなし、琥珀色の瞳で冷徹にこちらを見下ろす——死んだはずの、彼だった。
ジェイミー
私の、世界で一番大好きな、悪党。
「…………なんだ、ここは」
彼は雪の降る崖から一転、なんの変哲もないアパートの一室に現れたというのに、驚くほど冷静だった。スリーピースのスーツの埃を払い、琥珀色の瞳で淡々と室内を見回す。
「ここは?……お嬢さん、説明を願えるかな? 僕は、何をした」
凛とした青年の声。
冷徹で、知性に満ちた響き。……のはずだった。
だが、私の顔をじっと見つめた瞬間、ジェイミーの動きがピタリと止まった。
整った眉がぴくりと跳ね、陶器のような肌が、みるみるうちに耳の付け根まで赤く染まっていく。
「…………っ、……!?」
彼は突然、口元を手で覆い、ガタガタと震えながら後ずさった。
「……不可解だ。心拍数が平時の1.5倍に跳ね上がり、脳内には多量のドーパミンとオキシトシンが分泌されている。……視界が、君という存在を捉えた瞬間に、春の陽光を浴びたかのように輝いて見える……」
「え、あの、先生……?」
「待て、喋るな。……今、解析中だ」
ジェイミーは片手で顔を覆い、必死にブツブツと呟き始めた。
「僕は今、崖から墜ちるという極限状態にいた。……吊り橋効果か? いや、それだけでこの『今すぐこの女性を抱きしめて、一生分の贅沢をさせたい』という猛烈な衝動は説明がつかない。……となると、残された可能性は……」
彼はハッと目を見開き、信じられないものを見るような目で私を凝視した。
「……信じがたいが、論理的な帰結だ。……そうか。これが、俗に言う『一目惚れ』という現象か……!」
「はいっ!?(違う、設定!)」
「おめでとう、お嬢さん。……どうやら君は、世界最高の知能を持つ僕を、たった一秒で陥落させたらしい。……君のような、……その、……お世辞にも高貴とは言えない、……凡庸な女性に、僕の魂がここまで屈服するとは……」
ジェイミーは絶望したように天を仰ぎ、でも次の瞬間には、震える手で私の手を取り、跪いていた。
「……認めよう。僕は君に、運命的な恋をしたようだ。……責任を取ってもらおう。僕のこの、制御不能な愛の……責任をね」
琥珀色の瞳は、殺意の欠片もなく、慈愛に満ちていた。
……やばい。
大成功だけど、先生のキャラが崩壊してる。
先生、それ「設定」に脳をハックされてるだけなんです……!!
ネタが思いつき次第書いていくのでノンビリ更新です。推しのイメージは某推理小説の悪役です。探偵も好きだけど、相棒もいて欲しいから人数オーバーだ。




