ディジルの一歩
「お相手は、普通の人間ということですよね?」
フワンが静かに問う。
「……ああ。普通、のはずだ」
梁の上で、くすり。
「“はず”とな?」
ディジルは舌打ちする。
「うるさい」
少しだけ間を置いて、低く続ける。
「そいつ、みちるっていうんだけど」
モフリオンが、ぴくりと耳を動かす。
「なぜか、モフリオンが見えるんだ……」
沈黙。
窯の火が、小さく鳴る。
「ええ!?」
フワンが珍しく声を上げる。
梁の上から、楽しげな気配。
「ほう……それは面白いのう」
ディジルは眉を寄せる。
「面白くない」
「普通の人間に、境界の獣は見えぬ」
アマリュウの声が、少しだけ低くなる。
「では、その娘は――」
「やめろ」
ディジルが遮る。
「勝手に決めつけるな」
モフリオンが、ディジルの裾をちょんと引いた。
「……だから、様子を見に行くだけだ」
少し強がるように。
「ただの確認だ」
「震えてないかのう?」
「震えてない!」
即答。
フワンは静かにうなずく。
「なら、パンを持っていきなさい」
「……は?」
「手土産は、世界を和らげます」
ディジルは黙る。
視線を逸らし、ほんの一瞬ためらう。
「……なあ、フワンさん」
「はい」
「その……」
拳が、わずかに握られる。
「ついてきてくんないか」
窯の火が、ぱちりと鳴る。
梁の上から、爆笑。
「ははは!子供か!」
「うるさい!!」
ディジルの耳が赤い。
「別に怖いわけじゃない! ただ確認だって言ってるだろ!」
フワンは、少しだけ目を細める。
「申し訳ありませんが」
静かに、生地を折りたたむ。
「最初の一歩は、お一人で」
ディジルは唇を噛む。
モフリオンが、もふ、と鳴いた。
「……一本だけだぞ」
観念したように、パンを受け取る。
梁の上から、楽しげな声。
「我が行ってやろうか?」
「お前は来るな!」
即答。
「主食戦争、第三幕かのう」
「黙れ!」
フワンは、ふっと息をつく。
「……ディジルさん」
「なんだ」
「誰かと並んで立てるのは、 自分で立てる者だけです」
窯の火が、ぱちりと弾けた。




